第4話 雅ちゃんは女王さま
「じゃあ、仕方がないから、一緒に図書館行ってもらっていいか、谷口さん。ほんの一時間ほどでいいから」
佐伯くんがため息を吐く。それが一番穏便に済むなら、それでいい。
雅ちゃんのことはできるだけ刺激したくない。あとが絶対面倒くさい。図書館を張られて、嘘ついたって言われて学校で無駄に大騒ぎされたりとか、カースト上位層、例えば宇野くんとかに、あることないことないこと噂されるくらいなら「友だち同士で図書館に行きました」って事実を作ってしまえばそれでいいんだ。そして友だちは、なにもふたりきりじゃなくていい。
「ねえねえ、えっちゃん、えっちゃんも一緒に図書館行かない?」
「なーんであたしが大切なデートの時間を割いてまで雅なんかへのカモフラに付き合わなきゃいけないのさ」
「つめたい!!」
えっちゃんはぶった切る。まったくブレない。
「まあまあ夕梨香、代わりに今日の買い物は付き合ってあげるから。土曜日のこと、待ち合わせとか相談しなくていいの?」
そうだった。
それから、休み時間は短いから、取り敢えず佐伯くんと連絡先の交換だけをしてその場は終わることにした。
そして雅ちゃんが話しかけてきたのは、七限目もホームルームも終わった放課後だった。
「夕梨香ちゃーん」
にこにこしながら雅ちゃんが寄ってくる。帰らせないよと言わんばかりに私の隣の席にすとんと座ってしまった。座った拍子にグレーのスカートの、きれいに揃ったプリーツがひらりと揺れる。
「夕梨香ちゃんって、佐伯くんと仲がいいの?」
くりくりお目々で聞いてくる雅ちゃんは可愛い。
うーんこれは、どうするのが正解なのかな。
「あんまり話してるところ、見かけないよね?」
「あ、うん、あの〜、最近ちょっと話すようになってね」
本当は昨日初めて話したばっかりだけど、佐伯くんのためにふんわりごまかしたほうがいいのかな。
「ふたりで図書館行くような仲良しなの?」
「あ〜、えっと、えっちゃんも誘ったんだけど、えっちゃん都合が悪くてそれで……」
「そうなんだ〜、それさーあ? 雅も一緒に行ってもいーい?」
「えーっとね、……」
うわあどうしよう、断る理由がまったく思いつかない〜!!
「夕ー梨ー香ー、帰るよー。買い物行くんでしょー」
教室の後ろの席からえっちゃんが呼んでくれた。困ってるときに助けてくれるのはいつもえっちゃんだ。ありがとうえっちゃん!!
「あ、うん! じゃああの、またね、雅ちゃん」
「うん、ばいばーい」
にこにこしながらひらひら手を振る雅ちゃんを置いて、私はかばんを引っ掴んで机の間を走った。助かった〜、私こういうの本当に向いてない。
えっちゃんと教室を出る直前、
「うぜ」
と小さく聞こえた。気がした。こっわ。
「靴、黒で変じゃないかな?」
いくらかある種類のローファーを片っ端から履いてみて、私は結局黒にした。
「変じゃないと思うよ。安くて良いのあって良かったね」
「うん。これで明日からえっちゃんとお揃い〜」
「色だけな」
それから、買ったばかりのローファーを持って靴屋の数件先にあるドラッグストアに移動した。背面がガラスになってる透明な棚の一角にふたりでしゃがみこんで、そこに並ぶ香水の小さな試供瓶をひたすら開けて匂いを嗅ぎまくっていた。
「嗅ぎすぎて全然わかんなくなってきた」
「あるあるだね」
最初はふむふむと思いながら嗅いでいたんだけど、六種類目くらいから違いがわからなくなってきて、段々どれも同じような気がしてきた。
「えっちゃん、香水ってどうやって選べばいいの」
「自分の好きな匂いで選べばいいと思うよ」
えっちゃんはまだひとつずつ試供瓶を開けて、鼻に近づけて匂いを嗅いでいる。
