言ノ葉裁決必定都市・ムサシノ

陸前フサグ

言葉の集まる場所

 近年、武蔵野市は姿を変えた。日本の首都に所属する一自治体であるが、それは最早、お堅いお決まりの中の話だけであって、日本の中にあっても他国の様な場所となっている。


 武蔵野はかつて原野だったというが、昔々から言葉で人々を魅了させる力があった。

 詩から始まり、国木田独歩や徳冨蘆花を始めとした文壇らの影響で、文学都市としての印象は確かなものになった。

 そのため、僕は武蔵野は言葉が集まる場所だと思っている。


 いや、言葉は何処にでも集まり、吐かれる。遥か昔から人は言葉を口で吐き、やがて文字で表し、紙に想いを乗せ、やがて技術は発達し、音声や電子箱から発信、今では電子板で文字を叩き、簡単に想いを吐ける様になった。


 だからこそ言葉は狂気と化した。言葉は、文字は、魂だ。軽くあってはいけない。愛を吐ければ良いかもしれない。

 けれど人間の口、心というのは「悪口」というものが好物だ。少しだけならと一度吐いたら最後、少しでも共感されてしまったらその中毒性にズブズブと溺れていく。


 最初は「ほんの苛立ち」から始まったそれも、共感する者が出てきてしまえば、今度は「根拠のない噂話」や「いい加減な悪口」等、他人を陥れるような言葉を語る様になる。


 それが今や社会問題となり「名誉毀損」「誹謗中傷」「侮辱罪」などの不法行為となって、渦巻いている。金や牢屋入りで片付けばいいが、それだけでは罪の意識は消えない。

 寧ろ金で解決したような人間に関しては、それに物を言わせてくる。そして他者を傷つけるのをやめない。わかりやすい最低な人間に成り果てるのだ。


 言葉は誰でも持っている見えない武器だ。正しく使えないやつを社会に放っておくのは危険すぎる。

 国民が上げた声、罪の多さに政府は言葉で罪を犯した者や、言葉の在り方を管理する機関を作った。


 言葉に関する公的機関を集めて世の中を綺麗にしましょうというのが役目。罪を償えば出られるが、受刑者の大半はこの"ムサシノ"から出られずに生涯を終えると聞く。


 見た目は大正や明治を彷彿とさせる西洋風の日本の街並みだが、牢屋の暮らしより辛い地獄がここ、「言ノ葉裁決必定都市ことのはさいけつひつじょうとし・ムサシノ」だ。

 必定と言うだけあって、ここに連れて来られた者の大半は罰が与えられる。


 日本中で吐かれた文字の雨が降り、選ばれた官職らは言葉や文字を捕らえる銃などの「言葉の裁決グライヒハイト・マル・アルージェ」と呼ばれる兵器を持つ。


 捕らえられた言葉達は、何時何処の誰がどういった都合、感情で吐かれたものなのか等、必要な情報を知ることが出来る。生き続ける証拠だ。


 裁判は毎日行われる。僕はその裁判所に勤める「文月司ふみつきしんじ」。

 裁判官秘書として簡単に言えば、裁判の補助役として働いている。


 まさに今も裁判中だ。書記官席で法廷の中で行われていること記録する。


「刑の執行をする。異論は?」


 若々しい裁判長の声と共に、木製のギャベルが叩かれる。有罪を決定された被告人は証言台で血相を変えて、己の罪を否定する。


「誰だって言ってるようなことで、こんなこと信じられない! 税金泥棒!」


 言えることは全て言うつもりだろう。どんなに足掻いて攻撃する言葉を吐いても、判決は覆らない。弁護士もいなければ検察もない。ここにくる罪人は、確実に罪のある者が連れてこられる場所なのだから。


 黒色のアルスターコートを翻し、不言色という赤みのある黄色の着物、所謂、書生スタイルの裁判長は被告人に歩みよった。

 そして喚いていた彼の顎を持ち、その目線を離さない。


「人の心を殺したのに、自分の心は助けてくださいなんてご都合の良い話はございません。今貴方が言った、税金泥棒という暴言にだって心が痛みましたよ? はぁ、悪い人間って言うのはずうっと自分本意で困りますねぇ」

「皆言ってるのに、俺だけおかしいだろ!」


 裁判長はフッと鼻で一息嗤うと「皆さんそうおっしゃるんですよ」と言って、右手でフィンガースナップ。すると部屋の外にいた、こちらも書生スタイルの法廷警備員が被告人を捕らえて口を塞ぎ、その両手首に冷たい銀色の輪をかけた。


「あなたに科せられる刑は、反復です。まぁ、言われたくない事を永遠に言われる刑ですかね。貴方が一番言われたくない言葉は“出来損ない“でしょうか?」


 言葉を吐けないその口は役に立たない。被告人は涙を溢れさせて罪を否定する。暴れる体を何人もの警備員に押さえつけられたら、もう呼吸以外の自由はない。

 僕はその姿が醜く見え、思わず目を逸らしてしまった。


「まあまあ。ただイヤホンを付けられて、出来損ない以外の言葉を聞けなくなるだけですからね。衣食住は保障します。それに罪を償えばムサシノから出られますから、それまでお気を確かにドーゾ」


