第78話

 キッチンテーブルには和朝食が並び、それを囲んで四人が座る。

 

 煮転がしの匂いは香ばしく、豆腐とネギの味噌汁からはフワリと湯気が立つ。

 黄金色の出汁巻き卵は、ひとり二切ずつ。

 塩麹漬けの紅鮭は厚切りで、皮の焦げ目が食欲をそそる。

 小鉢に盛られたキャベツの浅漬けの端には、紫が鮮やかな柴漬けが添えてある。

 円形容器の納豆の横には、味付け海苔の小袋と小皿。

 そして麦茶のペットボトルとコップ。



 和樹が炊飯器からご飯をよそい――全員に行き渡ると、一戸が両手を合わせた。

 三人もそれに続き、「いただきます」と唱和してから箸を取る。



「旅館の朝食みたいだね」

 和樹は味噌汁をひと口啜り、「美味しい」と声を上げた。

 上野は調味料セットから砂糖入りの小鉢を選び、納豆に振りかける。


「やっぱり、お砂糖をかけるんだ」

「お前だって、ガキの頃はやってたじゃん」

「親戚で、餅に砂糖だけを付ける人がいたな」

「月城、お前もやってみろよ」

「……甘すぎるのは苦手だから」


「……では、砂糖はあったのか?」

 一戸は、柔らかな出汁巻き卵を箸で切り、月城は柴漬けを摘まみつつ答えた。

「砂糖はない。俺たちが口に出来た甘味は干し柿と、つるから煮出した『甘葛煎あまづらせん』。蜂蜜は物凄く貴重で、帝家の饗宴などで出されたそうだ」


「サツマイモは? 干せば甘いぞ」

「芋類は、里芋か山芋」

「『叙任の儀』の後で食べた御膳は、薄味だったよね」

「アワビと干し柿はウマかった。あん時の煮物にも、里芋が入ってたな」



「あの……朝まで、ぐっすり寝込んで……ごめん」

 和樹は話を折り、箸を置いた。

「王后さまに夕食や朝食まで作っていただいて……僕も手伝えば良かった」


「王后さまは、みなを起こすなと仰せられた。そして、食事を作り終えて間もなく、お戻りになられた……」


 一戸によると、王君ともども御神木に囚われておいでとのこと。

 今回のことで罰を受けていなければ良いが、それも御覚悟の上での行動だろう。

 危険を承知で、窮地を救ってくださった。

 貴重な情報もいただいたのだが――


「……やはり、言って置く」

 一戸は麦茶で喉を潤し――三人を見やる。


神逅椰かぐやが造ったニセ者の中には、玉花ぎょくかの姫君もいる。神逅椰かぐやは、彼女を妻にしている」


「えっ!?」

 和樹は、味付け海苔で巻いたご飯を口元で止め、上野は一戸を睨んだ。

 ニセ者たちの件は知っていたが、神逅椰かぐやと姫君の件は初耳である。

 穏やかな食卓を、気まずい緊張が覆う。

 


「……三人、と云うことか」

 月城は冷静さを崩さず、味噌汁の椀をテーブルに置いた。

「ナシロの父君を匿っておられる『蓬莱の尼姫』。神逅椰かぐやの奥方。蓬莱天音。少なくとも、三人の姫君が存在している」


「俺らのニセ者に、方丈先輩のニセ者に、羽月うづきの様のニセ者……チロのニセ犬もか。めんどくせー」

 上野は吐き捨てた。

 ニセ者と闘うことに躊躇いはないが、二度と現世に来ないで欲しい――。

 それは全員の願いだった。

 今までは、吉崎先輩に写真に撮られただけで済んだ。

 だが、ニセ者を本物と勘違いして、声掛けする知人たちが出るかも知れない。

 極めて危険な事態と成り得るだけに、あってはならない。

 


羽月うづき様は……優れた剣士だったんだろう?」

 一戸は話題を変え、煮転がしのインゲンを摘まむ。

「俺とナシロで……勝てるか?」


「分からない……」

 だが――月城の冴えない顔が、敵の実力を雄弁に語っている。

「『近衛童子このえどうじ』の前で、先輩が模擬仕合を披露することはある。ただあの御方は、仕合で太刀を持参したことはない。神鞍月かぐらづきと組んで出てきても、後ろで立っているだけだった。神鞍月かぐらづきも、木刀でササッと相手を打ち負かしていたが」


