Lsbd:天正十五年の博多《砂浜に町を描く男》

ななくさつゆり

神屋宗湛《砂浜に町を描く男》

一.白砂はくさ青松せいしょう


 白砂はくさの浜に鳥のかげが走った。

 一羽いちわが海へと飛び出し、続いてもう一羽の鳥がでて後を追う。壮年そうねんの男がひとり、砂浜すなはまでその影を目にした。一瞬で過ぎ去った影につばさらしきものを見る。はためく姿を想い描いて空を見上げた。海の上に雲ひとつない青空が広がっている。見渡せば、空と海とを分かつ水平線のあたりに、時折交差ときおりこうさしながら悠々ゆうゆうと飛ぶ二羽の鳥の姿があった。

「あれか」

 あの二羽が、先ほど海へ飛び出した影の正体に違いないと、男はひとりで納得する。二羽の鳥は空でやがて黒点になり、き通る空にまれて消えた。

 男は、白砂の浜に身をかがめる。細波さざなみの音に聴き入り、砂地をにらんだ。すすけた木の棒を手に、砂をなぞりいくつもの線を縦に横にと引いていく。僧帽そうぼうを被り、法衣ほういを身にまとった男の背には青い松原まつばらが立ち並んでいた。

 浜辺に寄りそって広がる千代ちよの松原。

 かぜが松を揺らしている。男は碧海へきかいから寄りくる風と松籟しょうらいの心地よさに浸っていた。


 後ろから、その男を呼んで低く太い声が飛んでくる。

貞清さだきよ

 呼ばれた方は、白砂に線を引くことを止めてふり返った。

「おや、とくさん」

 法衣を着て頭を丸めた男が、松の影から砂を踏んで歩み出てくる。

 男は島井徳太夫しまいとくだゆうと言った。徳太夫は無言でうなずき、貞清にげる。

「間もなくだ」

「では、関白様が?」

「じき、拝謁はいえつの間に入られる。黒田殿や石田殿らはもう入ったらしい」

 徳太夫は指先までしゃっきりとした仕草で貞清を促した。

 さらに、

博多衆はかたしゅうを代表する手前、遅参ちさんはならんぞ」

 と、短く言い切る。今度は貞清が頷いた。

「にしても、徳さん。そんな怖い目をした坊さんがどこにおりましょうか」

 貞清は、徳太夫の人を射通いとおす目つきを見て、軽やかに言及げんきゅうする。

「俺は普段通りよ。坊主ぼうずの前に商人あきんどである」

商人あきんどにしても、ですよ」

 このふたりは剃髪ていはつし、法衣こそ身に纏っているが、本来の性分は商人と言えた。だが、徳太夫はやたらと眼光がんこうするどく、逆に貞清は町人の気安きやす気性きしょうを隠せないでいる。

「島井の徳さんなら、眼光一つで財をせましょうよ」

「であれば、だいぶ楽なのだが。土倉どそうの取り立ても、海を渡っての商いもせずに済むだろうが。しかし、ひと睨みで財を手にするのは武士のやること。我らはもうけで生きるのみ」

 貞清は冗談を講じてみたまでだが、さらりと生真面目きまじめに返してしまうのがこの男。

「この博多で、練酒ねりざけだけ作って成り上がれるのであればどれだけよいか。だがこの乱世で、そう容易たやすくはいかん」

 この境地に対する共感が、二人の足並みを同じ方角に向かせていた。

 徳太夫と貞清は、自らが乱世に生きる商人であることを自覚している。堺衆にしろ、博多衆にしろ、この時世に生きる商人が大名らに接近して成りあがるには、僧籍そうせきに入るのが必須ひっす礼法れいほうと言えた。徳太夫は三年前に、貞清は前年の暮れに得度とくどを受けて法号ほうごうを有している。

 貞清としては、この男が京の大徳寺だいとくじで、頭ついでに気質も丸くなればと期待したものだが、綺麗にり上げた徳太夫は、日焼けした肌に鋭い眼光がなおさら浮きりになる様相ようそうで博多に帰ってきた。その際、徳太夫は得度を受けたことで宗室そうしつと号するに至る。博多の豪商、島井宗室しまいそうしつである。

