最終話 私とクリスの関係

「さあ、無事に結界が張れたお祝いもかねて、舞踏会を再開しよう!」


 パルナール王子がそう声をあげた。


 正直私は、結界を守った安心感もあり、もう舞踏会などどうでもいい気持ちになっていた。

 体が疲れ切ってしまっている。

 魔力も使い果たし、今はゆっくりと休みたい。


 けれど、みんなは違った。

 結界が張られたことで、お祭り気分になっているようだ。


「クリス、私もうクタクタ」


「俺もそうだよ」

 隣りにいるクリスがうなずいた。

「俺も、結界を張ることに力を使い果たしてしまったよ」


「でもみんなは舞踏会を楽しみにしているようね」


 すぐ向こうでは、はしゃぎまわるオーウェンとその相手をしているミミがいる。

 そうだった。

 これは、ダブルデートでもあるんだ。

 ミミとダンが仲良くなれるようにしないといけないんだ。


「もう踊ることはできないけれど、ゆっくり休みながら舞踏会を楽しませてもらいましょう」


「そうだね。せっかくの舞踏会だ。みんなが踊る姿を見ているだけでも楽しめるよ」

 クリスも同意した。


  ※ ※ ※


(クリスside)


 クリスはミミに言われたことを思い出していた。

 大学の授業が終わり、校庭のベンチでゆっくり座っていると、突然ミミが現れたのだ。


「クリス、あなたにどうしても話しておきたいことがあるの」

 ミミはそんな言葉をつぶやいた。


「なんだい?」


「アナスタシアのことよ」

 そう言うとミミは続けた。

「クリスはアナスタシアのことを好きなんでしょ」


 突然の話で驚きながらもクリスは素直に答える。

「うん、そうだけど」


「けれど、アナスタシアのことはあきらめた方がいいわよ」


「どうしてだい?」


「あの娘は、男の人と付き合うつもりはないらしいの」


「確かに男はいらないと普段から言っているね。でも、どうしてそんなに男性を遠ざけようとしているのだろう?」


「それはね」

 ミミは一呼吸置く。

「それは、男の人に対して、消しされない嫌な記憶が残っているからよ。アナスタシアは男の人と付き合うのが、怖くて仕方ないのよ」


「……」


「あなたも知っているでしょ。アナスタシアが婚約していたことを。あの貴族と婚約までして、簡単に捨てられたことを」


 クリスはずっとアナスタシアのことを見てきたので、そのことはよく分かっているつもりだった。


「アナスタシアはミカエルと付き合ったことで、深い傷を負っているわ。そして、その傷は、簡単には癒えないものなのよ。だからアナスタシアは一生一人で生きていくと決心しているのよ」


「確かに、アナスタシアは心に傷を負ってしまっているかもしれない。でも、その傷を、俺の力でなんとか癒やすことはできないかと思っているんだ」


「駄目よ。男の人が近づくのは良くないわ。今はアナスタシアをそっとしておいてあげたほうがいいの」


「そうかな。俺はアナスタシアに、世の中ミカエルのようなひどい男ばかりではないと気付いてもらうことのほうが大切だと思っているんだけど」


「それは無理よ」

 ミミは続けた。

「アナスタシアは心だけが傷ついているわけではないのよ。アナスタシアとミカエルは心だけではない関係だったの。だから、アナスタシアは、クリスのことを遠ざけているのよ。クリスが近くにいるとつらいんだと思う」


 アナスタシアとミカエルは心だけではない関係。

 それがどういう意味なのかは、聞かなくてもよくわかる。

 そうだったんだ……。

 正直、そこまでの事実は知らなかった。

 そういえばアナスタシアはよくこんなことを言っていた。

『私はクリスと付き合う資格などない女だ』と


 そういうことだったのか。

 クリスの心は、嵐の中の波のように大きく揺れはじめたのだった。


  ※ ※ ※


(アナスタシアside)


 舞踏会がはじまると、結界が破れかけていたことなどなかったかのように華やかな空気が流れ出した。

 ドレスに着飾った女性たちが男性にエスコートされて踊っている。

 そんな中、ミミがクリスに近づき、こんな言葉をかけてきた。


「クリス、私と一緒に踊ってくれない?」


 えっと思った。

 ミミはダンと踊りたいはずじゃなかったの?


