第161話


 御神木の下部の枝に飛び乗った神名月かみなづきの頭上には、血臭を放つ生首が吊り下がっている。

 不気味な哄笑を浮かべる顔もあれば、悲鳴を上げる顔もある。

 如月きさらぎめがけて飛んだ首の跡からは、また次の生首が生える。

 

 が、よく観察すると――無限湧きでは無さそうだ。

 次が生えていない枝も多い。

 蕾が落ちるように――顔が開かないまま、下に落ちるものもある。

 

 この変化は、御神木の力が尽きかけているためでは無い。

 間違いなく、水葉月みずはづきが何かの術を掛けている。

 それも、不穏なる術だ。

 止めさせるには、神逅椰かぐやを制するのみだが――



(……うえに……いただきにむかって……)

 か細い声が聴こえた。

 低いが、女性の声だ。

 だが、出所が分からない――


(……いや、この御神木の内からだ!)


 確信し、瞼を閉じ、『白鳥しろとりの太刀』に『気』を込める。

 目では見えない気配が捉えられる筈だ。


 

(……ここだ!)

 腰を落とし、気配を感じた場所に太刀の側面を当てる。

 先史の代に打たれ、霊符を貼り付けた刃は、主に忠実だった。

 発せられた霊気は、太く固い幹の表面を僅かにめくる。

 その隙間に――小さくも強い光を感じた。

 明らかに、意思を持った魂だ。


(……あなたは!?)


 太刀を通して語り掛けると、返事が返って来た。


(……どうじ……イアリ……ホウライのいちぞくです……)

(イアリさま……月帝さまの御一族の近衛童子ですね!?)


(……みなさまを……きざはし階段のしたで……)

(では……!?)


 神名月かみなづきは察した。

 自分たち四将の『叙任の儀』で、舞台下に控えていた少女の一人だと。

 気配からして、術士の修練を受けた童子に間違いないが……


(あの子か……!)


 思い出し、心が揺れて痛んだ。

 『大いなる慈悲深き御方』の導きで垣間見た『並びの世』。

 その平和な故郷では、第九十紀の四将たちが帝都大路でお披露目行列をしていた。

 

 先頭を騎馬で進む少女は『鳴神月なるかみづき』――。

 唯一の術士だった。

 続く剣士の少女たちは『夏初月なつはづき』『咲夜月さくやづき』『澪月みおつき』。


 初々しい少女たちの姿は、今も忘れられない。

 それがこの世界では、このような所に封じられている。

 

 惨い仕打ちに絶句するが、『鳴神月なるかみづき』の名を与えられる筈だった少女は、未だ意思を失っていない。

 残りの三人も、ここに閉じ込められているのかも知れない。

 多くの先輩や後輩たちも――。


 穿いた太刀の柄を握り、溢れる感情を必死に食い止め、労わりの言葉を掛ける。


(イアリさま、お待たせしてしまいました。我ら八十九期の四将すべて、ここに帰還いたしました! じきに、その魂を解放いたします!)


(ひとびとを……かみなづきさま……)

(はい、あと少しお待ちを!)



 幹から手を離すと――捲れた表面は、たちまち塞がった。

 束の間の触れ合いだったが、勇気が湧く。

 覚悟を新たに、上を睨んだ。

 この木の何処かに、現世の父や仲間たちも匿われているのだ。

 

 そして、神逅椰かぐやは、この木の頂に居る。


「人々を助け、生きて帰る!」


 網の目のように交錯する枝の隙間を見極め、上の枝へと跳び移る。

 細い枝に当たるとしなるが、折れはしない。

 枝の中にも、人魂が埋められているだろう。


 折れないのは助かるが、それでも慎重に跳ぶ。

 羽織っている二枚のうちきも、不思議と枝に引っ掛からない。

 込められた霊力は今も健在で、織り手の乙女たちの慈悲が、人々を傷付けまいとしているのだろう。

 