僧形そうぎょうにはまっておらぬは、お前とて同じことよ」

 と、言って宗室は鼻を鳴らした。

「それは確かに」

 貞清もまた、その言葉に反論する気は毛頭ない。実際、にわかづくりの生臭坊主なまぐさぼうずもいいところだった。貞清も、宗室に続いて貴人と接するために得度を受けたはいいが、剃髪した頭は風通りが良すぎて未だに馴染めない。大徳寺の古渓和尚こけいおしょうから授かった僧帽を被っているのも、頭に触れようとする風へのささやかな抵抗だった。

「結局、私も徳さんも、町と商いが先にあるのです」

「そういうことだ。お前もまた、宗湛そうたんと号するようになったわけだからな」

「ええ。今や博多衆、神屋宗湛かみやそうたんでございます」

 宗湛は煤けた木の棒を手放した。棒は先端が僅かに炭化たんかしており、力を込めれば折れそうなほどにかわいてしまっている。今朝、博多の町を散策していた折に拾ったものだった。焼け落ちた板材の一部だろう。この頃の博多は特に荒れていた。

「で、貞清。足もとのそれは、もしや町割まちわりか」

 宗室が、白砂に記された線の群れを一瞥して尋ねる。

「ええ。久野ひさの四兵衛しへえさんに教わりまして。これを思えば、居ても立ってもいられません」

 宗湛は、持ち前の伸びやかな表情で柔らかい笑みをつくり、砂に残した図らしきものから、前方の海へと視線を移した。

 宗室もまた、固い頬を緩め、

「道理よ」と言ってふっと笑う。

「焼け落ちて荒れた博多を、いまいちどすこやかに在らしめたいと願うのであれば」

 宗湛は青海せいかいの先――海と空の狭間はざまに在る横一線を見、袖に手を入れてきびすを返した。

「さァ、たて直しましょう。この焼け果てた博多を」

 さらりと言ってのければ、宗室は力強く頷く。二人は白浜の砂を踏みしめて歩きはじめた。海にそって立ち並ぶ松原の奥には、焼け落ちたあばら家が幾つか在るだけ。瓦礫がれきの上を灰と土が舞う、荒れた町並みが広がっている。



二.天正てんしょうの博多


 仲夏ちゅうかにさしかかる。

 博多の町の外では、百姓ひゃくしょう背振山地せふりさんち稜線りょうせんを背に、はりつく日射しの中で苗代なえしろに種をいて汗を流していた。町の外からみなとへとおもむけば、焼けた博多に点在する町家は荒れて痛ましいものの、往来に人通りは絶えず、沖には廻船かいせんが入ってきている。町をゆく人々の中には異国人の姿もあった。

 それらに加えて今は、関白かんぱく秀吉ひでよし率いる豊臣とよとみ勢にくみした武士たちが、薩摩さつま島津しまづ勢力をくだして博多に凱旋がいせんしたばかりである。

「存外、博多は元気ですなぁ」

 町は荒れているが、博多に漂う気風きふうそのものは決して暗澹あんたんたるものではなく、穏やかであっけらかんとしていた。博多という町は、玄界灘げんかいなだに面して異国に門戸を開いている。白浜から松原を抜ける海風と、脊振山地から降る山風とか混じる爽風そうふうに恵まれ、ここに滞在する者の気性はそれに馴染んでいく。


 宗室と宗湛は、博多と同じ筑前国ちくぜんのくに筥崎はこざきにある秀吉軍の本陣に向かっていた。

「貞清。唐津からつからこっちにきょを移すなら、関白様に新しい屋敷のひとつでもねだってしまえ」

 すると、宗湛は、

「心にもないことを」

 と、返事して肩をすくめた。

「やれ屋敷だ、やれ褒美だ、などというものは、荒れた博多を戻したあとのこと。しばらくは、赤幡あかはたの陣屋におりますよ」

 この頃、関白秀吉は島津義久しまづよしひさ降伏こうふくさせて九州平定を成し遂げている。凱旋をしてしばらくは、筑前国博多のそばにある筥崎八幡宮はこざきはちまんぐうに本陣を敷き、この地に滞在していた。二人は先日、博多衆を代表して秀吉の下へ戦勝祝に参上したばかりである。