「ミミ、俺はもうクタクタなんだ。踊る力なんて残っていないよ」とクリス。


「そんなこと言わず、せっかく舞踏会に来たんだから、ほんの少しだけでも踊りましょうよ」

 ミミは引く気のない様子だった。


「わかったよ。ほんの少しだけなら踊るよ」

 クリスはそう言うと、椅子から立ち上がった。


 二人が手を取り合って、音楽の中に溶け込んでいった。


「ねえ、僕たちも踊らないかい?」

 気づくと私のとなりにダンがいた。


「マジックライトの時、一緒に踊れなかっただろ。僕はそれがずっと心残りなんだ。今、一緒に踊ってくれないかい?」


 そうだった。

 ダンには悪いことをしているんだ。

 みんなの前でダンスを断ってしまったんだから。

 今だけ、少しの間だけ、ダンと一緒に踊ってもいいのかな。

 そんな気持ちが私を動かした。

 スッとダンの手が伸びてくる。

 ダンの手に私の手を重ね、私たちは踊りの波の中へと足を進めていった。


 本当はミミとダンが踊らなければいけないのに。

 なぜかミミはクリスと踊り、私はダンと踊っている。

 友達なんだし、楽しいはずのダンスだったが、どうした訳か心からは楽しめなかった。


 私は背中で感じていたのだ。クリスとミミの楽しそうに踊る様子を。

 なぜか、どっと疲れがたまってくる。


「ダン、ごめんなさい。やっぱり私、かなり疲れているみたい。椅子で休ませてもらってもいいかしら」


「うん、こちらこそごめん。結界を張ったところだしね。君の気持ちに気付けなくてごめん」

 ダンはやさしくそう言ってくれる。


 そのままダンに連れられて、私は自分たちのテーブルへと戻る。

 前を見ると、まだクリスとミミが踊っていた。

 二人はとても楽しそうに見えた。


 どういうこと、ミミ。

 ミミはダンが好きではなかったの?

 そう思っている時、ダンが私に声をかけてきた。


「ミミとクリス、お似合いだね」


 うん、確かに二人はお似合いだ。

 ただ、私の中では複雑な感情がわいてくる。

 何、この感情?

 クリスが私から離れていってしまう、なんだかとても悲しい気持ち。


 舞踏会も終盤にさしかかってきたのであろう。ホールを流れる音楽がしっとりとしたメロディーに変わった。

 そんな中、まだホールではクリスとミミが踊り続けている。

 なぜかその光景を、見たくないと思っている私がいる。


 ああ、こんな舞踏会、早く終わって欲しい。

 早く終わって、一人っきりになって部屋で休みたい。


 そんなことを考えている時だった。

 ようやくクリスがミミとのダンスを終え、私の方へと近づいてきた。


 そして、私の目の前に立ったクリスは、こんなことを言ってきたのだった。


「アナスタシア、最後に俺と踊ってくれないか?」


 最後に?

 もうこれで私たちの関係を終わりにしよう、そういう意味なの?


「いいわ。最後に踊りましょう」

 私は『最後』という言葉を強調し、立ち上がった。

 あんなに疲れていたはずなのに、今はなぜか気持ちが高ぶってきている。


 クリスが私に手を差し出してきた。

 私の手がクリスの手に触れた。

 繊細そうな手。

 桜の木を生き返らせた帰り道、クリスと手をつないで歩いた光景が頭に浮かんできた。


「ねえアナスタシア」

 ホールの中央に来た時、クリスが口を開いた。

「君は、どうして俺を避けているんだい?」


「……」


「俺のことが嫌いなのかな」


「そんなことはない」

 最後のダンス、思っていることを正直に言おう。

「私はクリスにふさわしい女ではないの。クリスが思っているほど清純な女性ではないの」


 あえて清純という言葉を使った。

 深い意味を込めたつもり……。


「なんだ、そんなことか。アナスタシアはそんなことを気にしていたんだね」

 クリスは平然と言う。


 そんなこと?

