第5話 佐伯くんは距離が近い

 くさい!?

 くさい!? えっこれ、くさいの!?

「ああ、香水か。うーん……」

 佐伯くんはすっと体を離すようにまっすぐに直って、私をじろじろ見ながら眉間にシワを寄せてなにかを考えだした。そして

「ちょっと、そこで待ってて」

と自分の机に向かっていった。

「え、なに? でも理科室……」

 休憩時間終わっちゃうから、早く移動しなきゃ。そして佐伯くんも理科室行かなきゃいけないのに。

 佐伯くんは、自分のかばんを開けて中身をごそごそと漁っている。それからなにかを手に持って私のところに戻ってきた。

「はいこれ」

「なにこれ」

「あげる」

 差し出されたのは、中身が少しだけ入った、いびつな形の透明な瓶だった。なにこれ、これをくれるの?

「えっ、これ、佐伯くんの? いや悪いよそんな、」

「その匂い、あんまり好きじゃないから。こっちにして」

「ほ、ほう?」

 いや、意味がわからない。どういうこと?

「これもうすぐ使い切るし、こないだちょうど新しいの買い直したばっかりだから気にしなくていいから」

 えっ、そういう問題? そういう問題なのこれ。

「いやでも私受け取れない……」

 受け取れない、の意味を、私が両手にふたりぶんの荷物を抱えているからだ、と判断したらしい佐伯くんは、

「そっか」

と言いながら私の制服の上着の、右の外ポケットに有無を言わさずぽいっと放り込んできた。

「じゃ、明日からそれで。あ、土曜だけど、十一時くらいに図書館の正面で」

「えっ、ちょっと、ちょちょちょちょ、佐伯くん!?」

 佐伯くんは自分の言いたいことだけを言い終わると、私の話は一切聞かずに生物の教科書と筆箱を引っ掴んで、走って行ってしまった。

 右ポケットの重さが気になる。


 佐伯くんが走ったのは、休憩時間が終わるからだった。

 そして私が走らなかったのは、不思議な出来事が起きて呆けていたからだ。

 私は、ちんたら歩いたおかげでギリギリ理科室に間に合わず、先生に注意されたついでにえっちゃんからも

「なんであたしより荷物持ってるあんたが遅いのかな? あたし手ぶらなんだけど」

とにっこり叱られた。佐伯くんは、先にちゃっかり座っていた。

「ごめんえっちゃん」

 えっちゃんが取っておいてくれた一番奥の席、えっちゃんの隣に座ってこそこそと謝る。

「なに、トイレだった?」

「いや、なんか……よくわかんない……」

「はあ?」






 お昼ごはんに購買のおにぎり弁当をつつきながら、えっちゃんにさっきの佐伯くんの話をした。えっちゃんは

「なーにそれ、マーキングかよ」

とびっくりしながらサンドイッチを食べた。

「マーキングってそんな……犬じゃないんだから」

「いや犬みたいなもんでしょ。自分の匂いにしたいってことでしょ。うーわ、佐伯思ってたよりやばいやつだったかぁ。失敗したかな……。あいつもしかして夕梨香のこと好きなんじゃないの」

 えっちゃんはふたつめのサンドイッチに手を伸ばしながら、またしても佐伯くんをちらっと覗き見た。いきなりなに言ってんのえっちゃん。

「そんなわけないじゃん。こないだ初めて話したばっかだよ」

「一度話したらもう充分だって。思春期の男子なんてねえ、女子と目があったらもうそれだけでその子のこと好きだから。その子ににこってされたらもうそいつの頭のなかでは結婚式始まるから」

「ええ〜、そんなことないでしょ〜」

「男子なんてそんなもんだよ。可愛いなあ夕梨香は」

「そ、……そんなことないでしょ……?」

 流石に目があっただけで結婚式は始まらないと思う。佐伯くんなんて特にそんなこと全然興味なさそうに見えるし。でも。

 おにぎりをつついていた箸をおいて、右ポケットの重さの原因を取り出してみる。手のなかの透明でいびつな硝子瓶には、あと少しでなくなってしまいそうなくらいの量の水分が揺れている。キャップを開けると流石使い終わり。私が昨日買ったばかりのそれとは違って、キャップはなんの抵抗もなくぽろっと外れた。

 吹き出し口にそっと鼻を近づけてみると、ふわっと清潔感のある匂いがした。でも、うーんなんか、あのとき嗅いだ匂いとはちょっと違うような……。なんでだろ。

「なにしてんの夕梨香。ご飯食べてるときにやめなよ、匂いが混ざるじゃん」

「あああごめん」

 顔を上げるとえっちゃんがすごく嫌そうな顔をしていた。慌ててキャップを閉めてポケットに入れ直すとえっちゃんが

「そんなに弁当より佐伯の匂いが好きなのは別にいいんだけどさ、使うなら本当に明日からにしなよ。あんた今日自分のやつをつけてんだから、匂いが混ざったら絶対くさいからね」

と釘を刺してきた。

「べっ、別にそんなんじゃないもん! ちがう! っていうか、わかってるよ。そもそも使うかわかんないし」

 箸を持ち直しながらごにょごにょしたような声を出してしまうと、えっちゃんは呆れたように私を見てきた。

「ま、いいけどさ。んで? 土曜日はなに着てくの」

「それなんだよ」

 男子と図書館ってどんな服を着るのが正解なの。


 佐伯くんってどんな服を着るのかな。えっちゃんの私服はおしゃれすぎて全然参考にならないよ。スカートだと嫌がられる? 関係ない?

 お昼ごはんを食べ終わってからそんな話をしていると、

「なーんの話してんの、谷口ちゃん」

と、直人くんがにこにこしながら寄ってきた。バスケ部なのにちょっと日に焼けている快活な肌色のなかで、笑った白い歯が目立って見える。直人くんは空いていた隣の席の机に、座るみたいにして寄りかかった。

「直人くん。どうしたの」

「いやなんか、佐伯が今度谷口ちゃんとデートするって言うからさ。茶化しに来たの」

 なんだって。

「デート……!?」

 わたしがその言葉に慄いていると、えっちゃんが直人くんに

「佐伯がデートって言ったの?」

と聞いてくれた。ナイスえっちゃん。直人くんは、いやいや、と笑いながら顔の前で手を振った。

「そこは冗談だよ、ただ図書館にふたりで行くって言うからさ、話を聞いたら、オレが例の言い訳に使えないかららしいじゃん。だから、面倒なこと押しつけてごめんなって謝ろうと思ってさ」

 直人くんはそう、苦笑いするみたいにして顔を歪ませてから、同じ教室にいる雅ちゃんに声が聞こえていないか確認するかのように目配せした。それから、少し小さな声で

「ほんとごめんな」

ともう一度謝ってくる。多分、毎回のように佐伯くんと口裏を合わせているんだろうなって思った。

「直人くんが謝るところじゃなくない? 大丈夫だよ、一時間くらい図書館行くだけだしね。嫌なことするわけでもないし。直人くん土曜日は練習試合なんでしょ、頑張ってね」

「おう、頑張る。じゃあな」

「うん」

 直人くんは用件だけ済ますとさっさと戻っていってしまった。

 直人くんはいつもにこにこしている。誰にでも気軽に話しかけてくれるし、いい人だなあっていつも思う。表情筋が死んでる佐伯くんと正反対に見えるというか、だからあのふたりが仲良しなの、ちょっと不思議な光景だったりする。

 あ、ついでだから直人くんに着るもの相談すれば良かった。

 

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