神鞍月かぐらづきの大将……!」


 思わず、そう呼んだ。

 憎んではならない。

 自分が憧れた『近衛府の大将』に戻って欲しい。


 が――真下から、熱風が噴き上がった。

 うちきの裾が翻れ、肉と土の焦げた臭いが鼻をつく。

 雨月うげつと宵の王の闘いも始まったらしい。

 

 彼を信じ、自分の役目を果たすだけだ――。






「……お主には、串焼きがお似合いだと思うたが」


 宵の王は、檜扇を斜に構えて雨月うげつを見据えた。

 散乱する焦げた生首が悪臭を放っている。


「あついよぅ……」

 根元に転がって呻いている生首は、宵の王が持って現れた首だ。

 他の『生首の実』は、燃え尽きて炭化している。

 

 宵の王の放つ輝火かがりびに焼かれつつも、まだ呻いている。

 神逅椰かぐや本人の首なのだろうか。

 魂は御神木と同化したが、情念だけは肉体に残っているらしい。



「……御免!」

 雨月うげつは、地から飛び出した棘のような根を太刀で払う。

 焦げた根は枯れ枝のように折れ、残骸が散らばる。


 彼はすぐに太刀を降ろし、宵の王の横をすり抜けた。

 歩きながら、頭を包む裏頭かとうの白袈裟を脱ぎ、それで生首を覆った。

 膝を付いて、太刀の側面を白袈裟に当てると――その内側は崩れ、平らになって地に落ちる。

 すると、枝から下がる実の呻き声も小さくなった。


 宵の王は「ほう……」と呟き、顎を突き出して舌先を出した。

「何の真似だ? 我が、背後から首を打つとは思わなかったのか?」


「……愚行でありましょうが」

 雨月うげつは肩の下に掛かる髪を撫で付ける。

「苦しむ者を打ち捨てる道理はございませぬ」


「かつての其方そちの首を刎ねた男を憐れむだと?」

「それが、この雨月うげつの生き様でございます!」


 その音声おんじょうが終わらぬうちに、地より数本の根が飛び出た。

 如月きさらぎの霊符が根を砕いたが、威力は明らかに弱まっている。

 防ぎきれなかった一本が、雨月うげつの陣羽織を掠める。

 雨月うげつは数歩後退し、太刀を構えた。

 

 が、少しばかり息が上がっている。

 敵が撃ち出す輝火かがりびに焼かれた空気が、呼吸を妨げている。

 気道に火傷を負ったのだろう。

 実体で無くとも、ほむらは身を蝕んでいる。

 


「その護符も、そろそろ限界であるな……」

 宵の王は笑い、檜扇をゆっくりと翳す。

 左右の飾り紐から黒紫の輝火かがりびが発し、扇形に広がり、前後左右の地と風を焼く。


「おとなしく根に刺さって焼かれていれば良いものを!」

 とどめとばかりに、檜扇を横に振る。

 またも輝火かがりびの熱波が広がり、『生首の実』をも焦がす。


 が、黒い輝きは――割れた。

 ほむらは消し飛び、宵の王の髪と裳裾も煽られる。


 消し飛んだ先に立つ雨月うげつは、口を真一文字に結び、太刀を薙いだ。

 刃に貼り付けられていた守護の術を刻んだ霊符。

 それは燃え尽きたが――下から別の霊符が現れた。


「……あなた様が、ほむら使いとは幸いでした」

 雨月うげつは、威を正して言う。


 『宿曜すくようの太刀』に貼られていたのは、如月きさらぎの『氷の術』を刻んだ霊符だった。

 分離していた如月きさらぎの顔――

 それが一つになり、今では使えなくなった攻撃術である。


 だが、その前に――彼は、密かに複写した護符に術を収めていた。



「ほっほっほっ……」

 宵の王は、檜扇で口元を隠して笑った。

「分かるぞ。方丈の一族や月帝が、其方そちらに望みを託した理由がな。ますます、其方そちらの串焼きを味わいとうなったわ!」

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