第144話


「先生!」


 一戸も上野も、舟曳ふなびき先生に駆け寄った。

 張り詰めた心と涙腺が一気に緩む。

 まだ十五、六歳なのだ。

 過去世では大人として扱われる年齢だが、それと比較するのは酷だろう。

 

 和樹も歓喜に顔を綻ばせ、月城は安堵したように肩を下げる。

 最悪の事態の回避を確信したのだ。

 

 舟曳ふなびき先生はテーブルの端に電気ポットと紙袋を置き、ふぅと息を吐く。

「お茶と、イチゴタルトとチョコケーキを持って来ました。雨月うげつくんの今のお父さんが作った物です。折り畳みのコップもあります。これから、お父さんたちとお茶をしようと思って」

 

 先生は微笑み、帯の下から長方形の霊符を四枚取り出した。

「君たち、これを四方の床に置いてください。霧が晴れます」

「はいっ!」


 四人は阿吽の呼吸で霊符を取り、母屋の東西南北に別れて床に霊符を置く。

 霊符は吸い付くように床に貼り付き、引っ張っても剥がせない。

 それを見取った先生は、五枚目を長テーブルの中央に置いた。

 

 すると、母屋の天井・床・壁一面に文字が浮かび上がった。

 文字は銀色に輝き、立ち込める霧を排気するように吸い取る。


 十秒も経たずして、立ち込めていた霧は痕を残さず消えた。

 和樹たちは胸を撫で下ろし、蓬莱さんはミゾレを抱いて先生に歩み寄る。


「……陛下……御礼を申し上げます」

 それは生徒でも姪としてでも無く、世継ぎの公主としての挨拶だった。

 頼れる大人に、甘えて抱き付きたいだろう。

 だが己を律し、それを避けるためにミゾレを抱いていることを和樹は知っている。

 それは、父親と触れ合えない仲間への思いやりでもあった。

 

 

「づきみかどさまっ!」

 近付く人物に宰相は驚愕し、テーブルから飛び降りて、カエルのように平伏した。

 大兄おおえ兵部卿と大椎国守おおじのかみも床に降り、周賀しゅうが殿は尻から床に着地しつつも、前に進み出て座して拝礼する。


 

「みなさん、お顔を上げましょう。今は、生前の身分など無意味です」

 先生は気さくに告げ、テーブルの上にコップを並べ始める。

「お茶と甘い菓子で、しばし団欒いたしましょう。お父さんたち、座って下さい」



「……では……」

 主の意図を察した大兄おおえ兵部卿は、率先して椅子に座る。

 状況が掴みきれないが、母屋を囲む守護文字に救われたのは間違いない。

 同期の中将の術士が展開した術を見ており、驚くような


 兵部卿は残りの三人が椅子に掛けるのを待ち、肩を縮めて主に訊ねた。

「あの……陛下。『無名月むみょうづき』なる御名は……」


「そうですね。知らぬ者が多いでしょう」

 先生は、一戸と上野に目配せした。

 

雨月うげつくん、如月きさらぎくん。君たちは知っていますね? 近衛童子時代の君たちと、湖岸で少しだけ話をしました。その時に、戯れにそう名乗っていると説明したのです。それなりに、術士の才を持っていると自負はしていましたが」


「はい……!」

 一戸と上野は頷く。

 あの時の情景が――内なる記憶が、鮮やかに引き上げられる。

 

 父と兄の諍いに落ち込むアラーシュとセオの前に、気品ある男性が現れた。

 高貴な血筋の御方だと思ったが、まみえたことは他言しなかった。

 貴人の話題を軽々しく出すことは、無礼だと教わっていたからだ。

 ゆえに、二人はその秘密を黄泉の底まで持って行ったのである。

 



「サキヤさま……この地で再会するこの時をお待ちしておりましたぞ」

 方丈翁は、軽く頭を下げる。

 サキヤ――それが月帝さまの呼び名らしい。

 黄泉の泉の守り人たる老人は、隣国の主にも気軽に声を掛けられる身分なのだ。

 

