第157話

「私の……いずれかの過去世の記憶ですが……」

 神名月かみなづきは――覚悟をもって、毅然と訊ねる。

「『魔窟』での闘いにて、仲間たちが倒され、自身も深手を追い……その時、蓬莱の比丘尼びくにさまとお会いしました。牛車より、私に御声を掛けられました。二度と此処に来てはならないと……そう仰せになりました」


比丘尼びくには、玉花ぎょくかなる女の『心』と『癒しの力』の化身なのです……」

 少女の瞳は――波の如き慟哭に揺れる。


玉花ぎょくかは、御神木の根に呑み込まれる瞬間、愛しいを思い浮かべました。その想いは身を離れ、比丘尼びくにとなり、御神木の小さな亀裂に、親愛なる人々を匿ったのです。王君と王后、女房の四人の尼、王后から御袖を賜った少年……」


 少女は微々と苦笑し、雨月うげつを見た。

「大将殿……おそらく、貴方ですね。玉花ぎょくかと『宵の王』が同一だと察したのは……」


「はい……桜夏祭の後に。皆で水葉月みずはづきの家で一夜を過ごしました。王后さま自らが朝餉あさげを賄われ、その際に、しばし二人で話をしました」

 雨月うげつは、畏まって頭を下げる。


「王后さまは、神逅椰かぐやと御神木が同化していると仰られましたが、それ以上は……。けれど、その後に考えました。王后さまが、何故に自由に行動できたのか。王后さまが、御娘の化身の蓬莱さんに会うことを望み、それを許した存在が居るのでは、と」


「それに……黄泉姫が言いました」

 神名月かみなづきは、庭で揺れる木々を眺め、彼女の口調を思い起こす。



『そやつらクソ虫のような雑魚が動こうが、あの御方は気にもまぬがな』



神逅椰かぐやが御神木が一体化していて、それを操る上位の存在が『あの御方』……すなわち『宵の王』だと推測したのです」



「そうでしたか……」

 少女は、また貼ってある写真を眺める。

 祖母との大切な思い出を映した写真を。

 

「黄泉姫は、私と村崎さんが暮らす家に現れました。そして。私を責めました」



『お行儀の良い顔をして、お嬢さまぶっても本性は隠せないんだよ。お前は、復讐に快楽を見い出す執念深い畜生に過ぎぬわ』



「……彼女は、私を嘲笑しました。彼女もまた、玉花ぎょくかの化身なのです。神逅椰かぐやあやめた玉花ぎょくかを軽蔑し、罪を自覚させる『良心』とも云える存在でした」



 それを聞いた四人は、それとなく目配せする。

 黄泉姫が村崎家に現れた知っているか――と無言で問い、否定し合う。

 そんな話は、全くの初耳だから。


 少女も、彼らの意図を察して語り続ける。


「桜夏祭の後日でしたか……帰宅したら、黄泉姫が居たのです。幸いにも、異変を察知した水影月みかげづきさまが来て下さいました。黄泉姫は去り、事なきを得ました……」


 少女は、自らの両手を振り絞って眺める。


水影月みかげづきさまが居なければ……私は、何をしでかしていたか分かりません。自分の中の『憎悪』を、抑え込むことが出来ないのです……」




「我らの不徳でございます……」

 雨月うげつは、畳に指を付いて謝意を示した。

「月の公主たる玉花ぎょくかさまを御守りできなかったことは、力不足でした」



「みなさまには、一片の落ち度もございません……」

 

 少女は瞼を閉じ、天を仰いだ。


「闇が明ける時が、近付いています。現世の地球でも、絶滅と再生が繰り返されたように……この世界も再生しようとしています。どうか、『宵の王』を倒し、闇に沈められた数多の命を解放してください」



 少女は微笑んだ。

 その笑みは、『時聖ときひじりの比丘尼』に似ている――と、神名月かみなづきは思った。


 そして――風の音色が変わった。

 まるで、晩夏の夕暮れの風のような冷たい風が吹き込む。

 少女は体の向きを変え、庭を見た。


「お別れです……みなさまの幸運を信じています」


 少女の髪が激しく煽られ、たなびく。


黄泉千佳ヨミチカさんや、神名月かみなづきさまの現世の父君のことは、心配には及びません。王后さまや蓬莱の比丘尼びくにが庇護しております」


「……はい!」

 雨月うげつは得物を持って立ち上がり、他の三人も続く。

「……最後にお訊ねいたします。貴女さまは……」


「私は、玉花ぎょくかの『記憶』と『意志』です。この部屋と共に、じきに消えるでしょう。次の時代には不要なもの……残してはならないのです」



 その哀しい響きを耳にした四人は――今一度、茶室を記憶に焼き付ける。

 壁際に置かれた思い出の品々。

 写真。制服。縫いぐるみ――。

 

