第6話 探していたもの
「──え?」
目の前にはおばあさんが立っていた。背筋がしゃきりとのびていて、長い白髪を後ろでまとめていて、顔には笑い皺が刻まれている。
この世界に、僕とペテロのことを認識してくれる人間なんて……たった一人しか思い当たらない。
「まさか──ナオミ? 僕のことが分かるの?」
「分かるわよ。あなたのことも、ペテロのことも。あなたたち二人が一緒にいるなんて、人違いのはずがないわ」
彼女は泣きそうな顔で微笑んだ。
「もう、今までどこに行っていたの」
「あの……」
「ずっと探していたのよ」
「……」
僕は何と言っていいのか分からなくなってしまった。
「僕は……僕は……」
「ちょっと、お茶を飲みながら話しましょうね」
ナオミは僕の手を取って、立ち上がらせた。
そうして行った先は宮殿であった。
「皇帝陛下!!」
側近らしき人がばたばたと走ってくる。
「お忍びで勝手に抜け出すのはやめていただきたいと、あれほど申し上げているではありませんか!」
「でも、私は民のみなさまと触れ合いたいのだもの。誰にでも、分け隔てなく」
「しかし、そのような薄汚い青年と犬などを連れ込んで……どういうおつもりですか」
「あら、ふたりは私の友達よ。こちらのヨシヤは元恋人」
ナオミはにこにことして言った。
「粗末に扱うことは許しませんよ」
「こ、恋人!? さ、ささささ、左様でしたか……」
側近の人は明らかに戸惑っていた。
「それはご無礼をいたしました……?」
「二人と話し合いたいの。客室にお茶を二人分と犬用ミルクを持ってきて」
「承りました。……お客人、まずはこちらへおいでいただけますか」
僕とペテロは、風呂に放り込まれた。僕には白い礼装のようなものがあてがわれ、ペテロは清潔でフワフワな犬になって戻ってきた。
「客室はこちらでございます」
通されたのはやはり地味な部屋だった。
僕にはハーブティーが出され、ペテロにはミルクが出された。ペテロは一心にミルクをなめだした。
「待っていたわ、ヨシヤ、ペテロ」
「うん、ナオミ……」
「その若い姿を見る限り、二人してコールドスリープに入っていたのね?」
「よく分かったね」
「道理で探しても見つからないわけだわ。それにしても、二人が天炎の災禍を生き残ってくれていて、本当によかった」
「……ナオミも、無事でよかったよ」
「ありがとう」
ナオミはやわらかい笑みを浮かべた。若い時と変わらない笑い方だ。
「あれから、何があったか話すわね」
ナオミは言った。
「私は会社の人と結婚したでしょう。でもあの男は私との子どもが欲しかっただけみたいなの」
「……そんな」
「そう。私はインターセクシャルだから、卵巣が発達していないでしょう。そのことを結婚直前に彼に打ち明けたら、彼は激高したわ。『騙したな。女でもない人間と結婚して何の意味がある!』なあんて言って、婚約を破棄したのよ」
「え!」
僕は声を上げた。
「じゃあ、結婚しなかったの?」
「ええ、婚約の話はなくなったわ。だからあなたを探したのに、あなたはいなくなっていた……。そんなこんなで天炎の災禍が起きたわ。あなたが死んだんじゃないかって、ずっと怖かった」
じわじわと、衝撃が体中に広がっていった。
僕はとんでもないことをしてしまったのだ。
ナオミが僕をひとりぼっちにしたのではなかった。僕がナオミを置いて行ってしまったのだ。
「ごめん」
僕は涙声で言った。
「僕はナオミに捨てられたと思って、何もかも投げ出したくなって……人生をやり直すことでナオミを見返してやりたいとすら思って……それでコールドスリープに。ひどいことをした。僕はナオミを裏切ったんだ」
「……その点に関しては私も悪かったわ。裏切ったのは私の方よ」
ナオミは暗い声で詫びた。
「父さんの言いぶんやお家の利益なんて無視して、あなたと一緒になればよかった。最初からそうしていればよかったのに……一度あなたを捨てたせいで、私は……あなたをまた置いて行ってしまうことになる」
そうなのだ。僕とナオミの年齢には五十年の開きがある。
ナオミは確実に僕より先に死ぬ。
僕も鼻声になっていた。
「ごめん。ごめんよ。取り返しのつかないことをしてしまったよ。ナオミに復讐してやろうなんて馬鹿なことを考えた僕が悪かったんだ」
「謝らないで。あなたたちがコールドスリープに入ったお陰で、今私たちはこうして会えているのだから」
「……どういうこと?」
「あなたがそのまま地上で生きていたら、ほぼ確実に、天炎の災禍で死んでいたでしょうね。私は運よく助かったけれど……。あの災禍の後で、再び私たちが会える可能性は限りなく低かった」
「……!」
「また会いに来てくれて嬉しいわ、ヨシヤ」
僕は胸がいっぱいになった。ナオミは優しい声で続ける。
「ねえ、ヨシヤ。一度捨てておきながら図々しいことを言って申し訳ないのだけれど……また私と一緒にいてくれる?」
僕は涙を拭って頷いた。
「うん。一緒にいよう。結婚しよう」
ナオミは目を丸くした。
「え? こんなおばあさんと?」
僕は迷わず頷いた。
「どんなナオミでも関係ないよ。僕はナオミが好きだったんだ。心底好きだった。今も変わらない……目覚めてからやっと、そのことに気が付いたよ」
「ヨシヤ……」
ナオミは立ち上がって僕のもとまで歩み寄り、僕を抱擁した。
「ありがとう。ありがとう……」
こうして僕らの婚約が決まった。
***
皇帝の夫の仕事は忙しかった。
ナオミはドゥラム地区での民意によって選ばれた皇帝だから、民との交流を欠かさなかった。いつも忙しくどこかへ出かけている。
更にこのごろは、天炎の災禍で気候が大幅に変わっていた。塩害によって食物がほとんど育たない。だから同じ帝国内で戦争が起きている。
南のドゥラム地区は、東の地区と提携しつつ、北と西の侵攻を食い止めている。
ドゥラムは車の大量生産で敵に対抗しようとしていた。僕は車工場で手腕を振るうことになった。
その合間に、僕らは二人きりの時間を過ごしている。
膝にペテロを乗せて、ハーブティーを飲んだりしながら、ゆっくりと話をするのだ。
失われた五十年間の溝を埋めるかのように。
「生きていてくれてありがとう」
ナオミはことあるごとにいう。僕はいつもこう返す。
「ナオミも。生き残ってくれてありがとう」
おわり
終末世界への扉 白里りこ @Tomaten
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