第159話

「おねがいです、たしゅけてくださいぃぃぃ……ぎゃははははははは!」


 神逅椰かぐやの両眼からは黒い涙が溢れ、赤い唇からは嘆願と哄笑が交互に漏れる。


 宵の王は、その惨めな有り様を嘲笑う。

其方そちから受けた屈辱は忘れぬ。あの日、『乳を揺らして舞え』と言い放ちよったな。クソ虫の分際で片腹痛いわ!」


 生首を持ち上げ、その鼻を摘まみ、頬を平手で打ちつつ、舌なめずりをする。

「ほっほっほっ、ぺったんこ~♪」



 神名月かみなづきたちは――その醜態に、頬を強張らせた。

 両者とも、元の人格や記憶を残しているが、それはおぞましい部分のみだ。

 憎悪・悔恨・殺意・凶気……

 互いが互いの『負』を高め合っている。



「……玉花さま……」

 神名月かみなづきは心穏やかに――『白鳥しろとりの太刀』を腰に収め、前に出る。

「お久しゅうございます……私を覚えておられますか?」


「……ナシロくん?」

 少女は、右手の生首を肩の高さに持ち上げ、左右に振る。

「ここまで来てくれて嬉しい。ねえ、見て。お盆の提灯みたいでしょ?」


 そして、ゆらゆら揺れる生首を突き、愛らしい声音で歌い出した。

「ろーそく、出せ~出せよ♪ 出さないと、かっちゃくぞ~♪ この歌、先輩に教わったの。お盆に、子どもたちが歌いながら近所の家を回るって」


「そうですね……現世には、そんな習慣がありました」

「ろうそく欲しい。ねえ、ちょうだい」


「……無いんだ。持ってない」

「……私の右手、空いてるの」


 少女は、右手を開いて見せた。

「じゃあ、ローソクの代わりに、提灯をちょうだい。あなたの提灯……」


 言うなり、少女の足元から出現した御神木の根が、神名月かみなづきの心臓を目掛けて突き上げた。


 しかし、神名月かみなづきの真正面に護法陣が浮き上がり、枝は四散した。

 少女は舌打ちし、背後の如月きさらぎ水葉月みずはづきを睨む。


「術士どもの守護の霊符か……いーち・にい・さーん・しい・ご……」


 四人を順番に指し、最後に美名月みなづきを指して、その指先を咬む。

「術士が使える霊府は五枚でしょ? 全員に一枚ずつ渡してたってことね」


「だが、このモディリアーニさんはコピペが得意なんだぜ? 術を仕込んだコピペ札は何枚ある思う?」

 如月きさらぎは、マントの下のベルトをチラッと見せる。


「ふーん。でも、御神木には人質が居るんだよ?」

「……蓬莱の尼姫君が、その人々を庇護していると伺いました」


 幼児のような言葉使いの少女に、雨月うげつは一尺もたじろがずに答える。

 宵の王は、万華鏡のように表層の感情が変化しているようだったが、それが一瞬で邪貌に傾く。

 瞳に真紅が閃き、一行を睨む。

 

「……愚かであった。此方こちがな」


 宵の王は、左手の生首を捨てた。

 発せられた言葉が腹の底に響き渡る。


「黄泉も蓬莱も、余分な化身は消して置くべきであった……」


「消せなかった……のでは、ありませぬか?」

 神名月かみなづきは片膝を地に着く。

「私が思うに……消せば、あなたさまの記憶……人であった頃の記憶は、全て失われるのですね?」


「……何ゆえに、そう思う?」

「奇異なことですが、あなたさまと見つめ合い……御心が見えた気がしました」


「……提灯がもう一つ欲しい。くれたら、あなたの友達を帰してあげる」

 宵の王は、また口調を戻した。

 神名月かみなづきも知る、高校生の少女の表情を見せる。

 

 ――彼女は、平凡でありたいと願っていた。

 祖母との質素な暮らしにも、喜びを見い出していた。

 この生活が少しでも長く続くように、と。



「……闇と同化した無辜の民はどうなります?」

 神名月かみなづきは、僅かな希望を今も求めていた。

 だが、青い唇の女の言葉は非情だった。


「そんなの、どうでも良いでしょ? 私は月の国の公主で、花の国の春宮ですもの。下賤な民など、私の肥やしになって当然でしょ?」


「王君さま、王后さま、玉花さまは、無血開城をもって神逅椰かぐやに投降なさいました。身を犠牲にして、民を守ろうとしたのです。我ら八十九紀の四将は、その高潔な御意思に従いました……」


「はあ?」


「この神名月かみなづきの首を捧げることで、あなたさまの御心が鎮まり、無辜の民の魂が解放され、闇が拭われるのであれば本望です。けれど、それは叶わぬ願いと確信いたしました。……あなたさまを討たねばなりません」


「……バカみたい」

 宵の王は、衣の下から檜扇を出した。

「あなたたちの肥やしは、さぞ私の喉を潤してくれるでしょう……ほーら」



 すると――御神木の太い枝から、多数の黒い『実』が落ちてぶら下がる。

 いや、実ではない。

 何百個もの神逅椰かぐやの生首だった。

 美名月みなづきは「ひえっ」と声を上げて、顔を背ける。

 

 枝から逆さにぶら下がった『実』の髪からは黒みがかった血が滴っている。

 地に落ちていた生首も笑い始めた。


「ぎゃはははははは!」

「だずけでえええええ」

「さむい……さむいぃ」


 実は不快な声を上げ、大気を揺らす。

 水葉月みずはづき美名月みなづきとチロを白炎に乗せ、鞍に霊府を貼り付けて叫ぶ。

「いいか。我々の治癒より、生き延びることを考えろ! 誰か一人でも動けなくなったら、すぐに現世にのがれるんだ!」

「……はいっ……」


 気迫に押され、美名月みなづきは頷く。

 主人と同じ顔の禍々しい敵。

 枝からぶら下がる無数の生首。

 何度か転生して敵と対峙した美名月みなづきだが、これほどの狂気じみた戦場は見たことが無い。


 

「ほーら、舞ってやる。死ね!」

 宵の王は檜扇を上げ、腕をゆっくり回す。

 生首の美が一斉に枝から千切れ、四将たちに殺到する。

 


神名月かみなづき!」

 雨月うげつは抜き身の『宿曜すくようの太刀』を構え、走り出た。

 神名月かみなづきも抜刀し、雨月うげつに倣って前に出る。


 二振りの太刀は同時にくうを斜に裂き、向かい来る生首を全てと粒子と化して撃ち落とした。

 

 

「ほう……」

 宵の王は檜扇を構えたまま静止し、太刀を睨む。

 刃を包むように、霊符が隙間なく貼られている。

 如月が複写した水葉月みずはづきの浄化の霊符を、貼り付けたのだ。

 夜重月やえづき紗夜月さやづきの戦法――得物に術を宿す戦法からヒントを得て、茶室を出た後に仕込んだ。



「だが、それで我を倒せるか? 太古のカミの力を宿す我をな!」

 宵の王の怒声が御神木の枝を揺らす。


神名月かみなづき!」

「行ける!」


 雨月うげつ神名月かみなづきは、同時に飛翔した。

 狙いは御神木だ。

 まずは、神逅椰かぐやを倒す。


 御神木と一体化しているなら、そちらを攻撃するしか無い。

 御神木の内に匿われている友たちは――蓬莱の尼姫君を信じるのみだ。

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