秋の惑星

藤光

カムイとマリア

 100年――長い時間だ。

 この長いときが流れるあいだ何を考え、どう過ごしてきたのだろう。わたしは思い出そうとしていた。


「マリーの思い出」へ向かう高速船のロビーは、夏休みをリゾート地で過ごそうというカップルや家族連れでいっぱいだった。これといった目的も持たず、なんとなくこの船に乗り込んだ旅行者など、わたしのほかに一人も見当たらなかった。


 ロビーの空気をかすかに震わせているエンジンの音が変わった。船が減速をはじめたのだ。目的地まであと一時間――。そうアナウスされると、上陸を待ちきれないでいる乗客たちから歓声があがり、ロビーはひときわ賑やかになっていった。上陸までまだ一時間ある。目的地が近づいてくる様子をこの目で見ておこうと、わたしは船の展望デッキへ向かった。


 同じように考える人が多いのだろう、展望デッキもまた人で溢れかえっていた。船の上面全体を覆う透明な天蓋ドームの向こうには一面の星空が広がっていて、人びとは皆、いつ船の行く手に目的地が現れだろうと、その時を待ち構えていた。


 ――やれやれ、こんなに人が多くては見ることができないぞ。


 人を押しのけてまで見てみたいとは思えなかったので、あてもなく展望デッキを歩いていると、わたしと同じように、ひとり星空を眺めている人を見つけた。小さなスーツケースをひとつだけもった美しい女性だった。黒く艶めく髪、透き通るように白い肌、伏し目がちの瞳。その静かな佇まいは、賑やかな観光客で溢れかえったデッキではちょっと異質で、連れのいない彼女はまったくひとりぼっちにみえた。

 わたしはひと目で彼女のことが気に入った。


「もう少しで到着ですね」


 話しかけると、彼女はわたしのことを頭のてっぺんからつま先まで見渡して「ええ」とだけいった。


「おひとりで旅行ですか」

「いいえ。旅行じゃないの」


 そして「あなたは」と尋ねてきたので、わたしが


「ひとりで旅をしています。おひとりならこの後、一緒にいかがですか」


と答えると、彼女はまじまじとわたしの顔を見た。


「あなたが? 人形ロボットなのに?」


 星を映してぴかりと光る頭部や金属光沢に輝く肌、ガラス玉がはめ込まれたような瞳を見た。

 

 ロボットは人間の所有物であり召使いだ。何者かに支配され、奉仕する存在。支配を離れ、自由に旅をする人形ロボットなどいるはずはない――普通は。わたしは言った。


「わたしは自由人形フリーマシンですから」


 彼女が目を見張ったちょうどそのとき、船内アナウンスが目的地到着まで30分であると告げた。


『まもなく本船は最終寄港地「マリーの思い出」に到着します。寄港予定時間は、現地時間で七日間と十二時間。接舷時の衝撃により本船は揺れることがあります。安全確保のためお身体とお荷物を重力ロックしてください。繰り返します、お身体とお荷物を重力ロックしてください。まもなく「マリーの思い出」に到着します』


「フリーマシンは自分の意思で自身の行動を決められるってほんとう?」

「ほんとうです」


 わたしの鋼鉄製の胸の中には、一通の証明証パスが収納されている。わたしが自由意志をもち自律的に行動することを証明する銀河共和国が発行した証明証だ。わたしを支配しているのは人間ではなくわたし自身だ。


「ご一緒させていただけますか」

「……いいわ。じつは、ひとりで心細かったの。自由人形フリーマシン。あなたお名前は?」

「カムイです。……えーと……」

「マリアよ。よろしくね、カムイ」

「はい、マリア。よろしくお願いします」


 エンジンの駆動音がひときわ大きくなって、展望デッキがゆっくりと傾むいてゆく。デッキの地表面からドームの天頂方向へ目的地である惑星が昇ってくるように現れた。漆黒の宇宙空間に浮かび上がる青く輝く惑星ほし。宇宙船は「マリーの思い出」に到着した。


