クモリ様を曇らせたい~ひとり寂しそうにしていたのじゃロリ神様に構ってあげたら懐いてきて天真爛漫な笑顔を向けてくるものだから、ドSの血が疼いた僕はその笑顔を曇らせて汚したくなった件~

くろねこどらごん

第1話

コツコツと、小さな音が木霊する。




ただスニーカーで石の階段を登っているだけだというのに耳元にまで石を蹴る音が届くのは、ここが車もろくに通らない田舎のなかでもさらに辺境の場所であることを嫌が応にも認識せざるを得なくて、少しだけ憂鬱だ。静かすぎるほど静かな世界に僕はいた。




岩手県遠野市。遠野物語で知られるこの街は、妖怪がいると伝えられている通りに自然豊かな場所である。


もっとも生まれてこの方住み続けている住民にとっては、時間の止まったような退屈な街であるのもまた確かだった。




そもそも本を読む機会は減っているから妖怪だの民謡だのと言われてもピンとこないし、河童だって僕は見たこともない。免許もないから捕まえることも、これから先ないことだろう。




座敷わらしがいたところでこんな田舎では金持ちになったところで使い道もろくにない。大人でもパチンコ通いくらいしかリアルでは娯楽のない場所だった。




スマホが普及した現代でもそれは変わらない。むしろネットが繋がっているからこそ、自分が田舎に住んでいることを実感させられてしまう。


SNSで繋がっている人は、大抵東京なり関西の主要都市なりに住んでいる人ばかりで、流れてくる情報もやれどんなイベントに行っただの、漫画の特典欲しいから専門店いくだの、そんなのばかり。田舎の気苦労も知らず、キラキラ輝いた生活を送っているようでなんとなく劣等感を抱いてしまう。




こっちは県庁所在地に行くまで車で一時間近くかかるし、電車でも窓の外に見えるのは森と山ばかりで、車両もワンマン一両車のみ。山手線のような毎日満員電車で揺られるほど人が溢れる光景なんて、まるで想像もつかない。




僕がいる場所は、どこまでも閉じた世界だ。




そんなのは嫌だったから、人が多い都会に飛び出してみたいと思うのは多くの地方在住の若者が抱く夢のひとつだろう。




僕も高校を卒業したら東京に…なんて考えもあるにはあるけど、正直この退屈な田舎で過ごすのも悪くないとは思っている。


そんな考えにさせられたきっかけは、この先にいるある人物と出合ったこと。




僕は苔と草で覆われた最後の石段を踏みしめ、右足を大きく踏み出す。その先に段差はない。柔らかな草に覆われた地面を、しっかりと踏み抜いた。




「ふぅ、ようやく着いた…」




ゴールにたどり着いた僕を待っていたのは、木が覆い隠すように薄暗い参道とはげ落ちたボロボロの鳥居。


そしてその先に見える開けた広場に見える本殿だ。森の中にある小さな社。ここが僕の目的地。人気のまるでない、朽ち落ちたといっても過言ではない廃神社が僕をこの街に留めようとしている楔だった。




僕は額の汗を軽く拭うと、カバンからコンビニ袋を取り出す。来る途中に買ってきたものだ。限られた学生の移動手段のなかでも、自転車は頼りになる相棒である。


今もこの下の砂利道で、僕の帰りを待っていることだろう。


この場所で盗まれる可能性など皆無に近いので鍵もかけずにいる僕は薄情な主人かもしれないが、そこはそんな田舎までやってきた自分の身を恨んでくれとしかいいようがない。


今は主人の主人のため、どうか我慢しておくれ。僕は心の中で頭を下げた。








「ここもそのうち掃除をしないとなぁ」




僕は歩を進め、鳥居の前に立つとそんなことを呟いた。朱色であったろう塗装は見事にはげ落ち、中の木が剥き出しになっているあたりにこの神社の年月を感じさせる。元はそれなりに立派だったろうに、時間というのは残酷だ。




