うぶめ

絵空こそら

第1話

 幼い頃の視界を覚えている。

 雨が降っていた。私の頬には女の長い髪の毛が垂れて張り付いていた。女は、私の鳴き声に共鳴するように、おぎゃあ、おぎゃあと悲しげに泣くのであった。

 女はどうにか私を生きながらえさせたようである。ようである、というのは、断片的な記憶しかないからである。私は父方の祖母に疎まれて、生まれてすぐに山の奥に捨てられた。母が一週間探し回った後、健やかな状態で発見されたのは、きっとあの女の献身によるところのものだったのだろう。物心がついてからあれは誰であったのか尋ねてみるも、知る者はなかった。

 ともすると生まれて間もない時期の記憶であるというのに、女の姿は脳裏に鮮明に焼き付いている。胸元の真紅。それは羽毛であり、女は薄い乳房から私に乳をふくませた。私の頭を抱く腕もまたびっちりとした羽毛で覆われていた。体温のない柔らかさが妙に落ち着いたのを覚えている。


 私は十六になると、街の右官に嫁いだ。

 一人目の子どもは死産であった。二人目を懐妊中、腹の中からの反応が絶えたと医者からきかされた。

 夫は不在であった。どうも飯屋の看板娘と懇ろになっているらしいと、長屋を回る噂で知れた。なかなか子のできぬ私に業を煮やしたのだろう。私は大きく出っ張った腹を抱え、縁切寺へと足を向けた。

 その道中である。山の麓に人だかりができていた。見るともなしに覗いてみると、どうやら何かの死体のようである。

 乾涸びた鳥のように見えた。大きな赤い鳥である。胸から腕へかけて、もはやくすんでしまった紅色がだくだくと、草原に花を散らしている。ぶわぶわと音を立てる風が、赤い羽毛を羽虫のように宙に浮かせる。

 赤い胸の上には白く細い首がある。血の気のない小さな顔は、人の顔であった。見開かれた目は胡乱に曇天を睨んでいる。

 あの女かどうか、判然としなかった。ただ随分と似通った形状をしている。

「子を攫って食ってしまうんだろう」

「おお怖い化け物だ。ここでくたばってくれてよかったよ、街に降りてこられたんじゃ、おちおち夜も眠れない」

「ねえ、この死体は、見世物小屋にでも売ったら高くつくんじゃないかいねえ」

 嫌悪と興味の入り混じったざわめきの中にいると、どういうわけか急激に悲しくなってしまった。ギャアッと無意識のうちに叫ぶと、周りの人間たちがギョッと目を剥いた。

 胸の中心が苦しいほど熱くなり、その熱は腕を通ったのち、瞬く間に指先まで広がった。ぼんやりした意識の中で視界に映ったのは真紅。あの女と同じ赤い羽。

 ああ、そうか。私はあの女の子どもであったのだ。

 私は甲高く、長く鳴いた。大きく翼を広げて雲の厚く垂れ込めた空飛ぶ。しかし腹が重く、低くしか飛べなかった。

 子は、どこにいるだろう。母を待ってはしないだろうか。産めなかった母を、待ってはしないだろうか。

 細く糸を引くような雨が、赤い羽を皮膚へ縫い付けていく。やはりとてつもなく悲しくなり、私は癇癪を起こした子供のように鳴いた。

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うぶめ 絵空こそら @hiidurutokorono

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