第63話

 アトルシオたちが『花窟はなのいわ』の国を訪れてから、三月みつきが経つ。

 学ぶのは、律令学・史学・算道・書道などの座学だ。

 兵法や剣術は、習うべきことは無い。

 いくさとは無縁な国ゆえ、王宮の衛士たちも儀礼的に配置されているに等しい。

 元服したセオなどは、この国の成人した衛士と対等に渡り合える。

 だが、まだ体が小さいアトルシオは、成人相手だと力負けしてしまう。

 その都度に、早く大人になりたいと願うのだった。


 

 そんな或る日――。

 水影みかげ御前は、従者の常葉ときわ殿と霜矢そうや殿を連れ、四人の部屋を訪れた。

 竹籠を抱えた二人の家人けにんをも伴っている。

 女性たちは、華やかな女房装束姿である。

 水影みかげ御前は薄紫色の表着うわぎに赤紫の唐衣からぎぬ、従者たちは若草色の表着うわぎ梔子くちなし色の唐衣からぎぬを重ねている。


 アトルシオたちは丁重に迎え――しかし、家人たちが抱えてきた竹籠を注視する。

 装束を入れる竹籠であるようだが……


「本日より二夜の後に、『白弦しろつるの儀』が行われる」

 水影みかげ御前は、二つの竹籠の片方の蓋を開けた。

 中には、白一色の装束が入っている。

 

「はい。我らも随行する名誉に預かっていますが……」

 セオは答えつつも、不審気に言葉尻を上げた。

 『白弦しろつるの儀』は、この国で十年ごとに行われる儀式である。

 王族の乙女が御使いとして『方丈の御山』に趣き、弓で矢を射て、邪を払う。

 今回は、玉花ぎょくかの姫君が射手を務めるのだ。

 が、過去の慣習に倣って、代わりの乙女が矢を射る。

 射法を習った同い年の貴族の乙女が、その大役を果たしてきた。


「それで……この装束は?」

 アラーシュは竹籠の中を覗き込む。

 随行時に着用する白水干は、すでに受け取っている。

 それに、目の前の装束は――自分たちが着るには、衣の枚数が多いように見える。



「……実は、少しばかり不都合が起きたのだ」

 水影みかげ御前は声をひそめる。

「姫君の名代みょうだいの射手が……月のさわりが始まってしまったのだ。この役目は、さわりが始まる前の乙女でなくてはならない」


「……はい……」

 月のさわり、の意味は明白だ。

 自分たちとは無関係とも言い切れず、揃って申し訳なさそうに頷いてしまう。


「さて……『白弦しろつるの儀』は、二夜の後だ。新しい名代みょうだいに射法を教えるひまは無い。射法を学んだ者を、名代みょうだいに推す」

 そして水影みかげ御前は、もう一つの竹籠を開けて見せる。

 畳まれた裳と唐衣からぎぬが入っている。


「……元服したセオ、背の高いリーオと……アラーシュは除かせて貰う」

「はああ?????」

 アトルシオは、口をあんぐりと開けた。

 仲間三人の何とも言えぬ視線が集まる。

 

 水影みかげ御前は、満面の笑みを浮かべた。

「一応な、姫さまと同い年のわらわがいる貴族に声は掛けた。だが、『星回りが悪い』『方角が悪い』『息子はつむりが痛くて寝ている』などの理由で、すべて断られた」


「……無理ですよっ」

 アトルシオは、アラーシュを指したが……水影みかげ御前は、無言で斜め上を向いた。

 帝都貴族の息子のアラーシュに、親の許しなく異装させるのは無理なのだろう。

 水影みかげ御前は、両手を合わせてアトルシオに迫る。


「お前、女を知らぬ身であろう? ならば問題は無い。心配するな。姫さまと並んで立って、矢を射るだけだ。簡単だろう?」


「……はい」

 『姫さまと並んで立つ』――この美句に、アトルシオは承諾してしまった。





 そして夜が明け、また夜が明け、『白弦しろつるの儀』が厳かに始まった。

 夜明けと共に、三百名余りの長い行列が王宮の門から出立する。

 騎乗した衛士が行列の前後左右を固め、姫君と射手を乗せた二台の輿が、列の中央を進む。

 

 姫君の輿を護るのは、騎乗した白水干姿の水影みかげ御前と、従者の常葉ときわ霜矢そうや

 射手の輿の後ろを、帯剣したセオたち三人が歩く。

 元服して烏帽子を被るセオが中央で、アラーシュとリーオはその斜め後ろだ。

 烏帽子を被る男たちは、烏帽子に緑の葉を飾り付けている。

 

 女官たちも白袴に白い袿を重ね、額に挿したかんざしを葉で飾っている。

 元服前や裳着前のわらわたちは、木の枝を捧げ持つ。

 枝や葉は、王宮の御神木から頂いた神聖なものだ。



(はぁ……)

 輿に揺られるアトルシオは、深い息を吐く。

 前髪を結われ、銀のかんざしを挿された。

 白粉おしろいを薄く塗られ、唇に紅を差された。

 白い長袴、重ねた衣、長い裳を纏った彼を見たセオたちは――喉を震わせた。


「おっ、意外と似合ってる!」

「……うん」

「……まあ……がんばれ」


 三人は言葉少なに、そそっと退室した。

 アトルシオも、着付けをしてくれた常葉ときわ殿と霜矢そうや殿に案内され、庭に置かれていた輿に乗り込むと――担ぎ手たちが輿を持ち上げた。


 輿に乗るのは初めてだが、思っていたより揺れは少なく快適だ。

 王族や上級貴族しか許されない乗り物を使うのは、これが最初で最後だろう……

 

