4話 望んだ結末は

 私が亮太を忘れていた理由。

 それは、亮太を一人残してきてしまったことが悲しかったからじゃない。

 腹立たしかったからだ。

 ずっとずっと一緒にいると思ってた。

 なのに私は死んで、亮太は生き残った。


 理不尽じゃん。

 そう恨みを抱いてしまうことこそが理不尽だとわかっていても、私はそう思った。

 例え事故の原因が亮太にあったとしても、死んだこと自体は私にとってそこまで問題じゃなかった。

 ずっと一緒にいると思っていたのに、ずっと一緒にいると言ってくれたのに、突然私だけが遠くに追いやられてしまった。

 ただそのことが、自分が自分じゃなくなってしまうんじゃないかというほど、無性に腹立たしかった。


 身体の半分を無理矢理もぎ取られたような気がした。


 死んだ直後、呆気に取られて空を浮遊しながらそれを自覚した私は、燃えるような感情に気が遠くなっていく中で、亮太を忘れることを選んだ。

 このままじゃ私はきっと怪異になってしまう。

 無意識にそのことがわかっていたから、記憶の中から亮太のことを閉め出した。

 自分の中にあるこの醜く悍ましい気持ちにフタをして。


 再会した直後、亮太の自殺を止めたのは、ついとっさにしてしまったことだった。

 生きていた時の思い出が蘇って、見ていられなかった。

 失くしていた記憶を思い出し、冷静になって受け止めた今、もしまた同じようなことがあったらきっと私は止めない。


 だって、私たちは一緒にいるのが正しいことでしょう?


 たどり着いた中学校は夕暮れに暗く沈んでいた。

 もう部活動も終わったらしく、生徒たちの声はない。

 紺色の世界に控えめな線を引く夕陽の橙に、夏の残滓を見た。

 私は廊下を歩いていく。

 ひたり、ひたりと、ないはずの冷たい感触が足裏に届いたような気がした。


 ――いた。


 職員室から出て行く亮太の姿が見える。

 笑顔で中にいる同僚らしき男性に何か言ってから、職員室のドアを閉める。

 その途端、さっきまでの笑顔が嘘のように無表情になった。

 死に惹かれている。

 そのことを再確認して、歪な喜びに私の唇が釣りあがっていく。


 亮太は廊下を歩いていく。

 ふらふらと生気のない歩き方をしていると、まるでもう死んでいるみたいだった。

 それなら。

 私が一緒に連れていっても、問題ないよね?


