第6話 直人くんはいい人

「あれっ」

「どうした」

 下駄箱で左のポケットが軽いことに気づいて、上からパタパタ押さえながら慌ててえっちゃんを振り返った。

「スマホがない」

「スマホぉ? ああ、あれじゃない、さっき先生きて慌てて隠したから」

「ああ〜、机の中だあ……。ごめんえっちゃん、ちょっと待ってて、取ってくる」


 せっかく帰ろうと思って下駄箱まできたのに、まさかの教室に逆戻りとは。三階まで階段のぼるのは地味にきつい。

 それでも急いで階段上がって、教室に着いたところで中から話し声がしていることに気づいた。女子だ。まだ誰か残ってる。誰だろうと覗き込んで、うわっと焦って廊下の壁に貼りついた。これで隠れられてるかはわからないけど、……雅ちゃんだ。いつものメンバー四人で喋ってる。

 しかもこれアレだ、私が一番聞いたらだめなやつだ。


「ねえ雅、今日見たぁ!? 谷口さんめっちゃ佐伯くんとくっついてた」

「は、なに、いつ」

「生物始まる前。そこのとこでふたりでこそこそしてんの。近すぎ、まじ近かった。しかもなんかわざわざかばんから取り出して貰ってたし。佐伯くんが直接谷口さんのポケットになんか入れてんだよ。なにあれ付き合ってんの?」

「うざ」

「まじありえない」

「ここ教室なんだけど。なんなの、せめて隠れろや」

「雅へのあてつけなんじゃない、自分のほうが仲良いんですよアピールなの」

「ほんと何様のつもりなのかね。死ねばいいのに」


 めっ、めっちゃ私の悪口じゃーん!!

 やばい、死ねとまで言われている。そしてまさかのあれ見られてたのかぁ、でも違うんだよう、いや確かに近かった、間違いなく近かったんだけど、別に好きでくっついてたわけじゃなくって、佐伯くんが勝手に寄ってきただけで、私は多分なんにも悪くなーい!!

 うわあ、どうしよう。流石に今この中に入っていく勇気ないなあ。でもスマホないと家に帰れない。えっちゃんのことも待たせてるし……。どうしたらいいんだ。

 それに。

 それに、言ってしまえばいつものことかもしれないけど、正直、他の子たちが言われてるのをたまたま聞いてしまったときも結構アレだった。でもいざ自分が言われてるのをこうして聞いてしまうと……やっぱりきついなぁ。


「あれ谷口ちゃん。なんしてんの」

「えっあっわっ、しっ! しい〜っ!!」


 急に反対側から声をかけられて、びっくりして振り返ると直人くんが立っていた。部活前みたいで、ジャージに着替えてる。

 今ここで盗み聞きしてるのがバレたらやばい。私が大慌てで人差し指を口に当てると、直人くんはきょとんとした顔をしながらも私の横まできて、同じように壁に沿って立ってから聞き耳を立てた。


「っていうかさあ、谷口さん今日香水つけてなかった?」

「あーやっぱり? なんか匂うと思ったんだよ。なに急に色気づいてんのあいつ」

「まじキモイ」

「目障りにも程がある」

「やっぱ死ね」


 あはははは! と笑い声が響き渡る。

 いたたまれない気持ちになってちらっと直人くんの顔を見ると、

「ううーわ……やられてんね……。女子こええ〜」

と小声で哀れみの目を向けられた。

「どうしよう、私忘れ物しちゃって……でも取りに入れないんだよう」

「オレも実は教室に忘れ物してさ、だからついでに谷口ちゃんのも取ってきてやれたらいいんだけど、これ今ちょっとキビシイよなあ。なに忘れたん」

「スマホ……」

「おあー」

 こそこそ。小声で直人くんとやり取りをする。なんてこった、こんなところで犠牲者が増えた。

「でもさ、谷口ちゃん」

「なに?」

「香水つけてんだ。言われてみればさ、ちょっといい匂いすんね」

「ふぉっ……」

 至近距離で直人くんがにこっと笑う。囁くような小声の威力たるや。どきっとして変な声出ちゃった。でも

「く、くさいよね、ごめんね……」

 雅ちゃんたちの悪口に加えて、佐伯くんにもくさいと言われたのを思い出してしまった。無意識に一歩後退る。

 でも直人くんはまったく違う反応をした。

「なんで? いや全然。いい匂いだと思うよ。オレは好きな匂いかも」

 え、なにこの人。神なの?


