第62話

 雨月うげつ殿、如月きさらぎ殿、神名月かみなづき殿は謁見を終え、与えられた部屋に戻った。

 彼らの部屋は――今は、王宮の『玉の間』の裏庭に面した西側に設えられていた。

 『玉の間』は王族の住まいであり、王への謁見以外の立ち入りは許されない。

 

 だが「大切な者たちと共に逃れよ」の勅命を出し、家臣の殆どは王宮を去った。

 王族たちの中には、貧者に身をやつして王都を出た者も居る。

 ここに残った者たちは一つ所で過ごそう、との王の意向で、客人の三人も『玉の間』で王国最後となるやも知れぬ夜を迎えたのである。



 御簾みす壁代かべしろも巻き上げ、夜空に浮かぶ望月もちづきを眺めつつ、三人は合奏して時を費やす。

 雨月うげつ殿は横笛、如月きさらぎ殿は琵琶、神名月かみなづき殿は笙を奏でている。


 空に映る月は、故郷の『月窟つきのいわ』の影である。

 あの影の下で、神逅椰かぐやの暴挙に怯える人々が息を潜めてに暮らしている。

 しかし、金色を帯びた月は美しく、悲愴な気色はかけらも見えず。

 御神木の枝の影は、残る人々を見守るようにと揺れている。

 

 雨月うげつ殿は横笛を唇から離し――肩越しに月を見た。

 あとの二人も合奏を止め、遠い故郷を思う。

 二度と還ることは無く――自分たちは、この地で処刑される。

 

 神名月かみなづき殿は、奥の几帳の背後から漂う香りを聞く。

 明日、三人が纏う墨染の狩衣に香を焚き締めているのだ。

 伏籠ふせごと云う竹籠の内側で香を焚き、その上に衣類を掛けて香りを染み込ませる。


 漂う香りは『落葉らくよう』である。

 『月窟つきのいわ』の貴族が使うお香だ。

 秋に葉が散る様を惜しんだ老尼が調香したのが最初とされる。

 


「……心は、思うままにならないものだな」

 雨月うげつ殿は嘆く。

「以前、水葉月みずはづきに受戒を勧めた。生き延びる術がある者には、生き延びて欲しいと思ったからだ。なのに……今は、水葉月みずはづきが黙って去ったことにわだかまりを感じる。彼は、生き延びるために去ったと云うのに……」


「……我々の助命を願い出たんだ」

 神名月かみなづき殿はポツリと答えた。

 同時に、自分の狭量さに腹を立てる。

 言葉とは裏腹に、「結局は、彼は平民の出だった」と見下している自分がいる。

 『義』のために死ぬ覚悟の無い臆病者だ、と。

 同じ士族の出自の雨月うげつも、同じ考えゆえに苦しんでいると察する。

 自分たちは、闘って死ぬは誉れなり、と教わって育ったからだ。

 だが……


 

「……神逅椰かぐやを許さない……」

 如月きさらぎ殿は呟き、再びばちを弾く。

 哀切な音色が響き、惑う二人の心をくゆらす。

 貴族の彼は、自らの無残な死を以って、兄への復讐を計っている。

 自分を溺愛していた兄に、自分の無残な死体を見せつけることだけが、唯一の望みなのだろう。


 出自など関係なく『近衛府』で学んできたのに、この有り様だ。

 四人の心は固く結ばれていると信じていたのに、渦巻く川の流れに翻弄される草舟の如く揺らいでいる。

 王と王后が無血開城を決めなければ、三人で敵陣に突撃していたかも知れない。

 そうすれば、願いは叶った。

 士族の誉れは守られ、かつ復讐も果たされた。


 しかし、その無謀な行いは悪い結果しか招かないことも分かっている。

 前線の月の衛士たちを倒しても、神逅椰かぐやを歓喜させるだけだ。

 衛士の遺族たちに「裏切り者どもが、お前たちの父や兄弟を殺したのだ」と触れ回るだろう。


 それ以前に――やはり、戦を強要される衛士たちに刃は向けられない。

 卑劣なる神逅椰かぐやは間違いなく、力の弱い老人や若者を前線に出す。

 父の領地から連れ出した自分の幼馴染みや、その兄弟が居てもおかしくはない。

 自分には、彼らは斬れない。

 

 つまりは、自分たちが処刑される以外の道は閉ざされている。

 死ぬことは恐れないが――二つの国の荒廃を阻止できないことが悔しい。

 姫君をお護りできないことが……辛い。




「……失礼いたします」

 廊下の先から、女性の声が聞こえた。

 姫君に仕える二条の少納言の声である。

神名月かみなづきの中将さまに申し上げます。玉花ぎょくかの姫さまが、お呼びです」


「え…?」

 思いも寄らぬ事態に、神名月かみなづき殿は目をしばたく。

 この期に及び――二人きりでまみえる機会は二度と無し、と諦めていた。

 先ほど、几帳の陰に座られた御姿を見たのが最後、と。

 


