第4話
「がぅ…うぅ~……?」
どれぐらい刻が経ったのだろうか。いつの間にかテーブル席のソファに寝かされ、かけられていた毛布を退けながら、カテナはゆっくりと上半身を起こした。
「あれ…オイラ……がぅッ!?」
意識を取り戻すと同時に襲い来る激しい頭痛に、カテナは悲鳴をあげる。
「があぁぁ…ッッ!! なんだこれッ! なんだこれぇッ! オイラになにをしたぁッ!!」
カテナは両の手で頭を抱え、近くにいたクルトを恨めしい眼で睨む。
店内の掃除をしているクルトと、カウンターにいるアイシャが、目を覚ましたカテナを見た。
「あら! お目覚めねカテナ君♪」
アイシャはカウンターからコップと水の入った瓶を持ってきて、頭痛に苦しむカテナの目の前に置いた。
「飲みすぎですよ~。お酒は美味しいけど、飲みすぎると頭が痛くなったり気持ち悪くなったりするの。レオさんくらい強い男だとそういうことになったりはしないけど。まぁ、良い社会勉強になったと思うことね♪」
二日酔いという初めての経験に苦しむカテナに、アイシャはニッコリと陽気な笑顔を見せた。
「ッッ!! オイラはよわくなんかっ……あ゙ッ…」
憤りに呼応して暴れる頭痛。途端に言葉を失い、カテナは額に脂汗を流す。
「く…くっそぉ……」
苦しみに耐えられず、置かれたコップを手に取り、一気に水を飲み干した。
「ぷはぁっ……! あ…れ……? レオは……?」
大陸の極東にある港町に夜が訪れる。
月明かりすら届かない薄暗い路地に建つ「愚者の館」。灯油ランプの灯りに照らされる店内で、クルトたちは閉店作業を行っていた。
「レオさんはもういないよぉ。しんしゅつきぼつ? っていうのかな?」
クルトが答えた。
「レオさんは、この街のアウトローたちの頭ではあるけど、実際は組織を束ねようとする人じゃないからねぇ。いつも一人で自由にしているから、どこにいるのか分からないのよね」
アイシャは空になったコップに水を注いだ。
「でも、ここにいればまた会えると思うわよ。たま~に来るからね♪ それに、カテナ君のことをお願いされたの。美味しいものをたくさん食べさせてあげてね!って(そんな優しい言い方じゃなかったけど……まっ、いっか)」
アイシャはカウンターから、夕食用に作っていた牛肉の煮込みスープを、カテナの分も含め三つテーブルに置くと、カテナの向かいにクルトと共に座った。
「レオが…? ウソついてない……? さいしょ、しにたくなければうせろ、とかいってきたヤツなんだけど……。でもそんなことより! レオいなくなっちゃったの!? しかもつぎいつあえるかわかんないの!? あ゙っ、いってて……。がぅ…いきかたをみながら、そのうちこっそりなぐろうとおもってたのに…ッ」
アイシャの話が本当なのか疑い、かつ、食欲を邪魔する頭痛が伴いつつも、カテナのその眼は濃厚な香りを放つスープに釘付けである。
「って、え……。なんでオイラのまえにすわるのさ……」
「一緒にお夕飯たべよ! みんなで食べると美味しいよ」
クルトがカテナに向かって満面の笑みを浮かべる。クルトにとって、アイシャ以外の人と食事をすることは珍しい。そのため、カテナと食事することを喜んでいた。
「遠慮なくたくさん食べていいわよ。レオさんに一発痛いのを入れるには、たくさん食べて筋肉をつけないとね」
アイシャは袖をまくり力こぶを見せようとするが、頼りない細い腕が見えるだけであった。
「……ヘンなヤツら。あったばかりのきらわれものに、なんでこうもちかづいてくるんだ……。オイラがこわくないのかよ……。それはそれでムカつくけど……」
はあぁぁ、と深く溜息をついて、カテナは二人をジト目で見る。
「べつにいっしょじゃなくても、あじなんてかわんないよ。こんなことしなくても、ここのたべものはおいし…ッッ」
言いかけた言葉を慌てて口を押さえて封じ、顔を赤らめる。
「と、とにかく! レオをこえるために、しかたなくたべてやる! しかたなくだからねッ!!」
そう言うと、カテナは勝手に不貞腐れながら、程良く湯気の立つスープの器を手に取り、胸焼けに抗いつつ啜った。
裏通りの広場。レオはボロボロのソファーに座りながら葉巻を吸っている。レオの周りには数人の男たちが、地面に座って笑いながら酒を飲んでいた。
