Lsbd:天正十五年の博多《砂浜に町を描く男》
ななくさつゆり
神屋宗湛《砂浜に町を描く男》
一.
「あれか」
あの二羽が、先ほど海へ飛び出した影の正体に違いないと、男はひとりで納得する。二羽の鳥は空でやがて黒点になり、
男は、白砂の浜に身を
浜辺に寄りそって広がる
後ろから、その男を呼んで低く太い声が飛んでくる。
「
呼ばれた方は、白砂に線を引くことを止めてふり返った。
「おや、
法衣を着て頭を丸めた男が、松の影から砂を踏んで歩み出てくる。
男は
「間もなくだ」
「では、関白様が?」
「じき、
徳太夫は指先までしゃっきりとした仕草で貞清を促した。
さらに、
「
と、短く言い切る。今度は貞清が頷いた。
「にしても、徳さん。そんな怖い目をした坊さんがどこにおりましょうか」
貞清は、徳太夫の人を
「俺は普段通りよ。
「
このふたりは
「島井の徳さんなら、眼光一つで財を
「であれば、だいぶ楽なのだが。
貞清は冗談を講じてみたまでだが、さらりと
「この博多で、
この境地に対する共感が、二人の足並みを同じ方角に向かせていた。
徳太夫と貞清は、自らが乱世に生きる商人であることを自覚している。堺衆にしろ、博多衆にしろ、この時世に生きる商人が大名らに接近して成りあがるには、
貞清としては、この男が京の
「
と、言って宗室は鼻を鳴らした。
「それは確かに」
貞清もまた、その言葉に反論する気は毛頭ない。実際、にわかづくりの
「結局、私も徳さんも、町と商いが先にあるのです」
「そういうことだ。お前もまた、
「ええ。今や博多衆、
宗湛は煤けた木の棒を手放した。棒は先端が僅かに
「で、貞清。足もとのそれは、もしや
宗室が、白砂に記された線の群れを一瞥して尋ねる。
「ええ。
宗湛は、持ち前の伸びやかな表情で柔らかい笑みをつくり、砂に残した図らしきものから、前方の海へと視線を移した。
宗室もまた、固い頬を緩め、
「道理よ」と言ってふっと笑う。
「焼け落ちて荒れた博多を、いまいちど
宗湛は
「さァ、たて直しましょう。この焼け果てた博多を」
さらりと言ってのければ、宗室は力強く頷く。二人は白浜の砂を踏みしめて歩きはじめた。海にそって立ち並ぶ松原の奥には、焼け落ちたあばら家が幾つか在るだけ。
二.
博多の町の外では、
それらに加えて今は、
「存外、博多は元気ですなぁ」
町は荒れているが、博多に漂う
宗室と宗湛は、博多と同じ
「貞清。
すると、宗湛は、
「心にもないことを」
と、返事して肩を
「やれ屋敷だ、やれ褒美だ、などというものは、荒れた博多を戻したあとのこと。しばらくは、
この頃、関白秀吉は
道すがら、松の下で座談する武士の姿を見かけた。千代の松原一帯に諸将の陣屋が設けられ、そこら中に
ふと、二人が足を止めた。
不意に
「あの童らはもしや、
宗湛がぽつりと尋ねれば、宗室もまた大して関心もなさそうに淡々と頷いた。
「で、あろうな。今日は
博多の気風に似つかわしくない、きめ細やかな黒衣と白い肌が遠くにいる宗湛の目につく。
「見ろ。先頭に南蛮人がいるだろう。
「博多の子ですか」
「よりけりだ。戦で親を失ったのもおれば、売られてきたのもおると聞く。奴らはそれらを世話して、他所の田を手伝ったり、
宗湛は思わぬ答えに感心して「ほう」と息をもらした。こうして二人が話す間も、子供達は
「町の外れに奴らの教会ができたろう。博多衆から見れば、どこの者とも知れない奴らの寄り合いに過ぎん。元より博多で
各地で急激に信徒を増やす
「そんな耶蘇だが、大村領では相当な
「宣教師が日の本の土地を? さようなことがあり得るのですか」
「耶蘇の道徳においてはあり得るのだろう。存外、
急な宗室の言に、宗湛は小さく首を縦に振る。
「性に合いませんでな。人買いなら幾らでもおりましょう……」
「そういうことだ。俺もそうだ。だが、奴らはそれをやるぞ。あの童共も、先がどう在るのかわからん。荒れてしまった今の博多では、ああいう輩を御するのもままならんのだ」
宗室はあくまでも、自治都市としての博多の機能に強い自負を抱いていた。すれ違う武士や異国人を睨みこそしないものの、目を閉じたり細めたりして、持ち前の鋭利な眼光を放たないようつとめている。
「徳さん。今は、関白様の凱旋により活気が戻りつつあります。それにあやかり、再起しましょう」
「そこは否定せん。今一度、
鳥居が見えてきた。そのまま二人は、
三.