 大切な友人が生きた証を、決して手放さぬよう――

 忘れ得ぬように。



「……行こう……」

 水葉月みずはづきが囁いた。

 少女の姿は――もう、彼らの瞳には映らない。

 茶室には、人影は無い。


 

「そうだな……」

 神名月かみなづきは頷き、愛刀を握り締める。

 壁に貼ってあった一枚の写真が――力尽きたように、床に落ちた。

 和樹と蓬莱天音が買い物をしている、実際には撮っていない写真が。


 彼は瞼を伏せ、踵を返す。

 最後に茶室を後にし、開いていた障子を全て閉めた。


 風は冷たさを増している。

 急がねばならない。

 ローファーを履き、庭に進み出ると――背後の茶室の気配が消えた。

 庭の木々の葉も落ち始め、花がゆっくりと枯れていく。


 四人は、決して振り返らずに馬屋に向かった。

 仲間が待っている。








 ――少女は、ふと瞼を上げた。


 目の前に、両親が立っている。

 こちらに背を向け、正面に立つ若い女性の説明を聞いている。


「リノベーションが済んだばかりで、新築同様です。玄関先の歩道には、冬は除雪車が入りますが、お庭までは……」

「ああ。雪かきの大変さは知っています。妻は、札幌の出身ですから。それも、また人生かな」


 父親は、キコキコと首を左右に振って笑った。

 女性も安堵した顔で、手にしたタブレットを操作する。


 女性はベージュ色のパンツスーツ姿で、肩の高さで髪を切り揃えていた。

 首から下げたネームタグには、『方丈亜夜子』と書かれていた。


 少女は、家具の無い室内を見渡した。

 広い洋間は、微かに薬剤のにおいがする。

 

 

「そして、小学校の件ですが……」

 女性は、タブレットを母親に見せた。

「小学校まで、お子さまの足で十二分ほどです。これから通学路を歩いて、確認なさいますか?」

「そうですね。出来れば、小学校の登校時間にも。でも、勤務時間外ですよね?」


 母親が頼むと、女性は快諾した。

「構いませんよ。明日の朝で宜しければ、お迎えに参ります」

「お手数を掛けますが、お願いいたします」

 

 母親と女性はタブレットを眺めながら話を続け、父親は広いバルコニーに出て外を眺めた。


「良い家だな。庭も広めだし、義母かあさんも喜ぶだろう」

「うん。おばあちゃんも一緒に暮らせるんだね」


 少女は父親の横に立ち、踵を上げて、手摺りに手を掛けた。

 隣の一軒家が見える。


 ちょうど、玄関から四人の男の子が出て来たところだった。

「かずき、また明日な!」

「次は、オレんちに来いよ!」


 見降ろしているので、彼らの顔は見えない。

 けれど、自分とそう変わらない学年に思える。


 家の住人らしい男の子は大きく手を振り、三人を見送っている。

 三人が去るのと入れ違いに、乗用車が家の前に停まった。


 中からは、女性と女の子が出て来た。

 女性は、ペット用のケージを両手で持っている。

 男の子は、二人に駆け寄った。


「母さん、千佳、お帰り~! 仔ネコは大丈夫だった?」

「ええ。健康に問題なしだって」


「良かった! 飼ってもいいよね?」

「飼うよ。名前も決めたもん! フランチェスカだよ!」

「……めんどくさい名前だな~」

 男の子は、妹らしき女の子の頭をポンと叩く。


「車を駐車場に置いて来るよ」

 運転していた男性は声掛けし、車を出した。


 

 離れているのに、不思議と会話が鮮明に耳に入って来る。

 父親も聞き取れたのか、少女を見降ろして笑った。


「お隣にも、小学生が住んでるんだな。天音の友達になれそうだな」

「うん!」

 少女の屈託の無い笑顔が輝く。



「……良かったね、天音ちゃん」

 女性の優しい声が耳に触れ、少女は大きく頷いた。



 ――これは夢。

 ――時を映した夢。

 ――あなたが望んだ世界。


 

 何かの、そんな囁きが聞こえたような気がした。

 しかし、それは瞬く間に通り過ぎ、彼方へと消える。

 少女は、甘やかな風の息吹を吸い、青い空に手を伸ばした。


 指先が、彼の髪に触れた気がした。

 瞳の底で――着物姿の、長い髪を項で結わえた男性が、優しく微笑んだ。




 ◇ ◇ ◇


 追伸。

 文中の、雨月と王后さまの会話エピソードへのリンク

https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16817139555156716102


 黄泉姫が村崎家に出現したエピソードへのリンク

https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16817139556285282621

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