第28話 ちょっとお話しましょうか
「そうか、辺境も落ち着いたのだな」
「まあ。左様ですね」
可も不可もない受け答えでしれっと流し、伯爵はウメをチラ見する。
少女は眼を輝かせて晩餐を楽しんでいた。その後ろには大きな揺りかごでサクラが眠っている。
晩餐会前にサクラへ離乳食を与え、手際よく寝かせてから食事を始めるウメ。その鮮やかな手並みに、王室の人々は軽く眼を見張った。
「なんとも..... 慣れておるのう。妹御と聞いたが可愛らしい赤子だの」
「ほんに。乳母は雇われないのかえ? こんな幼い子供にさせることではないでしょうに」
のほほんと呟く両陛下。
そんな余裕はない。金銭的うんぬんではなく、人材的、経済的に。これだから現場を知らぬ輩は。
皮肉げに口元を上げ、伯爵は侮蔑を隠さぬ炯眼で国王達を一瞥する。
いきなり冷水を浴びせられたかのような悪寒にキョロキョロする王様。しかしそれをおして、なおも彼はウメに話しかけた。なかなかに強者である。
「こんな幼い姉妹を辺境などという危険な場所に置くのは伯爵も不安に違いない。我が城であずかろう。な?」
な? じゃねーわ。
よくもまあ、すらすらと。厚顔無恥の権化ですか? いや、語源の方ですか?
ウメの瞳もうっすらと剣呑な光を帯びる。
「我が娘を手離す気はございません」
ナフキンで口を拭いながら、伯爵がきっぱりと断った。だが、厚顔無恥を体現する国王やその尻馬に乗る王妃が仕方なさげに顔を見合わせて笑う。したり面で卑な笑顔だ。
「そう言うと思ってな。そなたらに朗報だ。第四王子が伯爵家に降家しても良いとのこと。御令嬢と歳まわりも合うし、似合いの二人だのう」
ホクホク顔で喜色満面な国王陛下。その左右に並んで座る王室御一家も胡散臭い笑顔を並べている。決定事項のように語る国王は、まるで褒賞でも与えるかのごとくご満悦だ。
初耳ですよ。そしてこちらは了承しておりませんよ? ねぇ? 父ちゃん。
チラッと伯爵に視線を振るウメに、伯爵も、当たり前だ。と言わんばかりな顔で大きく頷いた。そしてそれは口を吐く。
「こちらに何の先触れもございませんでしたが? 何の御話しでございましょうか?」
怒りを滲ませた辛辣な口調。鼓膜をザリザリとヤスリで削るように冷ややかな伯爵の声に戦き、国王一同、揃って顔を青くさせた。
先ほどまでの笑顔はどこへやら。
掌グルグルお忙しいようで。初志貫徹されても迷惑だが、せめて主義主張くらい一貫させてこいよ。
口をモグモグさせながら、褪めた眼差しのウメ。
「前にも息子らに姫をとか戯言を仰っておられましたが..... サンドラ達を隣国にやったのだって、あなた方の暴走が原因でしょうがっ! 学ばれませいっ!!」
晩餐テーブルにダンっと拳を打ちつけ、伯爵は今にも飛びかからんばかりの剣幕で国王達を睨めつける。
サンドラ? 奥さんかな? 父ちゃん息子いたのか。これも初耳ぃ。
睨み合う大人らを余所に、もっもっと食事を続けるウメ。しかし、ふと何処からか視線を感じ、彼女はきょろっ? と辺りを見渡した。
視線の先には不思議顔な少年。ウメより少し歳上か。呆然を好奇心で味付けしたような眼差しをし、じっとウメを見つめている。
他の人らは大人か、それに近い年齢ばかり。
ほむ。さっきの話にあった第四王子かね? びっくりしてんね、若いのに政略結婚か。お気の毒に。
ウメだって地球の昔の婚姻事情は知っている。下手をしたら生まれてすぐに婚約とかもあったようだ。同じ知的生命体の築いた文明なのだから、そういった似たような風習があってもおかしくはない。
でも自分自身に降りかかるのは御免被る。
食後のデザートが来ないので傍にいた使用人に声をかけ、ウメはデザートを持ってきてくれと頼んだ。
ほかの人らは伯爵と国王のやり取りに固まり、まだ食事が終わっていない。なので、声をかけられたお仕着せの男性は、どうしたものかとウメや伯爵達を何度も見る。
