第13章 蓬莱の黄泉姫

第80話

 『桜夏祭』の振替休日の翌日。

 和樹たちは、揃ってバスで登校した。

 二日後には、一、二年生は学力テストがある。

 息つく隙も無いが、考え抜いて書いた例の反省文も担任の坂井先生に提出した。

 これで、放課後の生徒指導室での面談で釈放となる。

 

 が、坂井先生から漏れた言葉は「面談は中止するから。今後は、軽率な行動は慎むように」だった。

 少しばかり身構えていた和樹は拍子抜けし、一戸の肩が斜め下にストンと落ちた。

 月城の母親の手前、生徒たちに紙切れを提出させて幕を引くのが賢明――と校長が判断したのかも知れない。

 たった三ヶ月の間に、警察が介入する事件が二例も在ったのだ。

 月城の口から、市会議員の父親(存在しないが)に学校への不平が漏れるのは避けたいのだろうう。


 四人が軽快な足取りで職員室を出ると、向こうから歩いて来る方丈日那女と顔を合わせた。

 彼女は反省文用紙をかざして見せ、入れ違いに職員室に入る。

 昨日も連絡を取り合ったが、敵の気配は無しとのことだ。


 

「三年生は、夏休みは忙しいよな」

「模試や検定やらで、遊ぶ暇なんて無さそうにょね」

「ほっちゃれ先輩は進学するのかな?」

 和樹は、ふと口に出す。

 

 神逅椰かぐやを倒せば、闘いは終わる筈だ。

 そうなれば――あの世界には、二度と戻れないのだろうか。

 平和を取り戻した世界を見ることは、叶わないのかも知れない。

 そう思うと――寂しい。

 亜夜月あやづき様の術の中で垣間見た『月の国』。

 美しく、ゆったりした雅な世界だった。

 あの世界で自分は生まれ、友と巡り会い、美しい姫君を愛した――。


(変だな……闘いが終わるのは良いことなのに……)

 しかし、和樹は胸中の思いを振り払う。

(僕たちは、今度こそ大人にならなきゃ。また死んで、母さんを泣かせちゃ駄目だ)


 五十年前の、自分たちの葬儀の風景を繰り返してはいけない。

 あの時は、号泣していたセーラー服の女の子たちがいた。

 彼女たちのような悲しみを、誰にも味わって欲しくない。



 そして四人が教室に戻ると――中里あきらの周りに生徒が集まっていた。


「知ってた? 中里くんのお母さま、『桜夏祭』で財布を落としたんだって」

 久住さんに呼ばれ、和樹は中里の机に近寄る。

 

「災難だったね。財布は見つからないのかい?」

 訊ねると、中里は猫に囲まれた雀のような声で言う。


「うん……おばあちゃんと一緒に来てくれたんだけど、食券を買おうとしたら財布が無くなってたって。いつも使ってる財布は家に置いてて、現金しか入れてなかったから良かったけど。でも、一万円近く入ってたって……」

 

「ああ、それは……警察には届けたのかい?」

「一応ね。でも、諦めてる……はぁ~……」


「誰かにスラれたとかじゃねえの? 悪い奴が紛れてても不思議じゃねーし」

 上野は眉をひそめて、横の席に着く。

「ま、後でパンでも奢ってやるよ。元気出せ」


「ありがとう…」

 中里は頷き、ちょこんと頭を下げた。

 人と話すのが苦手だった彼も、すっかりクラスに馴染んでいる。

 英語の成績は学年でも一、二を争い、それで一目置かれるようになったのだ。


 月城だけは……相変わらず、他の生徒たちから一歩引いていた。

 卒なく何でもこなし、頼られることも多いが、積極的に交流するのは避けている。

 

(月城は……闘いが終わっても、ここに居るんだよな?)

 和樹は、ふと不安に駆られた。

 月城は、自分たちのような転生者では無い。

 だが、ようやく巡り合えたのだ。

 これからも、一緒に過ごしたい。

 四人一緒に、高校を卒業したい。


 そこまで考えて――チラリと後ろを見た。

 蓬莱さんは、久住さん・中越さんと話をしている。

 彼女も、また特殊な存在だ。

 『村崎綾音さん』に、『蓬莱の尼姫』が憑依している。

 闘いが終われば……『村崎綾音さん』とご両親は戻って来るだろうか。

 そうなるなら……


(それって……どうなんだろうな……)