 道すがら、松の下で座談する武士の姿を見かけた。千代の松原一帯に諸将の陣屋が設けられ、そこら中に旗指物はたさしものがはためき、本陣の近辺はにわかに騒がしい。

 ふと、二人が足を止めた。

 不意にわらべの一団が二人の前を通りがかる。り切れた着物で何処いずこの者とも知れない子供の群れ。宗湛は子供達に手を振る。先頭を見るに、一団を率いるのは南蛮人なんばんじんらしい。背が高く目のわった蒼白そうはくの男が無言で頭を下げた。こちらにさほど関心を示さず、そのまま奥へと歩いていく。

「あの童らはもしや、切支丹キリシタンですか」

 宗湛がぽつりと尋ねれば、宗室もまた大して関心もなさそうに淡々と頷いた。

「で、あろうな。今日は田圃たんぼを手伝っておらぬのか。最近はこのあたりも増えてきたぞ」

 博多の気風に似つかわしくない、きめ細やかな黒衣と白い肌が遠くにいる宗湛の目につく。

「見ろ。先頭に南蛮人がいるだろう。伴天連パードレが教会で面倒を見ておるのよ」

「博多の子ですか」

「よりけりだ。戦で親を失ったのもおれば、売られてきたのもおると聞く。奴らはそれらを世話して、他所の田を手伝ったり、瓦礫がれきを片付けたり、孤児こじ奉仕ほうしを仕込んでおる」

 宗湛は思わぬ答えに感心して「ほう」と息をもらした。こうして二人が話す間も、子供達は伴天連パードレに連れられていく。

「町の外れに奴らの教会ができたろう。博多衆から見れば、どこの者とも知れない奴らの寄り合いに過ぎん。元より博多で耶蘇やそは流行らんし、連中も生きるに必死ということだ」

 各地で急激に信徒を増やす耶蘇教やそきょうだが、博多では容易に受け容れられず、布教に苦心していることを宗湛は知っていた。過去にこの地を訪れた宣教師せんきょうしルイス・アルメイダをして、「日本一布教のやりにくい土地」と不毛の地扱いされた始末である。

「そんな耶蘇だが、大村領では相当な寄進きしんを受けたらしいぞ。土地を貰い、神学校セミナリヨなる館を設けたそうだ」

「宣教師が日の本の土地を? さようなことがあり得るのですか」

「耶蘇の道徳においてはあり得るのだろう。存外、したたかな連中だ。未だ多くの博多衆は、家を焼き出されて各地へ散り散りになったままだというのに、ああいう輩ばかりが増える。貞清。お前は人の売り買いはせんだろう?」

 急な宗室の言に、宗湛は小さく首を縦に振る。

「性に合いませんでな。人買いなら幾らでもおりましょう……」

「そういうことだ。俺もそうだ。だが、奴らはそれをやるぞ。あの童共も、先がどう在るのかわからん。荒れてしまった今の博多では、ああいう輩を御するのもままならんのだ」

 宗室はあくまでも、自治都市としての博多の機能に強い自負を抱いていた。すれ違う武士や異国人を睨みこそしないものの、目を閉じたり細めたりして、持ち前の鋭利な眼光を放たないようつとめている。

「徳さん。今は、関白様の凱旋により活気が戻りつつあります。それにあやかり、再起しましょう」

「そこは否定せん。今一度、公界博多くがいはかた面目躍如めんもくやくじょ。そのためには武士にだってすがるわ」

 鳥居が見えてきた。そのまま二人は、筥崎八幡宮はこざきはちまんぐうの鳥居をくぐる。境内けいだいに入れば外の喧騒けんそうは急にひそやかなものとなり、参道の石畳に溜まる陽だまりが、本陣の静けさを引き立てていた。

 


三.筥崎本陣はこざきほんじん


 参道をるように歩く草鞋わらじの音が境内に響く。底が地べたを擦るたびにざらりと鳴った。筥崎本陣は、それまで鼓膜こまくに張りついていた外の喧騒けんそうを忘れそうなほどに静やかである。

 宗湛らは、神殿の前で天王寺屋宗久てんのうじやそうきゅうと合流し、拝謁はいえつの間にて関白秀吉と面会した。

 博多衆の二人はひざまずいて両手をつき、よどみなく祝辞しゅくじを述べる。秀吉は正面でおもむろにくつろぎ、日焼けした顔に笑みを浮かべていた。

「おう。筑紫ちくし坊主ぼうずども」

 昼日中の日射しが、格子窓こうしまどの隙間から拝謁の間に差し込む。この場には石田三成いしだみつなり黒田官兵衛くろだかんべえ小西行長こにしゆきながなど諸将しょしょうらが揃い、脇に宗久と筆頭茶頭ひっとうさどう千利休せんのりきゅうが控えていた。

