第81話
「せっかく現世まで来たと云うのに。もてなす気はないか? こちらには、泡が沸く奇妙な飲み物があるそうだが。それを持て」
華美な衣装に身を包む女は、唇を吊り上げて笑った。
血を塗付したような真紅の唇が、醜く歪む。
見ると――カーペットの上には、菓子パンの袋と食べかすが散らばっている。
「暑くて喉が渇いた。はよ、飲み物を持て」
女は細長と
蓬莱天音は、怒りを募らせる。
この下品な女は、自分の過去世の『
そいつが取り澄ました顔で、座卓に尻を付いている――。
椅子でないことは、置いてある一輪挿しで分かる筈だ――。
そして――キッチンには包丁がある。
キッチンを見ようとしたが――女の高飛車な声が、それを阻む。
「……お前、
指摘され、蓬莱天音は絶句した。
何度も夢で見た光景だ。
目が覚めると、肉と骨を貫いた手ごたえが手に残っていた。
半壊した父の車の横に立つ自分。
足元には、白シャツと制服のズボン姿の
項の下には、紫の炎を発する短刀が突き刺さっている。
その炎は全身に広がり、彼は灰も残さず燃え尽きた。
死んで当然だ、と内なる声が耳打ちした。
彼と友人たちの首を撥ねただけでは足りないと言うのか……。
地鳴りの如き怨嗟が、記憶から溢れ出た。
手足を斬り落として、御神木の根元に埋めてやる。
口に土を詰め込んでやる。
生き埋めの苦しみを、永遠に味わせる――。
「それが、お前の本性よ」
『
「お行儀の良い顔をして、お嬢さまぶっても本性は隠せないんだよ。お前は、復讐に快楽を見い出す執念深い畜生に過ぎぬわ。ははははははははははははは!」
偽りは、天井を向いて笑った。
自分の分身の、不快な笑い声に胃が縮む。
窓は四分の一ほどしか開けておらず、風通しも悪い。
五分もしないうちに嘔吐しそうだ……。
その前に、この女を……
「ちょっと、うるさいんだけど」
その声に――偽りは目を剥いて振り向く。
キッチン横の狭い小上がりに、制服姿の方丈日那女が直立していた。
左手にはスマホ、右手には包丁が握られている。
方丈日那女――
「このクソ暑い時期に、ずいぶんと着込んでるね。汗臭いよ。出直しな!」
「
偽りは立ち上がって吠えたが、
冷静に、スマホを翳して見せる。
「好きにしなよ。今の私には、あんたと闘う力は無いかも知れない。でも、ここに触れると近くに居る
毅然たる物言いに、偽りの勝ち誇った笑顔が崩れる。
――死を恐れぬ相手には、脅しは通用しない。
――まして、ここで闘う意味は無い。
「……まあ良いわ。そのうちに、嫌でも
偽りは捨て台詞を吐き、壁に溶け込むように掻き消えた。
蓬莱天音はその場に座り込み、項垂れる。
あの女は、自分の一面が具現化したものだと分かっている。
醜悪な、自分の半身なのだ。
愛猫の
最愛の恋人も……。
「ったく……暑苦しい奴だったね」
方丈日那女はキッチンに庖丁を戻し、窓を開け、カーペットのゴミを片付ける。
「実は、
「……先輩……」
「昼休みに例の水飲み場で探知を試みたら、君らの家の方角に良からぬ影を感じて、タクシーで先回りして、待ち伏せしてた。裏手のコンビニで、夏季限定の梅ポテチとマンゴージュースも買ったぞ。ふたりで食べよっか。あんな女の戯れ言なんか気にするな」
「でも……でも……」
蓬莱天音は、顔を押さえる。
「私って……憎しみを押さえられないんです……」
「……君は悪くない」
方丈日那女は、後輩を抱き締める。
「国を滅ぼされ、ご両親と恋人を殺され……そんな君を誰が責められると?」
「でも……」
「私は覚悟してる。この街は、強力な結界の内にある。それを仕掛けたのは、父だ。父が死ねば、結界は消える。そうなれば……全ての魔法が消えるんだよ。月城の作られた身分も消え、彼は身寄りの無い少年になる。彼のことを覚えている人間が、どれくらい残るかも分からない」
「……先輩……」
「父の命は長くは無い。月城が高校生でいるうちは、仲間と過ごさせたい。だから、私が結界を引き継ぐ。かなりの重労働で、この肉体の維持は難しいだろう……肉体が失われても、魂さえ残れば結界を維持できるのが救いだ……」
「そんな……先輩!」
蓬莱天音は悲鳴に近い声を上げる。
だが、方丈日那女は笑顔で首を振った。
「『
方丈日那女の瞳は、緩やかに濡れる。
「君の方が苦しいだろう? 何もかもを捨てて、二つの国を支える『礎』になろうとしている……」
「……先輩……」
蓬莱天音は――泣き崩れた。
分かっている。
闘いが終われば――
けれど、今の自分は『村崎綾音』に憑依しているに過ぎない。
彼女には、家族と幸せに暮らす権利がある。
この体は、彼女に返さなければならない。
そして自分は御神木と一体化し、死した人々の魂を集め、大地と空が癒される日を待つ。
その日が来たら魂を送り出し、人々の安寧を見守る……。
新しき『大いなる慈悲深き御方』となるのだ。
だが、それは人としての『心』を捨てることだ――。
「ま、あの女にはデカいこと言ったが……皆には内緒だぞ。まだ、死ぬ訳にはいかんからな」
「はい……」
「君が、ちょっぴり羨ましいぞ。君は、いい男に惚れた」
方丈日那女の暖かい言葉に、何度も頷く。
現世に来なければ、『村崎綾音』に憑依しなければ良かった、と云う思いはある。
しかし、転生を繰り返す『四将』たちには助けが必要だ。
彼らの意志が強くとも、それだけでは『
蓬莱天音は顔を上げ――笑顔を見せる。
心の苦しさは消えていない。
それでも、誰かと想いを分け合えるのは――嬉しい。
「やっぱり、先輩は素敵です。『花の国』で見た
「君も変わってないよ。蹴鞠を観る為に、御簾の隙間からひょっこり顔を出した日のままだな」
少女たちの笑顔は輝く。
短い夏の一瞬の光のように。
その一瞬の光は時に流されても――その果てて、永遠に輝き続けるだろう。
「梅ポテチ、食べましょう。コップと氷、持って来ますね」
「頼むよ。おっと、窓を全開にするよ。その前に塩! あの女が座った場所に撒いとくよ」
方丈日那女はリビングの内窓を開け放ち、キッチンに塩を取りに行く。
塩を座卓と玄関にササッと撒き、座卓をウェットシートで念入りに拭くと――額に汗が滲んだ。
シートも塩で清めて捨て、手を洗う。
「……先輩、遠慮せずに扇風機を付けて下さい」
蓬莱天音は、氷を入れたグラスを運んで来た。
「じゃ、お言葉に甘えて」
方丈日那女は、古い扇風機のスイッチを押す。
四枚の羽が回り、涼風が室内を巡る。
紙パックのマンゴージュースを開封し、コップに注ぐ。
浮いた氷がグラスを叩き、チリンと鳴った。
ポテトチップスも開封し、ふたりで摘まむ。
少女たちは向き合い、静かな時を過ごした。
我が身を捧げようとしている少女たちが――。
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