第3話 岐路
仄暗い天井がそこにあった。次に誰かの声が耳に届いた。全身に巻かれた亜麻布に気が付いた。だが、ここは何処か・・・捕まったのか?
いや、捕まったのならとうに殺されているはずだ。助けられたのか?体に力が入らない。痛みも無い。
ほんの数日前までは勇者と呼ばれていた男は今や反逆者の汚名を着せられ生死の境を彷徨い、こうして意識を取り戻した。
酩酊にも似た意識の揺らぎが思考を遮る。暫し考えるのをやめ、天井を眺めた。古ぼけた今にも崩れ落ちそうな天井の煤ぼけた梁、雨漏りしそうな屋根、全てが不安を掻き立てる。
精一杯の気力で体を捩った。
”ドサッ!?”
別の部屋で話していた二人はこの音に反応した。
最初に声を上げたのは怪しげな老人だった。
「なんだ、まさか目を覚ましたのか?いや、そんな筈は」
黒ずくめの男、名無しが答える。
「そのまさかだろ。あれでも勇者様だ」
名無しは立って勇者と呼ばれた男の部屋に入った。
勇者と呼ばれた男は立ち上がろうと肘を立て必死にもがいていた
「貴方が助けてくれたのか。礼を言わせてくれ」
「自分はレクトと言う者だ。」
「お前の名などどうでもいい。」
名無しはレクトを抱えベッドにもどした。
見る見るうちにレクトの表情が険しくなる
「お、お前は魔王!!生きていたのか」
名無しは椅子に腰かけ、静かに話しかけた。
「正しておくが、魔王とはだれの事だ?俺に名なぞ無い」
「勝手にお前達がそう呼んでいるだけだ。」
息も絶え絶えにレクトは問いかける。
「話をはぐらかす気か?だったら本物の魔王は何処にいるんだ」
「知るか・・・」
怪しげな老人が部屋を覗き込んで、口をはさんだ。
「まさか、自分で目覚めちまうとはな・・・こいつは失敗作だ」
「そうでもないさ、こっちとしては好都合だ。どうせ起こさなきゃいけなかったんだ。あくまで決めるのは俺の意思では無くこいつの意思だ。」
老人は半ば呆れ顔でそそくさと立ち去る準備を始めた。
「そうかい、貰う物ももらったし、厄介事は御免だ。俺は御暇させてもらうぞ。」
「ああ、助かったよ。また用があれば頼む」
名無しは向き直り、レクトに話しかけた。
「魔王を探してどうする。倒す気か?無意味にも程がある。魔王なんて存在しないんだ」
「統率が取れる奴がいなくて何で軍隊が出来るんだ。知性が低いデミには不可能だ!」
名無しはベッドを蹴り、言葉を荒げてレクトを睨みつけた。
「ド低能は人間の方なんだよ。自分達の領域を原住民から奪い取って何が世界に平和をだ」
「知的生物は何も人間だけじゃないんだよ。話して判らんと言う意味のド低能な知的生物は人間だけだがな」
荒げた自分を落ち着かせるよう椅子の背もたれに深々と寄り添い言葉を続ける。
「俺達は単に自分達の侵された領域を守る為に対話を求め、結果、戦争が起きたに過ぎん。」
「領域を超え踏み込んできた人がまず最初にやった事はなんだ?原住民の虐殺だろ」
「もしお前の言う魔王が存在すると言うならお前達人間の王だ」
「・・・」
冷淡な笑みを浮かべて名無しは続ける。理路整然とレクトに伝える。全てが納得いく論理に基づいて語り上げる。
「もともとこの地にはいくつものデミがお互い干渉せず暮らしていたんだ。それだけの土地があったからな。何の問題も無く意識せず暮らしていた」
「どっからともなく奴らの足音が聞こえて来た。人間だ。奴らはデミの土地を奪いそこに街を築いた。人が増えると更にデミの土地を求め虐殺を繰り返していった」
「その先兵が勇者様と言う訳だ。皮肉な話だが事実だ。で、何故その勇者様がこんな森の奥で死にかけていたんだ?大方反逆者の濡れ衣でも着せられて暗殺されかかったんだろう」
「・・・・」
「言い返さないんだな。全部分かっている。お前が寝ている間にお前の仲間が首を刎ねられた事もな」