☆☆☆


 宇宙と地上を繋ぐ軌道エレベーターの接地点アースポートは観光客でごったがえしていた。人波に押し流されるようにして入国ゲートを入ると、人々は口々に歓声をあげた。


「美しいものですね」


 青く透き通った空、ゆったりと流れゆく大河、宇宙港を取り巻く山々は紅葉に色づいている。周囲には、そこかしこに「鳥居」が立ち、「大仏」が並び、「古都の街並み」が再現されていて、河の向こうには、いくつかの「富士山」まで見えている。宇宙港から出てきた観光客たちは、さっそくカメラを取り出して、さまざまにポーズをとったり、シャッターを押したりしている。


「マリーの思い出」は、惑星全体が「日本の秋」をモチーフとしたテーマパークだ。「日本」とは、21世紀の半ば頃まで地球に存在した国民国家のひとつである。この星は、20世紀から21世紀ごろ、地球人がどう生活していたのが体験することができるテーマパークとして大人気なのである。


「とても美しい景色ですね」


 富士山の裾野に広がる色づいた広葉樹林の景観を指さしながらマリアを振り返ったが、彼女は自動車に乗り込むところだった。


「作りものよ。なにもかも。失われた時間は、二度と元に戻らないわ」

「失われた?」

「ごめんなさい、先を急いでいるの」


 わたしたちは、ここ以外では博物館ででもお目にかかれそうにない、内燃機関で駆動するタクシーに乗って宇宙港を出発した。


 ――いったい彼女マリアは、なんの目的があってここへやってきたのだろう。


「王宮へ向かってください」

「……はい」


 タクシーの運転手は頷いて、盛大な排気ガスを吐き出す自動車を走らせはじめた。


「王宮というと、この星の王さまがおられるんですか?」

「いいえ、だれもいないわ。いまはもうだれも……」


 そういって窓の外の景色を見やるマリアは、話しかけて欲しくなさそうに見えた。わたしもまた、彼女とは別の窓の外を眺めた。


 金色の稲穂が揺れる水田がどこまでも続く景色のなかをタクシーはのんびりとした速度で走ってゆく。田んぼのあぜ道には燃えるような彼岸花が咲いていた。燃えさかる炎のようだ

った。


 不意にタクシーが停まった。

 マリアのいう王宮とやらへ着いたのだろうか。いや、ここはまだ田園地帯を貫く一本道の中程だ。


 突然、運転手が後部座席へ振り向いた。その手にブラスターが握られている! とっさにマリアに覆い被さると後部座席が燃え上がった。わたしがマリアを抱えて車を出、道に駆け出すと、直後にタクシーは運転手もろとも火柱を上げて爆発した。


「助かりました」


 マリアの顔は少し青ざめていたけれど、声はしっかりしていた。そのまま歩き出そうとする。むしろわたしの方が驚き、戸惑った。殺されかけたんだよ。


「ここは危険です。宇宙港のホテルへ戻りませんか」


 でも、マリアはわたしを見て微笑んだだけだった。


「いいえ、このまま歩いていきましょう。あなたさえいれば、大丈夫そうです」


 不思議な女性だ。たったいま殺されかけたというのに。平然として。彼女は何者なんだ。なぜこの星にやってきたのだろう。なぜ狙われなければならなかったのだ。わたしは運転手から突きつけられた銃口を思い出していた。


 道端に咲き乱れる彼岸花に導かれるようにして、わたしたちは歩いて行った。やがて前方に大きな鳥居が現れた。道はその鳥居へ向かっているようだった。近づくとそれはで赤く塗られた立派な鳥居だった。鳥居の向こうは森になっていて木々が色鮮やかに紅葉している。鳥居の下にだれかが立っていた。人形ロボットだった。

 

「この先へ、観光客の方は入れません」


 わたしとよく似た。ロボットらしいロボットだった。金木犀の香りがした。

 マリアが一歩進み出て、きっぱりといった。


「観光客ではないわ」

「では、排除します」

「通しなさい」

「排除します」

「わたしはマリア。帰ってきました。ここを通しなさい」


 ロボットのガラス玉がはめ込まれた目がチカチカと明滅した。


「……破壊します」


 ロボットが銃を取り出すよりも早く、わたしの銃が火を噴いた。ロボットは何メートルも吹き飛ばされて、木にぶつかるとその根元で動かなくなった。光を失ったガラス玉の上に、橙色の小さな花が降りかかった。金木犀の花だった。


