第83話

 桜南高校の夏休み開始より三日目。

 

 午後二時半――方丈日那女は、数学検定試験を終えて帰宅の途に着いた。

 会場は市内の文化事業会館で、高校生も多かった。

 母校は、去年は東大合格者を一人出している。

 入学後は、教師から「東大に挑戦してみないか」と勧められたが……

 

 自分は、大学には行けない――


 その予感に首根を引っ張られ、学業は手を抜くようになった。

 どこかにいる優秀な生徒一名の『席』を奪う気はない。

 自分の使命は、地獄と化した『魔窟まくつ』に光をもたらす若者たちの礎となること。

 そのために現世に何度か生まれ、若者たちのために奔走した。

 息つく隙は少なかったが、現世では良い友人たちと出会い、学生生活を楽しんだ。

 

 闘いを終えたら――若者たちには、現世の幸せを全うして欲しい。

 自分は体を捨て、この街の大気と同化し、みんなを見守る。

 神逅椰かぐやと同期の四将でありながら、彼の暴走を許した責任は取らねばならない。

 なのに――



(何で、検定試験なんて受けてるんだろ……)

 バス停を目指しつつ――苦笑した。

 覚悟はしているのに、まだ……夢を手放せない。

 誰かが運命を変えてくれるのを、心ひそかに期待している。

 

(……未練タラタラ、みっともなっ。王子様を待つお姫さまってか?)

 シンデレラドレスの我が身を想像してしまい、気分を変えようと肺を膨らませた。

 『魔窟まくつ』での闘いは、終盤に差し掛かっている。

 若者たちには、現世での将来がある。

 だからこそ、一気に畳みかけて決着を付けたい。


 

 ここで――振動を感じた。

 トートバッグに入れていたスマホだ。

 試験のため、バイブ機能以外をオフにしていたのを思い出す。

 立ち止まり、スマホを調べると――吉崎さんからのメッセージだった。

 

 【 おーい。検定、サボったの? 】


 【 終わったよ? 今、帰る途中 】

 サッと返信した日那女だが――直後に気付いた。

 急いで、メッセージを打ち込む。


 【 また、私と神無代かみむしろのそっくりさんがデート? 】


 【うん。 駅の『メリー珈琲』にいたじゃん。相手は見えなかったけど 】


 【 人違いだよ~。じゃね 】



 そう返信してアプリを閉じたが、思わず声を上げてしまう。

「……またか!」


 すると、周囲を歩いていた学生たちの視線が集まった。

 だが、それどころではない。

 自分のニセ者の他に、もう一人いる。

 友人がどういう状況下で、珈琲店にいた二人組を見たのか分からないが、ただちに対策を講じなければならない。

 悠長にバスを待つ隙はなく、タクシーを拾って駅前に向かう。






 日那女は、駅で呼び出した月城と合流した。

 顔を合わすや否や、駅から道を挟んだ『メリー珈琲店』の窓の前に立つ。

 ビジネスホテルの一階にある喫茶店で、蜂蜜や蕎麦なども販売している。

 

「ここに、ニセ者たちが居たんですか?」

 月城の問いに、日那女は低い声で呟いた。

「ああ。吉崎くんに電話で訊ねたら、ここを通った時に私のニセ者を見たそうだ」

 

