第14章 魔手

第82話 

 高校の学力テストも終わり、明日から桜南高校も夏休みに突入する。

 だが――和樹は、嫌な胸騒ぎが収まらない。

 

 事の発端は、久住さんだ。

 学力テストで英語の点数が悪かったらしく、答案が帰ってきたその日のうちに、予備校の夏期集中講座を申し込んだそうだ。

 

 講座は、一回八十分で合計七日間。

 受講場所は、街の中心部のビルの五階で、バスなら三つ先の停留所。

 徒歩だと十二分程度。

 たいした距離でも期間でもない。

 けれど、久住さんと離れるのは悪手だ、と和樹は思う。

 よって、一戸・上野・月城を例の水飲み場に呼んで相談したのだが……

 


「……そんなこと言ったら、彼女親御さんと買い物にも行けねーし」

 上野は、タコ唇で意見を述べた。

 その反応は正しく、和樹も同意せざるを得ない。

 自分の隣人でミゾレの飼い主、と云うだけの彼女を巻き込んでしまった。

 彼女に災いが及ぶのは避けねばならない。

 

 

「おーい、ちょっとそこ貸してくれ~」

 新設されたサッカー部の部員五名が、水飲み場に走り寄って来た。

 和樹たちは、足早に水飲み場を離れる。


「……昼休みにも玉蹴りとは熱心だねー」

 上野の言葉に、和樹の心には切なさが込み上げる。

 彼らと同い年の自分たちが命懸けで闘っている現実が――苦しい。



「……取り敢えずは、彼女に醤油さしを多めに渡そう」

 一戸は、真っ当な提案をしてくれた。

 例のエキスは、自分たちを『魔窟まくつ』へと誘うアイテムだ。

 霊能力のある者が直に触れると、魂が引き込まれる感覚に襲われる。

 そうでない普通の人には、『悪霊』除けとなるのだが――


「だが、『黄泉よみ姫』の件もある。警戒は必要だ」

 月城は、沈着に言う。

 『黄泉よみ姫』は、村崎家に現れた玉花ぎょくかの姫君のニセ者の呼称だ。

 方丈日那女が全員に伝える際に、ニセ者をそう呼んだのが定着した。

 その一件を聞いた一同が、戦慄したのは言うまでもないが。

 



「久住さんが講習を受けている時間は、俺がビルを見張る。家から近いし」

 和樹の顔色を伺いつつ、月城は良案を出した。

「お前もヒマだよな? あそこは繁華街だから、時間潰しには不足しない」


「え? うん……そうだね! ありがとう!」

 誘われた和樹の顔が、分かりやすく輝いた。

 その純朴さに、上野は溜息を吐く。

(久住が心配だから、護衛するとチョクに言えよな~。オレも行ったるけどな)





 かくして、夏休みの二日目。

 久住さんが受講初日である。

 四日間受講・休日・三日間受講、で講座終了だ。

 一戸は部活があり、別の予備校の夏期講習にも参加する。

 だから久住さんの護衛には付き合えず、何度も「すまない」を繰り返した。

 家を出る前にも同様のメッセージか来て、和樹はスマホに向かって頭を下げた。

 

 

 そして久住さんが家を出たのを見計らい、徒歩で予備校ビルに向かった。

 当然、蓬莱さんも同行している。

 再び『黄泉よみ姫』が現れるやも知れず、彼女を独りにするのも危険だ。

 

 途中で上野と合流し、そして予備校隣のビル一階の時計店前で月城と合流した。

 ただし、この護衛は久住さんには内緒である。

 『黄泉よみ姫』のことも話していない。

 彼女の成績が落ちたのは、『魔窟まくつ』の件が関わっているかも知れない。

 大事な時期に、余計なことを耳に入れたくなかったのだ。


 

 

 一行は、街路を挟んだ予備校向かいにあるドーナツショップに入る。

 窓際の席が空いており、四人は思い思いのドーナツを買い、席に着いた。

 

 和樹は、黒糖リングとコーラ。

 上野は、ミートパイと抹茶ドーナツとアイスカフェオレ。

 月城は、シュガーリングとアイスコーヒー。

 蓬莱さんは、フレンチショコラとアイスティー。


 四人は。ドーナツや飲み物を頬張りつつ、向かいのビルを眺めた。

 七階建てのビルで、和樹が小学生の頃は地元の家電量販店やアパレルショップが入店していた。

 今は予備校となり、屋上から『大学合格率八割以上』の垂れ幕が風に震え、一階の窓は、講座の紹介や進学率を記したポスターで埋まっている。

 

 

「青春だねー」

 ビルに入っていく中学生たちを眺め、上野は抹茶ドーナツをかじる。

「来年には、オレっちもあの中かな~?」


「僕はオンライン講座にするよ。お金、掛けられないし」

 和樹はコーラを啜り、隣に座る蓬莱さんをチラリと見た。

 

