第一章-20 ぎこちない笑顔
あれから、一か月程が経過した。国王が俺達の小隊に態々来た日から一か月だ。あれから、俺達は順調に進軍した。奇襲や、ユルシア軍との正面衝突も何度かあった。しかし、その度に機転を利かせて奇襲を未然に防いだり、前以て他の小隊と合同で進軍したりして綱渡りではあったが、なんとか俺は生きている。
途中、アルとリースにも出会った。アルは相変わらずで、勇敢に、少し言い方を変えれば若干考えなしに交戦していた。アルのいる小隊の人に聞けば、アルのお陰で突破できた戦線も多いという。そして同時にアルが死にかける回数も多かったらしい。だから、最初は会う度に成果を上げる事も大事だが命を守る事も大事にしてくれ、と伝えていた。しかし、その返答はいつだって
「俺は自分の命などどうなっても構わない。俺には守らなくてはいけない人がいる」
の一点張りだった。どうやら病弱な妹がいるらしい。その妹が将来笑顔で生きていける様にするために命を張っていると。アルはそう言った。一度だけ、例え妹さんを守れてもアルが死んでしまっては妹さんも悲しむのでは、と聞いた。その時アルは
「分かっている。出来るなら生きて妹と未来を生きたいさ。でも、生きたいとだけ考えて臆病になってアウトリカが負けてしまっては意味が無いだろう?俺は命を懸けて妹を守らなくちゃいけないのさ」
なんて。酷く寂しげで。覚悟が決まっていて。どこか遠くを見ている様で。しっかり目の前を見つめている様な。そんな目をして俺に言ってきた。その目を見てから俺はアルの決意を思い知った。故に、俺はもう無理をするなとは言えない。死なないでくれ、と祈り、伝える事しか出来なくなっていた。
リースは以前のリースに戻っていた。聡明で、面倒見のいいリースがそこにいた。あの日、カボットで見たリースはやはり一時的な物だったのかも知れない、と。そう思えた。しかし、最初にリースと同行した時に俺達が捕虜に言われた事をそのままリースに伝え、意見を求めようとした時に俺は再びあのリースと出会ってしまった。
「そうか。僕達を奴隷だと?劣等だと?そう言ったんだね?ふうん。…イアンも知っている様にアウトリカは二百年もの間外との関りを断ってきた。それに。アウトリカの歴史を調べてもアウトリカを建国した人もアウトリカで生まれ、アウトリカを纏める為に戦った様な人間だ。だから、ユルシアの人等にそういう風な事を言われる筋合いはないんだよ。確かにアウトリカには奴隷制度があるからそう言った人達に向けて言うなら分からなくはないかもしれないけどね」
俺はリースの家が元奴隷の一族だと知ってしまったことをリース本人には伝えていない。それを伝える事でリースとの関係が変わってしまう事は望んでいないし、俺はリースはリースであり、一族の過去等どうでもいいと思っているからだ。だから、リースも奴隷制度の話はなんの躊躇いもなく出す。しかし、この話をしている時のリースの目は。やはりどこか昏く澱み。視線は若干遠く。まるで過去を少し思い出し、怒りを必死に抑えている様な。そんな目だった。でも、それも何も知らない人が見たら気付かないであろう程の小さな変化。リースがこの軍人という地位を守るためにどれだけの努力をしているのか。どれだけの悲しみ、怒りを抑えているのか。それが分かる様な気がして。俺は知らないフリを続ける事を心に決めた。また、同時にリースがいつか心から笑って。平穏な日常が過ごせる事を祈らずにはいられない。傷付き、壊れかけてしまっているであろう心が更に壊れてしまわぬように友達でい続けよう。そう決意もした。
そして現在。俺達105隊は一度集まり、目の前のエワディー川を越えようと試みている。進軍していく事で戦線はユルシア内部に着実に迫っていった。今までずっと平地を進軍していたと言う事もあり、俺にとっては初めての試みだ。エワディー川の水深は深く、船で渡る事になる。しかし、当然今まで陸路を進んできた105隊は船など持ち運んでいない。故に手詰まりである。と、この戦争に参加した時の俺なら考えていただろう。
しかし、今は既に魔法に関してある程度の知識を持っている。俺達の軍にはエリザベートさんがいる。恐らくだが、船を運ぶことなど大した事ではないのではないか。瞬間移動の魔法が周囲の人を同時に運ぶことが出来るのは既に体験した。それに、親父の過去の発言から物も運ぶことが出来る事は理解できる。
ただ、当然いくらエリザベートさんでも船自体が無ければ運ぶ事など出来ない。今カボットで大急ぎで造船でもしているのだろうか。詳しい事は分からないが、隊長曰く出発は明日になるとの事だ。