「なにしてんの、あんたら」

 またしても直人くんの後ろから声がして、私と直人くんは反射的に声の方を向いた。えっちゃんだった。

「あんたのちょっとは何分かかんの、ゆり……」

「しっ! しいーっ! しい〜っ!!」

「はあ?」

 ほんの少し静かにすると、教室から漏れ出てくる声が聞こえたのか、えっちゃんはしばらく黙ってから呆れたような顔をした。

「遅いと思ったら……仕方ないなあ。夕梨香、スマホどこ? 机?」

「あ、うん」

 私が小声で返事をするやいなや、えっちゃんはなんの躊躇いもなく教室にズカズカと入っていってしまった。勇者だ!


「おつー」


「あれ、えつこじゃん。おつー。どうした?」

 なんてことないような声で挨拶してる。申し訳ないけど今の私には聞き耳を立てることしかできない。手間かけてごめんえっちゃん。声はさっきまでと同じだけのボリュームで聞こえてくる。


「あーちょっと忘れ物」

「なに、谷口さんの席じゃん。谷口さんの忘れ物取りにきてやってんの?」

「えつこもさあ、よくそんなやるよね、谷口さんってうざくない? とろいしさあ、天然ぶってるっていうか、あざといっていうか」

「えつこも可哀想だよねって今話してたんだよ」

「あー、そうさねえ」


 あははっとまた笑い声が聞こえる。

 ええ、えっちゃんそこ否定してくれないの……


「ま、確かにとろいけど。でもまあ、あたしはあんたらよりも夕梨香のほうが好きだから」


 えっちゃーん!!


 心のなかで絶叫してしまいそうなほど喜んだら、次にはガアッン!! となにやらすんごい物音が響いた。

 あまりにも大きな音でびっくりして、きゃあって悲鳴も聞こえたから、直人くんとふたりでギリギリ教室を覗き込んでしまう。

 えっちゃんが、雅ちゃんたちが囲んでいた机を蹴り飛ばしていた。っええーっ!! それなんの関係もない的場くんの席……!!


「だからさ、あたしの大切な友だちになに言ってくれてんの。ちょっといい加減にしような、雅。陰口叩くのくらいはギリ目ぇつぶるけどさ、夕梨香になんかしたらおまえのその可愛い顔、物理的に潰すぞ」


 えっちゃんの声は、それはそれは静かで低かった。これまでのどんなナンパ師にかけてきた声よりも穏やかで低かった。

 私の背後で直人くんもドン引きしている。息を呑んだ音が聞こえてしまった。もちろん私もビビっている。えっちゃんの前にいる四人なんて多分言わずもがな。


「わっわかってるよ、別になんもしてないじゃん……。こわいよえつこ……」

「わかってんの。ならいいけど。じゃあお疲れ」


 雅ちゃんの震える声が聞こえる。

 えっちゃんは、何ごともなかったかのような態度で教室から出てきた。


「ほい、あったよスマホ。帰ろ」

「あっ、ああああうんうんありがとう、あ、あのあのあのえつこさま」

「なに、どもりすぎてキモい」

 ひどい。

「好きです。嫁に貰ってください」

 ありがとうの最上級の言葉を言ってみたら、固まってた直人くんも横から乗ってきた。

「島谷ちゃん、オレも惚れそう。オレも嫁に貰って。そしてオレの荷物も取ってきて」

「いーらーねー! 直人は自分で取ってこいよ。あたしは可愛い夕梨香だけでいいの。じゃーなー」

 ぐいっと肩を組まれて、私はえっちゃんとそのまま階段を降りた。

「気にすんなよ」

とえっちゃんが頭をぽんぽんしてくれる。

 大丈夫、気にしないよ。私が気になるのは、明日えっちゃんが先生に怒られたりしないかなってことだけだよ。

 やりかたが凄すぎたけど、かばってくれたのが嬉しかった。


「えっちゃーん、大好きぃ〜」

「知ってるー。ポテト食べいこ」

「うん」

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佐伯くんがよくわからない 夏緒 @yamada8833

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