終章(九) 神逅椰(かぐや)

第162話


「……ったく、バカが!」


 如月きさらぎは、飛んで来る生首と、傍らで蹲っている水葉月みずはづきとを眺めて歯ぎしりする。

 彼の左腕からはみ出す『顔』は不快な呻き声を発し、血泥を吐き出している。

 

「あたしが治せるかも!」

 近付こうとした美名月みなづきは手綱を引いたが、如月きさらぎは制した。


「地の守護結界から出るな! 癒しの術では無理だ! 水葉月みずはづきが自分の意志で掛けている浄化術だ! こいつが術を解くか気絶するよう祈ってくれ!」


 刀を構えて怒鳴る。

 水葉月みずはづきの左腕は、いつ縦に裂けてもおかしくない状況だ。

 手首から腕の付け根までが、ぱっくり開いている。

 それが留まっているのは、間違いなく左腕に掛かっている数珠の守護だ。

 『大いなる慈悲深き御方』より授けられた数珠は、最悪の状況を阻止している。


 それでも、神逅椰の顔面が飛び出すようなら、彼の左腕を斬り落とす算段だが……


「俺の調理経験は、家庭科の実習と方丈先輩の家で野菜を切っただけだからな!」


 自らに気合いを入れつつ、飛んで来る生首を観察する。

 明らかに、勢いと数が減少している。

 御神木に跳びついた神名月かみなづきが、同化している神逅椰かぐやを引っ張り出せば、この胸糞悪い攻撃も止まるが――

 

 しかし、その根元では、宵の王と雨月うげつの闘いが始まっている。

 宵の王の黒紫の『輝火かがりび』と、雨月の太刀から生み出される純白の『細氷』がぶつかる。


 だが、互角では無い。

 今は互角に見えるが、宵の王に分がある。

 太刀に貼った霊符に刻んだ術は、無限に出せるものでは無い。

 術が切れる前に、神逅椰かぐやと御神木を分離すれば……


(あとは、全員で宵の王にぶつかるだけだ!)

 

 如月きさらぎは、美名月みなづきに左手で合図を送る。

 この先、君の力が必要になる。

 今は耐えてくれ、と。




「まだ串焼きにならぬか!?」

 宵の王は、雅やかに檜扇を振り続ける。

 広い袖が緩やかに翻り、発せられる輝火かがりびは優美な曲線を描いて広がり、大気を熱して焼く。

 地の底からは、鋭く尖った根も飛び出す。


 雨月うげつは巧みな足さばきで根をかわしつつ太刀で斬り、氷で輝火かがりびを裂く。

 

(俺は神名月かみなづきのように身軽じゃない。だが、一振りの重さは倍以上だ)


 自らの長所と短所を知る彼は、全身の筋肉を絞って太刀を振る。

 国の秘宝たる太刀を受け継ぎ、己の得物だった『白峯丸しろみねまる』は自らの身を太刀に預けた。

 二つの刀身は一つとなったが――その意味する所が、ようやく分かった。


 今の『宿曜すくようの太刀』は、薙刀並みの間合いがある。

 握った手先から薙刀の先端までの幅の、氷と冷気の幕を発生させている。

 身長よりも幅広の幕は、易々と身を包んで輝火かがりびから守ってくれる。

 

 無論、『氷の霊符』に限界があることは知っている。

 先ほど焼かれた、喉の奥の痛みも消えてはいない。


 だが、心は穏やかだ。

 向かい来る輝火かがりびと根に捉えられる不安は無い。

 

(攻める必要は無い。受け止め続けて、活路が開くのを待つ!)


 ひたすら気配を読み、防御に徹する。

 倒すべき相手は居るが、それは憎むべき敵では無い。

 故郷の闇を払う闘いは、憎悪に呑み込まれぬ闘いでもある。

 

 かわし続けていれば、その時は来る――。






(みんな、あと少しだ!)


 神名月かみなづきは枝から枝へ跳び移り、頂上を目指す。

 すでに、御神木の半ばを超えただろう。


 『生首の実』は、この辺の枝には無い。

 銀に輝く幹に、同じ色に輝く葉だけが繁り、攻撃の意思は感じない。

 それどころか、葉は自分の行く先を示すように左右に綺麗に分かれ、隙間を作ってくれる。

 

 間違いなく、御神木に閉じ込められた仲間たちが道を開けてくれている。

 鳴神月なるかみづきと意思を交わせた故に、他の者たちも目覚めたのかも知れない。

 

 宵の王は、雨月うげつが引き付けている。

 下で、黒紫色の光と白色の光が激しく交錯しているのが見える。

 その様子も、木の中の仲間たちには伝わっている筈だ。


(命が溢れる世を取り戻す! 仲間が後押ししてくれる!)


 その一心で、上へ上へと跳ぶ。




 そして――視界は開いた。

 御神木の頂に到達したらしい。


 真上に、微かな赤を帯びた月が座している。

 その輝きは無二にして妖しく美しく、神秘の光を降る。

 下の喧騒もここには届かず、仲間の姿も薄紫の雲に隠されている。

 

 感覚を澄ますと、微かに水の流れる音がする。

 黄泉のせせらぎだろうか。

 ここは、『死』と『生』の狭間なのかも知れない。

 


 首を上に傾けると、人の身ほどの太い棘が重なり合って密集していた。

 それは、重なり合う花びらにも似ている。

 

 その隙間に手足を掛け、昇って行くと――中心に、彼は居た。

 数本の針で腹を打たれ、標本のように横たわっていた。


 下半身や腕は太い棘と同化し、肌の色も血が抜けたように白い。

 垂れる長い白髪の先端も、棘に溶け込んでいる。


 だが、その顔立ちは――紛れも無い如月きさらぎの兄だ。

 瞼を開けたままだが、色の無い瞳は何をも見ていない。



「ガレシャさま……」


 神名月かみなづきは呼びかけた。

 重ね着た袿の一枚を脱ぎ、冷たい体に掛ける。

 すると、色の無い瞳に、僅かな青が浮かんだ。

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