第2話  名無し

——眠る勇者に磨きをかけろ。乾いた血潮を拭い取れ。——

——リズムを刻んでチクチク縫う。勇者の体をチクチク縫う。——

——目覚めの時は目前だ。急いで急いで縫い上げろ。——

——縫ったら亜麻布巻いて出来上がり。——

 森深い古ぼけた家屋、廃墟と言っても差し支えない古ぼけた家屋から仄暗い明りと調子はずれの歌が洩れる。

 その中では老人とその老人によって、手当を受けたと思われる勇者が横たわっていた。

 老人は先ほどの調子はずれの歌を口ずさみながら、返り血の染みが付いた前掛けを付けて、手慣れた手つきで勇者に亜麻布を巻いていく。

「相変わらず下手くそな詩だな。」

 扉が開き深めにフードを被った黒ずくめの男が、扉をノックしながらつぶやいた

 老人は作業に使われたと思われる道具に付着した血を拭いながら言い返した。

「名無しか、余計なお世話だ。わしは詩は好きだが気取り屋の吟遊詩人は大嫌いなんだ。」

 老人は布切れで手を拭きながら、名無しと呼ばれた男に背を向けながらお茶を入れている。

「外の様子はどうだった?」

 老人が淹れたお茶を目の前に、名無しは椅子に腰かけると籠に入っていたクルミを二つ握り、掌でコリコリと弄びながら答える。

「アサシンがうろつき回っているが、ここまでは踏み込んでこれないだろう」

 老人も向かい合わせに椅子に腰かけながら薄笑いを浮かべて話しかける

「わしに感謝するんだな。迷宮の結界を張れる奴はデミでもそういないぞ。」

「仕事上、必要だからだろ。」

 名無しは少し呆れ気味に言い返した。老人は言い返しもせず高笑いしながら問いかける。

「わっはっは、そう言うなって。こっちは済んだぞ。あとはどうする。自我を取り上げるなら今の内だぞ。」

 横たわる勇者を見回し、名無しは話をはぐらかす様に言う。

「腕はおちてないようだな。」

 答えない名無しの意を汲み、老人はそれ以上言わず軽く受け流す。

「こんな商売だが、引く手あまたよ。忠実な用心棒程、頼もしい物はない。」

「まぁ自分で起きる事は無いから、じっくりかんがえるんだな。」

 老人は背もたれにもたれかかり曲がった腰を伸ばす様に体を伸ばしながら問いかける。

「にしても、物好きなもんだ。一度は殺し合った奴を助けるとはな。」

「助けた訳じゃない。必要だったから回収しただけだ。」

 名無しはフードの奥からでも判る突き刺さる様な視線を、老人に向けた。

 余計な事を詮索するなと言わんばかりの視線に、老人は目を背けぼやく。

「おぬしの傷もちゃんとつながっておらんのにようやるわ・・・」

名無しは冷めたお茶を一気に飲み干すと、カップを置きながら皮肉交じりに老人に言った。

「今は使える物は何でも使わないとな。なんせ、そこに転がっている勇者様が好き勝手やってくれたおかげで共同体は散り散りバラバラだ。」

頬杖をつきそっぽを向きながら老人は、呆れ顔でため息交じりに言う。

「所詮、烏合の衆だったわけだ・・・デミも薄情なもんだ」

「そう言うな、彼らだって今回の戦争で相当な被害を被ったんだ。察してやれ」

「その尻拭いは当の本人にしてもらわないとな。」

 興味なさげに聞いていた老人は、少し驚いた表情で向き直しながら、言葉を荒げる。

「尻拭いとは?まさか名無しにする気か、こいつを」

「そのまさかだ」

 老人は呆れ顔で、名無しの言葉に耳を傾けると、反論を試みた。

「おいおい、そりゃ無理ってもんだろ。こいつは常に虐殺の中心に位置していたんだぞ。こいつを受け入れるデミがいるとは思えん」

 名無しは天井を見上げ、ゆっくりと老人に向けて顔を向けて言い放つ。

「名無しはデミ間の交渉者だが、意外といけると思うがな。」

 老人は身を乗り出しながら、訝しげに名無しに問いかけた

「力を示し与えよ…か?だが、情緒的なデミがそんな簡単にいくか?」

 鋭く突き刺さる視線が、僅かに穏やかになる。口元に笑みがこぼれる。名無しはゆっくりと言い聞かせる様に語る。

「俺はやったぞ・・・まぁ多少は頭を使うが、なんせ勇者様だ。その位やってもらわないとな」

 老人は真顔で、聞き返した。

「おぬしはどうするつもりだ」

 ゆっくりと席を立ちながら、名無しは言った。

「ああ、高みの見物と洒落込みたいが、動ける内は動くさ。」

 老人は名無しに対して懇願にも似た口調で、本音を打ち明けて語った。

「なぁ、名無しよ、わしはお前さんがまとめてくれる方が、理路整然と説明出来るように思うのだが、どうなんだ」

 横たわる勇者を眺めながら名無しは老人の問いに、素っ気なく答える。

「俺には示す力はあっても与える力は残っていないんだ」

「そうか・・・そうだったな」

 森の夜は更けていく・・・


 ”トクン””トクンッ”