 和樹は席に戻り、僕然とした不安に胸を押さえる。

 この世と、『魔窟まくつ化した世界』。

 自分たちは、二つの世界を跨ぐ存在だ。

 平和な世界を取り戻しても、全員がこの世に残れるとは限らないとしたら――


 

 チャイムが鳴り、生徒たちは自席に戻る。

 和樹はバッグから教科書を出しながら、斜め前方に座る一戸の背を眺めた。

 彼は、自分たち四将のリーダーだった。

 だが、彼に相談するのも適切とは思えない。

 自分と『蓬莱の尼姫』の問題なのだから。

 遠い前世の自分と、その恋人との問題……

 

 アインシュタインもシェイクスピアも解けない難問かも知れない。





 そして放課後。

 学力テストが終わるまでは、部活動は禁止である。

 久住さんと蓬莱さんも加え、六人は一緒に下校した。

 残りの敵を考えると、出来るだけ単独行動は避けるべきとの結論に至ったからだ。

 

 自分たち四人のニセ者と、方丈日那女のニセ者。

 そして羽月うづき様のニセ者。

 彼らが、また現世に現れないとも限らない。

 各自の家には、『芳香剤に見立てた三途の川エキス』のお守りを置いているが、油断は厳禁だ。

 異界に引きずり込まれる危険と隣り合わせの状態なのだ。

 

「そう言えば、あの芳香剤……中身が減らないね」

 バスを待つ間――久住さんが指摘し、上野も頷いた。

「だな。オレんちのも減らねえ」


「ひょっとして……敵が近付いたら減るとか?」

 蓬莱さんが思い付く。

「醤油さしの中身が減ることがあるし、同じ原理とか」


「あー、納得」

 上野はポン、と両手を打った。

「オレらの醤油さしは、定期的に中身を補充してるしな。減るとかって、あんま意識してなかったけどよ。月城は、減るとかって知ってた?」


「みんな……知ってると思ってた」

 月城は、気まずそうに目線を外す。

 和樹と一戸は「えっ」と口を開け、上野はかさず噛み付いた。

「ひっでー!! 先輩も説明してくれよ~! ボケーッと芳香剤を眺めてたオレらがバカじゃん!!」





 かくして一同はバスに乗り、それぞれの家に近い停留所で降りる。

 和樹と久住さんと蓬莱さんは、バスに残る月城に手を振り、家までの長くない道を行く。

 三角錐に刈り取られた樹木の中から雀の声が聞こえ、紋白蝶が道端のピンク色の花に止まっている。

 彼らは世界の遠い裏側の闇など知らず、短い命を循環させる。

 しかし、彼らは人間には視えない物を見ているかも知れない。

 人間より小さい生き物が、人間より劣っていると断言できるだろうか――


 


「じゃあ……気を付けてね。蓬莱さん」

 和樹と久住さんは交差点で、彼女と別れた。

 斜め向かいの彼女の住むマンションに、『悪霊』は視えない。

 最近は小物の『悪霊』は出現せず、中ボスクラスが遠慮なく現世を来訪する。

 和樹は自宅マンションのオートロックを開け、久住さんを入れてから自分も続く。

 エレベーターに乗る時は、自分が先だ。

 何も居ないのを確かめてから、ドアを押さえて彼女を乗せる。

 『魔窟まくつ』とは無縁である彼女に、手を出させる訳にはいかない――。






 ――蓬莱天音は、自宅に着いた。

 鍵を開け、スクールバッグに仕舞い、ドアノブを開ける。

 祖母は出勤日で、夕方まで帰って来ない。

 今夜は、ざるそばと茄子とオクラの煮びたしだ。

 着替えて、煮びたしの下ごしらえをしよう……


 そう思って靴を脱ぎ――異変に気付く。

 靴棚の上に置いていた芳香剤の中身が……無い。

 奥からは、今朝まで無かった梅の香りが漂ってくる。

 

 ――大好きな香りだった。

 ――自ら調香し、常にころもに焚き染めていた。


 その香りが、この場所に漂っていると云うことは……

 バッグを投げ出し、リビングに踏み入る。

 

 『彼女』は窓の前に立ち、こちらを見ている。

 紫色の袿を重ね、その上に白い細長を着ている。

 長い黒髪は足元で渦を巻き――



「……あなたは……!」

 蓬莱天音は、彼女を睨む。

 得体の知れない黒い何かが、心臓の周りを包む。


「何を怒っている? いや、怒るのも無理からぬこと。神名月かみなづきは、他の女とよろしくやっておるからな」


 見目麗しい『彼女』は、醜く唇を捻じ曲げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る