第62話
彼らの部屋は――今は、王宮の『玉の間』の裏庭に面した西側に設えられていた。
『玉の間』は王族の住まいであり、王への謁見以外の立ち入りは許されない。
だが「大切な者たちと共に逃れよ」の勅命を出し、家臣の殆どは王宮を去った。
王族たちの中には、貧者に身をやつして王都を出た者も居る。
ここに残った者たちは一つ所で過ごそう、との王の意向で、客人の三人も『玉の間』で王国最後となるやも知れぬ夜を迎えたのである。
空に映る月は、故郷の『
あの影の下で、
しかし、金色を帯びた月は美しく、悲愴な気色はかけらも見えず。
御神木の枝の影は、残る人々を見守るようにさららと揺れている。
あとの二人も合奏を止め、遠い故郷を思う。
二度と還ることは無く――自分たちは、この地で処刑される。
明日、三人が纏う墨染の狩衣に香を焚き締めているのだ。
漂う香りは『
『
秋に葉が散る様を惜しんだ老尼が調香したのが最初とされる。
「……心は、思うままにならないものだな」
「以前、
「……我々の助命を願い出たんだ」
同時に、自分の狭量さに腹を立てる。
言葉とは裏腹に、「結局は、彼は平民の出だった」と見下している自分がいる。
『義』のために死ぬ覚悟の無い臆病者だ、と。
同じ士族の出自の
自分たちは、闘って死ぬは誉れなり、と教わって育ったからだ。
だが……
「……
哀切な音色が響き、惑う二人の心を
貴族の彼は、自らの無残な死を以って、兄への復讐を計っている。
自分を溺愛していた兄に、自分の無残な死体を見せつけることだけが、唯一の望みなのだろう。
出自など関係なく『近衛府』で学んできたのに、この有り様だ。
四人の心は固く結ばれていると信じていたのに、渦巻く川の流れに翻弄される草舟の如く揺らいでいる。
王と王后が無血開城を決めなければ、三人で敵陣に突撃していたかも知れない。
そうすれば、願いは叶った。
士族の誉れは守られ、かつ復讐も果たされた。
しかし、その無謀な行いは悪い結果しか招かないことも分かっている。
前線の月の衛士たちを倒しても、
衛士の遺族たちに「裏切り者どもが、お前たちの父や兄弟を殺したのだ」と触れ回るだろう。
それ以前に――やはり、戦を強要される衛士たちに刃は向けられない。
卑劣なる
父の領地から連れ出した自分の幼馴染みや、その兄弟が居てもおかしくはない。
自分には、彼らは斬れない。
つまりは、自分たちが処刑される以外の道は閉ざされている。
死ぬことは恐れないが――二つの国の荒廃を阻止できないことが悔しい。
姫君をお護りできないことが……辛い。
「……失礼いたします」
廊下の先から、女性の声が聞こえた。
姫君に仕える二条の少納言の声である。
「
「え…?」
思いも寄らぬ事態に、
この期に及び――二人きりで
先ほど、几帳の陰に座られた御姿を見たのが最後、と。
「
「……行って来いよ」
彼は微笑んだ。
彼の父親は、彼と姫君の結婚を目論んだこともあったらしいが――。
「……行って来るよ」
姫君と言葉を交わすのは、これが二度目で――そして最後になるやも知れぬ。
廊下に出ると、二条の少納言はすでに立ち去っていた。
しかし、案内が無くとも行くべき場所は知っている。
『
先の『近衛府の南門の将』であった
そして今、『
『
慌てて着替えた四人は、
「緊張したよ~」
「座って頭を下げただけで?」
「いや、まさか姫さま御本人から御言葉をいただくとは思わなかった」
「うん、そうだね」
謁見を終え、部屋に戻っても、四人の胸の高鳴りは収まらない。
姫君は『
だが、修練中の近衛童子にも御言葉をくださるとは驚きだ。
地方領主の嫡男のアトルシオと、農村出身のリーオには、夢の如き名誉と云えよう。
その興奮は、なかなか収まらず――
アトルシオは火照った身を冷まそうと、母屋と
真正面の庭には小川が流れ、松の木が植えられ、色とりどりの花が咲いている。
さわやかな風が目の前を通り、空は果て無く澄んで青い。
「きれいだね」
リーオも寄って来て、庭の美しさに感嘆する。
二人は草履を履いて庭に出て、小川の水に指先を付けた。
ゆっくり流れる水は冷たく、しかし優しい手ざわりだ。
月の国でも、庶民にも水が行き渡っているが、無駄使いは禁物とされる。
大昔は、井戸水が枯渇することが少なくなかったからだ。
「ねえ、アラーシュ……」
古い物語に詳しい彼に訊ねようと声を掛けて振り向いたが――彼とセオは、母屋の中央で小声で話し合っている。
去年あたりから、アラーシュの口数が少なくなったとは思っていた。
悩み事があるようだが、相手をしているのは
「……
リーオは囁き、アトルシオは身を起こす。
兄君の
その儀式も拝謁した。
だが、その最中も――アラーシュは一度も笑わなかった。
あれだけ慕っていた兄について、全く話さなくなった。
セオは事情を知っているようだが、自分たちには教えてくれない。
けれど――アトルシオにも、秘密はある。
五年前の
可憐な声も、折に連れて蘇る。
先ほど聞いたお声は、あの時に比べて威厳が備わっていたが――それが痛々しい。
自分と同じ年の生まれなのに、国を背負う覚悟を決めておられるのだ――。
(……僕なんかが心配しても仕方ない。手の届かぬ御方なんだから……)
アトルシオは、出過ぎた考えに苦笑いした。
「ふたりとも、干し
セオに呼ばれ――アトルシオはリーオと共に母屋に戻った。
四つの
「まあまあの味だな」
アラーシュの顔の険は消え、いつもの調子に戻っている。
アトルシオは胸を撫で下ろし、
それは甘く、少しばかり苦かった。
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