臓物スープは誰のせい

白里りこ

臓物スープは誰のせい


「寒い……」

 ソリナはマフラーを巻き直して、白い息を吐いた。夜が明けきらない空には、まだ星が弱々しく瞬いている。

「パン屋、空いているといいが……」


 高等学校への潜入という特殊任務を請け負ってから、初めての冬期休暇だった。一般の生徒たちは家に帰って休息を取るはずだが、ソリナは他に仕事もあるので学校の寮に留まっている。学食は閉まっているから、食糧は自分で調達しなければならなかった。


 昨日はひどい目にあった。朝、日が昇ってからパン屋に行ったら、既に全て売り切れていたのだ。まさか、都会の食糧事情がここまで切迫しているとは思っていなかった。結局昨日は食べものを入手できず、お腹を空かしたまま過ごすことになった。


 生まれてこの方、こんなにお腹が空いたことは初めてだった。

 物心着く前から秘密警察組織の「セキュレシティ」に拾われ、反逆者を殺すための特別な訓練を受けてきたソリナは、一応は特権階級だった。だから十分な食べ物を与えられて育ったし、一般人の生活など知る由も無かった。


(やはり、あの噂は本当なのか)

 ここ、ロマニオ社会主義共和国の大統領、ニコレスク様は、ロマニオ国民の食費を削って債務の返済に充てている……いわゆる飢餓輸出を行なっているという噂。

 そのせいで、国民の中に反逆者や浮浪者が絶えないのも事実だ。こういった貧困には反逆者が関与しているというのがロマニオでの定説だった。ニコレスク様の邪魔をする奴らがいるから、ニコレスク様も苦渋の思いで飢餓輸出を行なっていらっしゃるのだ。だから一刻も早く、反逆者を皆殺しにしなくては。


 考え事をしているうちにパン屋の前に着いた。

「あー……」

 ソリナは長い溜息をついた。

 店の前には既に長い行列ができていた。一、二、三、四、……十人、二十人、三十人。誰も彼もがくたびれた様子で、虚無を顔に貼り付けている。

(まだ開店前なのに)


 一瞬、寮まで帰ろうかと思った。寮にはセキュレシティの制服が置いてある。あれを着て行けば、特権階級だけが入ることを許される店に行くことが出来て、おいしくてあたたかいパンやたっぷりの肉を買うことができるだろう。

 ソリナはおいしい食事を想像して、束の間、微笑んだ。

 とろとろのママリガ(トウモロコシの粥)、香ばしいミティティ(挽肉とハーブを混ぜて焼いたもの)、じっくり煮込んだサルマーレ(酢キャベツの挽肉ロール)、ほかほかのチョルバ(具だくさんのスープ)。

 ああ、なんという素晴らしき料理の数々。空きに空いたお腹がグウと鳴る。

 だがすぐに首を振る。


(……いや、怪しまれるような真似はよくない)

 ソリナは極秘で学校に潜入しているのだ。学校に潜む反逆者をあぶり出すべく。

 学校には、僅かながらに寮に残っている生徒もいる。そこへソリナが豪華な食事を持って帰ったら、間違いなくソリナの身分がばれてしまう。そうなっては任務は台無しだ。

(粗末な食事で我慢するしかないのか)

 ソリナは暗い顔で列の最後尾に並んだ。やがて開店時間が訪れて、列がのろのろと動き出した。


 ようやく入った店に陳列されているパンは、見るからに粗悪品だった。雑穀がふんだんに混じっているし、信じられないほど小ぶりだ。これでは成長期のソリナにはとても足りない。三つほど取ろうと思ったが、後ろに並んでいる人のことも考えて、二つで我慢した。

 ソリナが店を出る頃には、店に並んだパンはもうずいぶんと数を減らしていた。

 この後肉屋でソーセージでも買うつもりだったのだが、……ソリナは隣の肉屋を見た。


 もう並んでいる人の分を差し引いて考えると、ショーウインドウにある肉やソーセージの数が足りるとは到底思えなかった。この店では肉は手に入らない。

(どうしよう)

 一か八かに賭けて、隣町の商店街の肉屋まで遠出するか。先日見て回った時は、あちらの方が売り切れる時間が遅かった。

 だが、今から歩いて向かっていては到底間に合わないだろう。


(仕方がない。アレを使うか)

 ソリナはポケットの中から錠剤の入った小瓶を取り出した。

 これは、人間の身体能力を飛躍的に向上させる効能がある、セキュレシティ秘蔵のお薬「ドラクラム」である。これを使ってセキュレシティは要人暗殺や裏切り者の排除などを行なっており、各人に一程度支給されていた。

 本来、買い物なぞに使っていい代物ではないのだが、背に腹は代えられない。腹が減っては戦はできぬ。潜入任務を滞りなく実行するためには、爆速で肉屋に行く必要があるのだ。