 罪人に手をヒラヒラと振って見送る裁判長。最後の足掻きが遠くなると、重い木で出来た扉が重音を立てて閉まる。

 彼女はボブカットの茶髪を舞わすように振り返ると、飄々とした感じで「お疲れ」と言って、僕の目の前に立った。


「やっぱり見てられないか。ああいう諦めの悪い人間」

「足掻くなら悪口なんて吐かなきゃよかったのに、と思います」


 裁判長は少しの動作も見逃さない。さすがだ。僕は問いに淡々と答えた。


「まぁね。でもそれが出来ないのが人なんだよね。駄目と言われたら益々吐きたくなる。恥ずかしい話だけど、それが人間なんだなぁ」

「そうですか」

「悪口を吐きたくなる気持ちはわからなくないが、人を病ませる程の言葉の暴力ってのは褒められない。心は一度ぐしゃぐしゃになると戻らないからね。一見戻ったように見えても、刺さった言葉の破片は残るもんだよ。その破片の一欠片を抜けたら本望さ」


 裁判長こと「睦月要むつきかなめ」は少し寂しそうな表情を見せた。

 齢22歳にしてその地位を得た彼女は、今まで言葉によって傷ついた人達の叫びを無数に聴いてきた。

 だから言葉による犯罪には正しく向き合い、世のため人の為に今日もギャベルを叩く。


 その腕を振るいあげるのは胸が痛くて、張り裂けそうで、いつだって泣きたいに違いない。同じ齢だから、この職の重さがわかる。しかし彼女の言葉への敬意は国が評価した結果である。


「全国民の口を塞げば、解決しませんか」

「しないよ。手がある。書くことができるからね」

「なら手も縛りましょうよ」

「司君」


 言葉で傷つく人を減らしたいのなら、そうすればいい。それならこの職の任も解かれる。そう思って口走った言葉だった。僕の言葉は穏やかでなかったが、裁判長は咎めない。そして手元にあった裁判記録に目を通した。

 

「言葉が無くちゃ、愛を語れない。想いを伝えられない。意見を言えない。言葉は個性だ、感情だ。それを縛るというのは、その人を取り上げるという事。それを平等に判断し、人の個性を護るのが私達の仕事。だから、もし君が仕事に嫌気がさしてそう考えるのなら、その極端な解決策が仕事を増やすことになりかねないんだよね」


 言論を制限すれば暴動が起きる。自由がなければ、人は自由を求めて立ち向かうようになっている。僕が言ったのは人々の闘争心にかえって火をつける、暴論だったと言う事だ。


「ごもっともです。しかし、個性を大切にするのであれば、悪口も個性なのだから罰するのは違う……と言われてしまうのでは」

「悪口全てがいけないとは言わないさ。保護されるべき批判というのもある。その境目が難しいんだよ」

「はあ」


 裁判官秘書になってまだ数月の僕はその境目がわからない。そもそも、何故僕らの様な若い人間が重大な仕事をしているかというのは、裁判長である要さんしか知らない。

 

 僕らは言葉を正しく使えない人間を裁く為に働く。この荷の重い、人から恨まれそうな仕事をこなす事は出来るのだろうか。


 閉廷する度に深いため息をつきたくなるのは、僕も言葉の扱いに自信がないからだ。

 僕はムサシノにまだ馴染めない。言葉が怖い。そう思うと、内気で口数の少ない僕はもっと、話せなくなっていく。

 

「ムサシノは罰するだけの場所じゃない。文学都市としての顔は健在さ。喫茶店によりつつ、流行りの書物でも読みに行こうか」

「まさか、他の検閲官らのところですか?」

「まぁ、何か奢るからさ」


 都合が悪いのか、あからさまに目を逸らされた。このムサシノには言葉を管理する公的機関が沢山ある。

 例えば、書物に関する物も細かく分けられ、言葉で傷ついたりしないよう、不適切な言葉達が社会に悪影響を及ばさないよう、管理されているのだ。


 勿論その逆に良いと判断されたものは世間に広めるべく、公的書類としてムサシノの外へと流される。僕は他と交流が無いから気が進まなかった。


 同い年と言っても上司は上司。裁判長の誘いに乗ると、「言葉の裁決グライヒハイト・マル・アルージェ」である銃をを左腿に回したホルスターに入っている事を確認し、立ち上がった。

 そして黒のインパネコートの胸元に「言」と書かれたピンバッジを輝かせ、裁判長に「お供します」と言う。


「司君だって、ムサシノを知れば案外良いところだと気づくよ」


 裁判所を出ると、明るい顔をしたムサシノに沢山の観光客が文字の雨が降る街で笑顔を作っていた。そこで吐かれた言葉達もまた、僕らの手によって裁かれるかもしれない。

 しかし、人々が楽しそうに会話している光景が美しく見え、釘付けになる。


「皆楽しくおしゃべりして良いだろ? 言葉ってのは正しく使えば笑顔の素なんだよね」


 毎日裁判詰めで息が詰まりそうなのを案じての誘いだったのだろう。言葉に悩み、言葉で救われる。人なんて単純なのだ。絶望の中にこそ光はある。それをよく知っているのが言葉だ。


「そうでしたね」


 僕はまだムサシノに馴染めない。が、言葉を守っていく職についた。それは自らが言葉で傷つき、誰かに同じような目にあってほしくないと願ったからだ。


 言ノ葉裁決必定都市・ムサシノ――。

 言葉に潜む希望と絶望を司る、世界唯一の文学都市である。

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