 先生も、温かく微笑み返す。

「そなたにも苦労を掛けている。すまぬ……」

小童こわっぱの尻叩きも、悪くはないですぞ?」


 方丈翁は、苦笑し白い顎鬚を撫でる。

現世人うつしびとが燃ゆる星に住む頃には、ゆっくり風呂に浸かっていたいものですな」

「その時は、お付き合いさせて頂きます」


 先生は、少年のように無邪気に微笑んだ。

 そして和樹たちに、穏やかに劇を飛ばす。


「行きなさい。隣の寝殿に、君たちを待つ人たちが居ます」

 

「はい……!」

 和樹たちは姿勢を正した。

 父親たちの身の安全は保たれる。

 これで、心置きなく闘える。

 


 四人は、今一度父親たちに向き直る。

 一戸は、潤む声を張り上げた。


「父上様……永劫の別れの時が来ました。あなた様の息子に生まれ、幸せでした。我らは、父上様の愛した方々の魂を救うため、最後の闘いに挑みます。いつか、父上様が肉体を取り戻した時は……私のことをお忘れでしょう。それで良いのです。我らの愛した方々が、生きる世を取り戻す。それが我らの望みなのですから……!」



 友の言葉は、和樹――神名月かみなづきの心に深く染み入った。

 一粒の淀みも無く、自分の心の全てを代弁してくれている。

 如月きさらぎ水葉月みずはづきも、同じ想いだろう。

 

 そして――大椎国守おおじのかみを見つめる。

 大椎国守おおじのかみも、涙を浮かべて和樹を見つめた。

 最愛の息子が無残な死を迎え、そして生まれ変わり、目の前に居る。

 その時間は、もうじき終わる。


 父の想いを浴び、神名月かみなづきは微笑んだ。

 互いの想いは、魂に刻まれた。

 

 

 「リーオ……行ってしまうのだな……」

 周賀しゅうが殿は、また手を伸ばした。

 過ちを犯そうが、我が子であることに変わりは無い。

 

 水葉月みずはづきは頷き、詰まる言葉を紡ぐ。

「おとう……行って来る……村のみんなのために」

「あの日も、お前は同じことを言って村を離れた……。お前が想いを寄せる乙女を見たかったが……」



「見られますよ」

 舟曳ふなびき先生は、袖の中からスマホを取り出してテープルに置いた。

 スマホを知る者も知らぬ者も、全ての目が点になる。

 

「方丈日那女くんから送って貰った写真も保存しています。確か、その中に大沢真澄さんの写真も在った筈です」


「……そんな写真、先輩は持ってましたっけ?」

 蓬莱さんは戸惑う。

 夏休みに再会した時の写真と思われたが、誰が転送したのだろう?


「……それ、俺のスマホに入ってる写真だと思う」

 月城は、もじっと頬を染めた。

「二学期は、先輩の家にお世話になっていた日が多いから……スマホを貸したこともあった……」


「やったな!」

 上野が満面の笑みで、月城を小突いた。

「ほっちゃれ先輩、抜け目が無いぜ!」


「ええ。ただし、スマホの電池が切れる前に、決着を付けて下さいね」

 先生は、羽織っていた白衣の袖を振った。

 方丈日那女の白衣だろうか。

 彼女は此処には来れないが、彼女の声援が聞こえるようだ。



「ありがとうございます!」

 四人は頭を下げた。

 

 すべて吹っ切れた。

 父親たちは、スマホの写真に驚きつつも喜んでくれるだろう。

 自分たちの現世での生き様を見て貰える。

 愛する人たちに見て貰える。

 それは素晴らしい贈り物だった。



「行って参ります!」

 四人は笑顔で手を振った。

 蓬莱さんとミゾレも、方丈翁も杖を振る。


 永遠の別れは近い。

 けれど、笑顔で別れられる。

 

 前に進もう。

 自分たちは守られているのだ。


 人々の想いに。




 ◇ ◇ ◇



参考までに、『無名月むみょうづき』様の登場回、47話と48話のリンクです。


https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816927861324628077


https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816927861413138790

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