 ソリナは錠剤を一粒取り出して、バリバリと噛み砕いて飲み込んだ。

 血液が沸騰したかのように熱くなった。ソリナは全速力で駆け出した。


 カモシカのように町を駆け抜けるソリナを見て、町の人はおののいた。

「なんだなんだ!!」

「女の子が走っている!?」

「セキュレシティか!?」

「速すぎるだろ!!」

 シュッ、と土埃を立てて、隣町の肉屋まで無事に辿り着く。並んでいた人は恐怖に目を見開いてソリナを見ていた。


「セキュレシティの方ですか……!?」

「ど、どうぞ、お、おおお、お先にお並びください……」

「いや、結構だ」

 ソリナは頑なに言った。

「先に並んでいたのはお前たちだ。順番は守ろう」

「そそそ、そうですか」

「心配せずとも、お前たちがニコレスク様に反逆するような輩でない限りは、私は危害は加えない。安心して肉を買うといい」

「は、はあ……」


 それでも買い物客はビクビクしていた。そそくさと肉を買って退散する。すぐにソリナの番が来た。

 ソーセージは見当たらない。何やら肉の塊だけが並んでいる。


「牛肉を一キロくれ」

「へい。牛の臓物でございますね」

「へ?」

 ソリナは首を傾げた。

「臓物ではない。牛の肉を頼んでいるのだが」

「ひえっ、す、すみません。しかし国から支給される牛肉は希少で……一番に売り切れてしまうのであります」

「何……そうだったのか」

 ソリナは考え込んだ。

「失礼ながら、私は臓物の食い方を知らない。どうやって食うのか教えてくれないか」

「へ、へい。ミンチにして肉団子にしたり、コンソメのスープに入れたりいたしやす」

「なるほど、了解した。では臓物を一キロ買わせてもらおう」

「へい、まいど」


 こうしてソリナは何とかパンと肉を手に入れた。

「あまり買い物に時間がかかっても怪しまれるな。早く帰らなくては」

 ソリナは薬の効果で、またしても風のような速さで学校のある町に戻り、素知らぬ顔をして門をくぐって寮へと戻った。

「やれやれ。大変だった。さて、朝飯にするか」


 ソリナはかなり苦労して臓物を切り刻み、スープに入れて煮込んだ。パンと一緒にトレーに乗せて自室へと運ぶ。

 スープを一口飲んだ。

 途端に咳きこんだ。

 特権階級としての食事と、学校の学食しか口にしてこなかったソリナには、あまりにも慣れない味だった。

「おえっふ」

 生臭いし、どろどろしているし、そのくせ噛み切れない。

「これは……いや、これが一般国民の味か……」


 だが苦労して手に入れた食材だ。久しぶりの食事であるし、さきほど薬を服用したせいで余計に腹が減っている。国の食糧事情を鑑みても、捨てることには躊躇がある。

(……食おう。ただの栄養補給だと思えば何と言うことはない)


 ソリナは口直しにパンを齧った。そしてまた咳きこんだ。

「酸っぱい! なんだこのパンは……」

 酸味で雑味を誤魔化しているのは明らかだった。しかもとても固くて、ぱさぱさしていて、口が渇く。ソリナは慌てて水を口に含んで、パンを飲み下した。


「うう……」

 咳きこみ過ぎて涙が滲んだ。

 この先、ソリナはずっとこのようなご飯を食べながら、冬休みを過ごすことになるのか。

 きつい。心が折れそうだ。

 ……いや、国民のみんなは、年がら年中このような食事を摂って命を繋いでいるのか。

 それを思うと、なんだか自分がセキュレシティとして優遇されているのが申し訳なくなってきた。


(それもこれも反逆者のせいだ)

 ソリナは思った。

(ニコレスク様が飢餓輸出をせざるを得ないのも、ニコレスク様への反逆者が経済政策を邪魔しているからなんだ)


 顔を顰めながら、行儀悪く皿を持ち上げてスープを一気飲みする。ぶはあっと息を吐き出した。

(私たちセキュレシティが反逆者ども見つけ出して抹殺しない限り、国民はこんな食事を摂り続けることになる)


 悪いのは反逆者ども。

 ドラクラムを使って奴らを皆殺しにするまで、この困窮した状況は変わらない。

(必ずや、勝利をニコレスク様に。そうすれば、このまずい食事も、食べ物に困る国民も、浮浪児も浮浪者も、国から消えてなくなるに違いない……)

 ソリナは任務への決意を新たにしながら、もさもさとパンを口に詰め込んで、水で一気に流し込んだ。

「おえっふ」

 おのれ、反逆者どもめ……。今に見ていろ。



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