夢の中でわたしは言葉を殺してた

キノハタ

私の言葉を殺す夢を見た

 「昨日ね、誰かを殺す夢を見たの」


 私がそう言うと、朝、通勤電車で一緒になった友人は、短めの髪を揺らしながら、可愛げのある顔を不思議そうに傾げた。


 「疲れてんの?」


 「かもしんない」


 そっけないけど、酷く現実的な忠告が飛んできて、私は思わずふむと唸る。まあ、確かにそうかも。最近仕事も忙しかったし。


 「ちなみに、誰をやっちゃったの」


 「うーん、わかんない。知らない人。でも男の子だったかな」


 「むかつく上司とか、親とか、気に入らない客とかそういうのに似てたとか?」


 「ううん。全然、弱そうな、自身のなさそうな子どもだったよ」


 「ふうん……なんだろね」


 友人の言う通り、これが嫌な上司とかなら、理由は至極わかりやすい夢だったのだけど。残念ながら、そんなことは全然ない。どうにも私は夢の中で嫌な奴を痛めつけてストレス発散する才能はないらしい。


 よくわからないけど、私は、私の中にいた、よく知りもしない小さな男の子を、殺したのだ。


 「こう、銃でぱーんってね」


 指で銃を撃つ真似をしてちょっとおどける。


 銃などもったこともない、モデルガンだって握った経験もない。だというのに異様な金属の重みや冷たさは、じんわりと手に残る。そんな不思議な夢だった。


 「よくわかんないけど、ストレスでしょ。多分」


 「たしかに、そうかも」


 そんなやり取りの直後、列車がホームの中に滑り込んでくる。どことなく、話の結論も出ないまま、私と友人は手を振って別れた。


 ぼーっとしていると、友人の声が頭に反響する。彼女は月曜日にだけ、出勤時間が噛み合って少しの時間をともにする、そんな程度の仲だった。


 割と何を言うにも現実的で、何かと夢の世界に片足突っ込みがちな私とは対照的で、貴重な意見をくれる相手だった。


 そして、彼女の言うことは多分それなりに的を射ている。


 疲れてんの?


 かもしんない。


 少し頭のネジが抜けた月曜日の朝はそんな風にして過ぎていった。




 ※




 一週間ほどしたころ、今度は銃で撃たれる夢を見た。


 誰かが手に持った銃が私に向けられて、私がいつかしたのと同じように引き金が引かれるのだ。


 私はそれを眺めて、撃たれる。


 自分の額に穴が開いて、何故か視界にも銃痕のような穴があく。


 びきりと、ガラスが割れたみたいなヒビまでそこに刻まれる。


 脳が撃たれたからか思考は途切れ途切れで、私を見下ろす誰かを私は倒れ伏しながら眺めていた。


 そんな奇妙な夢を、それから二か月で大体、4度ほど見た。


 曜日は決まって、月曜日の朝。


 立場はその時々で違って、撃ったり撃たれたり、撃たれてる様子を眺めていることなんてのものあったりした。


 銃声の音は何故だか、その時々で違っていて。パアンっていうよくある音だったり、ドスンっていう重く響く音だったり、ピシュンっていうサイレンサーが付いたみたいな音も。映画とかで、そんな音を聞いたことがあった気がする。


 「いい加減、病んでんじゃないの」


 「こんな夢一つで病んでたら、本物のうつ病に申し訳が立たんよ」


 「……別にそれは関係なくない?」


 「いやあ、実際そうなんだって。私結構、そーいう人、知り合いに多かったし話を聞くこともあったから。酷い症状がどんだけ酷いかしってるもん。だからねえ、これくらいは全然かわいいもんだよ」


 というわけで、私はまあ、多分、大丈夫だ。別にそこまでへこたれてないし、痛んだりもしていない。


 スマホを適当にスクロールしながら、そんな答えを返していたら友人は少し呆れたような目で私を見ていた。


 そう、別に大したことはない。


 身体が重いのは、最近冬が近くて寒いからだ。


 頭が痛いのは、運動不足で肩や首が凝り固まっているからだ。


 上手く眠れないのは、スマホばかりいじって睡眠不足になっているからだ。


 どれも彼も、大したことはないよくある話。


 どこかの誰かと比べれば、大したことはない、よくあるストレス。


 そう、結局のところ、私のことなんて。


 ふらりと体重が崩れて揺れた。傾いた肩を友人に何気なく支えられる。


 「あんた、本当に大丈夫?」


 「あはは、どーだろー、今日はちょっと早引きしようかな」


 「そーしたほうがいいわ。風邪でも引いてんでしょ」


 風邪、そうか、風邪かあ。


 風邪でなんて、休むの何時ぶりだったっけ。


 視界はどことなく微睡んで、弱く歪んで足元がおぼつかない。


 「そだねえ……会社に電話して……帰ろ」


 「……今日帰ったら、様子見に行ってあげるから、ちゃんと寝てなさいよ」


 「はーい……」


 友人はどことなく呆れた顔で、蹲る私を見下ろしていた。



 ※



 夢の中で男の子を殺すとき。毎度毎度手順がある。


 手順はその時によりそれぞれで、細かいわりに面倒な手順を繰り返すこともあれば、突っ立っている男の子の真正面に立つだけの時もある。


 真っ白な処刑台にベルトで張り付けたりすることもある。椅子に座らせて、後ろ手に縛ることもある。立ったまま、手錠をかけるだけの時もあった。


 よくわからないけど、その手順は決まっているのだ。違うことは許されない。


 ただ、どんな手順にせよ、男の子に生気みたいなものはなく、ただ漫然と、ただ漠然と、私に撃たれるのを待っていた。


 抵抗すればいいじゃん。


 今から撃たれるんだからさ。


 泣けばいいじゃん、逃げ出せばいいじゃん。


 私も一回撃たれたからわかるけど、どう感じたって気分のいいものでは絶対ないじゃん。


 だっていうのにさ、ただぼーっと撃たれるのを待ってるんだから。


 救いがないよねえ。


 ぱあんという音がした。


 そこで私はようやく、自分の手が引き金を引いていることに気が付いた。


 あれ、いつのまに、夢の中にいたんだっけ。


 白く、白く、どうしようもなく白い夢の中で。


 スーツを着た私が独り、ベッドに寝転がった少年を撃っていた。拳銃を両手に握ってただ漠然と。


 嗅いだこともないはずの硝煙のにおいがする。


 額に小さな穴の開いた少年が瞳を閉じたまま、血だまりで白いベッドを染め上げていく。


 それでようやく少しだけ安心している自分がいた。


 それと同時に、どこかで誰かが嗤う声がした。


 ケラケラと、ザワザワと、グシャグシャと、ペチャクチャと。


 とめどなく、際限なく、嘲笑う声がした。


 わからない。


 わからない。これでよかったのか、間違っていたのか。


 わからない、なにもわからない。


 自分がこれでいいのか、それでいいのか。


 パアンと音がした。少年が銃を握ってた。


 撃った。誰を?


 わからない。


 何も、何も。


 わからない。


 気づけば視界に穴が開いていた。






 ※





 「目、覚めた?」


 「……あれ、なんでいんの?」


 「仕事早引きしてきたの、で、熱は?」


 「わかんない……測ってないや。そういえば」


 眼を開けると、自分の部屋なのになぜか、友人がそこにいた。


 鍵、どうしたんだろ。というか、私、着替えもせずに寝てたのか。道理で、寝苦しくて変な夢を見るわけだ。


 「ご飯、つくるけど。雑炊でいい? それかうどんがいい?」


 「……うどんがいいかな」


 「そ、了解。具は適当に盛るから、食べれたら食べて」


 「うーい……」


 言われるまま、寝ころんで。ベッドの脇にスポーツ飲料のペットボトルが置いてあることに気が付いた。買った覚えがないから、友人が買ってきてくれたんだろう。


 小さい声でお礼を言って、蓋を開けて飲み下した。


 しばらく喉を鳴らして、あまり味を感じないスポーツ飲料を飲み下した。


 そこまでして、ふと気が付く。


 そうだ、彼女にカギ渡してたの私じゃん。


 昔、付き合っていた頃に渡したきり、回収していなかったのだ。


 しかし、忘れている私も大概だけど、彼女もどういう気持ちで持っていたのやら。別れた女の部屋の鍵をいつまでも持っていて、気分が悪くなったりしないのだろうか。


 軽くため息を吐いて、私はごてんと身体を再びベッドに転がした。


 まあ、今追及するのはよそう。そこまで複雑な感情の機微を察しあうほど、調子がいいわけじゃない。


 何となくベッドの脇にあったスマホを取った。疲れているから、曖昧な意識のまま、友人との関係が、恋人という名前だったころの写真を探す。


 我ながら、随分と女々しい行為だけど、たまにこうして、ふと気になって探してしまう。


 肩を寄せ合ってる写真とか、二人で旅行に言った頃の写真とか、そんなものを見つけた後。なんとなく気まずくなってスマホを閉じた。


 曖昧な意識は、夢と現実がまぜこぜになったみたいで、自分の声が頭の中でしきりに喚いてくる。


 この写真を彼女に見せてみようよという声がした。


 同時に、ぱあんという音が鳴って。そう言った誰かが殺された。


 もう一度、付き合おうって言ってみようという声がした。


 ばあんって音が鳴って、そう言った声はかき消された。


 最後に何かを言おうとした誰かは、言い終わる前に撃ち抜かれた。


 ぴしゅんっていうサイレンサーがついた音がした。


 額に手をやって、淀んだ思考をかき消していく。


 そうやって眼を閉じて、湧き上がる思考が枯果てるのを、ただじっと待っていた。


 そうして、熱っぽい頭のまま、ただじっと眼を閉じる。


 呼吸を数えて、1・2・3……7・8。


 ドロドロとした汚泥めいた何かが自分の内で止まってくれるのを、ただじっと待っていた。


 これを今、善意で私に構ってくれている彼女に向けるわけにはいかないから。


 ごぼりごぼりと沸き立つ黒い水が止まるよう、ただじっと念じながら。


 そうして、ようやく息が吹き返したころ、彼女はそっとうどんを持って私のところまで戻ってきた。


 澄ました顔で、なんてこともない風に。


 「はい、どうぞ。熱いからがっつかないでよ」


 「―——————————なんでそんなに優しいの?、ありがと」


 「あ、お箸いる? フォークの方がいい?」


 「―――――――――――――誤解してまた好きになっちゃうよ?、うーん、お箸でいいや」


 「そう。じゃあ、今のうちに夕食分も作っとくよ。そしたら、私、帰るから」


 「――――――――――――――――帰らないで、そばにいて、うん。ありがと」


 銃声が三つ、曖昧になった意識の中で鳴っていた。


 その時点でようやく、私の中でそれが何なのかわかり始めた。あの男の子が一体、誰だったのかを含めて。


 私は布団の中に隠した拳をぎゅっと握りしめた。


 ただ、まあ、何はともあれせっかく作ってくれたんだから、頂かないと。


 私は息を落ち着けて、握った拳を解いてから、手を出して彼女がつくってくれたうどんを啜り始めた。鼻が詰まっているからか、味は不思議とまったくしない。


 あー、死にたい。


 こんな自分の気持ちごと、さっさと消し去ってしまいたい。


 私の心の奥まで垂らされた思考の糸が連れてきたのは、どうしようもないほど見たくなかった、己の醜さだけだった。


 「おいしい?」


 「うん、おいしい」


 笑ってごまかす。泣いて喚いた子どもは撃ち殺した。


 あー、ほんと、死にたい。


 「そういえばね」


 「なに?」


 「知り合いのカウンセラーに聞いてみたんだけどさ」


 「へー」


 「夢の中の異性ってどんな象徴があんの、って」


 「うん……」


 「夢の中の異性の象徴って


 「…………」


 やめろ。


 「子どもの姿をしてるのは、それが単純な感情の源だからじゃない?」


 「…………」


 触れるな。


 「つまるところ、あんたが見た夢ってさ」


 「…………」


 今、私の心に触れるな。


 