参道を
宗湛らは、神殿の前で
博多衆の二人は
「おう。
昼日中の日射しが、
「凱旋なされて幾日か経ちますが、博多はいかがにございますか」
秀吉は満足げに「良い」と頷いた。その振る舞いからただよう和やかな気風に、宗湛は安らぎを覚える。
「
宗湛らの表情がほぐれたところで、秀吉は身をずいと乗り出し、
「後は、焼けた町の再興だけよ」
と、誘い出すような声で言った。すかさず眼の色を変え、鋭く諸将の方を見やり、
「
掛け声と共に黒田官兵衛が
「宗湛、宗室。もっと近くに寄らんか。ここは博多衆が意見を申す場である」
進み出た二人が目にしたのは図面だった。線を
「この
図面に見入る宗湛が漏らした声。秀吉は
「これから生ずる博多の町だ。早速だが、この場にいる者に博多の
秀吉は、官兵衛の図面をもとに、この町割の意図を
「よいか。博多の町は
図面は東西南北の十町四方を町と定め、南北に四本の広い道を敷いている。東西に縦横の
「これが
秀吉の説く博多の像は、この地を深く知る宗湛らが驚くほど博多の土地柄に
秀吉は、ひとくさり語り終えたところで、
「それから、そうだな。防備に堀を作るとよい。だな、宗湛」
「あっ。は、はい」
突然名前を呼ぶ。呼ばれた宗湛は驚いて両手を挙げてしまった。
「なんだ。そなたが一昨日にそう申したろうが。意見があるなら遠慮せず、早う申せ」
と、言って秀吉はかっかと笑う。脇に控える諸将もつられて静かに笑っていた。
であればと、宗湛は右手で胸をおさえつつ申し出る。
「この度のご高配、博多衆として望外の喜びに存じます。町割だけでも大いに
「おう。申してみよ」
「先の
宗湛の気性は、宗室と違い
秀吉は、宗湛の素直な申し出を受けて再び笑う。そして、肩を叩いて頷いた。
「よう言った。庭だけあっても意味がない。この地には、天下随一の商利を競る町になって貰うつもりでおるからの。であれば、
秀吉は治部少輔の石田三成に向かって尋ねる。
「書状を出し、
さらに三成は、宗湛らをちらりと見て言葉を続けた。
「また、博多の復興と商いを同時に進行させ、さらに盛り立てるのであれば、町割に加えて座の禁止や諸役の免除といった、
この言葉が、
「座の禁止……!」
博多を大量の人と物資が行き交うようにしなければならない。三成は、そのために楽市楽座をやろうと言い出したのである。秀吉は、初めからその腹積もりであったかのように首を深く縦に振った。宗湛と宗室は秀吉の意気を素直に感じ取り、後ずさって頭を垂れる。
続いて、官兵衛が長い木札を差し出した。秀吉はそれを受け取って二人に見せつける。
「そしてこれじゃ。
「博多……間丈」
その手に握った六尺ばかりの木の棒を、秀吉は銀山を拝むかのように眺めていた。
「この一本の延べ棒が、おれとお前らの博多を
この間丈を博多の土に差して距離を測り、杭を打って縄を張り、もういちど町をつくっていくという。
「宗室、宗湛。これだけは覚えておけ。
秀吉の声色に、先程までとは異なる力が帯び始めた。
「その先にあるのは、
格子窓から差し入る光の方へと目を向ける。
「出兵の拠点は
秀吉が足に力を入れて立ち上がった。
「これより石田三成を
一同が秀吉の命に声をあげて応じた。
秀吉は満足げに頷き、間丈をおもむろに振るう。そして、切っ先で宗湛らを指し、言い放った。
「
その大きな両の眼は、宗湛をしかと捉えている。
「そして貴様ら博多衆が、ここで大いに稼ぐのだ!」
頭の先から足の爪先まで、全身が痺れる気迫。二人は改めて両手をついて低頭し、
「我ら博多衆。必ずや、関白様のご期待に応えて見せまする」
と、覚悟を改めた。
以降は、官兵衛らと別室で膝詰めの談義に入る。時を忘れて意見を交わすうちに日が暮れはじめ、黒田家の
四.
