第一章-21 エワディー川の戦い

「それでは今よりエワディー川を順次渡っていく。向こう岸に着いてからはこれまでとは別次元の戦争が始まる事を覚悟しておいてくれ」


 隊長が告げる。あれから夜が明け、早朝の今、船の準備が整った。寝て起きたら川岸に大量の船が出現していた。が、それももう驚かない。湧き上がるのはエリザベートさん大変だっただろうなあ、なんていう感想だけ。


「船は小隊毎だ。先ずは私の小隊から行く事にする。その後はシフルの小隊だ。そして━」


 隊長は流れる様に指示を出すと、そのままくるりと背を向け、船にそのまま向かっていった。俺達は隊長の次の船と言う事なのでそちらを目指し歩き始める。その前に。ちらりとターサの方に目をやる。一見何事も無いように見える。いつもと同じように元気にイスタウさんと話している。そんな風に見える。でも。昨日のターサの様子を見た後だとやはり分かる。無理に元気な振りをしている。昨日のターサを知っている俺だから分かる。無理矢理笑顔を作った、そんな顔をしている。

 心配になって声を掛けようか、なんて考えが少し頭を過る。そんな俺に親父が声を掛ける。


「おい、イアン。ターサちゃんばっかり見つめてるな。さっさと船に乗り込むぞ」

「…ああ、分かったよ」

「お前が最後だ。隊長の船ももう出るから急げ」

「…今行く」


 ここで立ち止まり続ける訳にもいかない。前に進まなくちゃいけない。ようやくターサから目を離す。俺に出来る事は少ない。せめて少しでも。少しでもターサの負担が軽くなるように。ターサに辛い思いなんてさせないために。俺の心なんて犠牲にしたって構わない。俺の手がどれだけ汚れようと構わない。ターサの為だ。自分を犠牲にしても。少し無茶をしてでも。これまで以上に命を懸けようと、そう誓った。




船に乗り込むと直ぐに船が動き出す。早朝の澄んだ空気が俺の周りを駆け抜ける。前を進むのは隊長がいる船。そして、その先にあるのは恐らく苛烈な戦いが起きるであろう場所。俺の新たな決意と共に、船は前に進む。

右手側から差し込む朝日が。少し目に刺さって痛かった。




その後、暫く進むと前の船が停止した。その船の横に合わせて俺達の船も停止させる。前を見ると、対岸はもう近い。以前。ユルシアに上陸した時の様に目の前に行く手を阻む壁が存在する訳ではない。だが。代わりに見えるのは人の海。対岸を覆い尽くす莫大な敵意。

 これまで見て来た奇襲の兵は揃って軽装だった。しかし、今見えている兵は違う。皆一様に鎧を身に着けている。アウトリカと同じような軽鎧。色等の意匠の違いこそある物の、それはこちらと同じく戦う、と言う点においては間違いなく適正である物。これまでの様に犠牲無し、という訳にはいかない事を痛い程理解出来る。

 それでも。俺の中では依然としてアウトリカが勝つと予想出来る。勿論前提はある。ユルシアには魔法継承者が存在しない、という前提だ。これがその通りであるならば、犠牲は当然生まれはするだろうが、俺達の勝利は揺るがないだろう。

 そして、今。この状況はユルシアに魔法継承者がいるかいないかを見る絶好の機会である。隊長の船が停止したという事は、恐らく隊長の魔法で道を切り拓くつもりなのだろう。隊長の魔法があれば間違いなくこの状況も打破できる。

 同時に。ユルシアからすれば今はアウトリカを足止めする絶好の機会なのだ。ここ、エワディー川でアウトリカを撤退させる事が出来ればアウトリカ軍をカボット周辺で押し留める事が出来る。既に囮として使う事を決定していた場所に押し留める事が出来るならその後いくらでも時間を使ってアウトリカの戦力を削るなど難しくはないだろう。

 故に、今。ユルシアには持てる全ての力をこのエワディー川に当てる価値が存在すると。そう判断する筈なのである。つまり、魔法継承者がユルシアに存在するならばここで隠すという選択肢は存在しない。魔法継承者が居るならば間違いなくここに投入してくる。ここが、自分の目でユルシアに魔法継承者が存在するか否かを確認する最大の好機なのである。