上を見上げると僅かに読み取れる文字には「苦守神社」と書かれている。それが紛れもなくこの神社の名前であることを、僕はよく知っていた。




「おい、童。いつまでそうしておる。はよこんかい」




不意に声が聞こえてきた。誰もいないはずの、時の止まったこの空間に似つかわしくない、嬉しさの滲んだ甲高い声。子供の声だ。




「はいはい、今行きますよ」




その声に導かれるように、止まっていた足を動かした。


とは言っても、その歩みが止まるのはすぐのことだ。それはマヨヒガのように道を迷った先にたどり着く場所ではなく、目と鼻の先。この苦守神社の主の誘いなのだから。






僕は鳥居を潜り、本殿のある社へとたどり着く。


時間にすれば一分そこら。カップラーメンだって出来上がらない時間だろう。




「おうおう、神を待たせるとはとんだ不届きものじゃのう。お主、そのうち天罰が下るぞ」




だというのに、待ち人である神様はどうやらよっぽど気が短いようだった。


カラカラと楽しそうに笑っているからおそらく本気ではないのだろうけど、神様流のジョークは人間である僕とは感覚が違う可能性も大いにある。さっさとご機嫌取りに走ったほうがいいだろう。僕はビニール袋に手を入れると、目的のものを探し当てる。




「それをされたらもうここにはこれませんよ、クモリ様。供物を捧げますので、どうか機嫌を直してください」




その場に膝まづいた僕はできるだけ仰々しく、敬うように手にしたデザートを掲げていた。税抜150円の、ホイップ入りシュークリームだ。




「しゅーくりーむ!よし、許す!」




少しお高めのそれは、あっという間に手のひらから重みを消した。


少しの時をおき、すぐにベリベリという明らかに自然が発する音ではない音が僅かに響く。この時になって、僕はようやく顔を上げる。




「んー!美味しー!甘露甘露、たまらんのぅ」




そこにはひとりの少女がなんとも美味しそうにシュークリームを頬張る姿があった。




「はしたないですよ、クモリ様。なんか子供っぽくて神様らしくないです」




「煩いやつじゃのう。ここにはわしと主しかおらぬ。堅苦しいことを言うでない」




僕の小言を受け流し、彼女は手にしたシュークリームを未だ小さな口ではむはむと味わうように食べ続けていた。


その姿には威厳の欠片もないが、それでも僕は知っている。




この少女、クモリ様がこの朽ち果てた神社の主であり、正真正銘の神様であると。




木々に囲まれた場所だというのに、まるで土埃がついた形跡のない、新品のように色鮮やかな白と赤の巫女服、人とは思えない、透き通るような亜麻色の髪。




そしてなにより、頭から生えた獣のような狐耳がその証拠だ。


よく見れば紫色の瞳孔もうっすらと縦に開いており、猫を彷彿とさせるものになっている。彼女は正しく人ではない、化生のような存在だった。




怪異が伝わるこの地において、僕がどうしてクモリ様と出会うことになったのか、それはまたの機会に語るとしよう。




今はそれより重要なことがあるからだ。未だ嬉しそうに小さな口を動かし続ける少女の頬には、白いホイップがついていた。




「クモリ様クモリ様。頬になにかついてますよ」




「ん?ほうなのか?」




僕が指摘してもクモリ様は未だシュークリームにかぶりついたままだ。この前食べたばかりだというのに、どうやらよほどお気に召したらしい。




「はい。自分で取れますか」




「むりじゃな。ひまひそがしい」




話しながらも、その視線はこちらには向いていなかった。本当にものぐさな神様である。


小さな女の子のようなその姿に、僕は思わず苦笑した。




「そうですか…じっとしててください。今取ってあげますから」




「うみゅ、たのむ」




舌っ足らずな言葉をのせて、彼女は少しだけこちらに身を寄せると、頬を差し出してきた。


あまりに無防備なその姿は、きっと僕を心から信頼してくれているだろうことが読み取れてなんだか嬉しくなってしまう。


僕だけが味わえる、ちょっとした優越感。神様にご奉仕できる機会に恵まれるとは、わざわざ学校帰りにかっ飛ばしてきた甲斐があったというものだ。


僕はビニール袋からおしぼりを取り出し、封を切った。






「はいはい。全くもう、この神様は…」






それを左手に置き、僕は。






「本当に、だらしないな」






右手を思い切り振りかぶった。








バチン








今日一番の大きな音が、静寂な空気を切り裂いた。








「…………へ?」




ボトリと、まだ半分ほど残っていたシュークリームがクモリ様の口元からこぼれ落ちる。




じっくりと味わって食べていたのだろう。巫女服をすり抜け、地面へと落ちたそれはまだ半分近く残っていた。黄色いカスタードクリームが、僅かに地面に染み込みつつある。もう食べることなどできないだろう。


