無能王イネプトクラスとその宰相

きょうじゅ

無能王の金婚式前夜

 アルトリシュテン王国はヨーロッパの真ん中へんにある極小国家の一つである。山がちな国で、スイス、イタリアと国境を接している。公的にはEU未加盟だが、独自通貨を発行するだけの国力はないのでスイス・フランとユーロが使われている。人口はここ百年と言うもの一万人を超えたことがないが、いちおう二十一世紀が始まって二十年が経った現在も、王制を維持したまま存在してはいる。ただ、その王制は風前の灯であった。何故なら、今上の王イネプトクラス・テオフラテスが六十七歳と高齢な上、男女いずれも含めて子がいないからである。


 さて、イネプトクラスは白くて長い立派な髭をしごきながら、こう言った。


「のう、レオ宰相。我が王朝は、やはり余の代で絶えてしまうのかのう」


 アルトリシュテンの宰相レオント・ポディウム・アルピヌムはこんな名前だが女性である。現在二十九歳、女性の首相としては世界最年少であるのだが、極小国家のことなのでそのようには認定されていない。なお、選挙で選ばれたとか、政府与党によって推戴されたとか、そのような事実はない。アルトリシュテンの宰相は二百年前にこの国が出来たときから世襲制であり、そして去年の暮れレオに男兄弟が一人もいない状態で先代の宰相が死んだため、こういうことになった。ちなみに、レオはバツイチであり、まだ幼い男の子を一人育てながら宰相をやっている。


「絶えてしまうでございましょうねえ。なにぶん、王にお子がおられませんし、養子を取って後継とすることはテオフラテス一族の祖法で禁じられておりますからねえ」


 王は慨嘆した。


「なんでそんなことになってしまったのかのう」


 レオも慨嘆した。


「陛下が四十九年と三百六十四日前に王妃殿下をお迎えになった際、後宮という制度を廃されたからではないかと思いますが」


 イネプトクラスの妻であるところの王妃アリストクラスは健在である。ちなみに、彼女はアルピヌム一族の出身であり、宰相レオから見ると大叔母にあたる。ひどい閥族主義だと言えばそうなのだが、そもそも人口が何千人しかいない村みたいな国で王制をやっているのだから、そうなるのもやむを得ないといえばやむを得ないのであった。だいたいアルトリシュテン王国の現存する貴族家門はアルピヌム一族を含めて二つしかないのである。


「しかし、時代の趨勢というものもあったからのう。第二次世界大戦が終わって既に何十年も経っておったに、後宮なんてものが残っていた国が当時世界にいくつあったと思う?」

「隠し子でいいから、よそでこしらえればよかったんじゃありませんか」


 実は、王妃アリストクラスは結婚して二年目に一回だけ子を産んだことがある。あるのだが、その子は夭折していた。そして、そのことがきっかけで、アリストクラスはもう子を産めない身体であると医者に診断されていた。国内にろくな医療資源のある国ではないが、当時ヨーロッパ中の名医を訪ね歩いて確認してあるからそれは間違いなかった。


「余は妃を愛しておったのじゃ。いな、今も愛しておるのじゃ」

「大叔母上様を愚直に愛しておられるのは結構なのですが、だったらですね、それから四十何年も時間があったのだから相続法を改正するように手を打つとか、なんかやりようが他にもあったでしょう。それを陛下は何もしなかった。ただ、王妃殿下と毎夜お励みになることだけをただ続けられた」

「子の恵みは神の授かりものじゃ。奇跡が起こるかもしれんと思っておったのじゃ。……アリストクラスが閉経を迎えるまでは」

「がんばりすぎですよ。いくらなんでも」


 ちなみにアルトリシュテン王国はキリスト教カトリックの国である。法的にそれが強制されているわけではないが、現在なお国民の99%がカトリック洗礼者によって構成されている。


「余が死んだあと、この国はどうなるのかのう」

「何度も何度も同じことを説明させないでくれませんか。王制が廃されても国が亡びるわけではありませんので、わたしと、わたしの一族が宰相の名で国家元首となり、国は存続します。コロナ騒ぎでダメージが大きいとはいえ、観光産業はまあそれなりに収益を上げ続けていますから、なんとかやってはいかれるでしょう。そんなに大きな借財もないし、陛下はじめ国の者みな分をわきまえて慎ましく暮らしているのですし」

「しかし、二百年続いた一族を自分の代で終わらせるのは、口惜しいのう」

「だから言ってるでしょう。今更もう何もかも遅いです。陛下が無能であらせられたからです」

「口惜しいのう。口惜しいのう。ところで宰相、今夜のデザートは何かのう」

「陛下のお好きなババロアです。ですが、明日は大宴会が予定されておりますので、今夜はお代わりは禁止であると侍医からの申しつけを受けておりますので、悪しからずご了承ください」

「明日はババロアを二つ食べてもよいかのう」

「それは構いませんよ。明日は何しろ陛下と殿下の金婚式であり、特別なので」

「それは嬉しいのう。では、余は夕食に向かうとするでのう。おやすみ、レオ宰相」

「おやすみなさいませ、陛下」


 本当は誰よりも先に誰よりも深くお祝いしたいです、明日の結婚五十周年おめでとうございます、わたしの大好きな大叔父様。とレオは心中で呟いたが、その言葉を知るものは神より他には誰もいないのであった。

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無能王イネプトクラスとその宰相 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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