第155話

 茶会は、滞りなく進む。

 亭主の少女が正客に薄茶を点て、替茶碗で次客たちに呈茶していく。

 

 客たちは無言で薄茶をすすり、お辞儀をし、亭主の点前を眺める。

 その手捌きは美しく、半年前から茶道を始めたとは思えない。


 茶筅の音が五回響き、五回目の後には美名月みなづきが茶碗を持って縁側に行った。

 チロの横に座り、小声で話しかけている。

 

 作法としては有り得ないが、誰も咎めない。

 美名月みなづきが楽しければ、それで良い。


 遠い日――あの場に居合わせて、何も分からぬままに命を落とした仔猫。

 その姿を、誰もが暖かく見守る。



 

美名月みなづき、チロちゃんを連れて、お馬さんの所に行っていて」

 美名月みなづきの茶碗が空になったのを見た少女が声を掛ける。


「はい……」

 美名月みなづきは茶碗を持って来て――みんなに倣って座ってお辞儀をした、

 立ち上がり、かつての主と同じ顔の少女を見つめ――振り払うように踵を返す。


 縁側に寝そべっていたチロを抱き上げ、ローファーを履き、茶室の陰にある馬屋の方向に立ち去った。



 庭に敷かれた白い砂。

 木々の緑。

 空。

 風。


 全てが美しく、優しい。




「……まことに美味なお茶でございました」

「お粗末でございます」

 

 正客の雨月うげつが締めの挨拶をし、亭主の少女が返答する。


「奇異なえにしと申しましょうか。かつて、こうして向き合ったことがございました。覚えておいででしょうか」

「はい……父と母も居合わせておりました」


 少女は瞼を閉じた。

 神名月かみなづきも倣い、遥かな記憶に浸る。


 民のためにと投降し、処刑場に引き出された。

 仲間たちの血が流れ、最期に見たのは、最愛の妻の笑顔――。

 

 あれから幾年もの夜が訪れ、陽は昇り、生死を繰り返した。

 その果てに、こうして『妻の残照』と対峙している……。



「無礼ながら、お訊ね申し上げます」

 雨月うげつの張りのある声が響いた。

 少女はゆっくり瞼を上げる。


「みなさまの考えは分かっておりますが……まずは、お聞きください。『花窟はなのいわ』の王族の乙女むすめが伝え続けた神話を語りましょう……」


 淀みなき声を、少女は紡ぐ――。




 遥かなる御世。


 たぎる大地の底より、冷たい泉が湧き出でる。


 泉の水は四方に流れ、川となり、湖となる。


 やがて泉は枯れ、その跡に芽吹いた木は、千年を経て巨樹となった。


 それは地の柱となり、その根から一対の神が産まれた。


 伊弉諾神古門イザナギノミコトと、伊弉冉神古門イザナミノミコト


 異なる性器を持つ二柱は、巨木の根の隙間で眠り、伊弉冉神古門イザナミノミコトは八柱の神々を産んだ。


 なれど、最後の天照姫神古門アマテルヒメノミコトを産みし後、伊弉冉神古門イザナミノミコトは息絶え、その身は巨木の根に絡み取られ、黄泉の果ての無月ナヅキイソに埋められた。


 妻を失った伊弉諾神古門イザナギノミコトは嘆き悲しみ、巨木の麓の土を掘った。


 百年掘り続け、ようやく黄泉の底の無月ナヅキイソに辿り着いた。


 そこには、石を積んだ伊弉冉神古門イザナミノミコトの墓があった。

 

 近寄ると、墓の下から声が轟いた。


 その声は、聞いたこともない恐ろしく歪んだ声だった。


 恐れを抱いた伊弉諾神古門イザナギノミコトは、引き返す。


 すると、追って来る八百の異形の足音が聞こえた。


 骨が軋む音と、腐った臭いも。


 それは、地に封じられていた古き怨霊たちであった。


 伊弉冉神古門イザナミノミコトは我を忘れ、古き怨霊どもの陰神メガミとなっていたのである。


 伊弉諾神古門イザナギノミコトは振り返る暇もなく、走り続けた。


 やがて、光が見えて来た。


 娘の天照姫神古門アマテルヒメノミコトが発する日の光である。


 伊弉諾神古門イザナギノミコトは地上に出ると、穴の底に向けて弓を構えた。


 ただちに放たれた白き羽根をいだ矢は、闇に吸い落ちた。


 穴はたちまち塞がり、伊弉諾神古門イザナギノミコトは、天照姫神古門アマテルヒメノミコトと共に、妻の魂に祈りを捧げる日々を送った――。




「……それが『白弦しろつるの儀』の起源なのですね?」

 

 神名月かみなづきは、『白弦しろつるの儀』を思い起こして呟いた。

 玉花ぎょくかの姫君の名代として、女装束で参加して弓を引いた。


 本来は、伊弉諾神古門イザナギノミコト役と天照姫神古門アマテルヒメノミコト役の男女が演じた儀式であったのだろう。

 

 時代が下り、天照姫神古門アマテルヒメノミコト役の王族の乙女と、その名代が演じるように変化したに違いない。


 弓を引く場所も山へと変わり、王族の女性のみが神話のまことを伝え続けた――。



 


「神話の巨樹は……我らの言う『御神木』のことですね?」

 雨月うげつが訊ねると、少女は頷いた。

 この茶室の周りには、御神木は見えない。

 造られた世界なのだから、不思議ではないが――


 

「みなさまの御命が断たれた後……神逅椰かぐやは、宴会を開きました。私も、後ろの御帳台の中に控えさせられました。怯える家臣たちに酒を勧め、みなさま四人を侮辱しました。聞くに堪えませんでした。宴会の後……神逅椰かぐやは私を寝所に連れ込みました」


 少女は切々と語る。

「予想はしておりました。ゆえに、寝台に短刀を隠していたのです。刃に、父上様と母上様が使った毒を塗って……」


「ご自害のために……?」


「私が身を捧げて……それで民が助かる確信が持てたなら、使うつもりはありませんでした。けれど、知らせが届いたのです……水影月みかげづきさまが討ち死にされ……雨月うげつさまのご実家のお邸が炎上したと。それを聞いた神逅椰かぐやは嘲笑し、残りの中将のみなさまのご実家も燃やすと……。それを聞いた時、私の中で何かが折れました」


 少女は唇を噛んだ。


「みなさま四人と水影月みかげづきさまが、花の国にお出ましになり、対面をした時のこと。蹴鞠のこと……それらを思い出し……短刀を抜き、背後から斬り付けたのです……」



 ――風が微かに唸った。

 少女は床の間の掛け軸に目を向け――また、瞼を閉じる。


「限界でした……。恐怖に怯える民を救えるのは、私しかいないのだと、誤った考えを抱いてしまったのです。自分でやるしかないのだと……もう、助けてくれる人は居ないのだと……。だって……家臣も女房も……神逅椰かぐやの断末魔の声を聞いても、誰も寝所に来てくれなかった……」



 少女は、正座を崩して号泣した。

 一族の最期を知った雨月うげつの大将は拳を握り締め、他の三人の中将も苦悩に顔を強張らせた。



 やがて、四人の将たちの心が少し静まった頃。

 少女の涙が尽きた頃。


 少女は、また語り出す。


「……先ほどの神話には、続きがあるのです……」

 




 ◇ ◇ ◇


 後書きです。

 参考までに、『白弦しろつるの儀』のエピソードが入った63話へのリンクです。


https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816927862538731718

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