神様だというのに、食べ物を粗末にするなんていいんだろうかと、そんな考えがふと浮かんだ。




「え…あ…」




なにが起こったのか、目の前の小さな神様はまだ分かっていないようだった。


千里眼でもあったなら、あっさりこの状況を把握できていただろう。あるいは仏の心があるなら、笑い流していたかもしれない。




そのどれでもなくただ呆然とするその有様は、僕が知識だけで知っている超常存在とはまるでイメージが合わなかった。どうやら神様は万能ではないようだ。


その事実を知ることができる人間が、この世界にどれだけいるのだろう。




「あーあ、勿体無い。なにしてるんですか、クモリ様」




少なくとも、クモリ様のこんな姿を見ることができるのは僕だけだろう。






僕だけが、この無垢で純粋な神様を汚せるのだ。






その事実が、僕の背筋を震わせる。歓喜の渦が、心の底から這い上がった。






「え、でもこれは主が…」




ようやく動き出したクモリ様は、その小さな白い手を自分の頬へと添えていた。


初雪のように白い頬に、僅かな赤みが浮かんでいる。


それは僕が神様を汚した証だ。


なんて素晴らしいんだろう。生きていて良かった。心からそう思う。






「言い訳ですか?神様らしくないですよ。僕は神様の頬に虫がたかっていたから不敬だと思って取り除いだんです。神様のためを思ってやったんですよ。それなのにクモリ様はせっかく買ってきた供物を落とすなんて…信者としてはショックだなぁ」






でもまだだ、まだ足りない。






僕はもっともらしい言葉を並び立て、クモリ様から罪悪感を引き出すことにした。


言い訳どころか屁理屈だという自覚は大いにある。それこそ目の前の少女が真っ当な神様なら、僕はこの場で断罪されていることだろう。






だけど、僕は知っている。






「す、すまぬ。本当にすまぬ。童の好意を無碍にするなど、そんなつもりは…」






クモリ様は、とても優しい神様であることを。






人を怒れる方ではない、優しすぎるほど優しすぎる方であることを。






「本当ですか?本当に反省してます?」






そして、たったひとりの信者を失うことをなによりも恐れていることも、僕はようく知っていた。






「ほ、本当じゃ!苦守の名にかけて嘘ではない!」






だから、僕はどこまでも強気になれる。だからほら、こんなことも言えるんだ。






「じゃあ、謝ってください」




「へ…?」




主従関係を逆転させ、僕が上位に立てるその一言を。




「ごめんなさいって、謝ってくださいよ。僕の好意を疑ってごめんなさいって、ちゃんとね。神様でもそれくらいできるでしょ?」




「そ、それは…」




ああ、クモリ様が顔を歪めた。悩んでる悩んでる。


その葛藤、手に取るようにわかりますよ。神が人に頭を下げる。


それはプライドが許さないんでしょ?たくさんの人から敬い、奉られるのが貴女の願い。以前目を輝かせてそう言っていたこと、僕はちゃんと覚えてます。




だから人と同じ場所に落ちるのは許されない。


神は神でなくてはならない。


その在り方を変えてはならない。




それが優しいクモリ様の、譲れない誇り。それもちゃんと僕は分かっています。






でも、だからこそその誇りを汚したい。




クモリ様の魂に、消えることのない傷を付けたい。




歪んでいる自覚はある。許されないことをしている自覚もあった。




だけど、自分では止められない。誇り高く、心優しい神様を、ちっぽけな僕が傷付ける。




その誘惑に逆らうことなど、出来るはずもない




だから、ほら




「なら、僕は帰ります。二度とここには来ません。さようなら、クモリ様」






最後のひと押しをしてあげますよ、僕の神様






「ま、待って!言う、言うから!」




振り返った僕の背中に、小さな重みが加わった。そこに必死になって縋り付く小さな神様の姿があることを、僕は確信する。僕は、勝ったのだ。神様の誇りに。




「そうですか。なら、どうぞ」




「わ、分かっておる…」




すぐ近くから聞こえてくる少女の声に、僕は口元が釣り上がっていくことを抑えられない。


それでもなんとか平静を装って、僕はゆっくりと振り返った。




そこにあったのは泣きそうになりながら、それでも懸命に堪える神様の姿。


薄桃色の唇を噛み締め、ゆっくりと彼女は口を開く。


それだけで、僕は叫び出したくなった。ああ、本当に貴女は最高だ。




「ごめん、なさい…わしが、悪かった…どうか、許しておくれ…」




その苦渋に満ちた顔。




納得がいかずとも、人に頭を下げて許しを請うその姿。




本当に綺麗だった。僕は今、とても美しいものを見ているんだ。




僕は、僕は。






「はい、許してあげますよ。よく頑張りましたね、クモリ様」






クモリ様を、曇らせたい

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