 その視線を感じたらしい彼女は――微笑む。

「私も、そうしようかな。本当はバイトしたいんだけど」


「月城は大学行くのか?」

「……分からない。考えたことない」

「考えろ。抜け駆けは許さんにょ~」

「みんな、一緒に卒業しようよ……」


 和樹は明るく言い、心から願う。

 一緒に高校を卒業する。

 それが極めて難しいことを誰もが知り、しかし口にしない。

 

 闘いを終わらせたい。

 けれど終わらせれば――蓬莱さんは現世を去るだろう。

 村崎綾音さんが戻り、彼女の位置に座るかも知れない。

 綾音さんのご家族のためにも、そうあるべきだろうけれど――。


 そして、斜め向かいの月城に視線を移す。

 彼は、自らの身を削る無茶な闘いをしている。

 そんなことを続けて、体が持つとは思えない。

 千切れた腕が再生したことはあったが、いつかは限界が来るだろう。

 

 けれど、そうさせてはいけない。

 みんな揃って高校を卒業し、今生を全うしたいが――

 


(『蓬莱の尼姫』のニセ者か……)

 和樹は、その姿を想像する。

 夢で見た『蓬莱の尼姫』は美しかった。

 楚々として高雅で凛として――墨染の装束が御労おいたわしくもあった。

 

 かつての自分が愛した姫君。

 姫君の前で自分は斬首され、転生を繰り返し、現世と魔窟の狭間を彷徨っている。

 闘いの終わりは、姫君との永遠の別れとなるのだろうか。

 姫君は、故郷を見捨てはしないだろう。

 人々の魂が浄化され、二つの国が再興するのを見守るだろう……



 それを想像すると、和樹の胸は痛む。

 自分は、姫君を支えないのか――

 愛した女性を独りにするのか――




「ナシロ、気張るなよ。トイレなら開いてるみたいだぞ」

 上野が、周囲に聞こえる声を上げた。

 和樹は「え?」と問い返し、無意識に店内の奥のドアを見た。

 そこに近い席に座っていた白髪混じりの御婦人三人と目が合う。

 

「ん、あ、いや……行って来るっ」

 和樹は立ち上がった。

 別に行きたくはないが、ごまかすように顔を背けてトイレに入る。

 

 重苦しい考えに捉われ、よほど強面な顔をしていたのだろう。

 横にある鏡を眺め、頬を軽く叩き、眉を指でグリグリ回す。

 蓬莱さんが、強張った顔に気付いていませんように――と祈った。

 




 同じ頃――。

 駅に近い温泉付きホテルのフロントに、キャリーバッグを引いた若い女と少年が現れた。

 

「おはようございます。アーリーチェックインで予約した神代かみしろと申しますが」


 白いワンピースを着た女は、愛想良くフロントスタッフに頭を下げた。

 背後の少年も、コクリと会釈する。

 フロントスタッフの中年女性も、満面の笑みを浮かべて挨拶した。

「いらっしゃいませ。神代かみしろ様ですね。少々、お待ち下さいませ」


 女性はキーボードを操作し、予約者を検索する。

「はい。神代かみしろ 日那女ひなめ様。ツインルームにて、三泊のご宿泊を承っております。ようこそ、当ホテルにお出でくださいました。お手数でございますが、こちらの宿泊者名簿に御署名をお願いいたします」


「はい」

 女は快く承諾し、スラスラと達筆で署名をする。

 同行者欄には『神代かみしろ 一樹』と記し、名簿を返す。


「弟と祖父母に会いに来たんです。祖父母の家は泊まるスペースが無いので、こちらにお世話になります」

「そうでしたか。学生さんは夏休みですものね。ごゆっくり、お過ごしください」


 フロントスタッフはカードキーを二枚差し出し、ひと通りの説明をする。

 大学生と高校生の仲良し姉弟だと思ったのだろうが……


 

 説明を聞き終えた二人は、アサインされた八階の部屋に入った。

 広めの角部屋で、セミダブルベッドが二台と、ソファー・テーブルがある。

 大きな窓からは、彼方に連なる青い山々が一望できる。


「きゃはははははははははははは!」

 少年はキャリーバックを置くなり、窓に顔を付けて甲高い声で笑った。

「すごいすごい! 高い山! 高い山! きゃははははははは!」


「うるさいね。外では笑うんじゃないよ! 呆け者が!」

 女は結い上げていた髪を解き、眼鏡を外してベッドに放った。

 長い黒髪が重々しく揺れ、濡れた舌が赤い唇を舐める。


「まったく、あんたの結婚は手間が掛かるね。面倒くさい!」

「そんなこと言わないでえ~~。僕、千佳ちゃんが好きなんだもん!」


 少年は、床に転がって足をバタバタさせた。

「千佳ちゃん、千佳ちゃん、千佳ちゃん。きゃははははははははは!」


 ――刃と刃を擦り付けるような不快な笑い声は、しばし続いた。

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