「な・・・何故助けてくれなかった・・・」
「馬鹿かお前は・・・そんな義理が何処にある。それ以前に二人とも既に殺されて見せしめに遺体の首を刎ねたに過ぎん」
一通り話し終えた名無しは答えを求めた。
「さて復讐でもするか?まぁそんな事しても何にもならんがな。」
「二人の死はお前にとって悲劇だろうが、お前達が殺してきた数万の民の死は統計上の数字に過ぎない」
レクトは名無しに問う。
「ならなんで俺はこうして生きている。俺が死んだところで統計上の数字にすぎないんだろう?」
そうだ、助けてもらう義理こそないのだ。彼はレクトが敵と知った上で助けたと言う事は何か打算があったに違いない。
「俺に何をさせる気だ?言っておくが人と敵対しろと言うのなら御免だ・・・俺は人であってデミじゃない」
「敵対するかどうかは、人間次第だ。俺と同じく名を捨てて多種多様なデミの交渉を担ってもらう。」
「どうして俺がそれをやらなきゃいけないんだ?あんた一人でやればいいだろう」
名無しは真剣な眼差しでレクトを見据えて言った。
「聞け・・・俺もお前も節理を捻じ曲げて動いている。それがどういう事か判るか?なんにせよ残された時間はそう多くない」
レクトには名無しが何を言わんとしているか、理解しがたかった。それ以上に自分の身に降りかかった災難が納得しがたかった。
「ヘーゼル王子が裏切った・・・俺には納得がいかない。だからと言って人を裏切る事なんて出来ない。」
呆れ顔で名無しは天井を見上げながら言った。
「裏切った?最初からお前達の監視をしてたんじゃないのか?仲間だと思っていたのは、お前の勘違いじゃないのか」
レクトはハッとした表情で名無しを見た。名無しは続けざまにレクトに言葉を投げかける。
「王にとって国民の人気が二分化するのは面白くないだろう。王子を真の勇者に仕立て上げた方が継承もすんなりいくと言う事だ。実に人間らしい発想だ。」
レクトの顔色が見る見るうちに怒りに満ちてくる。名無しは意に介せず言葉を続ける。
「どうした、顔色が悪いぞ。王を信じてるのか?それを冒涜され怒りをおぼえたのか?それとも王の企みに怒っているのか?俺にとってはどちらでも構わんがな」
自分でも何に怒っているのか、理解出来ない。おそらくは混乱している自分に対して、怒りをおぼえているのだろうと、自分を無理やり納得させ名無しに問いただした?
「具体的に何をすればいいんだ。」
「これからデミの元を回り、再び共同体を結成する。」
「それでまた戦争を起こすのか?」
ため息交じりに名無しはレクトの問いに答えた。
「戦争なんて最初から起こす気なんてない。人間がこの共同体に参加すれば丸く収まる話だ。」
「もっともせっかく奪った土地をデミに返すなんて、そんな事を人の王が認めるはずも無いとは思うが」
「だから人とデミの境界を仕切り直す。その上で双方にとって有益になる様な交易を結ぶ」
レクトは暫し考え、名無しに答える。
「一番の障害は王なんだな。結局討ち取る事になるのか?」
「さぁな、人の王が素直に応じればその必要はないが、場合によっては討ち取る事もやぶさかではない。そうなると再び勇者を立てて対立するだろうな」
「話は分かった。具体的にどうすればいいんだ」
数日後、レクトと名乗っていた男は名無しとして、丘陵に立っていた。眼下には辺境の町アドラムスが広がる。
『まずは名を捨てろ。そしてアドラムスへ向かいデミのギルドを探せ。彼らがお前を導いてくれる』
「今まで殺していたデミに接触して協力を求めろ・・・か。新しい人生は最初から悪夢の様なものだな」
名無しは、丘を下り町を目指した。
BAD MOON ぼよよん丸 @Boyoyonmaru
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