第160話


「愚かよ! 我からは逃れられぬ!」

 宵の王は袖を翻し、檜扇を振る。

 長い黒髪が津波の如く逆巻き、土煙がうねる。


 地より突き出す御神木の根は絡み合い、雨月うげつ神名月かみなづきを差し貫こうとする。

 だが、如月きさらぎの守護術を刻んだ霊符は、難なく根を弾き返す。

 水葉月みずはづきの浄化術の霊符を貼り付けた刃は、向かい来る『生首の実』を散下させる。



 神名月かみなづきは真正面を睨み、神無代かみむしろ和樹の思考で目測する。


 ――宵の王までの距離は、五十メートル。

 ――御神木の高さは、十一階の自宅マンションの倍以上。

 ――幹の直径は、体育館のステージ幅の倍程度。


 

 それは、過去世の神名月かみなづきが見た御神木より、遥かに巨大だ。

 邪鬼と化した神逅椰かぐやと、人魂をはらんで巨大化したのだろうか。

 

 異容であるが、剣士たちの足を止めることは出来ない。

 彼らの勇気を蹴散らすのは叶わない。

 

 剣士たちも、不利は承知だ。

 鍛え上げられた盾とて、千回の打撃を浴びたら傷が付く。

 強力な霊符も、繰り返される攻撃を無限には防げない。

 

 だが、二人は見抜いていた。

 生首の群れはこちらを目掛けて飛んで来るが、九分は後方に擦り抜けて行く。


 過去世の闘いでも、そうだった。

 神逅椰かぐやは、いつもそうだった。

 彼は、真っ先に実弟の如月きさらぎを狙う。


 あの日も、仲間の屍を見せぬ為に、最初に彼を斬首した。

 歪んではいるが、弟への情は今も消えていない。

 

 ならば、それをかして闘う。

 神逅椰かぐやが、少しでも正気に戻ることを望みつつ――。

 

 


 

「やはり、俺かよ!」

 如月きさらぎは、ベルトに挟んでいた霊符を地に撒く。

 水葉月みずはづきの浄化の霊符を複写したものだ。

 いわゆるコピペだが、オリジナルの八分程度の霊力はある。

 撒かれた霊符は仲間たちを浄化の霊気で覆い、生首を枯らして落とし、土に返す。

 だが、生首は尽きせず飛んで来る。


「聞こえるか、兄上!」

 

 如月きさらぎは声を張り上げ、訴える。

「あんた同様に、俺も父上を嫌いだった! でも、一緒に飯を食えて良かったよ! 汚い罠だったけど、そんなに悪くなかった。親孝行する機会を与えてくれたことは、感謝するよ。だから、もう……止めようぜ。亜夜月さまも、あんたが戻って来るのを待ってる筈だ! 俺の自慢だよ……あんな素敵な人が、俺の兄の恋人だなんてさ」



 それは、偽りの無い言葉だった。

 ここでは、心を誤魔化すことは不可能だ。

 共に霊体同様の存在の闘いであり、形は便宜上のものに過ぎない。

 まして、霊木と一体化した神逅椰かぐやに欺瞞は通用しない。


 如月きさらぎは、説得を続ける。

「兄上、俺は……世を乱したあんたを赦せない。でも、あんたを妖物あやかしのままで終わらせたくない! だから、憎しみを捨ててくれ! もう一度……近衛府の大将の神鞍月かぐらづきに戻ってくれ……!」




 ――すると、生首に変化が起きた。

 放たれる邪気に隙が生じたのを、水葉月みずはづきは敏感に察した。

 彼は決心する。

 切り札の能力を使うことを。


 



「すごい……!」

 美名月みなづきは手綱を繰りつつ、少し離れた場所で闘いを見ていた。

 彼女も、生首の変化を見定める。

 飛ぶ速さが鈍り、力尽きたように次々と地に落ちる。


「チロちゃん、君は鞍からお手々を離すんじゃないよ!」

 前に座るチロの頭を撫でる。

 水葉月みずはづきが鞍に貼り付けた霊符は、チロのための物だった。

 主人の如月きさらぎと共に霊気を吹き込み、白炎から離れぬようにする力を込めた。


 そして美名月みなづきも体勢を整える。

 誰かが負傷した時、すぐに治癒できるように。

 


