第156話

 少女は、悲愁に満ちた声を振り絞る。


「神とは、人が求める存在なのです。日々の営みの中で、人は常に恵みを求めます。人の求めに応じられなくなった神は、その世界を去るしかないのです……」


「……大いなる慈悲深き御方……」

 雨月うげつが囁くと、少女は柔和な笑みを浮かべた。


「はい……新たな信仰は、月の国よりもたらされました。『大いなる慈悲深き御方』と呼ぶ女神への信仰は、花の国に広まりました。荒ぶる古き神々を、花の国の民は必要としなくなったのです。創世の神よりも、魂を救済する女神を民は選びました。古き神への信仰は、王族の儀式の一環としてのみ残ったのです」


(……儀式……)

 神名月かみなづきは、異夢でお会いした比丘尼を思い起こす。

 

 『時聖の比丘尼』とも『果てなる者』とも名乗った『大いなる慈悲深き御方』。

 

 ブレザーの袖口から覗く数珠を見つめると――少女の視線も付いて来た。

 比丘尼とお会いした時には、少女と同じ容姿の姫君は眠っていた――。


 少女は、神名月かみなづきが、女神の御言葉を頂いたことを察しているだろう。

 だが、知らぬ素振りで――直ぐに視線を外し、語りを続ける。



伊弉諾神古門イザナギノミコトと、伊弉冉神古門イザナミノミコトが産んだ七柱の神々……その御方々は、別の地に発ちました。創世の神を求める地へと。最後に残ったのは、天照姫神古門アマテルヒメノミコトです。立ち去る前に姫は今一度、母に別れを告げようとしました。姫は、母の御髪を百八本を持っていました。母の伊弉冉神古門イザナミノミコトの亡骸が巨樹に引き込まれた時、その御髪が根に絡みついて残っていたのです」


天照姫アマテルヒメは……禁忌の呪法を使ったのですね?」

 水葉月みずはづきは察し、如月きさらぎと共に少女を眺める。

 術士の二人は、『百八』と云う数字の不穏さを理解している。

 呪詛に関わる数字で、それは決して使ってはならない『数』だ。


 見つめられた少女は頷き、四人の背後の壁の一点に視線を止める。

 『蓬莱天音』と、祖母の写真だ。

 中学の卒業式の写真で、写真の中の二人は寄り添い、ささやかな幸せに微笑んでいる。



天照姫神古門アマテルヒメノミコトは、母の名を唱えながら巨樹の周りを歩きました。一周するごとに、母の髪の毛を一本、根元に置きました。父が塞いだ、無月ナヅキイソに通じる穴の上です。それを百八回、繰り返しました。母に会いたい一心からのまじないでした……」


 少女は、虚空に瞳を向ける。


「私が知る逸話は、ここまでです。天照姫神古門アマテルヒメノミコトのその後は不明です。母に会えたのか、会えずに異世に旅立ったかは分かりません」




「……玉花ぎょくかさまは、何をなさったのです?」

 如月きさらぎは問う。

 その声音には、かつて垣間見せた辛辣さは消えている。



「……あの時、神逅椰かぐやは泥酔していました。邪魔者を葬ったとの高揚感からか、気も緩んでいました。発する霊気も、乱れていました」


 少女は、重ね合わせた自らの両手を眺める。


「私は、握り締めた短刀に……全ての怨念を込めました。父上さまと母上さまを自害に追い込み、私の大切な人たちを不幸にし、民を恐怖に包んだ男……。この男を許さない、地の底に堕としてやる……そう呪いました……」



 四人は、深々と聞き入る。

 四人が知る玉花ぎょくかの姫君は、思慮深く高潔な御方だった。

 我が身を差し出しても、民を守ろうと努めていた――。



「私は、神逅椰かぐやの背後から、その首に刃を突き立てました。それは過ちでした……。憎悪では無く、私が持つ浄化の力を神逅椰かぐやに注ぐべきでした……。けれど、自身の心を制することが出来なかったのです……」


 

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「いでえええええ!」


 その男は、両眼を朱に染めて振り向いた。

 いや、首が捻じれて真後ろを向いた。

 それは、人には不可能な所作だった。

 体はうつ伏せに倒れているのに、首が一尺ばかり延びて起き上がり、蛇のような眼差しでこちらを睨んでいる。


「くそっ、くそっ、この遊女あそびめが!」


 髪を振り乱し、地鳴りのような音声おんじょうで吠える。

 室内の空気は渦巻き、姫君の髪も紫色の小袿こうちぎも激しく翻る。

 調度品は外に吹き飛び、家臣や女房の悲鳴が聞こえた。


「でめえも神名月かみなづきの許に送ってやる! 死ね、くそが!」

 

 男の首が、身から裂けて離れた。

 刺さっていた短刀が床に落ちる。


 向かって来る生首の凶悪な表情に――姫君は怯まなかった。

 潜んでいた熱情が、一気に迸る。

 殻が壊れ、憎悪が、一気に噴き出す。

 

「赦さぬ! 我がの命を断ちし報いは、その命で贖え!」



 

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「我を取り戻した時は、王宮の残骸に囲まれていました。まるで、空爆を受けた如くに……私の『憎悪』が成した破壊でした。見上げると、夜空には巨大な月が浮かんでいました……。そして、私の右手は……あの男の生首を掴んでいました」


 少女は右手をかざし、虚ろな瞳で指を握り、また開く。


「でも……生首は動いていました。獣の如き声で、私を嘲笑するのです。これで満足か、俺は満足だ、お前は俺の望みを叶えてくれた、全てを壊してくれた、と」


 深い絶望が、少女を包む。


「この生首を放置してはいけない、そう思いました。伊弉冉神古門イザナミノミコトの神話を思い出し、あの御神木の下に、この生首を封じようと考えたのです」


 少女は、苦悶に唇を噛む。


「生首を引き摺り、残骸の間を通り、御神木の前に辿り着きました。みなさまの最期を見守った御神木……生首を引き摺ったまま、百八回その周りを歩きました」



「……何が起きたのです?」

 雨月うげつは、沈着に訊ねる。

 少女は、怯えた声で返した。


「御神木の枝が……空に向かって伸びました。枝は空いっぱいに広がり、無数の漆黒の杭となり、地に突き刺さったのです。御神木の根元には穴が開き、私はそこに落ちました。瞼を開けると……旅客器の座席に座っていました。膝の上のバッグを調べ、スマホのメモに記されていたマンションを目指しました。『村崎綾音』さんの祖母の家です」


 少女の震える瞳は、神名月かみなづきの方を向く。

 そこには、軽蔑されても当然だ――と云う諦めと、静謐な自嘲が浮かんでいる。

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