 クリスは何も知らないでしょ。私が汚れてしまっていることを。あなたと付き合う資格などない女なのよ。


「アナスタシア、もしミカエルとの間にあったことを気にしているんだったら、そんなこと早く忘れてしまいなよ」


 ミカエルとの間にあったこと……。


「クリス、……あなたは知っているの?」


「ああ、知っているよ。ミミから教えてもらった」


 ミミから、教えてもらった?

 私はもう何がなんだかわからなくなっている。


「アナスタシア、俺は本気だよ。本気で君のことを愛しているよ。だから、ミカエルのことなんて、俺が君の記憶からしっかりと消し去ってみせるから」


「……」


「アナスタシア、最後にはっきりとさせたいことがあるんだ」


 クリスは、またもや最後という言葉を使ってきた。

 もう本当に終わりという意味なのだろうか。


「なに?」

 私は恐る恐るたずねた。


「アナスタシア、俺と結婚してくれないか?」


「えっ?」


「俺と結婚してほしいんだ!」

 クリスは周囲を気にするでもなく、通る声でそう言った。


 私たちの周りで踊っていた人たちが、クリスの言葉で動きを止めた。

 そして、会場中の人たちが私たちを注目しはじめた。


「どうだい? 結婚してくれるかい?」


「どうして、どうしてそんな大切なことを、こんな大勢の人がいる前で聞くの?」

 私は思っていることをそのまま口にした。


「みんなの前で言いたかったんだ。パルナール王子とダンに、アナスタシアのことをあきらめてもらうために。ミミに俺が誰のことを好きなのか、はっきり分かってもらうために。フローリア様に、俺たちの結婚を認めてもらうために」


 そういうことなのね。

 クリスはあえてみんなの前でこんなことを言っているのね。


 その時だった。

 えっと思った。

 私の手が何かを感じ取っている。

 手が、震えているのだ。

 私ではない。

 そうだった。

 クリスの手が震えているのだ。

 その震えが私の手に伝わってきている。


 クリスは震えながら勇気を出してプロポーズしてくれているんだ……。


「……どうだい? 俺と結婚してくれるかい?」


 クリスはじっと私を見つめてきている。

 私は、ふと、周囲に目を向ける。

 みんなが私たちを見ていた。

 ダン、ミミ、オーウェン、パルナール王子、フローリア様、そして舞踏会に参加しているすべての人。


 なんなの、この演出……。

 これじゃあ、一生の思い出になってしまうじゃない。


 私は正直な気持ちを伝えるために口を開いた。


「私、あなたと結婚するわ……」

 そんな言葉が私の口から自然に出てきた。

 あんなに一人で生きていくと決めていたのに……。


 会場の誰かが拍手をはじめた。

 その小さな手をたたく音が少しずつ広がり大きくなっていく。

 気づけば、拍手と喝采が会場を包んでいた。


「ここにいるみんなが証人だからね」

 クリスはホッとしたように言う。

 そしてこう付け加えた。

「最後に、みんなの前でマジックライトをやらないかい?」


「私、そんな力なんて残っていないよ」


「かすかな光でもいいから、やろうよ」


「わかった」


 私の白魔法とクリスの黒魔法が、一緒になって溶けあいはじめた。

 桜の花びらのような淡い薄桃色の光が広がっていく。


「美しい光だ」

「こちらまで幸せになる光だよ」

「あの二人が作り出す結界が私たちを守ってくれているのね」

「そうだよ。あの二人がこれからも仲良く幸せでいることが、この世界の安定にもつながるんだ」

「だったら、みんなであの二人を応援しないといけないわね」


 会場からいろいろな声が聞こえてくる。

 そんな中、私とクリスは若くてとび跳ねるような光の粒子を放ち、手と手を合わせて踊り続けた。


 白と赤の磁石が引かれあうかのように、二つの光が密着していた。


(了)


─────────────


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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婚約破棄された聖女候補、男なんていらないと思ったはずなのに。 銀野きりん @shimoyamada

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