つまり、今日一日は何も出来ないと言う事。エワディー川を越えた後はユルシアの攻撃も熾烈になる事は予想出来る。この川に辿り着くまでに本格的な街は存在していなかった。つまり、この川まではユルシアも捨てて構わないと決定している可能性がある。しかし、川を越えた先は恐らく状況が変わる。ユルシアの街も。人も。この先に多数存在しているのだろう。アウトリカ国軍もまさかここまで大規模な土地をユルシアが囮にするとは予測出来なかった。だからここまで到着するのに一月も経過してしまった。ユルシアがアウトリカと対峙する為の準備期間としては十分すぎる時間だ。だからなのだろう。隊長は105隊の全員に対して今日はしっかり休息を取るようにと。そう命令していた。
かといって、一人でじっとしているのも落ち着かない。明日以降今までよりも更に激しい戦争になる事がほぼ確定しているのだ。だから。俺は同じ隊にいるターサの所へと。無意識に足を動かしていた。
「よ、ターサ。久しぶりだな」
そうやって声をかける。会うのは半月振り程だろうか。カボットで一旦別れてから一月と少し。その間俺は二回ターサに会っていた。一回目はあの時。初めて奇襲を防ぎ、初めてエリザベートさんの魔法を体験し、初めて国王と会話したあの日。二回目はその半月後。これもまた奇襲を受けた時。この時、俺達の小隊は完全に不意を突かれた。決して油断していた訳ではない。単純に森林地帯で視界が悪く、周囲に潜んでいる敵に気付く事が不可能だったのだ。背後を取られ。前も塞がれ。完全に死を覚悟したその時、エリザベートさんがターサの小隊を連れて援軍に来てくれたのだ。そのお陰で俺達の小隊は犠牲を出さずに奇襲を退ける事が出来た。エリザベートさん曰く、
「ターサがねー。『地図を見る限りイアンの小隊が現在進軍している位置は奇襲を仕掛けるには絶好の場所です!間違いなく奇襲が行われると断言できます!それに、イアン達の小隊がこの奇襲に対応出来る可能性は著しく低いと思われます!』って言って聞かなくてねー。一回奇襲を予想しきった実績もあるからって試しに来てみたら本当に危ないところだったんだもん。ターサに感謝しなよー」
との事である。現地にいる俺達よりも先に奇襲を予測し、それを未然に防いだのがターサらしい。最早意味が分からない。だが、助かったのは事実だ。不思議な事もあるもんだな、なんて思ったりした。
あの時ターサに助けられて安心した。でも、正直自分が情けなくなったな。そんな事を考えているとターサが口を開く。
「イアン…!良かった…。生きてる…」
「何言ってんだよ。俺が死ぬ訳ないだろ」
「イアン…。死なないでね…?」
「…何言ってんだよ」
ターサと目が合う。その時、思ってしまった。
ターサの目が。俺を見ていないんじゃないかって。どこか遠くをずっと眺めているんじゃないかって。ターサの心が。もう限界なんじゃないかって。
相変わらず綺麗な蒼の瞳。いつもはその綺麗さに思わず吸い込まれそうになる。しかし今日はいつもと違って。その瞳が底知れない深さを持っている様で。まるで深海に。まるで宇宙に。そう言った類の所に吸い込まれてしまうかの様な錯覚を覚え、若干の恐怖を抱く。
「ねえ、イアン?どうしたの?」
…思わず顔に出てしまっていたらしい。気を強く持つ。改めてターサを見ると、然程寒くはないのに身体は小刻みに震えている。…恐怖している。年相応の女の子の姿がそこにはある。明日以降の事を案じ、必死に恐怖に抗っている年相応の女の子。今まで、この戦争が始まってからのターサは強く見えた。だからこそ、勘違いしてしまっていた。怖いに決まっているのだ。泣きたいに決まっているのだ。
守ってあげたい。その気持ちは自然と俺の中に湧き上がってきた。
「…ね、お願い。笑って?…そんな顔しないで」
「…ああ」
「…私、怖いの」
「…ああ」
「…イアンが、いつか死んじゃうんじゃないかって。イアンの苦しんでる顔が沢山思い浮かんじゃうの…!」
「…大丈夫だ。俺は死なない。死んでない。ここに居る。ターサをずっと守る」
「…じゃあお願い。イアンの笑った顔を見せて」
「…ああ」
そう言って微笑みかける。多分、ぎこちない笑み。色々な顔の筋肉が無理な動きをしているのが分かる。でも、これが俺に出来る精一杯。
そんな俺を見て。
「お願い…。もう死なないで…」
なんて言って。
ターサは俺の胸に飛びつき、大きな声を上げて泣き続けた。
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