「凱旋なされて幾日か経ちますが、博多はいかがにございますか」

 秀吉は満足げに「良い」と頷いた。その振る舞いからただよう和やかな気風に、宗湛は安らぎを覚える。

白砂青松はくさせいしょうみなと、誠に気に入った。松の下で海を眺めておるだけで、自らが背負うなにがしかが軽うなる気が致す。その松原にも、千代ちよと名があるのがまた良いのう」

 宗湛らの表情がほぐれたところで、秀吉は身をずいと乗り出し、 

「後は、焼けた町の再興だけよ」

 と、誘い出すような声で言った。すかさず眼の色を変え、鋭く諸将の方を見やり、

官兵衛かんべえ町割図まちわりずを出せ」

 掛け声と共に黒田官兵衛が颯爽さっそうと拝謁の間に紙を広げる。

「宗湛、宗室。もっと近くに寄らんか。ここは博多衆が意見を申す場である」

 進み出た二人が目にしたのは図面だった。線を碁盤ごばんの目のように交差させた町割まちわり見取みとり図である。一本の大路おおじを軸に伸ばした縦横の線が町筋となって、詳細な図面に仕上げられていた。

「この大路おおじ大宰府だざいふに通じ、また唐船の着く海辺にも通じる。もしや」

 図面に見入る宗湛が漏らした声。秀吉は眉間みけんを緩めて「いかにも」と答える。

「これから生ずる博多の町だ。早速だが、この場にいる者に博多の普請ふしんを命じる」

 秀吉は、官兵衛の図面をもとに、この町割の意図を滔々とうとうと説きはじめた。

「よいか。博多の町は七堂伽藍しちどうがらんよ」

 図面は東西南北の十町四方を町と定め、南北に四本の広い道を敷いている。東西に縦横の小路しょうじを割り付け、さらに、中心の広い道を軸に東西の町筋十数町を一つの組として置いていた。

「これがながれだ。七条袈裟しちじょうけさの如く、それぞれのながれが合わさることで博多は成る。七堂備える天下の町を、そなたらと共につくりあげようぞ」

 秀吉の説く博多の像は、この地を深く知る宗湛らが驚くほど博多の土地柄に通暁つうぎょうしていた。従来の博多の在り様を踏襲とうしゅうしたうえで、その未来さきを語ろうとしていることが臓腑ぞうふみるように伝わり、途中、宗湛は涙をこらえて幾度も目をしばたかせるありさまである。秀吉の言葉は決して荒唐無稽こうとうむけいなものではなく、往昔おうせき故実こじつを取り入れ、地道な調べの厚みを感じさせ、それを説く語り口は、まるでその地に住み慣れた古老ころうのようであった。

 秀吉は、ひとくさり語り終えたところで、

「それから、そうだな。防備に堀を作るとよい。だな、宗湛」

「あっ。は、はい」

 突然名前を呼ぶ。呼ばれた宗湛は驚いて両手を挙げてしまった。

「なんだ。そなたが一昨日にそう申したろうが。意見があるなら遠慮せず、早う申せ」

 と、言って秀吉はかっかと笑う。脇に控える諸将もつられて静かに笑っていた。

 であればと、宗湛は右手で胸をおさえつつ申し出る。

「この度のご高配、博多衆として望外の喜びに存じます。町割だけでも大いにかたじけなくありますが、卒爾そつじながら是が非でもひとつ……」

「おう。申してみよ」

「先の島津しまづのつけ火にい、各地へ逃れた博多衆は大変多くございます。在りし日に比べれば、周辺も含め残った博多衆は大した数ではありませぬ。博多復興成就のため、散り散りとなった町人達の招集に、ぜひ皆様方のお力添えをお願い申したく存じます……!」