 わたしは先に立って歩いてゆくマリアを追った。彼女はたしかにといっていた。


「ここが王宮ですか」

「そう」

「あなたここに帰ってこようとした。ここには何があるんですか」

「いまに分かるわ」


 イチョウやカエデ。大鳥居から続く道の突き当たり、王宮は紅葉する木々に囲まれていた。21世紀の日本らしくない現代的な建物の中へわたしたちは入っていった。王宮の中は、白くて明るく、静かだった。ふたつの足音だけが、だれもいない通路の前と後に響き、消えていった。


 やがて、わたしたちは王宮のもっとも奥の部屋にたどりついた。

 

「ここは?」

「玉座の間よ」


 しかし、ぐるりと見回しても、暗く冷たい部屋のどこにも玉座は見当たらなかった。そのかわり部屋の真ん中には、大きなひつぎがひとつ据えられていた。


「この星には、王がおりません」


 わたしが棺を覗き込もうとしたそのとき、声がした。低くしゃがれた老人の声だった。いつのまにか足音を忍ばせて、十名近くの男女が玉座の間にやってきていた。皆、一様に年老いている。


「帰ってきたわ」


 マリアがいった。


「《条約》が失効したの」

「陛下がお隠れになって、100年。この星は季節が止まったままです。戦争が終わったあの日のまま、永遠の秋が続いています。いまさら帰ってこられても迷惑です。この星から退去していただきたい。さもなければ……」


 老人たちを代表して、中央の男がひとり、マリアと対話した。


「さっきからそうしているように、わたしを殺そうというの?」

「引き返していただけるのなら、そうは致しません」


 マリアは老人の言葉に首を振った。


「出ていかないわ」


 途端に、老人たちが隠し持っていた銃を取り出して、マリアめがけて発射した。わたしが間に飛び入るわずかな隙もなかった。マリアの身体はレーザーに貫かれ、ブラスターの炎に焼かれた。


「あなたは戻ってくるべきではなかった!」


 しかし、レーザーに切り裂かれ、炎に焼かれてもマリアは倒れなかった。一歩、また一歩と棺に近づいてゆく。彼女はすでに人間ではなく、機械の身体をもつロボットですらなかった。得体のしれないエネルギー体だった。


「わたしの時間を返してもらうわ」


 彼女は棺の蓋を跳ね上げると、頭からそのなかへ飛び込んでいった。その瞬間、まばゆい光りがほとばしり、と同時に漆黒の瘴気が流れ出した。有限と無限が入り交じり、過去と未来が結合した。


☆☆☆


 わたしは展望デッキで船の出発を待っていた。船内にアナウンスが流れる。


『あと30分で本船は「マリーの思い出」を出発します。お客様はお時間までに着席の上、シートベルトをロックしてください。繰り返します――』


 100年前、星と星とのあいだに戦争があった。


 戦争に敗れた星は、莫大な賠償金が課せられるとともに、星の活力そのものだった王が捕らえられた。《停戦条約》で王は100年の虜囚となり、星の時は停まった。永遠のたそがれが宿命づけられたこの星は、囚われの王の名をとって「マリーの思い出」と呼ばれるようになったのである。


 星に残された人々は、残りの賠償金を支払うため、長い年月をかけてこの季節のなくなった惑星全体を「秋」をモチーフとしたテーマパークに改造し、観光客を呼び寄せることに成功した。戦争で荒廃した星の住民は経済基盤と誇りを取り戻した。


 いま、展望デッキから眺められるこの星の空には低く雲が垂れ込め、宇宙港を取り囲む山々の木々は葉を落として、くすんだ色の幹を晒している。


 戦争から100年の時が流れ、解放された王が帰還したことで、停まっていた時間がふたたび動きはじめたのだ。鈍色の空から。つぎつぎと白いものが落ちてくる。


 雪を衝いて船は飛び立った。

 一面の銀世界。

 この惑星に冬がやってきた。

 帰還した王がどうなったのか、だれも知らない。

 

 

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秋の惑星 藤光 @gigan_280614

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