「レオの頭ぁ! 最近は東の島から来たとかいうサムライ?って奴らが、この街でデカい顔をしてるみたいですぜ!」
「あいつら気に食わねぇよ! 頭! いっちょやっちまいましょうぜ!」
男たちが、レオの空いたグラスに酒を注ぎながら言った。
「ふぅ、おいマルコ」
レオは葉巻を置いて、口を開いた。
「へい!」
「俺らの組織は何人いるんだ?」
「百人くらいですが、傘下の連中を含めると約千人くらいです!」
「そうか……マルコ、おめぇにこの組織くれてやるよ」
「へ?」
レオは葉巻を手に取り、口に咥えて立ち上がった。
「か、かしらぁ? 何を言ってるんですか?」
広場にいた男たちがざわつき始めた。
「俺はやっぱり群れるのは苦手だ。自由にさせてもらうぜ。んじゃな」
レオが歩き始めると、先程まで騒いでいた男たちは口を閉じ、動きを止めた。
「かしらぁ!」
裏通りに歩いていくレオの背中に向かって、マルコという男が叫んだ。しかしレオは何の反応も見せず、夜の闇の中に消えていった。
レオニードはアウトローの象徴である。
予測不可能な自然災害、常識の通じない論理の破綻者。
レオを知る人物は、彼のことをそのように見るだろう。
しかし、彼の行動原理は至ってシンプルである。
好きな時に、好きなだけ酒と葉巻を楽しみ、邪魔をする者はただ殴るのみ。
自由を愛するが故に、自由という鎖に縛られた男。
しかし彼は、獣人の少年に出会ったことにより、彼を縛る鎖に亀裂が入った。
自分には不要と思っていたはずの枷を背負うことで、鎖は自らを縛るものではなくなり、新たな道を示す道標となる。
レオはまだそのことに気がついていない。いや、気がつかないようにしていた。
「けぇ、そんなことあるかよ」
レオは渋い顔で、葉巻を咥えたまま口から煙を吐きながら言った。
レオがカテナに会ってから約一週間が経った。
ぎぃ!
古い木の扉が開く。鈍い音が店内に響く。ここは街の裏通りにある小さな酒場「愚者の館」。
カウンターでグラスを磨く女性アイシャ、テーブルを一生懸命タオルで拭いている少女クルト、一番奥のテーブルで骨付き肉をかじる獣人カテナ。
三人が開いた扉の方を見た。扉の前に立っていたのは二メートルを超える巨漢レオであった。レオはポケットに手を入れたまま、奥にいるカテナに目をやった。
「あ、レオさん♪」
アイシャが笑顔を見せる。
「れ、レオーー!!」
カテナは食べていた肉から手を離し、牙をむき出しにして、座っていた席からレオに向かって跳び上がった。
カテナの強く握りしめられた拳が、レオの顔に直撃する。
「カテナくん!!」
店内にアイシャの声が響いた。
レオはカテナの拳を受けてもなお、手をポケットに入れたままである。
「けぇ!」
レオは口から少し垂れた血を親指で拭った。
「一週間前に比べて、だいぶ成長したようだな。いい仕事をしたなぁアイシャ」
レオの言うとおり、枯れ枝のようであったカテナの細い体は、一週間で一回り大きくなっていた。まるで野生の獣のような、闘争に必要なだけの筋肉を纏った肉体である。
「がうぅぅ!! まだダメなのかッ!!」
まるで怯まないレオを見て悔しそうに唸り、カテナは素早く飛び退いて距離を取った。
「よゆーかましちゃってさ!! ほんっとヤなせーかくしてるよ!! いままでどこいってたのさ!? オイラがたおすまえにヤラレてたらどーしよーかとおもってたよ!! や、かんたんにしぬとはおもってないけど!! でもなにがおこるかわかんないんだからね!! レオってばいっぱいうらみかってそーだもん!! なんにもわかんないままかえりをまってるオイラたちのキモチもかんがえてよねッッ!! バーーーカ!!」
今までの鬱憤を晴らすかのように、カテナは怒濤の勢いで捲し立てた。
「けっ、ずいぶんと饒舌にもなったもんだ」
「ほんと、カテナ君の言うとおり、どこで何していたのかしら?」
アイシャは、カテナが座っていたテーブルにグラスを置いて酒を注ぐと、こちらへどうぞと言うようにソファーに手をかざした。
「生意気な麻薬組織があったんでな、二つほど潰してきた」