 中は通路を挟んだ四人掛けのテーブル席が四つ並び、三組の客が居る。

「詳しくは聞かなかったが、おそらく私のニセ者は窓を正面にした席に座り、相手はその向かい。だから、背もたれで相手は見えなかった。頭の天辺だけが見えたとか」


「また、神無代かみむしろのニセ者でしょうか?」


「彼は自宅だな?」


「はい。久住さんを心配していて……先ほど電話しましたが、自宅に居ました。蓬莱さんと久住さんと、ミゾレも一緒だそうです」


「ミゾレを久住家に置いといて正解だった。油断も隙もない奴らだ!」

 日那女は荒々しく罵る。

 『桜夏祭』で、被害者が出なかったのは奇跡かも知れない。

 教頭が巻き込まれた一件があるし、一戸の叔父の僧侶が大怪我をさせられた。

 それに、『黄泉姫』からは非常に禍々しい波動を感じた。


「月城……私や黄泉姫のニセ者は、火名月ひなづきたちとは違う」

 ステージ上での格闘を思い出し、生唾を飲み込む。

「姉の亜夜月あやづきも彼らも、あちらで死んだ者たちだ。魂を神逅椰かぐやに吸収されて敵対したが、本人の人格は僅かながら存在していた」


「……先輩や神無代かみむしろのニセ者は、そうでは無い…と?」


「私はあちらで死ぬ前に、『黄泉の泉』に血を捧げた。だから死後に魂は『黄泉の泉』を通り、現世に来れた。神無代かみむしろたちや、お前も似たようなものだろう」

 日那女は、入り口付近のチョークボードに書かれた手書きのメニューを眺める。

「私や神無代かみむしろのニセ者は、魂の無い空洞だ。奴らが暴れ、死者が出なかったのが幸運すぎた」


 日那女は目配せし、喫茶店のドアを開ける。

 ドアチャイムが涼し気に鳴り、二人はドアを潜った。

 店内にはコーヒーの香りが満ち、その中にスパイスの匂いが仄かにくゆる。

 ドアの左側にカウンターがあり、中年の男女が働いていた。

 男性はコーヒーをドリップし、女性はサンドイッチを盛り付けている。

 カウンター横のキャビネットには、瓶詰蜂蜜、メープルシロップ、乾燥蕎麦などが展示・販売されている。


 ホールスタッフの女性が近寄って来て――日那女たちに笑いかけた。

 その眼差しに、日那女は「しめた!」とばかりに微笑む。

「すみません。先ほど来店したのですが、その時の連れがハンカチを忘れたかも知れなくて」


「はい。ご来店を覚えております」

 スタッフは微笑んだ。

「それは、御婦人用のハンカチでございますか?」

「はい、妹のです。白地に、月とウサギの刺繍がしてあります」


「あいにくですが、お席には無かったようです。お忘れ物を見かけましたら、お預かりするのですが」

「そうですか。すみません。妹の勘違いかも知れません。失礼しました」

「どういたしまして。またのご来店をお待ちしております」


 丁重に会釈するスタッフを後に、二人は喫茶店を出た。

 そして、日那女は言った。

「お前は、上野と一戸に知らせろ。私は、神無代かみむしろたちに知らせる!」






「先輩と……女の子ですか?」

 

 日那女からの電話を受けた和樹は、スマホをスピーカーに切り替えてテーブルに置いた。

 久住さん、蓬莱さん、ミゾレと英語の宿題をしていたが、緊迫した事態に緊張し、ピンと聞き耳を立てる。


『そうだ。喫茶店のスタッフの顔を見て、カマを掛けた。私のニセ者と、年下の女。そいつらが、良からぬことを企んでいるのは間違いない』


 響く日那女の声に、蓬莱さんと久住さんは顔を見合わせる。

 和樹は、頭を抱えたくなった。

 久住さんを思い、『黄泉姫』来襲の件は彼女に黙っていたのに――水の泡だ。


「……その年下の女の子の容姿とかは、分からないんですか?」

 和樹は、首をすくめて訊ねる。

 今のところ考えられる正体は、『黄泉姫』ぐらいだろうが……


「すまん、さすがにそこまでは聞けなかった」

 日那女の返事は、和樹を大いに落胆させる。

 スマホに自分たちの写真があるよね、とは思ったが――すぐに考えを改めた。

 写真を見せるのは、さすがに不審過ぎて、店員も黙り込むに違いない。

 店員の話を引き出してくれただけでも、敢闘賞ものだ。


「……分かりました。注意します。母にも伝えます」

「頼む。出来れば、今夜にも『エキス』を大量に補充できるか?」

「はい。やります。知らせてくれてありがとうございます」


 和樹はスマホに向かって軽く頭を下げ、ここで通話は終わった。

 深く深く嘆息し、少女たちを眺める。

 蓬莱さんは済まなさそうに俯き、久住さんは不安そうにミゾレを撫でる。


「あ~……ひと休みして、アイスでも食べよう。詳しい話をするよ……」

 和樹は立ち上がり、いそいそと冷蔵庫に向かう。

 買い置きの、とうもろこしアイスがある筈だ。


 冷たいアイスで舌と喉を潤せば、少しは和むだろうか――。

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