 宗湛の気性は、宗室と違い豪胆ごうたんからは程遠い。それでも、町の為、己の為と念じることで、諸将らを前にしても腹から声を捻りだすくらいの気概は持ち併せていた。

 秀吉は、宗湛の素直な申し出を受けて再び笑う。そして、肩を叩いて頷いた。

「よう言った。庭だけあっても意味がない。この地には、天下随一の商利を競る町になって貰うつもりでおるからの。であれば、佐吉さきち。その方、首尾はどうだ」

 秀吉は治部少輔の石田三成に向かって尋ねる。三成みつなりは静かに身を屈め、

「書状を出し、離散りさんした博多衆の還住かんじゅう奨励しょうれいしております。既に帰住した商人も表れており、月の明くる頃には、宗湛殿の申す在りし日の博多衆が、この地に押し寄せることでしょう」

 さらに三成は、宗湛らをちらりと見て言葉を続けた。

「また、博多の復興と商いを同時に進行させ、さらに盛り立てるのであれば、町割に加えて座の禁止や諸役の免除といった、博多津はかたつ独自のさだめが必要になるかと……」

 この言葉が、富商ふしょうである宗湛と宗室の背筋を痺れさせる。

「座の禁止……!」

 博多を大量の人と物資が行き交うようにしなければならない。三成は、そのために楽市楽座をやろうと言い出したのである。秀吉は、初めからその腹積もりであったかのように首を深く縦に振った。宗湛と宗室は秀吉の意気を素直に感じ取り、後ずさって頭を垂れる。

 続いて、官兵衛が長い木札を差し出した。秀吉はそれを受け取って二人に見せつける。

「そしてこれじゃ。博多間丈はかたけんじょう。町割りは、この松の棒きれから始まる」

「博多……間丈」

 その手に握った六尺ばかりの木の棒を、秀吉は銀山を拝むかのように眺めていた。

「この一本の延べ棒が、おれとお前らの博多をよみがえらせるのよ」

 この間丈を博多の土に差して距離を測り、杭を打って縄を張り、もういちど町をつくっていくという。

「宗室、宗湛。これだけは覚えておけ。奉公人ほうこうにんを立て、武士が町割を奉行ぶぎょうするのは、これが天下の大事業であることを世に示すためよ。博多は貴様ら町人が盛り立てねば始まらん。お前たちが今や日の本十指に入る財の持ち主であることは承知で言うが、おれはこの地の為なら幾らでも金子を融通ゆうづうしてやる。しからば風の如きはやさで、博多の町を立て直せ」

 秀吉の声色に、先程までとは異なる力が帯び始めた。

「その先にあるのは、唐入からいりじゃ」

 格子窓から差し入る光の方へと目を向ける。

「出兵の拠点は名護屋なごやに決めた。であるなら、博多は全ての物資が行き交う天下一の楽市楽座。唐入りは勢いを重んじておる。博多がいつまでも荒れ地のままでは困るのだ」

 秀吉が足に力を入れて立ち上がった。大音声だいおんじょうに乗せて令を発する。

「これより石田三成を総奉行そうぶぎょうとして、小西行長、長束正家なつかまさいえ山崎片家やまざきかたいえ滝川雄利たきがわかつとし。以上の五名を町割奉行まちわりぶぎょうに任命する。黒田官兵衛は町割の発起人ほっきにんとして世話役につけ。武士と町人、双方力を合わせ、昼夜兼行ちゅうやけんぎょうで博多の復興を成し遂げよ!」

 一同が秀吉の命に声をあげて応じた。静謐せいひつである拝謁の間に、鋭く短い声がとどろく。

 秀吉は満足げに頷き、間丈をおもむろに振るう。そして、切っ先で宗湛らを指し、言い放った。

十町四方じゅっちょうしほうくいを打て。縄を巡らし町割まちわりを成せ。のきを並べ、万物ばんぶつを売れ」

 その大きな両の眼は、宗湛をしかと捉えている。

「そして貴様ら博多衆が、ここで大いに稼ぐのだ!」

 頭の先から足の爪先まで、全身が痺れる気迫。二人は改めて両手をついて低頭し、

「我ら博多衆。必ずや、関白様のご期待に応えて見せまする」

 と、覚悟を改めた。

 以降は、官兵衛らと別室で膝詰めの談義に入る。時を忘れて意見を交わすうちに日が暮れはじめ、黒田家の小姓こしょうがやってきてはぜ蝋燭ろうそくに火を灯した。開いた戸の向こうから、細波さざなみの音が聴こえる。