それに気づいた伯爵が、やや呆れたような眼差しをしつつ大仰に頷いた。
するとお仕着せの男性は静かに頭を下げて、奥へと消える。
「.....わたしも」
かちゃんとカトラリーを置き、第四王子らしき少年が後ろのメイドっぽい女性を振り返った。だが、こちらはしかめっ面をし、無言で左右に首を振る。
やや落胆した面持ちで、少年は所在なげに俯いた。
そんな少年を見ていたウメの前にデザートが運ばれる。
綺麗に飾り付けられた果物コンポートとパウンドケーキのような焼き菓子。
しばしそれを眺めつつ、ウメはにっこり微笑むとデザートを運んできた男性を見上げた。
「あちらも御食事が御済みのようよ? デザートを御持ちしなさい」
言われて、今度こそ男性は躊躇する。晩餐会のテーブルは席の管轄が決まっていた。勝手は出来ないのだ。この男性は伯爵一行の担当である。
「わたくしはこちらの席を担当しております。あちら側は他の者の担当なので.....」
柔らかな物腰で謝罪する男性。だがウメは譲らなかった。
デザートを欲しがっていた少年の目の前で、自分一人食べられるわけがないではないか。食べにくいことこの上なし。
「あらぁ。そうなの? でも、あちらの給仕は仕事をしないようなのよ。ほら、ごらんになって? お皿が空なのに、下げもしないのよ?」
少年の前にある空の皿。
それを怪訝そうに見つめ、お仕着せの男性は少年の背後に立つ女性を見た。すると女性は軽く首を左右に振る。
彼女は第四王子の側仕えだ。給仕を含む王子の世話一般を担っている。その彼女を差し置いて自分が動くわけにもいかない。
逡巡する男性を軽く睨め上げ、ウメは少し声を低くして呟いた。
「わたくし御願いしているのではないの。さっさとデザートを運びなさい」
ツキンと鼓膜に刺さる鋭利な声音。遥か高みから醸される微塵の反抗も許さぬ圧に、思わず背を正し、お仕着せの男性は慌てた歩調で奥へと消える。
それを満足げに見送り、デザートを食べようとしたウメは、自分を見つめる視線の集中砲火に驚き、思わずカトラリーを落としかけた。
目の前の少年ならいざ知らず、国王や王妃、伯爵までがウメに驚嘆の視線を向けている。
.....なん?
「.....おまえ。.....まあ、いいか」
困ったように眉根を寄せつつも笑う伯爵。
「当然です。ウメの言葉に逆らうなど許されません。少なくとも私が」
しれっと危ない単語を交ぜながら、サミュエルは平然と食事を続ける。
「.....王子の側仕えを考え直さねばならぬな」
「ほんに。気づけて、良うございました」
神妙な面持ちで、少年の後ろに立つ女性を睨み付ける国王夫妻。ちなみに件の女性は顔面蒼白。何故か怯えたように立ち竦んでいた。
そうこうしているうちに、少年の前にもデザートが運ばれる。
オドオドする少年だが、ウメが食べ始めると、窺うように後ろの女性を振り返った。件の女性は王子と目があった途端、何も言わずに視線を逸らす。
どうしたものかとキョロキョロした少年の視界に国王が映り、すがるような面持ちの王子に国王は鷹揚な頷きを見せた。
そこでようやく安心したのだろう。少年はウメと同じようにデザートを食べる。
そしてつと顔を上げたウメと顔を見合せ、どちらともなく笑う。
子供が美味しそうに食べる光景は、万国共通の和みである。
「.....なんの話をしておったかな?」
「さあ? 取りあえず我が家は誰一人として王家の命に従いません。好きに生きていきます」
「.....そうか。残念じゃの」
過去にやらかしまくり、伯爵家と奈落よりも深い海溝を築いてしまった王家。何かにつけ、理由があればやってくるウォルターを引き留めようと、あの手この手を使うが実を結んだことはない。
今回だって興味九割、実利一割の好奇心で伯爵を招いた。あわよくば縁付きたいとも思っていた。しかし過去の因縁が強固すぎて、件の御仁からは和解の和の字も得られない。
.....国王は後悔していた。