ソファーにドン!と腰をかけるレオ。アイシャが目を凝らすと、レオの体には小さな傷が無数についていた。
「そうですか、無事で良かったです」
アイシャは優しく微笑んだ。
「おい、カテナ!」
レオは少し強い言葉で、獣人の少年の名前を呼んだ。
「お前、俺とくるか?」
レオは葉巻に火を点け、口に咥えた。
「この街だけじゃねぇ、世界をお前に見せてやる。そして、お前の生まれ持った強靭な骨格と闘争心に、俺のパワーを加えてやるよ。誰よりも強くしてやる。この俺よりもな」
注がれた酒を一口で飲み干し、レオは再び口を開いた。
「強くなれば何でも出来る。人間への復讐か、お前を捨てた親への復讐か、俺をぶっとばすか、何でも出来るぜ」
「それに、いつか出来る大切な人を守るかでしょ?」
にっこりと笑顔を見せながら、アイシャは空になったグラスに酒を注いだ。
「……!!」
予想していなかったレオの言葉に、カテナは目を丸くした。
「……レオからそんなこというなんて、まるでちがうヒトみたいだよ? オイラのこというまえに、レオのほーこそまえとかわったんじゃない? まえのレオなら、オイラにえらばせないで『オレとこい』っていいそうだし。いったいどーしたのさ? ……まっ、きーたところで、べつに『オレがそーおもったから』とか『オレのかってだ。じゆーにやりたいようにやる』とかなんとかいって、まともなりゆーなんてきけないだろーけど」
そしてカテナは一呼吸置き、ソファーの端からずいっと身を乗り出してレオに顔を近づけた。
「あのね! レオがなにかんがえてんのかぜんっぜんわかんないけど! きかれなくてもオイラはそのつもりなのッ! こんかいだって、はなれるつもりなかったのにさ! ぎゃくに、ついてくるなっていってきたとしても、ぜったいあとつけてくつもりだったし! それでつよくなって、ニンゲンたちをみかえして、それで……レオもたおすッ!!」
言い終わりと同時に、カテナは再度レオの顔面に向けて硬く握りしめた拳を撃ち出す。
「けぇ! ほんとよく喋るようになったな。これもアイシャとクルトの教育の賜物ってかぁ?」
やれやれといった感じに葉巻をふかすレオに、グッド!とポーズをとるアイシャ。
「俺ぁ群れるのは嫌いだだが、お前とならおもしれぇ喧嘩が出来ると思っただけさ」
グラスに入った酒を一口で飲み干すと、レオは立ち上がった。
「さぁて、行くか」
「どこへいくのさ」
カテナが食べかけの肉をかじりながら言った。
「国境を渡った先にあるジャングルだ。喧嘩相手にも飯にも困らねぇ」
「……なんか、もうみてきたみたいないいかただね? がぅ、いーよやってやろーじゃん! オイラたちにむかってくるヤツらは、みんなかえりうちにしてやるッ! レオはオイラがたおすんだから、それまでやられないでよね! だから、その…なんてゆーか……」
カテナは一度口籠もり――。そして強い意志を秘めた瞳で、レオニードをしっかりと見据えて叫んだ。
「これからよろしくっ! レオ!!」
「あぁ、俺の生まれ故郷だ。毒虫、猛獣、ゲリラとわんさか出てくるおばけ屋敷さ。楽しみだろ?」
レオはカテナを見て笑みを浮かべ、カテナの頭をグシャグシャと力強く撫でた。
愚者の館の扉を開け、出ていこうとする二人。
「カテナ! 気をつけてね……」
クルトが心配そうに声をかける。カテナは一度だけクルトのほうを向き、尖った犬歯を見せた。それは笑顔だったのかは分からない。
「まぁ、アムールの獅子といわれるレオさんがいるから大丈夫でしょ♪ レオさん! カテナ君! 無事に戻ってくるんだよ~! およよよ……」
アイシャは、ハンカチで目元を拭くという泣き真似をしながら手を振った。
レオはそれに応えるように、振り返らず片手を上げた。
「ほら! レオ! ちんたらあるいていたらおいていくよー!」
「けぇ! 道もわからねぇくせに調子に乗るな、カテナ!」
こうして、獣人とアウトローという不思議なコンビの旅が始まった。
それでは、彼らの新たな旅立ちを、ウォッカにて祝杯としようではないか。
おわり
愚者の館 鳥位名久礼 @triona
★で称える
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