四.町割まちわり、始まる


 早速、町割まちわりが開始された。

 快く晴れ渡る空の青が、水平線あたりでなだらかな海にけあう。穏やかな朝だった。気候は暖かい。風は軽かった。

 早々、博多に一本目のくいを打つ手筈てはずである。だが、それまでの町割り談義で火がついた宗湛ら町人勢と黒田官兵衛は、この後に及んで千代ちよ松原まつばらの白浜で談義に興じていた。

 砂に胡坐あぐらして腕を組むのは官兵衛である。

「やはり、真四角ではならぬか」

 宗湛は慣れた手つきで砂浜に簡素な図を記し、官兵衛の問いに答えた。

「日の運行うんこうを考慮せしめれば、杓子定規しゃくしじょうぎな真四角よりも、面を日の出の方に向けるのがよいかと」

「となると、四角というよりはひし形か」

 官兵衛が線の外に方角を書き入れる。しばらくして、松原から石田三成がやってきた。

「宗湛殿。早く町におあがりくだされ。上様がお越しになられますぞ」

 眉を釣り上げる宗湛の横で、官兵衛が三成に呼びかける。

「石田殿。お主も談義に混ざらんか」

 三成は露骨に嫌そうな渋面じゅうめんをつくった。予想通りの反応に、官兵衛は声をあげて笑う。

 宗湛が町にあがると、一本目の杭を打つあたりに久野四兵衛ひさのしへえという男が立っていた。黒田官兵衛から町割の下準備を任された人物で、諸々の実務を取り仕切っているのはこの男である。

 宗湛は四兵衛から槌を手渡された。杭を打って始まりを告げろと四兵衛が促す。突然の役目に宗湛はたじろいだ。

「わ、私か。地鎮祭じちんさいは既に執り行っておりましょう。もう皆で始めてしまっては……」

 そのとき天から、宗湛の耳によく馴染む秀吉の声が響く。

「宗湛! 第一打をお前が打たんでどうするか!」

 目を丸くして空を見渡すと、少し離れたところに物見櫓ものみやぐらが立っていて、そこから秀吉がかっかと笑ってあちこちをはやし立てていた。

「宗室も、腰の引けとる宗湛に何か申してやれ」

 巻き添えを食った島井宗室は、肩をすくめながら淡々と言い添える。

「関白様のお達しである。この上ない栄誉として盛大に打ちつけられよ」

 明らかに気迫の欠けた宗室の声に、宗湛はため息をもらした。

「やれやれ。他人事だと思って……」

 そうしてため息をつく間にも、周囲には博多衆や近隣の百姓が様子を観ようと集まりだす。関白秀吉の博多凱旋と九州平定の報せに加え、町割による博多再興の話は瞬く間に広がった。地鎮祭のため近所の櫛田神社くしだじんじゃから駆り出された神官の姿もある。どこからかうたいはじめる者まで現れ、いつの間にか往来の雰囲気は祭りじみたものに変貌へんぼうしていた。

何事なにごとも祭りか」

 雰囲気を察した官兵衛が宗湛に告げる。

「この地にはそういう風がある。宗湛。博多衆の頭は貴様であろう。さっさと始めてしまえ」

 宗湛は、官兵衛と三成、そして宗室らを見渡し、固唾かたずを飲んだ。杭をひと睨みして、木槌を空へと振り上げる。大きく息を吸い、一拍置き、はらに気合を込めて叫んだ。

 博多衆の掛け声と重なる。

「いよォーっ!」

 槌を振り下ろす。観衆の声が、杭を打ちつける音をかき消した。


                *


 千代の松原は、今朝も海から爽快そうかいな潮風を迎え入れている。

 町割は、浜辺を含めて博多全域を覆う大規模なものになった。普請ふしんには博多町人が全員参加したと言っていい。瓦礫をどかし、土を掘りかえし、杭を打って縄を張る。降って沸いた博多再興の一大事業と、九州が戦から開放された安堵感とが町人に良い潮をもたらしたのかもしれず、町割の仕事を得た者たちは、水を得た魚の如く町を走り、働いた。次々と杭が打たれ、やがて縄を両脇に張った太い路が出来あがる。三成ら町割奉行が櫓のそばで進行の指揮を取り、官兵衛は積極的に町中へ繰り出して四兵衛らと共に町割に精を出した。