 と、素直に喜べる状況ではない。

 前を見ると、姫君の乘る輿も少し揺れている。

 輿の四方に張られた薄絹が垂れ下がっており、中の様子ははっきり見えない。

 が、自分と同じ御衣おんぞをお召しの筈である。

 姫君が、化粧を施されたこの顔を見たら……と、暗雲たる心地に囚われる。

 


 行列が行く大路の両側には、見物の民が押し寄せ、無邪気に手を振るわらわたちも見えた。

 思えば、姫君とお会いしたのも、月の鶯時祭おうじさいでのことだった。

 あの時は、王后さまと姫君の輿に随行した。

 今は、姫君の名代みょうだいとして随行している。

 

 奇異なえにしに思い耽っていると――いつしか、周囲の様相が変わっていた。

 喧騒は遠退き、風が野の香りを運ぶ。

 御山が近いようだ。

 お腹の空き具合からして、辰の刻ぐらいだろうか。

 いつもなら、朝げをいただいている時間だ。



 やがて輿が停まり、周囲の動きが慌ただしくなる。

 リーオが、薄絹の向こうから声を掛けてきた。

「射手の君、おやしろに到着しました。まずは、桟敷さじきでひと休みして下さいませ」


 「はい……」

 裏声で答え、輿の薄布を捲って外を眺めると――『方丈の御山』が間近に見えた。

 王都からも見えた御山で、多くの行者たちが籠もって行に励んでいると聞く。


 御山の麓に続く山道の手前に、おやしろは在った。

 おやしろと云っても、山門がそびえているのみだ。

 いつの頃に建てられたのか分からないが、かなり古びている。

 幅広の二本の円柱の上には屋根があり、その下の厚い扉は閉まっている。

 扉の幅は四丈(12メートル)ほど、山門の上の屋根までの高さは五丈ほどだ。

 檜皮葺ひわだぶきの三角屋根は苔に覆われ、長いこと人の手が入っていないのが分かる。


 停まった輿の脇には、姫君と名代みょうだいが休息するための桟敷さじきが造られていた。

 中は板張りで、屏風で二つに仕切られているが、休息するには充分な余裕がある。

 香も焚きしめられ、爽やかな香りに満ちていた。

 

 アトルシオは出された梅茶を飲み、甘葛煎あまづらせんを混ぜて練った丸餅を食べた。

 梅茶の酸味も、餅の甘みも空腹には効く。

 少々物足りないが、儀礼の前だからこんなものだろう。

 屏風の向こうからも、衣擦れの音が絶えない。

 お付きの者たちが、お世話をしているに違いない――。



「御衣裳を整えましょう」

 几帳の影に控えていた水影みかげ御前は、彼の長袴の帯を結び直し、うちきの衿を整える。

「……姫さまはお疲れなのでは?」

 心配して小声で訊ねると――水影みかげ御前は、笑顔で首を横に振った。

「姫さまは、お前が思うよりも強い。案ずるな」

「はい……」



 しばしの休息の後、儀式が始まった。

 外に出るように促され、御簾みすから出ると――土の上には畳が並べて敷かれていた。

 二本の道の如く敷かれたそれは、山門の手前まで続いている。

 随行の者たちは、見守るように後ろに並び立っている。

 男たちは弓を右手で持って直立し、女官たちは後方に敷いた畳に座している。

 セオたちも、弓を持って女官たちの横に居る。

 

 右を見ると、姫君が立っていらっしゃる。

 姫君も、こちらを見て――優し気に微笑えまれた。

 

 その手に三尺(90cm)ほどの短弓と矢を持ち、白き御衣おんぞは清らかに、かんざしを飾る若葉は冴え冴えとあおい。

 弓も白く塗られ、矢羽根も白い。

 その様は愛らしくも凛として、御使いに相応しい姿である。


 アトルシオの身も、自然と引き締まる。

 今の自分は、姫君の名代みょうだいなのだ――。

 男でも女でも無い、御使いとして――。。


 二人は、どちらが合図をした訳でも無く――敷かれた畳の上を踏み出す。

 風の音と衣擦れの音が交わり、荘厳な気配が濃く渦巻く。

 

 山門まで半分の距離に近付くと、その陰から白衣の三人の男が現れた。

 その衣は膝下より長く、すねに白い脛布はばきを巻き、裸足に草鞋わらじを履いている。

 白い頭巾を被り、顔も同色の垂れ布で覆っている。

 中央の男は背が低く、腰が曲がっていることから老人と見た。

 背を伸ばして立つ両脇の二人は、それよりずっと若そうだ。



 三人を見つめつつ、アトルシオと姫君は山門手前に辿り着いた。

 敷かれた一枚の畳の左右に、並び立つ。

 白衣の老人は姫君の前に歩み寄り、嗄れ声で囁いた。


天之伊弉冉乃あまのいざなみの 蓬莱乃ほうらいの 瑠璃子るりこ姫。『白弦しろつるの儀』を始めよ……」

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