前・第13章 月下の獄にて

第79話

 夜半である。

 月は艶やかに美しく輝き、御神木の影は広々とした邸を覆う。


 門の前には、影の如き姿の家来たちが立ち並ぶ。

 それぞれが手に松明を掲げ――しかし家来たちに意志は無い。

 命令のままに動くだけの人形ひとがただ。


 それらが居並ぶ列の中央を、八人の随身たちが牽く豪奢な輦車てぐるまが進む。

 屋形やかたにしき貼りで、出入り口に垂らす御簾は赤紫色。

 内側には、桜と梅が描かれた綾で飾られる。


 中に座る高貴な囚人は、すすり泣く尼女房たちを優しく眺めておられる。

「すまぬ……そなたらに心配を掛けた」

 尼姿の王后が彼女たちの手を取ると、その嗚咽はいっそう高まった。


「いいえ……もったいのうございます……」

「御無事で戻られたのは嬉しゅうございますが……」


 かつての玉花の姫君付きの女房であった有明ありあけ撫子なでしこは、ただ涙を流す。

 あれから、どのぐらいの時が流れたのか、もはや分からぬ。

 闇に閉ざされた故郷で、王后付きの尼女房として永らえてはいるが、我が身に血が通っているのか定かならず。

 奥の女院堂にて、王后の話し相手を務めつつ、この無間むげんが終わることを祈る日々である。



 やがて、輦車てぐるまは止まった。

「おうきさきさま~、とうちゃくしましたよぉ」


 幼稚な声が聞こえ、尼女房二人は恐々と首を窄める。

 出口の御簾が上げられ、額にお面を付けた如月きさらぎが抜けた声を掛ける。

「あ~のぉ……おりてもいいですよ」


「……そこを退くがよい」

 王后が腰を浮かせると、如月きさらぎは臆して顔を引っ込めた。

 外には、黒毛に騎乗した雨月うげつも居る。

 


 王后は、庭に敷かれた畳の上に降りられた。

 母屋の廂には、尼の早蕨さわらび伊予いよが項垂れて座っている。

 早蕨さわらびの左横には、リコーダーを弾く神名月かみなづき

 伊予いよの右横には、猫の玩具を抱く水葉月みずはづきが居る。


「……何故なにゆえ、女院堂に男が入り込んでいるのか? 女房たちから離れよ!」


 王后は、微塵も臆せず叱咤する。

 水葉月みずはづきはピクッと肩を上げ、転げ落ちるように階段を下りた。

 神名月かみなづきも手を止め、ぶつぶつ呟きながら庭に飛び降りる。

「僕たちは、神鞍月かぐらづき様の言いつけに従っただけなのになー」



 二人が離れると、早蕨さわらび伊予いよは灰色の長袴を引き摺りながら階段を下り、王后の足元に擦り寄った。

「王后さま! 御無事で……」

「……お帰りなさいませ……」


 畳に手を付き、深い拝礼で迎える。

 有明ありあけ撫子なでしこも王后の後ろに座し、裳裾を整えて差し上げる。


「みな、変わりはないな? 抜け出して済まなかった」

 王后は皆をねぎらう。

現世うつしよに居る姫や、四将たちにうて参った。みな、我らを救わんと闘ってくれている。いま少し……辛抱しておくれ」


 すると――尼女房たちは、泣くに泣いた。

 王后は、火名月ひなづき殿や三神月みかづき殿が抜けた御神木の隙間を縫って現世うつしよに出た。

 『八十九紀の四将』が転生を繰り返していることは承知だ。

 たとえ僅かな時間でも、彼らを励ましたい――。

 感謝の意を伝えたい――。


 その一念からの無謀である。

 尼女房たちの身を危惧したが、四人とも一時の脱出を勧めてくれた。

 もはや今以上の罰は無く、少しでも四将たちの様子について知りたかった。

 

「みな、中に入ろう。四将たちや……姫の話を聞かせよう。あちらには、不思議な食べ物がある。民は、市場で自由に物を買える。学寮で祭りがあり、姫が菓子を運んでいた」


 すると、尼女房たちは目を丸くした。

「姫さまがお菓子を?」

「どういう祭りなのですか!?」


「話せば長くなるが、その時間はあろう。さあ……」

 王后は促し、尼女房たちは王后に従って母屋に入る。

 尼女房たちは、見知らぬ世界の想像も付かぬ祭りに興味津々だ――。

 

 

 

 