 微かな鼓動が囁く。まだ逝く時では無いと言わんばかりに囁き続ける。

 記憶の瀬戸欠片が脳内を這いずり回り組み合う。明確な記憶として組み合わされる。

 それの記憶は日中の城下町から始まりを告げた。

 勇者達一行は周囲の祝福を横に、導かれるまま王城へ入っていった。守護兵達も勇者に一礼をし、褒めたたえる。

 召使の一人が勇者達に伝言を伝えに訪れた。

「王から伝達です。明日、祝賀会を執り行うので、その為の礼服を合わせる様にとのお達しです」

「このままじゃだめなのか?」

「王の御前ですから、武具はこちらで保管させるようにと・・・」

「委細承知しました、とお伝えください」

「速やかなご判断、痛み入ります。ではこちらへ」

「ヘーゼル殿下、御父君が御呼びでございます。玉座の間へお迎い下さい」

「わかった、勇者殿、また後程」

「お三方はこちらへどうぞ、礼服を合わせますので」

 勇者達は召使に案内され、奥へと進んでいった。


 衣装合わせも済み、三人は客間でくつろいでいた。

 僧侶の少女エスメレーは勇者にしだれ掛かり、つぶやく

「やっと、やっと何もかも終わって平和になったんだね。これも勇者様のおかげですね」

 勇者の照れた視線が空を泳ぐ。そして蛮人の男ヴァールに向かって言った。

「俺だけじゃない、ヘーゼル、エスメレー、ヴァールがいたからこそ、やり遂げられたんだ。そして、後詰に回ってくれた軍がいたからこそ進んで行けた」

「二人はこの後、どうするつもりだ?」

 ヴァールは勇者の問いに素っ気なく答えて見せた。

「国へ帰って女房を弔う」

 エスメレーは少し恥ずかしながら、声を細めて勇者に言った

「還俗しようか悩んでいます。あの、もちろんお嫁に貰ってくれる人がいればですけど・・・」

 笑みをかみつぶす様に抑え、勇者へ向かってヴァールが言う

「だそうだ、勇者殿、所帯を持つのもいいもんだぞ」

「ははは・・・俺がエスメレーと?ははは」

 三人は笑い合い、存分に語り合い夜は更けていく


翌朝、三人は礼服に身を包み部屋を後にする。勇者はエスメレー、ヴァールと顔を合わせると、執事が護衛兵を引き連れ三人を迎えに来た。

「物々しいですね。護衛兵とは」

 エスメレーは訝しげに尋ねた。

「どうかお気になさらず、これも儀礼の一環として思ってもらえれば光栄です。」

執事はそういうと片手をあげる。それを合図に護衛兵達は左右に広がり整列した。

「さあ、参りましょう。閣下と殿下がお待ちです」

 王宮は異様な程静まり返り、宴の気配すら感じられない。突き当りの大扉の前に到着すると、執事は道を開け三人に語った。

「この奥でお二方がお待ちです」

そう言い終えると、扉が静かに開かれた

 燃える様に脇腹が熱い、熱が漏れ出す。振り返ると護衛兵が三人に対して槍を突き立てていた。

 最初に倒れたのはエスメレーであった。槍が心臓を貫き即死だった。事の事態に気付いたヴァールは背中に突き立てられた槍を引き抜きながら、臨戦態勢に入ったが時すでに遅く、全身を槍で貫かれた

扉の奥から、怒声が聞こえる。

「この恩知らずが‼よくも余を謀ったな。魔王は死んでおらぬではないか‼」

「何を…おっしゃっているのですか?」

 王は続けざまに勇者を罵倒する。

「ヘーゼルの話によると、お前が魔王を逃したと、この国を乗っ取る為、魔王と結託したそうだな。」

「嘘だ、俺は・・・」

 護衛兵から槍を奪うとおぼつかない足取りで、その追撃をかわす。

「もうよい、死んで余と余の国へ償え」

 そう王が叫ぶと弓兵が二階から矢の雨を降らせる。勇者は二人の亡骸を一瞥すると、遁走した。

 次から次へと駆けつける兵をいなしながら、騎兵から馬を奪い王城から町へと駆け抜けていった。

 王は勇者が町へ逃げ込んだと聞くや否や、兵を収めアサシンを城下に解き放つ。これは王なりの配慮で市民に魔王打倒失敗を悟らせない為であった。


 日も沈みかける頃には空には不吉な月が浮かび上がる。勇者の乗った馬は乗り潰され森の中で倒れ込んだ。刺された脇腹を衣服で巻き応急処置を施すと、森の奥へとおぼつかない足取りで入っていった。


 月明かりに照らされる、うつ伏せに横たわる勇者。その勇者に重なる影。黒ずくめの男は勇者を担ぎあげ、森の奥へと歩き出した。

「だから言ったのだ、戯け者が」

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