第154話

 その茶室は、八畳間である。

 

 亭主を勤める少女は、左の奥に座していた。

 制服姿のままで、茫洋たる眼差しで右手にある庭を眺めている。

 開け放された障子の前庭は白い砂が敷かれ、日射しの下で波のように輝く。

 木々の枝は、爽やかな風の流れに合わせて揺れている。

 縁側のピンク色の円形ベッドでは、チロがぐっすりと眠っている。

 

 

 その横に立つ神名月かみなづきたちは、どうすべきか思案していた。

 亭主と対面する形で、四人は並んで座らねばならない。

 問題は、『正客しょうきゃく』と『おめ』を誰が務めるかだ。


 『正客しょうきゃく』は亭主との会話を担当し、『おめ』は器の返却などで亭主に近付く。


 神名月かみなづきは、雨月うげつに囁いた。

正客しょうきゃくは任せる。僕がおめだ」


 ――雨月うげつは、遅い瞬きをもって答えた。

 茶会の進行については、そこそこ知っている。

 その会話を察したか否か分からぬが――少女は四人に声を掛けた。

 

「みなさま。作法に拘らずに楽しみましょう。そのままお入りになって、席にお付き下さい」

「では……失礼いたします」

 

 雨月うげつを先頭に、注意深く足を踏み出した。

 雨月うげつ如月きつらぎ水葉月みずはづき神名月かみなづきの順で座る。


 雨月うげつ神名月かみなづきは、自分の左横に太刀を置く。

 いつでも抜刀できる位置であるが、少女は不快感を示さなかった。

 両手を真新しい畳に沿え、深く頭を下げて挨拶をする。


「私のわがままで開く茶会です。お菓子と薄茶をお出しいたします。しばし、寛いで下さい。足がしびれたら、崩しても構いません」


「お気遣いありがとうございます」

 雨月うげつは、畳に軽く指を軽く頭を下げた。

「お招きいただき、御礼を申し上げます。本日はお日柄にも恵まれ、このような立派な茶室を拝見できること、嬉しく思います」


 言葉に合わせ、他の三人も黙礼した。

 しかし――雨月うげつの言葉に反し、この茶室は異様であった。

 客の背後の壁は、物で埋め尽くされているからだ。


 雨月うげつの右横に位置する床の間には、教科書が積み上げられている。

 掛け軸には、彼らが通う高校の校舎正面が墨絵で描かれている。


 少女が通った中学校の制服、ミルクティー色のロリータドレス、浴衣が壁に吊るされている。

 その下のカラーボックスの上にはテディベアの雛人形が置かれ、下の段には書籍や靴が入っている。


 茶碗や皿、さらには米袋、袋入りの菓子、ティーバッグの紙箱などの食料品。

 テレビにスマホ、クッションもある。

 ミゾレに似た三毛猫の縫いぐるみも。

 部活で使った茶道具も。

 


 壁には、隙間なく写真が貼られている。

 中学の卒業式・高校の入学式・桜夏祭・動物園で撮った写真。

 蓬莱天音と祖母の写真、和樹たちと一緒に撮った写真。


 中には、和樹と蓬莱天音がスーパーで買い物をしている写真もある。

 服装からして、スーパーに居た人々がシカの被り物をさせられた時のものだ。

 だが――こんな写真を撮った記憶は、神名月かみなづきには無い――。


 神名月かみなづきは、少女を哀れに思った。

 叶わぬ願いが、こうあって欲しいとの祈りが、胸を打つ。



「……亭主にお訊ねいたします。御名を、我らにお知らせ下さい」

「……そのようなものは……ございません」


 雨月うげつの質問に、少女は首を振った。

 だが、穏やかな口調で雨月うげつは食い下がる。


「では、ここは『蓬莱天音』を名乗った少女の……『思い出』と解釈してよろしいでしょうか? 我らの大切な友人です」


「……もう、彼女は存在しないのですよ?」

「いいえ。彼女と過ごした日々の記憶は、決して過去形にはなりません」



「……ありがたい御言葉でございます」

 少女は微笑み、美名月みなづきを呼んだ。

「みなさまにお菓子をお出しして」


「は、はいっ」

 緊張した声が響き、美名月みなづきが重箱のような黒い菓子器を運んで来た。

 緊張のせいか、足が小刻みに震えている。

 それを解くように、少女は優しく語り掛けた。


美名月みなづき、作法は気にしないで。最後の上段のお菓子は、あなたの分よ」

「はい!」

 お菓子と聞いた美名月みなづきは、元気を取り戻した。

 足取りも軽く、雨月の前に菓子器を置く。



「どうぞ、お菓子をお召し上がりください」

 少女が促し、雨月うげつは菓子器を持ち上げて軽く頭を下げ、蓋に置いてあった黒文字と下段の菓子器以外を、横の如月きさらぎに回した。


 菓子器の中央には、大きなイチゴ大福が入っている。

 十文字に入った切れ目から、真っ赤なイチゴが顔を出し、上品な薄紫色のこし餡がそれを包んでいる。

 目にした美名月みなづきは、「わぁっ」と目を輝かせた。

 

 雨月うげつたちも、つい顔を見合わせて微笑んだ。

 良く見ると、菓子器は五個が重なっていた。

 美名月みなづきのために用意した菓子なのだろう。


 まだ、しばらくは――茶を飲み終わるまでは時間がある。

 その時まで……


 そう思い、神名月かみなづきは掛け軸を眺める。

 校門から眺めた校舎に続く道の左右には、木々が立ち並んでいる。

 生徒は描かれていないが、空には薄雲がたなびいている。


 吊り下げられた衣装、写真、本、ひな人形……

 それは、少女が願った『永遠』だ。


 自分たちは、大人になれないまま『死』を繰り返した。

 それを断つための闘いを繰り返してきた。

 

 これが、最後の機会だ――神名月かみなづきは、無情なる運命の端から少女を眺める。

 

 望めば、この少女と『永遠』に此処で過ごせるかも知れない。

 ここで庭を眺め、思い出を語り合い……



 だが、それは禁忌の平穏だ。

 『時映し』に封じられるように、悲しみや苦しみから隔世されて存在し続ける。

 友のことも、家族への想いも忘れて。


 自分の使命を忘れてはならない。

 神名月かみなづきの中将の父と、神無代和樹の父。

 その両方を助けたい。

 御神木に封じられた人々を助けたい。


 方丈日那女の決意を無駄にしてはならない。

 今までの闘いを、犠牲にした先達の四将たちの魂に報いたい。


 雪崩れる心を押さえ込み、四段目の菓子器を取り、残った一段を正面に座っていた美名月みなづきに渡す。

 美名月みなづきは、菓子器を持って縁側のチロの横に座った。


 

 『正客しょうきゃく』の雨月うげつは菓子器の素晴らしさを誉め、黒文字でイチゴ大福を半分に切った。

 神名月かみなづきも、半分に切った大福を口に入れる。

 それは、甘く酸っぱく――甘美な香りが頭に抜けた。


 そして、自分たちを見つめる少女の視線を受ける。

 少女は、この瞬間をも『永遠』に閉じ込めようとしているのだろう――。


 夢は、いつか醒める。

 それを記憶した者の中に生き続ける。

 

 それを記憶した者が動きを止めた時、夢は何処に行くのだろう?

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