 亮太の丸まった背中に私が手を伸ばしたその時――ふいに廊下の先で闇が蠢いた。


 白い両腕が、リノリウムの上を踊っている。

 ぺた、ぺた、と手のひらが床に伏せられる。

 ぐっと力を入れて、闇の奥にある胴体を引きずってくる。


 ぺた、ぺた。ずる。……ぺた、ぺた……ずる。


 その不規則なリズムに魅せられたかのように、亮太は立ち尽くしていた。

 一方私は、今まで感じたことのない恐怖に身震いしていた。


 あれは、『テケテケ』と呼ばれるモノだ。

 胴体を切断されて、腕だけで上半身を引きずるようにして這いまわる怪異。


 怪異は有名な怪異であるほど強力な力を持つ。

 一介の幽霊である私が下手に手を出せば、魂ごと消されてしまうかもしれない。

 凍り付いたように動けなくなっている私をよそに、亮太はテケテケの方に向かってふらりと一歩踏み出した。


「もしかして、みこと……なのか?」


 何を言っているのだ、この男は。


「違う。そいつは私じゃない!」


 叫んでも声はもう届かない。

 私はまだ怪異になりきれていないから、仕事として許可された範囲外で人間に干渉することはできない。

 胸に渦巻く闇に心をすべて受け渡してしまえば、私はきっと今すぐにでも怪異になれるだろう。

 でも、その後に私は亮太のことを覚えていられるのだろうか。

 その疑問が、私をかろうじて非力な幽霊に留めていた。


「みこと」

「っ……違うって言ってるでしょバカ! バカバカバーカ!!」


 憤慨しすぎて単純な罵り言葉しか出てこない。

 ふらふらとテケテケに近づいていく亮太を羽交い締めにしようとして、するりとその身体をすり抜けた。

 このままでは亮太はあのテケテケの餌食になってしまう。

 死ぬだけならまだしも、怪異の犠牲になれば魂が損なわれる。

 つまり、以前のままの亮太で私と会話をすることはままならなくなる。


 ――それなら。


 私は完全に理性を無くしていた。

 テケテケに向かって一目散に駆けていく。

 そしてやけっぱちの勢いのまま、その上半身を持ち上げる。


「ギェ」


 テケテケが変なうめき声を上げた。

 とりあえず不意を突くことはできたようだった。


「お前なんかに! 亮太を! 殺されてたまるか! おりゃあああ!!」


 テケテケをがっちりホールドしたまま、後ろに大きくのけぞる。

 いつか見たプロレス技だ。生前ふざけて亮太に仕掛けようとしたことがある。

 当然力と体重の差で私の悪戯は失敗したけれど、半分しか身体がないテケテケには有効に違いない。

 床すれすれまでのけぞると、ぐしゃ、と痛そうな音が聞こえてきた。


「よっしゃ決まった!」

「……なんでジャーマンスープレックス……?」

「え?」


 私が心の中でガッツポーズを決めたと同時に、亮太が思わずといった風にかすれた声で呟いた。

 亮太が驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。


「どうして見えて――」

「ってか、えっ、みこと……?」


 個室の中で見た、虚空を眺めるような表情じゃない。

 あっけに取られながらも、強い眼差しで私の方をしっかりと見ている。

 その途端、私は胸の中に渦巻いていた澱のような感情がすっと解けていくのを感じた。

 ああ。なんの奇跡だろう。

 冷静に考えれば、私はまた一歩怪異に近づいて、そのせいで亮太の目にも映ることができたのだろう。

 けれどもう何もかもがどうでもよかった。

 亮太が、生きていた頃みたいに私を見てる。

たったそれだけの事実が、私にとって言いようがないほど幸せな気持ちをもたらした。

 

「みこと……!」

「だめ、来ないで!」


 思い出してしまったら、もう一緒にいるしかないと思った。

 亮太がこっちに来ないのなら、幽霊としてその周辺を漂うことになったとしても。

 でも、こんなに私を求めてる亮太を見たら、満足せざるを得ないじゃん。

 これ以上何を望むっていうの。

 私はもう終わった存在で、亮太には未来があるっていうのに。

 とうに肉体は失ったはずなのに、温かい涙が頬を伝った。


 亮太との時間はいつも笑いに溢れてた。

 幸せで温かくて、天国にいるみたいだった。

 亮太にはこれからも笑っていて欲しい。

 たとえ私がその隣にいなくても。

 だから、今のうちにお別れを済ませなくちゃ。

 このふざけた格好のまま、後で思い返して笑ってもらえるようなお別れをしなくちゃ。

 言わなくちゃいけないことは山ほどあるのに、うまく言葉にできたのはほんの少しだった。


「ばいばい亮太。幸せになれよ! 絶対にだからね!」


 私はこいつと心中しよう。

 テケテケをホールドした腕に力を込める。

 たとえ私の魂が消えようとも構わない。亮太がこの先幸せに生きてくれるのなら。

 そう覚悟したその瞬間――

 私はテケテケごとふわりと浮き上がり、その姿勢のままわけもわからず天界に連行されていった。


 

「ううっ……うらやましい……うらやましいです、みことさん~~!!! あんなにあーんなに愛されて! 私なんて私なんて私なんて……!!!」


 ここは深夜の墓場。

 目の前で泣きじゃくる美少女に、私はビールの缶を差し出した。

 相変わらずラベルには猫ちゃんが描いてある。


「生前よっぽど変な男に捕まったんだね。ほら、呑みなよ」

「ありがとうございますうう……! 私、悪い年上の男に騙されて、ぼろぼろにされて捨てられたんです。その上事故で踏切に閉じ込められてそのまま――それもこれも全部あいつのせい! 一生毎日タンスの角に足の小指をぶつけるがいい!!」