そういえばえっちゃんって、時々いろんな匂いがする気がする。なんか、甘いときもあれば、制汗スプレーみたいな匂いのときとか、いろいろ。
「えっちゃんって香水使う?」
「ああ、うん。休みの日はね」
「へえ〜、どれどれ?」
「ここには売ってないよ。残念」
それは残念。ここ、安いのばっかりだしな。えっちゃんはもしかしたら、彼氏さんにお高いのを買ってもらっているのかもしれない。
「どうやってつけるの? 手首?」
「そうだね。夕梨香は初心者だから、手首でいいんじゃない。頭の上でもいいけど、あれ凄い匂うしね。こうやって、ほんのちょっとつけて、で、首のところにこうやってトントンってする」
えっちゃんは、試供瓶を使っていない、そのままのボトルでシュッと試供できる安いテスターをひとつ手にとって、実践して見せてくれた。手首にほんのちょっとつけて、それを首に軽くひっつける。試供瓶の匂いを嗅ぐのとは違って、果物みたいな猛烈に甘い匂いが急に辺りに充満した。
「初心者だから、ってことは……、えっちゃんはどこにつけてるの?」
「ん〜? 太もも」
「えっ! なにそれえっろ!」
えっちゃんが悪戯そうな目をして、くちびるだけでふわっと笑う。
なんか手首が急にえろく見えてきた。
結局私はそこら辺の誰もが持ってるような、有名な水色の瓶を選んだ。値段もそこまで高くないし、バニラみたいな甘くて可愛い匂いがする。
新しいローファーと香水をぶら下げて家まで帰り、勉強机の横にそっと置いた。どっちも明日から使うんだ。なんだかわくわくする。
でも朝になったらわくわくよりもドキドキが勝ってきてしまった。どうしよう。
誰かに気づかれるかなあ、それとも全然気づかれなかったりするのかな。先生になにか言われたらどうしよう。雅ちゃん御一行さまに絡まれるのは嫌だなあ、でももう時間がない。よし大丈夫、こんなの誰でも使ってる。
シュ、と小さく香水を手首に吹きつけて、首に押さえつけた。新しいローファーを履いていざ外へ出ると、登校途中も教室についてからも、想像以上に誰からもなにも言われなかった。
やっぱこんなもんだよね。
自分の取り越し苦労が本当に恥ずかしい。面と向かって気にしてくれたのはえっちゃんだけだった。
「夕梨香、次の理科室、ちょっと先に行っといて。あたし職員室寄っていくから」
「わかった。じゃあえっちゃんの教科書も運んどくね」
「ありがと。ごめんけど頼むね」
「うん」
えっちゃん職員室になんの用だろ。急いでるみたいだし、後で聞けばいっか。取り敢えず移動しなきゃ。
ふたりぶんの荷物を持ってガラッと教室のドアを開けると、廊下のほうから佐伯くんが入ってきた。
「あ、ごめん佐伯くん! どうぞ」
お互いに通せんぼみたいになっちゃったから先にちょっと避けると、佐伯くんは立ち止まったままなぜかこっちをまじまじと見てきた。
「どうしたの、……えっ、」
佐伯くんは、なぜか、通りすぎるんじゃなくて、避けた私のほうに寄ってきて、なんか、すごい、……近いんですけど……!!
えっ、近い、近い近い近い近い。なんでそんな寄ってくるの、ほんと近い、顔が近い、えっ、ちょっと待ってほんとにそんな近づかないで、待ってやだこれちゅーされる……
「谷口さん、なんかつけてる?」
耳もとで佐伯くんの低い声が尋ねてくる。あ、もしかしてこれ、香水の匂いを嗅がれている? それにしてもこんな嗅ぎかたってある?
「こないだはしなかった匂いがする」
「え、……あ、ハイ。あの、香水を、ちょっとだけ」
「くさい」
「はあ!?」
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