早速、
快く晴れ渡る空の青が、水平線あたりでなだらかな海に
早々、博多に一本目の
砂に
「やはり、真四角ではならぬか」
宗湛は慣れた手つきで砂浜に簡素な図を記し、官兵衛の問いに答えた。
「日の
「となると、四角というよりはひし形か」
官兵衛が線の外に方角を書き入れる。しばらくして、松原から石田三成がやってきた。
「宗湛殿。早く町におあがりくだされ。上様がお越しになられますぞ」
眉を釣り上げる宗湛の横で、官兵衛が三成に呼びかける。
「石田殿。お主も談義に混ざらんか」
三成は露骨に嫌そうな
宗湛が町にあがると、一本目の杭を打つあたりに
宗湛は四兵衛から槌を手渡された。杭を打って始まりを告げろと四兵衛が促す。突然の役目に宗湛はたじろいだ。
「わ、私か。
そのとき天から、宗湛の耳によく馴染む秀吉の声が響く。
「宗湛! 第一打をお前が打たんでどうするか!」
目を丸くして空を見渡すと、少し離れたところに
「宗室も、腰の引けとる宗湛に何か申してやれ」
巻き添えを食った島井宗室は、肩を
「関白様のお達しである。この上ない栄誉として盛大に打ちつけられよ」
明らかに気迫の欠けた宗室の声に、宗湛はため息をもらした。
「やれやれ。他人事だと思って……」
そうしてため息をつく間にも、周囲には博多衆や近隣の百姓が様子を観ようと集まりだす。関白秀吉の博多凱旋と九州平定の報せに加え、町割による博多再興の話は瞬く間に広がった。地鎮祭のため近所の
「
雰囲気を察した官兵衛が宗湛に告げる。
「この地にはそういう風がある。宗湛。博多衆の頭は貴様であろう。さっさと始めてしまえ」
宗湛は、官兵衛と三成、そして宗室らを見渡し、
博多衆の掛け声と重なる。
「いよォーっ!」
槌を振り下ろす。観衆の声が、杭を打ちつける音をかき消した。
*
千代の松原は、今朝も海から
町割は、浜辺を含めて博多全域を覆う大規模なものになった。
「この路は
縄を張る作業や軽い瓦礫の
また、三成が発案した博多の楽市楽座が早速発布されたのも、町人の士気を大いに高めた。九か条から成る「
宗湛は自ら町割りに乗り出し、秀吉から託された博多間丈を使って測地し、杭を打つ場所の指示を出す。その姿勢が博多衆にも伝わったのか、自然と真似をする者が現れ、自ら削りだした松の棒きれで測る者もいれば、宗湛の間丈そっくりに磨いて町割りに繰り出す者もいた。宗湛は、その様子を沸き立つ思いで眺めつつ、宗室や黒田官兵衛と市小路を練り歩き、町割り談義をつづける。
「
宗室と官兵衛が人手と時間をどう捻りだすか議論するそばで、宗湛が閃く。
「いっそのこと、固めて
宗室と官兵衛がはっとして、
「これは妙なり」
と、官兵衛が唸る。宗湛もまた満足げに、通りから海の方を眺めた。
その時、物見櫓に秀吉の姿をいまいちど見かける。
「ご、御免」
今の内に改めてご挨拶せねばと、宗湛は復興が始まった町の通りを走った。小走りで櫓まで駆けつける。
秀吉は宗湛に気づき、
「おう。来てくれたか、筑紫の坊主」
その場に平伏した宗湛に「待っておったぞ」と告げ、立ち上がらせて手招きする。秀吉と宗湛は、物見櫓の高台から町割が進む博多の姿を一望した。
十町四方に張られていく縄。普請に励む人々。子供達が駆け回り、町の外では田畑で精を出す百姓らの姿がある。
さらに西の唐津へと伸びる街道は海に近く、豆粒くらいの人馬が行き交って活気を感じさせた。
「博多に、これだけのひとが……」
「お前たちの成したことよ。おれはきっと、これが見たかったのだろうな」
秀吉の顔には、一面の満悦らしい微笑が浮かんでいた。
「宗湛。日の本は、おれのものよ」
秀吉は、町割で賑わう博多の奥――
「日の本はおれのものであり、その日の本にはお前たちが居るのだ」
この言葉を聞けただけで、宗湛の胸がすく。
「宗湛。今後も博多衆には苦労をかけよう。だが、
「御供致しましょう。この町を立て直すためならば」
「博多にいるとな、思い出すのよ。土と風の匂いが取れないこの町に
秀吉は
「博多復興、気張れよ」
宗湛は感謝の念を抱いて一礼し、高台から一面の青い天を見渡した。
秀吉の大望と宗湛の願いが、その後成就したと言えるかどうかは、わからない。二度目の朝鮮出兵の最中に秀吉はこの世を去り、日の本の貿易の要もまた、やがて博多から長崎へと移っていく。
Lsbd:天正十五年の博多《砂浜に町を描く男》 ななくさつゆり @Tuyuri_N
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます