第3話

「えと……もいちど……あなた、お名前はなに?」

 がつがつとチーズを貪り囓る少年を、クルトはしばらくじっと見つめて、ぽつりと訊ねた。

 少年は一瞬ピタリと手を止め、クルトを睨んだ。

「……。オマエにいうよーななまえなんてないよ」

 それだけ言うと、少年は何事もなかったように再びチーズを食べ始める。

「ん~……」

 少年の反応を見て、クルトは人差し指を口元に当て、やや上の方を向いてしばし考えて、

「お名前ないと呼びづらいし……んっ、決めた!」

 ふと思いついたように手のひらと握り拳を胸元でぽんと叩き、小さな右手のひらを少年の方へ広げて向け、元気良く言った。

「カテナ! あなたは今日からカテナっ!」

「ッ!? ゔっ、げふッ! ごふッ!! がふぅッ!!」

 突然名前を付けられ、驚きと共に盛大に咽せる少年。先程傍に置いた酒のボトルを咄嗟に摑み、残りを一気に呑み干した。

「はぁーっ、はぁーっ……」

 落ち着きを取り戻そうと必死に息を整える。

「~~~~~!!」

 クルトをキッと睨み、文句の一つでも言ってやろうと息を吸ったが、半ば混乱していて言葉が思うように出てこない。

 吸った息を溜めに溜め、やがて結局文句の言葉は出ないまま、はあぁぁ、と大きく息を吐いた。

「……べつに、すきによべばいーじゃんか……」

 言葉や態度で威嚇しても引かないことを既に目の当たりにしているため、諦めたように言うと、ぷいっとそっぽを向いた。

(カテナ…カテナか……。いまからオイラは、カテナなんだ……)

 獣人の少年は――カテナは誰にも見えないように、少しだけ微笑った。

「そうっ、それ!」

 少年の反応を聞いて、クルトはぱちんと手を叩いた。

「『勝手に呼べば……』って感じだったから、わたしも“勝手な・・・”名前付けたの。勝手気ままな感じの子だし、ちょうどいいよね♪」

 クルトはくすくすと笑いながら言った。

「う、うるさいなっ! レオよりずっといーでしょ! レオもオマ……クルトも、それに……それに、ニンゲンだって、かってだ……」

 カテナはテーブルの上に顎を乗せてペタンと伏せる。

「あ、なまえっていえば……」

 カテナはふと思い出したようにレオを見た。

「クルト、アイシャ、カテナ……みたいなのとちがってさ。『レオノカシラ』って、なんかかわったなまえなきがする。なんてゆーか…ながいっていうか、いいづらいっていうか……」

「俺の名はレオだ、適当な呼び方すんじゃねぇよ。まぁ、なんて呼ぼうが知ったこっちゃねぇがな、カテナ」

 レオはカテナと名付けられた少年のグラスに、自分が飲んでいた酒を注きまながら言った。

「がぅ…? え、だって、そばにいたナカマが、レオノカシラ、レオノカシラって……まぁいーや。これからはレオってよぶ」

 カテナは答え、レオに注がれた酒をぐいっと飲んだ。

「クルトはずるい……。ニンゲンといっしょにいきてけるの、ずるいよ……。なんでだよぉ…オイラがなにしたってゆーんだ……。なんであんなめでみられなきゃいけないんだ…なんでけっとばしてくるんだよぉ……」

 カテナは顔を真っ赤にしながら涙し、ぐずり始める。

「……わたしだって、居場所は無いよ」

 クルトは少年の横顔を見つめつつ、ぽつりと言った。

「お母さんが遺してくれた魔法と、人間のおじいちゃん・おばあちゃんに育てられたから、人間のふりするのがちょっと上手いだけ……正体がばれたら、人買いにさらわれて見世物にされるか、“長寿の秘薬”にでもされちゃうか……だから、いつもびくびくして身を潜めて暮らしてるの」

 そこでクルトは、改めて少年カテナの方を向いて、人差し指を頬の横に立てて続けた。

「人間とうまくやってくコツはね、人を信じることと頼ること! ん~まずその前には、いい人か悪い人か見極めるテクニックがいる……それが一番難しいんだけど……」

 少し考えるそぶりののち、クルトは続けた。

「人間はほんとおもしろい生き物でね、いい人・悪い人・強い人・臆病な人……一人ひとり、いろんな人がいるんだよ。“ニンゲンはみんな敵~! あっちいけ~!”って態度だったら、味方になってくれるかもしれない人も怖がって逃げちゃうよ」

 そこまで言うと、クルトは再び人差し指を立てて言った。

「あなたに……カテナにいま一番必要なことは、“愛嬌”……かな。愛嬌は強いよ~! どんなに怖そうな人でもたいがい“いい人”にさせちゃうから♪」

 言い終えると、クルトはその場でくるりと一回りしてウインクした。

「だから、まずはわたしとお友達になろっ♪」

 最後にクルトは、広げた右手のひらをカテナに向けて差し出し、ニコッと微笑んだ。

「あいきょ~? あいきょ~ってなんら~? わかんないけろ、いいやちゅにさせる、ぬぁ~んてウソらぁ~……。そんなにいうんならぁ、レオをいいやちゅにしれみれよぉ~……。それまれオイラぁ、しんよ~しないろぉ……」

 虚ろな眼で全く呂律が回らなくなったカテナは、差し出されたクルトの手に対し、縦向きに軽く往復ビンタしているかのようにペチペチと叩きながら答えた。さながら、何度もお手をする犬のようにも見える。

「けぇ! 幸せ者じゃねぇかお前ら! クソガキは残飯とはいえ裏通りのレストランの旨い飯が食えた。チビガキは育ての親がいた。それ以上の幸せがあるかぁ?」

「えぇ~~…なんれぇ? なんれまたクソガキっれゆ~のぉ…? さっきカテナってよんれくれたらんかよぉ……。カテナがいい……。クルろがつけれくれた、カテナがいいよぉ……」

 笑いながら葉巻を吸うレオを、アイシャはカウンターでグラスを拭きながら見た。

(たしか、レオさんは生まれてすぐに反政府軍のゲリラに売られたと聞いたことあるわ。そのゲリラはクルトちゃんくらいの歳の子どもたちを麻薬漬けにして、上司に忠実な怖れを知らない戦闘マシーンにしたという。アウトローのカリスマであるレオさんが人身売買にも麻薬にも手をださない理由はおそらくそれが原因)

 アイシャは少し悲しそうな顔をしながらレオを見続けた。



 アイシャの説明通り、レオは生まれてすぐにジャングルを根城にする反政府ゲリラに売られた。六歳になる頃には麻薬漬けになり、幾度となく政府軍と殺し合いを繰り返した。

 食事は一日一度。カビの生えたパンが一つ与えられるだけだ。栄養価の高い食事は全て大人たちが食していた。

 体力も知恵もない。ただ政府軍を殺すためだけに育てられた麻薬漬けの子どもたち。病気や麻薬の中毒症状、政府軍との戦闘で、毎日当たり前のように死んでいく子どもたち。

 レオは死に対する恐怖などの感情はなく、「あぁ、今夜は食い扶持が少し増えるかな」くらいであった。

 ある日、レオは政府軍の死体のそばに落ちていたパスケースを見つけた。血で染まったケースの中には、笑顔で写る家族写真、また、美しい緑に囲まれた木のぬくもりがある家の前で写る子どもの写真が入っていた。

 レオは生まれてからジャングルを出たことがない。笑うことも大きな喜びもない世界。泣くと木の棒で叩かれるため、泣くことも許されない世界。レオはここが世界の全てだと思っていた。

 しかし、本当の世界の美しさを知った。

 笑顔のある家族が欲しい。

 争いのない生活が欲しい。

 そう思ったのだろうか。

 いや、レオは違う。ただ自由が欲しかった。まだ見たことのない世界で自由を欲した。

 十歳になる頃だろうか。レオは上官を、政府軍との戦闘中に後ろからナイフで刺し殺して逃亡した。それからは、政府軍からも反政府ゲリラからも命を狙われる日々を過ごすことになる。

 それだけではない。厳しいジャングルの環境や、猛獣や毒虫なども、レオの命を脅かした。

 ゲリラにいた頃の方が安全といえたが、レオは生まれて初めて過ごした一人の夜を笑って過ごした。

 麻薬の後遺症に苦しむ日々も続いたが、それでもレオは自由を楽しんだ。

 それから二年。レオはついに政府軍と反政府ゲリラの包囲網を抜けて、ジャングルを飛び出した。

 山、湖、草原、砂漠、海、街、そしてそこで暮らす動物や人々に、レオは歓喜した。

 何年もかけて、大陸中の国々を見て回った。

 その道中で、レオの強さに惹かれたアウトローたちがレオの元に少しずつ集まり始める。

 そして現在、ヴラディミロフスクの街を裏で支配する、レオを筆頭とした巨大アウトロー組織となった。

 しかし、レオにとって組織や仲間などはどうでもよかった。自分の邪魔をしなければ勝手にしていればいいと思っている。レオは今でも、一人の自由を楽しんでいるのだ。



「愛嬌は、人と仲良くしようとする態度を示すこと。微笑んだり、あいさつしたり、握手したりすることだよ」

 クルトは再び人差し指を立てて言った。

「“悪い人”を“いい人”に変えるのは、かなり難しいよ……それに、悪い人かいい人かは、“その人にとって”のことだからね」

 そこでクルトは、ちらっとレオの方を向き、再びカテナに向き直って言った。

「でも、レオさんはわたしにとって、いい人でも悪い人でもないかな、今のとこ。とりあえず、わたしがハーフエルフだって知ってても、わたしを人買いに売ったりしてないからね!」

「まぁ…らしかに、レオはなんれゆーか……ヘンなニンゲンらよねぇ……。オイラがみれきたニンゲンとは、れんれんちがうってゆーか……。らからこそ、オイラもきにらって、そばでみれみたくなっれ……。れも、ニンゲン、ころしてたお…? それれも、わるいひと、ちがうんら…?」

 カテナはすっかりへべれけで、呂律も回らぬ口で、クルトの言葉に同意と疑問を返した。

「おい~酔ってんのかぁ? けぇ、高い酒を味わいもせず飲むからだよ」

 それを見て、レオはからからと笑いつつ自分の杯を一気に飲み干した。

「よ…う? あー…なんかふわふわするろぉ……なんれぇ? レオも、さけ、のんれるのに、オイラらけぇ…? もしかしれ、なんかいれてらなぁっ!? ゔぅ…く…そぉ…オイラと…しらことら……だまされ……ゔぅ……。そ、それれもっ…レオにっ…オイあ、まけないッ…!!」

 テーブルに突っ伏したまま顔だけをレオに向け、カテナはしょぼしょぼな眼でレオを睨んだ。

「負けねぇか、いい根性してるぜ」

 ズーティの肉を食べ終えたレオは、吸いかけの葉巻に手をつけて大きく吸った後 トイレに向かって歩き始めた。

 トイレに向かう途中でアイシャとすれ違う。

「アイシャ 金は置いていく。カテナを一週間、一日何食でもいい。好きなもんを食わせてやれ。一週間、好きなだけな。喧嘩に強ぇやつは、結局は飯をたくさん食っているやつだ。あいつは伸びるぜぇ」

 レオは少しだけ笑みを浮かべた。


「レオさん!」

 レオがトイレから出た瞬間、アイシャが叫んだ。

「あぁ?」

「ひひっ! 油断したなレオ!」

 レオがトイレに行っている間に客として訪れた中年の男が、レオに向かって飛びついた。レオの腹部には短刀が突き刺さっている。

「ひひひ! ひひ! えっ? あれ? ぬ、抜けない」

「ふぅ。刃が短い、力もない。これじゃあ俺の腹筋は貫けねぇ。カテナの爪のほうがマシだぜ」

 レオは表情を変えずに、右手で男の頭を摑むと、そのまま男の首を180度後ろに捻った。

「まだ俺に喧嘩を売る奴がいるとはな。飽きねぇ街だぜ」

「レオさん! 手当を!」

 レオは腹部に刺さった短刀を抜くと、店の中にあるゴミ箱へ放り投げた。レオの服が少し血で染まっていく。

「営業妨害しちまったなぁアイシャ。こんなもんかすり傷みてぇなもんだ」

 レオは新しい葉巻に火をつけて口に咥えた。

「んじゃ、カテナのことは任せたぜ」

 レオはアイシャたちに笑顔を見せると、襲ってきた男の骸を担いで店を出ていった。

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