たちばなの 花散る里に かよいなば……」

 如月きさらぎ殿は琵琶を奏でつつ、古い歌を口ずさむ。

「……行って来いよ」

 彼は微笑んだ。

 彼の父親は、彼と姫君の結婚を目論んだこともあったらしいが――。

 


「……行って来るよ」

 神名月かみなづき殿は笙を棚に置き、立ち上がる。

 姫君と言葉を交わすのは、これが二度目で――そして最後になるやも知れぬ。

 廊下に出ると、二条の少納言はすでに立ち去っていた。

 しかし、案内が無くとも行くべき場所は知っている。







 


 『花窟はなのいわ』は、惜しげもなく花が咲き乱れる美しい国だった。

 先の『近衛府の南門の将』であった水影みかげ御前の供として、花の国で学ぶ機会を与えられた。

 

 そして今、『宝蓮宮ほうれんのみや』の殿舎の『永承宮えいしょうのみや』の一室で、アトルシオたちは足を伸ばして座る。

 『宝蓮宮ほうれんのみや』に到着し、着替えもせぬうちに、姫君との謁見が許されたのである。

 慌てて着替えた四人は、水影みかげ御前たちに付き添い、御簾みす越しに姫君との対面を果たしたのだ。



「緊張したよ~」

「座って頭を下げただけで?」

「いや、まさか姫さま御本人から御言葉をいただくとは思わなかった」

「うん、そうだね」


 謁見を終え、部屋に戻っても、四人の胸の高鳴りは収まらない。

 姫君は『月窟つきのいわ』の公主こうしゅでもあり、お仕えすべき御方である。

 だが、修練中の近衛童子にも御言葉をくださるとは驚きだ。

 地方領主の嫡男のアトルシオと、農村出身のリーオには、夢の如き名誉と云えよう。


 その興奮は、なかなか収まらず――

 アトルシオは火照った身を冷まそうと、母屋とひさしを隔てる御簾みすを上げた。

 真正面の庭には小川が流れ、松の木が植えられ、色とりどりの花が咲いている。

 さわやかな風が目の前を通り、空は果て無く澄んで青い。


「きれいだね」

 リーオも寄って来て、庭の美しさに感嘆する。

 二人は草履を履いて庭に出て、小川の水に指先を付けた。

 ゆっくり流れる水は冷たく、しかし優しい手ざわりだ。

 月の国でも、庶民にも水が行き渡っているが、無駄使いは禁物とされる。

 大昔は、井戸水が枯渇することが少なくなかったからだ。


「ねえ、アラーシュ……」

 古い物語に詳しい彼に訊ねようと声を掛けて振り向いたが――彼とセオは、母屋の中央で小声で話し合っている。

 去年あたりから、アラーシュの口数が少なくなったとは思っていた。

 悩み事があるようだが、相手をしているのはもっぱらセオである。


「……神鞍月かぐらづき様と、何かあったのかな……」

 リーオは囁き、アトルシオは身を起こす。

 兄君の神鞍月かぐらづき殿は、去年に国の宰相さいしょうとなり、名を神逅椰かぐやと変えた。

 その儀式も拝謁した。

 だが、その最中も――アラーシュは一度も笑わなかった。

 あれだけ慕っていた兄について、全く話さなくなった。

 セオは事情を知っているようだが、自分たちには教えてくれない。



 けれど――アトルシオにも、秘密はある。

 五年前の鶯時祭おうじさいで、玉花ぎょくかの姫君の愛らしい御顔を拝見したことだ。

 可憐な声も、折に連れて蘇る。

 先ほど聞いたお声は、あの時に比べて威厳が備わっていたが――それが痛々しい。

 自分と同じ年の生まれなのに、国を背負う覚悟を決めておられるのだ――。

 


(……僕なんかが心配しても仕方ない。手の届かぬ御方なんだから……)

 アトルシオは、出過ぎた考えに苦笑いした。

 

「ふたりとも、干し杏子あんずとお茶が届けられたぞ。いただこう」

 セオに呼ばれ――アトルシオはリーオと共に母屋に戻った。

 四つの高坏たかつきに盛られた杏子あんずを摘まみ、熱い茶を飲む。


「まあまあの味だな」

 アラーシュの顔の険は消え、いつもの調子に戻っている。

 アトルシオは胸を撫で下ろし、杏子あんずを口の中で転がす。

 それは甘く、少しばかり苦かった。

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