第10話

 落ち込む大成くんを見た叶内心善さんが、そっと近くに行って膝を屈める。


「落ち込まなくていいよ。大成くんの頑張る姿は、充分に伝わったからね」


 叶内心善さんに元気づけられた大成くんが、顔を上げる。


「ホント……?」

「うん。ホントだよ」


 大成くんが抱く不安を取り除こう。そんな気持ちが頭の中にあったのだろうか。叶内心善さんが、ニッコリとした笑顔を大成くんに見せた。


「ほら、大成くんも笑ってごらん?」


 お父さんの言葉通り、大成くんが笑顔を作る。しかし、その表情はどこか不自然に見えた。もしかしたら、他にも何か心配事があるのかもしれない。


「大丈夫?まだ何か悩んでいることがあれば、お父さんが話を聞くよ?」


 叶内心善さんの優しげな問いかけに、大成くんは答えず下を向いた。話したくないことなのか、話しづらい内容なのか。それは分からないが、今この瞬間にできた悩みではないことは間違いない。


「そっか。お父さん相手だと、話しにくいことなんだね。それなら、無理に言わなくていいよ」


 大成くんは相変わらず、地面を見つめている。ゲート・ナビゲーターの浜野さんからは、何があっても大成くんには干渉しないでほしいと伝えられている以上、今はどうすることもできない。叶内心善さんは、大成くんが顔を上に向ける時を、ただひたすらに待つしかなかった。


「ねぇ……」

「ん?何かあったのかい?」


 大成くんからの突然の呼びかけに、叶内心善さんが聞き返す。


「ぼく、よかったのかな。生まれなかった方が、よかったんじゃないかな」

「そんなことない。大成くんがいるから、今の私がいるんだ」

「どうして、そんなことが言えるの?」

「家族だからだよ」


 力強くも、温かみのある叶内心善さんの声。それを聞いた瞬間、大成くんの頬から涙がぽろぽろと落ち始めた。


「大成くんの気持ち全部受け止めてあげるから、こっちにおいで」

「うん」


 涙を流しながら駆け寄る大成くんを、叶内心善さんがそっと抱きしめる。


「大丈夫。私がそばにいるよ」


 その言葉に安心したのか、大成くんが、その身をお父さんに委ねる。それからすぐに、着ていた服が大成くんの涙で濡れたが、そんなことは全く気にならなかった。大成くんが、自分の気持ちを打ち明けてくれたことが、叶内心善さんにとっては、何よりも嬉しかったからだ。


 そうして、泣き止んだ大成くんに対して、叶内心善さんは、さらに心温まる言葉を口にした。


「お父さんは、いつだって大成くんのことを1番に想っているからね」

「ありがとう……」


 叶内心善さんの優しさに触れた大成くんは、感謝を示しつつも堪えきれず、再び、涙を流してしまった。あふれ出る感情を上手く抑えることが出来ない。しかし、それは、先ほどまでの涙とは異なり、心からの喜びを意味していた。


「お父さん、大好き」


 大成くんがまっすぐな眼差しで、叶内心善さんを見上げる。その瞳は、大人たちが思わず見惚れてしまうほどに、キレイな色をしていた。


「お父さんも大好きだよ」


 そう言って、叶内心善さんは、大成くんと、じっと目を合わせた。そうして不意に、大成くんが、目を別の方向へと移す。視線の先にあるのは、際限なくこの世界を照らす無数の光。大成くんはそれを見て、何を感じているんだろう。叶内心善さんがそのように思っていると、大成くんが、遠くで輝く明るい光を見つめたまま、


「見えるってすごい」


 と、ぽつり、ひとりごとを呟いた。これまで、目が見えない世界で生きてきた大成君が、今どんな感想を抱いているのか。叶内心善さんは、それが知りたくなった。


「大成くんの目には、何が見えているんだい?」

「この世界のぜんぶ」


 大成くんがそう答えながら、両手を大きく広げる。叶内心善さんは、大成くんが返答した言葉の意味について、深く考えた。


「大成くんが見ているのは、目に映るものだけじゃないんだね」

「うん。他のものだって見えてるよ」


 それを伝えるためなのだろう。大成くんが胸のあたりに手を置き、静かに両目をつむった。大成くんは、人の内面を見ることが出来る。しかし、そのことに対して、叶内心善さんはあまり驚かなかった。なんといってもここは、夢世界。大成くんの頭の中だからだ。


「でも、お父さんの顔がいちばんキレイに見える」

「そっか。それは嬉しいな」


 大成くんの思わぬ感想に、叶内心善さんが顔を赤らめる。その表情は、叶内心善さんが初めて見せた、意外な一面でもあった。


「ねえ、大成くん。これから、何かしたいことってある?」

「うーん、特に何もないかな」


 大成くんの素直な受け答えに、やや驚いた叶内心善さんだったが、本人の顔を見ても、何も悔いはないらしい。そのため、叶内心善さんは、大成くんと一緒に現実世界に帰りたいという要望を、ゲート・ナビゲーターの浜野に伝えた。


「分かりました。今からゲートを開きますので、少しだけお待ちください」


 浜野はそう告げると、ゲートに向かい、電源を再起動させた。わずかな時間の経過とともに、ゆっくりと門が開き始める。そうして、叶内さん親子を門の中に案内すると、浜野自身も後を追って、元の世界へと移動した。


 現実世界に戻ったと同時に、見覚えのある景色が眼前に入り込む。それは紛れもなく、夢世界に移動する前に目にした光景と同じものだった。浜野は、門周辺に並んで立っていた叶内さん親子を見つけ、旅の終わりを知らせた。


「本日は、これにて終了となります。心善さん、いかがでしたか?」

「忘れられない、素敵な思い出になりました。今日は、ありがとうございました」

「どういたしまして」


 叶内心善さんからの感謝の気持ちを、浜野は、謙虚な姿勢で受け取った。そして、大成くんに対しても、同じような質問を投げかける。


「大成くんは、どうだった?」

「たのしかったよ。浜野さん、ありがとう」

「うん、こちらこそ」


 大成くんにお礼を言われ、浜野も良い時間が過ごせたことを言葉で伝えた。そうすると、大成くんは笑みを浮かべながら、自分なりの思いを口にし始めた。


「ぼく、いつか目が見えるようになったら。そしたらね」

「うん、言ってみて」

「お母さんをここに連れてきたいんだ。だから」

「ゆっくりでいいよ」

「そのときになったらまた、浜野さんにお願いしたいの。いい?」

「もちろん。僕との約束だよ?」

「うん!」


 2人だけの口約束を結び、叶内さん親子と別れる。そうして、僕は1人思案した。いつか、大成くんとの約束を実行する日が来るだろうか。いや、生まれた時から目が見えない大成くんが、目の見えるようになった状態で、叶内ひとみさんと一緒に、僕のところを訪れる可能性は、とても低いだろう。


 それでも。もし、大成くんの目が見えるようになったら。もし、大成くんが、お母さんの叶内ひとみさんを連れてきたとしたら。もし、ゲート・ナビゲーターとして僕が再び、選ばれることがあったとしたら。僕は、大成くんと、叶内ひとみさんを笑顔で異世界に案内してあげたい。

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ゲート・ナビゲーター 刻堂元記 @wolfstandard

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