過去に長く国庫を圧迫していた辺境への支援。ウォルターが領主になってからというもの、その金額は鰻のぼりとなり、不倶戴天の気持ちを御互いに抱いていた。
ウォルターは、現場を知らない王家や特権階級どもに蛇蝎を見るがごとき憎悪厭悪を。
王宮は、ただの餌場なゴミ溜めに湯水のごとく金品を要求する寄生虫どもに唾棄するようなおぞましさを。
其々が其々に言い分と理由を持ち、水と油よろしく反発しあっていたのだ。
それが軟化し始めたのは、ウォルターの本気の怒りをぶつけられてから。
国王は辺境を侮っていた。貧民や流民に何が出来ようか。国庫に巣食うただの物請い風情が。と。
だが違ったのだ。彼等は国境防衛をする軍隊だったのだ。.....そして思わぬ伏兵まで潜んでいた。
『お久し振りです、国王陛下。わたくし隣国で辺境伯を勤めております。家族を迎えに来ました』
サンドラと二人の息子。そして伯爵夫人を連れ、悠然と踵を返す後ろ姿。
王宮を騒がし、国外追放された銀髪の男性。
まさか彼が追放先で手腕を奮い、辺境伯になっていたとは。国王にも青天の霹靂だった。
彼は領地経営だけは明るかったのだ。たいして大きな領地でもないのに、倹しく家族を養っていた。そこそこな蓄えも常にあった。.....まあ、それを凌駕する女癖の悪さで全てを失ったわけだが。
そんな前伯爵は国外追放されたことで一丸発起。十年以上かけて実績を上げ、なんと隣国で爵位を賜ったらしい。しかも我が国の情勢も熟知していて、ウォルターが国境領地を押し付けられたと知り、そこに隣接する領地の辺境伯になったという。
いずれ息子が窮地に陥れば、手助けするつもりで。
これはウォルターも寝耳に水だった。
『やあっ』
と、いきなりやってきた自分の父親に眼を丸くし、思わしくない状況から家族を守るため迎えに来たと言う父親は、満面の笑みで飄々とサンドラ達を連れ、隣国に逃げたのである。
優秀な騎士になるはずだったウォルターを失い、隣国との架け橋となるはずだった辺境伯と信頼は皆無。圧迫された国庫を潤そうと伯爵家の資産流用を狙い、サンドラや子供達を捕らえようとしたため、伯爵親子らとの関係は熾烈を極め、未だに再構築不可能だった。
それはそうだろう。守るべき国の内側から攻撃を受け、辺境領地に焦土を量産されたのだ。ウォルターの怒りは心頭極まれり。
謝罪はした。補償もした。心を入れ替えると約束もした。
だが、その全てをウォルターは信じていない。過去の経緯を鑑みれば無理からぬこと。
あの碌でもない内乱から五年。長く疲弊していた辺境も持ち直したと聞く。それどころが、王都にもないような珍しい物が多く寄せられるようになった。
今なら少しは軟化してくれるのではないか。そうだ、末の王子を降家させたらどうだろう。縁戚になれば、幾らかは当たりが和らいでくれるのではなかろうか。
一縷の望みをかけて王宮に招いた国王陛下。
まあ、結果は木っ端微塵だったわけであるが。
ウォルターの猜疑心は未だ薄れていない。隙あらば喉元に噛みついてやらんとばかりに激昂した炯眼を向けてくる。
なのであるが.....
チラッと国王は伯爵を見た。
子供らを眺めるウォルターは相好を崩し、如何にも幸せそうである。
こんな顔も出来るのだな。
少しは自分にもこういう顔を向けて欲しい国王だが、それが無理なことも理解していた。
けど娘婿の親としてなら。多少の妥協はしてくれるのではないか。と、国王は夢を見る。
彼は知らない。伯爵よりも手強く狡猾なオバちゃんの存在を。
中身は還暦間際なウメ。
子供には優しいが大人には厳しい少女に、涙がちょちょ切れるほどお説教される未来を、今の国王陛下は知らない。
人外魔境へようこそ ~人生、なるようにしかならない~ 美袋和仁 @minagi8823
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