終章(八) 宵の王

第158話

 夢幻は全て消えた。

 

 闇を照らすは、紅の光を放つ月。

 そして、白銀を放つ御神木。


「みんな、どうなってるの!?」

 

 声と共に、制服姿の美名月みなづきが、闇から抜け出すように浮かび上がる。

 白炎の手綱を取っており、足元にはチロが居る。

 チロは尻尾を振り、主人の如月きさらぎに走り寄り、足元を回る。


「……お姫さまは?」


 不安そうに訊ねる美名月みなづきだったが――答えを待たずに顔を伏せた。

 彼女も、全てを察してはいた。

 自分を可愛がってくれた御主人は、もう居ない。

 二度と会うことは無い。


 最後の触れ合いは、あの茶室でいただいたイチゴ大福と薄茶の味――。

 そして、待っているのは……



美名月みなづき……解かるな?」

 神名月かみなづきは、彼女の空いていた左手を取る。

 彼女が顔を上げると――そこには澄んだ微笑が在った。

 闘いへの哀しみが滲み出ている。

 

 最愛の妻、かけがえのない友達に刃を向けねばならない――。

 刃を突き立てなければ、闇を払えない――。

 前に進めない。


 彼の苦悩を理解した美名月みなづきは、ギュッと手綱を握って頷いた。

「うん……行くよ、あたしも!」


 彼女が決力強く宣誓すると――全員の制服が四散し、元の戦闘衣姿に戻った。

 しかも、美名月みなづきは元のドレスでは無く、汗衫かざみを纏っている。

 髪も腰までの長さの黒髪に変化し、衣装も女将が『叙任の儀』で纏う汗衫かざみに変わる。

 桜色の汗衫かざみの下に、瑠璃色のあこめと白小袖。

 紫の切り袴に、黒い浅沓あさぐつ

 色鮮やかな装束は、主人の姫君の意匠だろう。

 愛した仔猫への贈り物だ。



美名月みなづき……」

 水葉月みずはづきは彼女の新しい力を察し、顔を綻ばせた。

美名月みなづきの中に、玉花ぎょくかさまの『癒しの力』を感じる……あの御方が授けてくれた……」


 一同は振り返る。

 茶室の在った場所は闇だけに染まっている。

 だが最後に――『宵の王』は、力を託した。

 自分を倒せと――そう願いながら。


 

「敵は……神逅椰かぐやと、それを使役する『宵の王』である」


 雨月ろうろうは朗々と鼓舞する。

「だが、それらを滅するのが目的では無い。我らは、敵の魂を浄化しよう。そのために刃を振るい、術を駆使しよう。斬るのでは無く、力を削ぐ。術をぶつけるのでは無く、憎悪を引き剥がそう」


「それで行こうか……」

 如月きさらぎはベレー帽を斜めに被り直す。

 かつて滲ませていた、兄への蔑視の色は消えている。

 彼本来が会得した守護術の『気』が内を流れているのが判る。


 

 神名月かみなづきは思う――今なら闇を払える、と。

 浄化の術を使える水葉月みずはづきが復帰し、如月きさらぎの守護術も戻った。

 美名月みなづきは、傷を癒す術を受け継いだ。

 白炎もチロも居る。

 自分と雨月は、心のままに太刀を振れば良い。

 憎悪を削ぎ、闇の底に沈んだ魂を救い上げるのだ。

 

 『時聖の比丘尼さま』も、それを望んでいらっしゃる。

 

 袖の内から覗く真紅の数珠を眺め、決意を新たにする。

 その時が来れば、数珠の糸は切れるだろう。

 心配は無用だ。



美名月みなづきとチロは、白炎に乗れ。万一の時は後退しろ」

「では、これを進呈しよう」


 雨月うげつの忠告に如月きさらぎが応じ、美名月みなづきにネックレスを渡す。

 それは、あの『黄泉の水』を詰めた醤油さしを繋げたものだ。

 いつぞやの、体育館での闘いの時に現れた如月きさらぎは、同じ物を持っていた。


舟曳ふなびき先生の特性ネックレスだ。オレが単独で『魔窟』に潜れたから、その逆も可能な筈だ。いいな? オレたちが負けそうな時は……遠慮なく逃げるんだ。現世で暮らしている家を思い浮かべろ。絶対に、戻れる筈だ」


「……そうするよ。うん……そうする」

 美名月みなづきは、素直に頷く。

 彼女の本心は分からない。

 だが、彼女はそうするだろう。

 

 そうであって欲しい、と四将は願う。

 現世に戻れなかった時は、家族に伝えて欲しいから。

 自分たちの闘いの有り様を――。



 轟く光が啼いた。

 御神木の枝が、鞭を打つように大きくしなる。

 先端から、血が吹き零れる。


 零れた血は銀の幹を濡らし、血に垂れ落ちる。

 地は宙の一点に集まり、土を練るように形を成していく。



「……許さない……許さない……」


 少女の声が四方から響く。

 何かを引き摺る音がする。


「……死んで……死んでよ……どうして死なないの……?」


 少女の懇願が耳を揺らす。


 血を練った深紅の固まりの、半身が起き上がった。

 羽を広げるように、黒い長い髪が立ち上がる。


 白い顔が現れ、その下を衣が覆う。

 

 少女は瞼を上げ、虚無を見つめた。


 身の丈の倍はある黒髪。

 白い肌。

 銀灰の瞳。

 碧い唇。


 銀の糸で鳳凰が描かれた紅の小袿。

 黒と灰色の重ねの袿。

 純白の単衣。

 黒の長袴。



 少女は、気だるげに唇を少し開いた。


 左手をぐいと前に引き――すると、引き摺っていたものが前に転がり出る。



「……うああ……ぐあぅ……」


 男の生首がいなないた。


「……きさらぎぃ……だすげで……ぎゃはははははは!」


 生首の真紅の唇から、嗚咽と笑いが漏れる。


 

 少女は指に絡む男の髪を見つめ、舌打ちし、懇願した。


「何で、こいつは生きてるの? そこの四将……こいつを殺しなさい……」


 少女は力ない眼差しで命じた。

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