「この路は市小路いちしょうじと呼ぶ。この大路を軸に縦横へと縄を張って町を割っていけ。市小路の幅は三間以上取れ。海から大宰府まで数多の人馬じんばがゆく、天下の往来と心得よ!」

 縄を張る作業や軽い瓦礫の撤去てっきょには子供も混じる。焼けた博多で遊び慣れた子供らは、大人よりも要領ようりょうよく縄を引いた。秀吉は、物見櫓からその様子を懐かしむように眺めている。

 また、三成が発案した博多の楽市楽座が早速発布されたのも、町人の士気を大いに高めた。九か条から成る「さだめ 筑前国博多津ちくぜんのくにはかたつ」である。問屋と座を禁止し、商いを自由にし、無税無課役とする。博多に武士の居住を禁じ、町人のみの町とする。商人の町博多がここに復活した。

 宗湛は自ら町割りに乗り出し、秀吉から託された博多間丈を使って測地し、杭を打つ場所の指示を出す。その姿勢が博多衆にも伝わったのか、自然と真似をする者が現れ、自ら削りだした松の棒きれで測る者もいれば、宗湛の間丈そっくりに磨いて町割りに繰り出す者もいた。宗湛は、その様子を沸き立つ思いで眺めつつ、宗室や黒田官兵衛と市小路を練り歩き、町割り談義をつづける。

瓦礫がれきか。町まるごとの瓦礫ともなれば、運び出すも馬鹿にならんな」

 宗室と官兵衛が人手と時間をどう捻りだすか議論するそばで、宗湛が閃く。

「いっそのこと、固めてへいにしてしまっては?」

 宗室と官兵衛がはっとして、

「これは妙なり」

 と、官兵衛が唸る。宗湛もまた満足げに、通りから海の方を眺めた。

 その時、物見櫓に秀吉の姿をいまいちど見かける。

「ご、御免」

 今の内に改めてご挨拶せねばと、宗湛は復興が始まった町の通りを走った。小走りで櫓まで駆けつける。梯子はしごを登り、高台に顔を出すと、そこには町割の様子をしげしげと眺める秀吉がいた。

 秀吉は宗湛に気づき、

「おう。来てくれたか、筑紫の坊主」

 その場に平伏した宗湛に「待っておったぞ」と告げ、立ち上がらせて手招きする。秀吉と宗湛は、物見櫓の高台から町割が進む博多の姿を一望した。

 十町四方に張られていく縄。普請に励む人々。子供達が駆け回り、町の外では田畑で精を出す百姓らの姿がある。

 さらに西の唐津へと伸びる街道は海に近く、豆粒くらいの人馬が行き交って活気を感じさせた。

「博多に、これだけのひとが……」

「お前たちの成したことよ。おれはきっと、これが見たかったのだろうな」

 秀吉の顔には、一面の満悦らしい微笑が浮かんでいた。

「宗湛。日の本は、おれのものよ」

 秀吉は、町割で賑わう博多の奥――背振山地せふりさんちのさらに向こうを見据える。けぶって薄青い山奥の稜線りょうせんを見つめ、宗湛にだけ聞こえるように呟いた。

「日の本はおれのものであり、その日の本にはお前たちが居るのだ」

 この言葉を聞けただけで、宗湛の胸がすく。

「宗湛。今後も博多衆には苦労をかけよう。だが、りずについてきてくれや。おれは日の本を統一した後、唐入りに移る。お前はここに天下一の町をつくれ」

「御供致しましょう。この町を立て直すためならば」

「博多にいるとな、思い出すのよ。土と風の匂いが取れないこの町にたたずんでおると、信長様に仕える猿であったころのおれに、戻ってしまいそうになる」

 秀吉はきびすを返して今度は千代の松原を見下ろし、青海原あおうなばらへと視線を移した。風が陣羽織をなびかせる。

「博多復興、気張れよ」

 宗湛は感謝の念を抱いて一礼し、高台から一面の青い天を見渡した。

 秀吉の大望と宗湛の願いが、その後成就したと言えるかどうかは、わからない。二度目の朝鮮出兵の最中に秀吉はこの世を去り、日の本の貿易の要もまた、やがて博多から長崎へと移っていく。

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Lsbd:天正十五年の博多《砂浜に町を描く男》 ななくさつゆり @Tuyuri_N

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