 「シンプルに身体が体調わるいよーって訴えてる夢だったんじゃない?」



 「……………………」



 「あんた昔から人と比べたら、自分なんて大したことないって想う癖があるじゃん」



 「………………」



 「それで自分のストレス軽視した結果だと私は想うわけ。要するにね、もっと自分を労わりなさいよ」




 「…………………………」




 「他の誰か程、辛くなくても、あんたの心はちゃんと辛いって感じてるのよ。そこのとこあんまり無視しないようにしなさいよ」




 「…………………………………………おっけー、今から冗談言うから」




 「なに?」





 「やっぱ好き、もっかい付き合って」





 「ごめん、無理。私、あんたとは友達がいいの」




 「ん、知ってた」




 「てか、前お試し期間の終わりに言ったでしょ?」




 「そう簡単に気持ちは更新できんのよ」




 告げられたのは拒絶の言葉だったけど。不思議とあまり辛くはなかった。




 なんでだろう。




 頭の奥で、子どもが笑っているような声がしていたからかもしれない。





 ※





 社会の中でのやり取りで、私の中の男の子を、私の中の言葉を、殺す。


 手順は決まっている、彼の存在を認知して、認めて、一つ一つ確認した後に撃ち殺す。


 撃たれたは私のことを黙ってみてる。


 ただ、必要なことだと納得はしてるから、大きな声をあげることもなくただ漠然と撃たれてくれる。


 社会の中で生きるって言うのは、きっと多分、多かれ少なかれそういうこと。


 告げたい言葉に蓋をして、通じて欲しい想いに蓋をして。


 何度も何度も、決められた手順で撃ち殺す。


 そんなことをしなくてもいいのが、理想だけど、現実なかなかそうはいかない。


 ただ、あんあまりそういうことをしていると、きっと心が少しずつ壊れていく。


 気づかないうちにひびが入って、人知れぬうちに錆びた部品たちが悲鳴を上げる。


 私が夢で見たのはきっとそんな光景、そんな警告。


 ただ自分のために正直であり続ければいい。なんて一言で全て片付けられるほど世の中は単純じゃなくてややこしい。


 誰かを傷つけるかもしれないと、想えばきっとなおのこと。


 自分がそれで傷つくかもしれないと、不安を感じればきっとなおのこと。


 単純じゃない、そんな今日を、当てもなく私は歩いてる。


 ただ単純に言葉を吐いた次の日は少しだけ起きるのが楽になる。


 少しばかり軽くなった身体を起こして、風邪から無事、眼が覚めた日にそんなことを考えた。 


 どうすれば正しいだろう。わからない。


 どうすれば彼女に好いてもらえるだろう。わからない。


 どうすれば私は自分の言葉を殺さずに済んだのだろう。わからない。


 理想はたくさんあるけれど、叶えられるのはきっと一握り。


 軽く息を吐いて、私はそっと肩を落とした。


 「あんたきっと、疲れてんのよ」


 「かもしんない」


 きっとそう、色々と悩み過ぎていたのだろう。


 きっと、心の病にならない程度に軽くても、私を殺し続けるそんな行為に。


 きっと、少し疲れていたんだ。


 「肩の荷下ろした方がいいわよ、気負い過ぎだから」


 「たしかに、そうかも」


 悩んだって、どうしようもないことはきっと山ほどあって。


 それを簡単に解決できるほど、私は賢くも何もないから。


 「またご飯作りに行ってあげようか?」


 「はー好き、付き合って」


 「無理、友達限定の優しさだから、これ」


 最近、恒例と化したやり取りを繰り返す。


 社会を生きていくうえで、言葉を殺していることに違いはない。


 本当に想うことばかりは言ってられない。


 でもきっと、覆してはいけない言葉があるんだろう。


 時にそれは、端から見て馬鹿らしいほどの言葉でも。


 たった、一言だけ殺してはならない言葉があるんだろう。


 そんなことを、気付けば学んだ通勤時間のことだった。


 「はー好き」


 「知ってる」


 「いや、私自身に言っとかないと忘れそうになるんだよ」


 「何それ、変なの」


 「だよねー」


 これでいいのかな? わからない。


 私の中の男の子何一つも答えてくれない。


 ただ、昨日よりは少しだけ笑っている気がしてた。


 

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