 隊長の船を確認する。あの時。ユルシアの船団と対峙した時と似た様な状況。隊長の船の甲板には兵器がこれでもかと用意されている。その時、隊長の口が動くのが見えた。右手が。左手が。上がるのが見えた。

 刹那、甲板の上を埋め尽くさんとしていた兵器のその全てが浮き上がる。そのまま隊長の背後に翼を開いたかの様な形で並ぶ。兵器毎に形も、大きさも。その全てが違うというのに。その姿は一種の美しさを持っていた。その姿は俺にああ、こんな美しい鳥がいるって聞いた事があるな、なんて感想を抱かせていた。

 隊長が手を下ろす。前を指す。その瞬間、隊長の姿は火花に包まれた。小規模な爆発が起きたことが分かる。そして、その美しい翼からは人の命を奪う凶弾が一斉に放たれ、対岸に一気呵成に襲い掛かる。そのまま対岸に着弾。最初は小さな炎だった。それが燎原之火の如く広がり、次第に大きな緋の海となる。

 対岸からそれなりに離れているこの船からでも分かる。対岸に渦巻くのは怨嗟の声。失われる命の灯。俺はカボットの街で一人の未来を奪うだけで慟哭したというのに。それを遥かに上回る速さで隊長はその灯を消していく。カボットを出て以降初めて隊長の戦いを見た。実感した。俺なんかよりも遥かに固く。遥かに強い覚悟を隊長はしている。俺は目の前で消えていく幾多もの命や。発せられているであろう怨恨の声に。思わず身が強張ってしまう。

 怖い。目を逸らしたい。そんな感情が俺の中に出てくる。でも、そうする訳にはいかない。今、俺がいるのは戦場で。これも自分の為にも。アウトリカの未来の為にも。そして何よりターサの為にも。必要な事なのだ。

 この悲劇から目を逸らさないだけの。無理矢理身体を動かすだけの力を振り絞る事が出来た。少し前なら出来ていなかっただろう。少しずつ。俺もこの戦争に適応してきているのだな、と感じる。

 その、俺が硬直した少しの時間。その間にユルシア側からの攻撃は無いに等しかった。確かにこちらに向け攻撃は行っている。しかし、その攻撃は届く事は無い。ユルシアが用意したのは対船用のミサイルの様な物。それは発射されはするが、その全てが悉く隊長の操る兵器の弾によって軌道を逸らされ、川の中、何もない所に着弾し続けていた。

 確信した。ユルシアに魔法継承者はいない。隊長の攻撃に全く対応出来ていない。俺も魔法にどのような種類があるのかは把握してはいない。だが、この場において魔法継承者を連れてくるならば戦闘行為において優位を取れるものにする必要がある。それは攻撃をこちらに当てるでもいいし、こちらの攻撃を防ぐ、若しくは軽減するものでも構わない。しかし、そのどちらも行われていない。ユルシアの兵はこの隊長の攻撃で幾多もの命を散らし、反撃すらもまともに出来てはいない。


━━勝てる。

そう確信できる。


「俺達も見てばかりじゃ駄目だ。加勢するぞ!」


 親父の声がする。甲板に設置されている大砲に小隊員がそれぞれ向かう。俺も予め決められた配置に就きながら、気付けば笑みが零れてしまっていた。

 何故笑みが零れたのか理解したくはない。目の前で多くの人の命が燃え尽きているのに。これから自分が行うのは人の未来を奪う行為だと分かっているのに。嘗ての自分ならここで笑みが零れる事は有り得なかった。絶対に勝てるという慢心か。これからする行為に対する期待なのか。それは分からない。そのどちらでもあって欲しくはない。しかし、そのどちらかなのだろうな、という確信めいた物が自分の中にある。

 本当に。俺もこの戦争で変わってしまったんだな、と。大砲を前にして。気分が昂る自分を見て。もう、戻れないかもしれないな、なんて事を。独り、考えてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘却のハッタート 上葵 @ue_aoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