「マジかよ……きっつぅ~」

 上野は頭を掻く。

「つまり、どんな剣技を使うか分からないってことかいな?」

 ――ちょうどこの時、彼のスマホの着信音が鳴った。


「……兄貴からだわ」

 上野は、メッセージの返事を入力する。

 和樹は、兄の真央まひろ氏が、幕を引いてくれたと聞いた。

 どうやら、自分たちの闘いに感づいたらしい。


真央まひろさんには、事実を話すのか?」

「……チロのこともあるし、ごまかしきれねーよ」

「……だな」


 一戸は浅漬けをかじる。

 妹たちは途中退場したそうだが、沙々子氏の機転のおかげと聞いた。

 食べ終えて帰宅したら、祖父の叱責が待っているだろうが――。

 まあ、いい。

 仲間も、生徒たちも先生も、一般客も無事だった。

 何も問題はない――。



 こうして順当に料理は減っていき、一同は後片付けをする。

 余ったご飯は、握って海苔を巻いた。

 月城の昼食になるだろう。

 

 三人は月城から借りたシャツや下着を脱ぐ。

 洗濯した下着類と制服を身に付け、荷物を持ってバスで帰宅する。


 三人とも無言で、窓の外を流れる景色を眺めた。

 今日は、振替休日である。

 反省文を書き、明日には提出しなければならない。


「おい。反省文、書けたら画像くれ。写させてくれよ」

「まんま写したら、マズイよ」

「少しだけ表現変えればいいだろ」


 囁き合う和樹と上野から目を外し、一戸は車内広告に目を向ける。

 二人には――月城の体のことは、どうしても伝えられなかった。

 これが吉と出るか、凶と出るか――分からない。







 そして三人はバスを降り、少し歩いて解散した。

 

(……父さんの着物、破れてないかな)

 紙袋に仕舞った着物を眺めつつ、和樹は自宅マンションのドアをくぐる。

 別棟に住む老齢の犬を連れた女性とすれ違い、挨拶をした。

 ゴミ袋を下げたスーツ姿の住人も、裏玄関から出て行った。


 エレベーターに乗り、六階のボタンを押し、腕時計を見ると午前十時近い。

 母は出社した後だろう。

 食器の後片付けの最中に、母からのメッセージが届いている。


 【 帰りに『ごぜんや』さんのメンチカツを買って帰るからね 】

 

 記されていたのは、それだけ。

 だが、それだけで充分だ。

 昨日の、母の驚きと心労は大変なものだっただろう。

 それでも、何も知らない一戸の妹たちを体育館から出してくれた。

 母には、百年分の感謝を贈っても足りない。


 だから――感謝を贈るために、絶対に生き延びる。

 五十年前の、当時の家族たちは自分たちの事故死に打ちのめされただろう。

 決して、繰り返さない――。


 

 固く誓い、エレベーターを降り、自宅のドアノブに手を掛けると……鍵は掛かっていなかった。


 そっとノブを回し開けると――ドアチャイムが揺れ、鳴った。

 足音が聞こえる。


「ナシロくん…!?」

 久住さんが、目の前に現れた。

 淡い紫色のトップスに、白いカーゴパンツ、ボーダーソックスコーデだ。

 口を四角く歪ませ、目を潤ませ、小刻みに震えている。


 その横から、ミゾレを抱いた蓬莱さんも姿を見せた。

 こちらは、クリーム色のトップスにデニムスカート、グレーのカバーソックス。

「……お帰りなさい」――と、静かな声音で言う。


 ミゾレは手足をバタバタさせ、彼女の腕から飛び降り、和樹の足を突く。

 久住さんは、指先で目を拭う。


「ただいま……」


 和樹は、彼女たちに微笑み返した。

 長い一日が終わった。




 ◆◆◆◆◆◆


 このお話の後日談「問わず語り外伝 その壱 上野昌也」へのリンクです。


https://kakuyomu.jp/works/16816452221358206980/episodes/16817139555516346834

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