スゥスゥ・サイドサイドサイド

@isako

スゥスゥ・サイドサイドサイド

 昨日の狼藉はいったい何事か。と覚えのない失態を指摘された。俺はとりあえず怒れる上司を宥め、謝罪する。バブル崩壊期を生き延びた男の小言はさすがに一流。俺は辟易するがこの程度はなんでもない。俺はちらりと壁掛けのカレンダーを見る。五月二十日。なるほどもうそんな時期か、と上司に気づかれぬよう顔をゆがめる。そう、俺は俺を殺さねばならない。


 十年前、アルファ・ケンタウリ近傍の地球型惑星からやって来た宇宙人は俺を誘拐した。彼らは地球人のサンプルとして俺をバラバラに解剖し、あちこち調べつくして、そして開いたり取り出したりした俺の身体のあちこちを丁寧に元に戻して蘇生させて、そして地球に戻した。三ヶ月の間、宇宙人たちの調査に貢献することになった俺はその後遺症として、精液が緑色になってしまう。


 そしてさらに致命的な問題がある。どういうわけか彼らは半年に一度のペースで俺の複製体すなわちクローンを生産して俺の住む街に送り込んでくるようになったのだ。


 彼らに言いたい事はいろいろとあるが、俺は彼らとやり取りをする術を持たない。現段階において俺が導いた結論は一つ。俺は俺の生活を守るために、俺と同じ顔で歩き、俺と同じ言葉を吐き、そして俺と同じ遺伝子を持った俺を、この手で殺さねばならないのだ。それは半年に一度の大切な仕事になる。馬鹿げていても、やらなくてはならない。


 今日の仕事は早退する。半年に一度俺が早退することは上司も知っている。付き合いは長いのだ。俺は多少うまくやっているので、上司も事情は聞かない。明日にはまた普段通り俺が働くのを彼はちゃんと分かっているのだ。「昨日の狼藉」というのがどういうものか、気になって仕方ない限りだが。


 街を歩く。俺はすぐに俺を見つける。簡単だ。なぜなら俺が俺を探すように、俺も俺を探しているからだ。俺たちは目で合図してひとけのない場所まで行く。どちらにも今後の生活があるので、自殺[自殺 傍点]するところを誰かに見られるわけにはいかないのだ。


「昨日何かやらかしたなお前」

「専務の娘とやりたい、と言っているところを専務に見られたよ」

 実に俺たちらしい失敗だった。大方俺が退勤したあと、何かで会社に戻った俺が同僚の誰かと与太話をしているところを捕まったのだろう。やれやれ。俺であればそんな失敗は絶対にしない。だが専務の娘か。なかなかどうして、俺も俺であるわけだ。いい線を行くじゃないか、と思い入ることもある。

「その記憶は俺にはないな」俺は言う。

「じゃあ分岐点はそこなんだろう」と俺。

「オリジナルはどっちかな」

「その質問に意味がないことはお前もよく知ってるんじゃないのか」

「悪い。どうしてもな」

「いいさ。俺だもんな。それもよくわかる」


 俺はもう十年近く、総合格闘技ジムの社会人コースに参加している。健康な成人男性を殺害するのにはある程度の技術が必要だからだ。かなりの自負がある。俺のミドル・キックをもろに受けてまったく平気というのはプロでもあり得ない。2秒で目標の背後に潜り込んで、チョークで相手を失神させることもできる。ある程度の真剣さで十年間格闘技と向き合うというのは、つまりそういうことなのだ。


 でもそれは俺も同じだった。俺は俺の複製体で、それはそっくりいまの俺と同じなのだ。だからどっちが生き残っても俺は俺でいられる。俺は俺のまま俺を生きるのだ。そしてだからこそ俺たちは、これから先の俺を賭けて本気で戦う。俺こそがこれからの俺にふさわしいのだ、と。


 俺が勝利した。俺は俺を殴り殺し、その亡骸をいつも通り近くの海に沈める。誰にも見られることはない。慣れたものだ。この海には二十人ほどの俺が眠っている。ここが俺の墓場なのだ。俺は想像する。緑色の海の中で、死んだ肉になった俺たちが重りを括り付けられて沈んでいる。俺たちはちょっとずつ海の生き物に啄まれている。俺と俺を賭けて戦った誇り高き俺たち。俺は俺たちのために、死んだ俺たちのために本気で生きなくてはならない。舐めた人生を送ることはできない。


 俺は俺の墓を見ながら煙草を喫う。さらば俺。これからは俺が俺をするから。悔しいことも悲しいことも、辛いことも、寂しいことも、もちろん嬉しいことも、全部俺が受け止めてやるから。俺は静かにそこで眠っていてくれよ。


 俺は翌朝通常通りに出勤する。顔の傷を見て、俺を知らない社員は少し怪訝な顔をする。俺は弁明などしない。昔からいるものは慣れていて、いちいち動じることもない。それでいい。これからも俺が俺だ。よろしく頼む。


 俺は半年に一度俺を殺す。どっちの俺も俺だ。複製体とオリジナルの区別はつかない。どっちも自分がオリジナルだと思っている。だからどっちが死んでもいい。俺はどっちだろう。今回も勝った。俺はずっと勝ち続けている。でもそれは勝った俺が俺だからだ。俺はいつか負けた俺になるのだろうか。死んで海の底に沈められて、目のない魚たちに食べられる俺になるのだろうか。でもそれでいい。俺は続く。どっちでもいいのだ。精液は緑色をしている。   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スゥスゥ・サイドサイドサイド @isako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る