 同じ頃――

 最深層の『奥の院』の母屋では、花弦の王君が静かに御庭を眺めておられた。

 帽子もうすと袈裟を身に付け、数珠を手に風に揺れる庭草に想いを馳せられる。

 

 その後ろでは、同じ衣装に身を包んだ羽月うげつ殿が琵琶を奏でていた。

 御神木の中の獄では変化は無く、無慈悲に時が過ぎゆくだけである。

 だが、外で起きていることは、自然と伝わる。

 されど、何も出来ない。

 弟や妹のように思っていた後輩たちが傷つけ合うのを傍観するのみだ。

 そして、亜夜月あやづきと『八十八紀の四将』たちは、滅して救われた。

 その魂は――安らかな眠りに着いただろうか。

 


「……羽月うづき僧正そうじょうよ……きさきが戻ったようだ」

 王君の言葉に、羽月うづき僧正そうじょうは無言で頷く。

 王后が戻られたのを喜んで良いのか分からない。

 何より、無力な我が身が情けない。

 今はこうして王君のお傍にいられるが――行かねばならない。

 

 不本意であっても、『宵の王』には逆らえない。

 自分は『八十九紀の四将』を倒すべく、刃を向けるだろう。

 願うのは、彼らに倒されることのみだ。

 それで二つの国が救われるなら本望だ。

 神鞍月かぐらづきを狂気から解放してくれるなら――。




 思うのは、遠い過去の――武徳殿でのこと。

 『八十八紀の四将』叙任の儀の二年ほど前の初秋である。

 現役の『近衛府』の剣士も参加し、剣士修練生たちの腕前を武官たちに披露する慣例行事が実施された。

 それは剣士二人が一組となり、太刀で打ち合う危険な仕合である。

 まかり間違えば死者も出かねず、癒しの術の使い手たちも待機する。


 羽月うづき殿は神鞍月かぐらづきと共に男性剣士の控えの間に入り――すると、ざわめきが瞬時に収まった。

 二人は折り烏帽子に質素な修練着、薄い皮沓と、後輩たちと同じ装束である。

 

 後輩の近衛童子たちは驚愕しつつも背を伸ばし、敬意を表して直立した。

 現役の『近衛府の四将』が参加するのは稀であり、その剣術を見られる貴重な機会に目を輝かせる者もいる。

 そうした十五、六歳の少年たちの下の『八十九紀』組の童子たちは、偉大な先輩の姿に緊張し、手にした木太刀を震わせるのみだ。

 

 羽月うづき殿は、その中の――二人の童子に目を止めた。

 神鞍月かぐらづきの弟アラーシュと同組の、セオとアトルシオである。

 その資質から、早くも『八十九紀の四将』の剣士候補と噂されている。


 だが、ここで贔屓して声掛けは出来ない。

 仕合の直前であり、他の童子たちにも示しが付かない。

 二人は無言で、仕合場に続く回廊前に立った。

 後ろでは、童子たちが囁いている。


「……神鞍月かぐらづき様も木刀で闘うのかな?」

「……羽月うづき様は素手だし……」


 ――子供たちか驚くのも無理はない。

 子供たちが持つのは木太刀だが、『八十八紀』組は、全員が太刀を所持している。

 実戦を想定した訓練なのだから当然であり、ここまで残った『八十八紀』組の剣士の実力は『近衛府』の一般衛士を遥かに凌ぐ。

 『近衛童子』出身の現役の剣士と対等に打ち合える腕前だ。

 しかし、現役最強剣士の二人のうちの一人は木刀で、一人は素手だ。

 これで、『八十八紀』組の剣士修練生五十二人を相手にするつもりなのか――

 緊張で、部屋の空気が張り詰める。

 

「お前は……黙って立ってろ」

 神鞍月かぐらづきは背後の密かな喧騒など介せず――羽月うづき殿も頷いた。

 なぜなら……






「……すまぬ……僧正そうじょう。そなたの滅を望まねばならぬ……」

 王君の端正な顔が無念に歪む。

 友を諫めて落命した高潔なる剣士が倒されなければ――闇は終わらない。

 

 羽月うづき僧正そうじょうは無言で琵琶を奏で……月を見上げた。

 月帝より貸し与えられた最強の太刀が――我が身に在る。

 

 伝説の国『星窟ほしのいわ』からもたらされたとも言われる『宿曜すくようの太刀』――。

 自分はこれを携え、『八十九紀の四将』と闘うのだろう。

 彼らが、自分を打ち破ることを信じるだけだ――。

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