 元テケテケ――今ではすっかり幸の薄そうな美少女の姿を取っている――は、全部の音に濁点をつけて藤原竜也みたいに叫びながら私からビールを受け取った。


 あのテケテケが、天界でこっぴどく叱られて改心した瞬間美少女になったことには驚いた。

 けれどこうして文字通り魂からの叫びを聞くと、気性の激しさは生前からのものだったのだと納得できる。


 ちなみに怪異になる寸前だった私も上司に叱られまくった。

 その時のことを思い出して、私は寒気に襲われぶるりと身震いをする。

 まさしく死神と呼ばれるにふさわしい恐ろしさだった。もう怒られたくない。


 けれど上司に助けられたのも事実だった。

 テケテケをがっちりホールドした私ごと天界に呼び戻すことで、上司はテケテケちゃんの対処を丸ごと引き受けてくれた。

 幸いテケテケちゃんは怪異になりたてホヤホヤだったのだ。

 自分の力の使い方もわからなかったし、自我も少し残っていた。

 だからこうして正気を取り戻して、今後は私たちの仲間としてしばらくこの組織で働くことになったのだ。


 これは色々な好条件が重なった結果だった。

 もしそうじゃなかったら、上司が私を展開に呼び戻すよりも先に、私は怪異になるか、テケテケに攻撃されて魂ごと無に還っていたのかもしれない。


「ねえねえみことちゃん、前から思ってたんだけど、あなたっていつもビール供えられてなぁい? やばくない?」


 やえちゃんがふと気付いたように言う。


「好きだったからねえ、ビール。ところでやえちゃん、今は『やばい』って死語になりかけてるらしいよ」

「うそ! 現世のはやり廃りは早いわぁ。チョベリバは?」

「ん……?」


 やえちゃんが何を言っているのか、一瞬よくわからなかった。

 ややあって、私はやっとチョベリバなる言葉を脳内で検索し終える。


「それは本気で古いと思う。新人幽霊の前で言うのはやめときなよ」

「ついこの前覚えたばかりなのに!」


 やえちゃんは不満そうにぷくりと頬を膨らませた。

 ついこの前とは。生きた年数が違うと時間感覚も違うらしい。

 やえちゃんを見る限り、私も気をつけないとあっという間に死語を操るイニシエの人間になってしまうんだろうな……。

 私が不吉な予感に身震いすると、やえちゃんはけろっとした様子で話題を変えた。


「まあいいわぁ。ところで彼、大丈夫なの?」

「うん、たぶん……。昼間墓参りに来て、『てかジャーマンスープレックスってwww』ってひとしきり笑っていった」


 あのとき目尻に浮かんでいた涙は、笑いのせいなのか、それとも私との別れを惜しんでくれていたのかはわからない。

 たぶんどっちもだ。

 早く立ち直ってくれればいい。

 たまにはこっそり様子を見に行こう。彼の守護霊でも気取って。


 他の女の子とうまくいきそうになったら、ちゃんと応援してあげなくちゃ。

 いつか亮太が誰かと結婚して、子どもが生まれて、おじいちゃんになったとしても、時が止まった私にとっては、彼が永遠に一番なんだろうけど。

 ほろりと零れそうになった、色々な感情がないまぜになった涙を、私はビールを煽ることでなんとか堪えた。


 今日は元テケテケちゃんの歓迎会だ。

 テケテケちゃんに存分に存分に弾けてもらうためにも、私が泣くわけにはいかない。


「みことさん、やえさん、ごめんね。泣いちゃったしがぶ飲みしちゃったし、恥ずかしいな」


 元テケテケちゃんが頬を染めて涙を拭う。

 うーん、可愛い。小動物系の可愛さだ。化け物の面影はない。

 人の心をなくしきってしまう前に出会えて本当によかった。


「ねえ、そういえば名前は?」

「ななみです。歳は……えっと、死んだ時は16歳でした」

「16!?」


 私は慌てて彼女の手からビールを奪い取った。


「あ、でも、死んでから4年くらい経ってるから大丈夫ですよ! たぶん!」

「そうよ、神経質になりすぎだって。お酒なんて、10歳くらいからこっそり飲むものでしょ? お正月なんかはおおっぴらに飲んでたわよぉ」

「大正時代のおおらかさを基準にしないで!」

 

 夜が深まるにつれ、月は頭上でさらに輝きを増し、私たちの愛すべき丑三つ時がやってくる。

 死んでからも女子会は楽しく、ビールは美味しかった。

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幽霊女子、トイレで元カレに再会し、墓場で女子会を開催す 保月ミヒル @mihitora

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