駄津

傍野路石

駄津

 或るところに海に臨む村があった。

 村は沿海の地として当然の如く海産が盛んで、何故か殊にダツがよく捕れた。

 村の者たちはダツを捕るようになった頃こそ、その恵みにあずかり、焼くやら煮るやら燻すやらイロイロに趣向を凝らして食っていたものであったが、それらも歳月を経るにつれて次第次第にマンネリズムの傾向へと陥りかけていた。

 しかし同時に、そうした風潮が故に村では或る画期的な遊技が編み出され、村中にたいへんな盛況をもたらした。

 それ即ち「ダーツ」である。

 何やら円の描かれた的へ目掛けて定められた数のダツをやりみたように投げつけ得点を競うという頗る単純明快なもので、老若男女を問わず盛興を極めた。使われたダツは仕舞いに焼いて食った。


 或る日、村中にダツを投げる「ダーッ」という威勢の良い声が響き、ダツの焼かれる匂いの仄かに漂う中、村一番の釣り上手が岸から伸びた桟橋へダツを釣りにやってきた。

 そうして桟橋のはなに腰を下ろしかけた時、釣り上手は何かが近くをサアッとよぎったような気がしたので周囲をキョロキョロ見回したが、別段これといったものは見当たらなかった。彼は気の所為かと思い思い、改めて腰を落ち着けて釣糸をほうろうとしたが、そこで不意に何かが海面に跳ねた。やはり気の所為ではなかった、マアたいていダツが跳ねてるのだろう……とおしはかってはみたが、しかしほんの一刹那の事であまりよく見えなかったので、今度は目を凝らして眼前の一碧万頃をよく眺め回した。すると右手の海面からダツが一匹針の如く飛び出し、電光石火の勢いで水面みなもを切りつけながら真っ直ぐに横切ってゆくのがアリアリと認められた。

「ホーウ、活きが良い」

 彼は呟きながら張り切って釣竿を構えた。海面では幾匹かのダツが頻りに跳ね回っている……。

 最初の獲物がかかるのにほとんど時間は要さなかった。獲物のかかったけはいをさとく感じ取った彼は嬉々として竿を引き、如何にも活きの良いダツがギラギラと宙に舞った。

 と、一時いちどきに、彼の目と鼻の先にて別のダツが飛び上がった。まさしく紫電一閃の出来事であったが、この一刹那、彼には時がいたくゆったりと流れているかの如く感ぜられていた……。

 そうして驚く間もなく、卒爾そつじに飛び上がったダツはまるで狙ったかの如く釣り上手の心の臓を貫いた。

 彼は声を上げることもなく桟橋の縁に倒れ込み、獲物は彼の手を離れた釣竿とともに海に落ちてイヨイヨ釣り上げられることはなかった。

 そんな所へちょうど村の若者がダツ釣りに赴いて来たが、村一番の釣り上手が血塗れの死屍と成り果て、しかもその胸にダツが突き刺さって臓を抉りながら頻りに激しく身をうねらしているのを認めると、スッカリ戦慄しきって踵を返し、釣竿も何も投げ出して必死に叫びながら逃げ込むように村へとはしって行った。

「ダッ……ダツに殺されてるぞォーッ……」

 爾来、村ではダツの捕られることが無くなった。無論食膳からも消え、「ダーツ」すら盛興を極めていたのが嘘であるかの如くバッタリと誰一人としてやる者が無くなった。そうして果ては海に近づく者さえ無くなり、村と海とは漸次深い溝によってかぎられていった。

 村では、海産を断ったために皆一層農耕に心血を注いだ。しかし何故かどうしても作物がうまく育たなくなり、村全体で久しく凶作に見舞われるようになった。

 同時に、村の者たちはしばしば悪夢にうなされた。或る者は素潜り中ダツに突撃される夢を……また或る者はダツの雨が降る夢を……そしてまた或る者は自らが「ダーツ」の的になる夢を見た。そうして、悪夢に魘された挙句、暗夜発狂して失踪する者もあった。

 やがて何時いつしか海産の盛んであった頃の活気はスッカリ沈みきって、村はイヨイヨ廃れたようになっていった。


 或る年、それは凄まじい嵐が村とその沿海に轟然と吶喊とっかんした。海上には、いわおの如き波濤が峻絶なる連峰を幾重にも形成し、またしぶき上がる白浪しらなみはまさに世をおおわんとする気勢で無数の矛戟ぼうげきを散らす。寂れきった桟橋は一息に跡形もなく吞み込まれてしまった。一方、村では激しい雨風がガタガタと家屋に強か打ちつけ、木々は倒れ、道々は荒擾こうじょうを極め、人々は為す術なく縮み上がって恐竦きょうしょうするばかりであった。

 そうしてやがて、更に勢力を増した荒波が岸を越えて村にまで押し寄せると、村は見る間に村民諸共吞み込まれていった。


 只今しこん、その村の面影は最早何処にも無く、嘗て村の在った処には、数多のダツが活潑潑地かっぱつぱっちとして泳ぎ回っている。

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