 

 説得が功を奏するか――

 見守っていた如月きさらぎだったか、奇妙な異変を察した。

 水葉月みすはづきの内に、邪気を感じたからだ。

 それは間違いなく、神逅椰かぐやの邪気だ。


水葉月みすはづき……何してる!?」 

「……黙ってろ」

「黙れるか、ボケ! すぐに霊気を鎮めろ!」

 

 姿勢を崩さずに怒声を飛ばす。

「何で、お前から神逅椰かぐやの気配がするんだよ!」


「父に会えたし……大沢さんのこと、気に入ってくれたかな……」

「だから、変な術を解けってば!」


 水葉月みすはづきの父親が「お前が目に留めた乙女を見たい」と言ったのを思い出し、唇を噛む。

「ああ。お前の親父さんは、お前の嫁さん候補を見て喜んだだろうな! じゃ、本当に嫁さんにして孝行しろ! 変な術は止めろ!」


 

 同じ術士として、彼が禁忌に手を出したと確信する。

 彼は、何らかの術で神逅椰かぐやの邪気を吸収している。

 

 自分たちは、死を恐れずに此処まで来た。

 だが、それとこれとは違う。

 邪気を体内に取り入れる術など、論外だ。

 殴ってでも止めさせたいが、敵に突進している雨月うげつ神名月かみなづきから目を離すことは許されない。




「……ぐっ……」

 水葉月が左腕を押さえ、蹲った。

 マントが飛散し、シャツが縦に裂け、左腕が露わになる。

 その二の腕の皮膚が縦に割れ、割れ目から人の顔が見える。

 紛れ無く、神逅椰かぐやの顔である。


 肉の隙間から、神逅椰かぐやの顔の左半分が覗いており、狂気に塗れた瞳を見開いている。



「くそったれが!!」

 如月きさらぎは足元に撒かれた『浄化の霊符』を睨んだ。

 この霊符で邪気を取り入れているのは間違いない。

 

 だが複写した自分でも、即座に無効にする能力は無い。

 破棄は出来るが、破棄による術返しは強烈だ。

 大量の消毒液を口に押し込まれるようなもので、自滅の危険もある。

 如月きさらぎは最悪を想定し、黄泉姫から与えられた刀を抜いた。




 剣士の二人も、術士二人の異変を察知する。

 霊符を貼り付けた太刀から、僅かな『気』の乱れが手に伝わる。

 だが、ここで振り返ることは出来ない。


 後戻りは出来ない。

 負けることは許されない。




「宵の王よ!」

 雨月うげつは叫び、足を止め、『宿曜すくようの太刀』を構えた。

 その先端は、宵の王に向けられる。

「第八十九紀 近衛府の大将の雨月うげつが手合わせを願う! 其方そなたの御母君は、近衛府にて剣技を学んだ身と伺った。その血筋を示せ!」


 すると――宵の王は、真正面を見据えて笑った。

 開いた檜扇を胸の位置で構える。

 黒地の表面には、銀色の御神木と赤い月が描かれ、左右に垂れた飾り紐は白い。


「面白い……男を斬り刻むのは悪くない」

 宵の王の青い唇が吊り上がった。

 


 

 その情景を尻目に――神名月かみなづきは跳んだ。

 御神木の太い枝に着地し、枝と生首が交錯する幹を見上げる。


 戦力を分けるのは、兵法としては悪手だ。

 だが、宵の王と神逅椰かぐやを分断しなければならなかった。

 

 茶室の少女は言った。

 

『御神木の枝が……空に向かって伸びました。枝は空いっぱいに広がり、無数の漆黒の杭となり、地に突き刺さったのです。御神木の根元には穴が開き、私はそこに落ちました』



 ――そう。目の前の宵の王は、本体の一部だ。

 ――御神木の下から、異様な力を感じる。

 ――それこそが、討つべき存在だ。


 御神木の力を削ぎ、その下の『宵の王』本体を鎮めねばならないのだ。


 その為には、雨月うげつが宵の王の足止めをし、神名月かみなづき神逅椰かぐやを御神木から引き出す。


 危険だが、それに賭ける。

 互いの力を信じて。

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