第48話

「むみょうづき様……?」

 二人は正面を向いたまま、目だけを合わせる。

 『月守つくもりの名』は、『近衛府の四将』に与えられる特別なものだ。

 

 文章道もんしょうどうの授業で、過去の『近衛府の四将』の一部の名は教わっている。

 仮にこの男性が『近衛府の四将』であったなら、年齢からして二紀ほど前だろう。

 だが『むみょうづき』なる名を見聞きしたことは無い。

 男性が高貴な身分であれど、帝の赦しなく名乗ることは許されない筈だ。


「『無垢』の『無』、名前の『名』、と記すんだよ」

 不信気な顔付きの二人に、男性は穏やかに微笑む。

「君たちは、あの岩場で修行してたね」


「はい……体を鍛えるためです」

「私は、心の臓が弱くてね……修練したのは、二月ふたつき程度だよ」


「……術士の才が、お有りとお見受けいたしますが……」

 男性から、術士特有の『波念』を僅かに感じ取ったアラーシュが訊ねる。

 男性は頷き、屈んで二人の肩に手を当てた。

「うん、すぐに実家に帰されたよ。父が病で倒れたこともあり、実家に居ろと言われたんだ。『無名月むみょうづき』と云う名は、そこの邸に居る間だけ名乗ってる……他愛のない遊びだよ。こういう『名』で呼ばれたかった、と思ってるんだ」


「そうだったんですか……」

 アラーシュは俯いた。

 この男性の実家は、自身のカレリ家よりも格上だろう。

 代々の月帝つきみかどの血統である『王帝御三家』の血筋の御方と推測できる。

 不毛の地であった『月窟つきのいわ』では、水は貴重な資源だった。

 川や湖がある土地を支配できるのは、『王帝御三家』かそれに連なる家系だろう。

 非常に高貴な身分なのだろうが、目前の男性には奢り高ぶった感じが無い。

 身分を鼻に掛け、庶民を見下す貴族を知る二人には、ひどく新鮮に映る。


「君たちには、あと二人の仲間が居るね。修行を始めた時から一緒なのかな?」

 男性の問いに、二人は完全に不信感を消して答える。

「はい。『八十七紀の四将』の方々の叙任式の際は、我らも『月守つくもりの名』をいただこう、と誓い合いました。大切な友です」

「そうか……」


 男性は身を起こし、眩し気に目を細める。

「君たちの変わらぬ友情に祝福を……。ああ、向こうで手を振ってる子が居る」


 振り向くと、枝の竿を振るアトルシオが見えた。

 横には、膨らんだ布を持つ長身のリーオが立っている。

 釣った魚を入れているのだろう。

 

 セオは深々と頭を下げ、アラーシュも続く。

「友が待っています。ご無礼ながら、これにておいとまさせていただきます」

「うん、早く行ってあげなさい」

「はい!」

 

 二人は顔を上げて二歩下がり、踵を返して駆け出す。

 セオは肩越しに、男性が右手を上げているのを見た。

 応えるように手を振り返すと、前を見て走った――。

 春の薄紫色の空は澄んでいた。



 

  ◇

  ◇

  ◇




「……お父さま、入ります」


 方丈日那女は廊下に座り、声を掛けた。

 襖を両手で少し開き、中を垣間見る。

 感じた気配はすでに無く、布団に伏せる父の姿があるだけだ。

 あの御方は帰還したのだろう――


 襖を静かに引き開け、立ち上がって中に入る。

 傍らに座ると、父は瞼を閉じたまま……口を少し開けた。

「彼らは……帰ったのか?」

「はい。ミゾレも帰しました」

「……そうか……」


 幾夜いくや氏は、冷たい息を吐く。

「……現世では、私はそなたの『父親』だった。悪くは無かったな……」

「お父さま……」

 日那女は、布団の中に手を差し入れる。

 触れた父の手は冷たい。

 二百年間に、初めてこの『俗界』に転生を果たした時は、徳川の治世だった。

 呉服商の娘に生まれ、幾夜いくや氏は店の番頭だった。

 その時は、過去世の記憶も無く過ごし――十代半ば頃に、父の知り合いの茶染師の次男坊が死んだと聞かされた。

 時同じくして、お得意様の同心の跡取り息子が死に、飴売りの見習いが行方不明になったと聞いた。

 時を経ずして、番頭も姿を消した――。


 それが、最初の転生の顛末だった。

 何も思い出せぬままに終わり、数年後には病に冒されて世を去ったのだった――。



「……あの御方は、何か仰せられておりましたか?」

 日那女は訊ね、幾夜いくや氏は薄く瞼を開けた。

「あの日に会った彼らは、私には眩しかった。なのに、報いてやれなかった。苦痛と悲しみしか与えてやれなかった、と……悔いておられた……」

神鞍月かぐらづきが危うい男だと察した時に……始末して置くべきでした……」

 

 日那女の瞳に殺気が浮かぶ。

 仲間殺しの罪人として処刑されても、今のような時空を跨ぐ悲劇は避けられた。

 姉の『私が彼を説き伏せる』の言葉に逡巡すべきでは無かった……。


「……日那女。闘いが終わり、私が死ねば……街を覆う全ての術は解ける」

 幾夜いくや氏は、娘の手を握り返す。

「月城はるかや蓬莱天音を覚えている者は……彼らだけとなる……」

「……私が、術を受け継ぎます」


 決意を込めて、父を直視する。

「二人を……『無き者』には出来ません。彼らを救ってあげたいのです。私は、遠い昔の彼らを救えなかった……」


 日那女は呟き、膝立ちで移動して縁側の障子を開けた。

 光が差し込み、畳を照らす。

 伸びた草は風に揺れ、塀の上には雀たちが停まっている。

 遊びに来た黒猫と茶トラが、草の上で寝転んでいる。


 日那女は、そよぐ風を浴びる。

 日射しも風も、気持ちがいい。

 彼らのために、この地に魂を『結ぶ』ことに迷いはない――。

 

 

 





 和樹は久住さん・蓬莱さんと共に、蓬莱さんの住むマンション前でタクシーから下車した。

 みんなで出前の寿司を食べ、談笑し、そして方丈邸を出たのだ。

 食べている間は、闘いに関する話題は出さなかった。

 部活のこと、中間テストのこと、話題のドラマのこと、に話が弾んだ。

 スマホを手にした上野が最新ゲームのキャラメイクの能力値の話題を振ると、意外にも蓬莱さんが乗ってきた。

 誰もが、苦難の前途から顔を背けようと努力していたのだろう――。

 

 

 そして蓬莱さんと別れた二人は、すぐ傍の我が家まで歩いた。

 久住さんは、ミゾレを入れたキャリーバッグを大事そうに肩に掛けている。

 その横顔を眺めつつ、これで良かったのかと和樹は思い悩む。

 結局、状況は変わらない。

 強力な『芳香剤風お守り』を貰ったが、久住さんから危険が去ったとは言い難い。

 

 二人は郵便受けを覗き、エレベーターに乗る。

 ともに無言で――短いが、軽い緊張感のある時間を過ごす。

 六階に着くと久住さんを先に降ろし、一階のボタンを押してから降りた。


「じゃ……これを持って。気を付けてね」

 和樹は久住家の前に紙袋を置く。

「少しでも異変を感じたら連絡して。夜中でも、いつでも」


「うん……」

 久住さんは頷いた。

「……ごめんね……あたし、ちょっと変」


「え?」

 和樹は、家の鍵を探る手を止めた。

 久住さんは――キャリーバッグを撫でつつ語る。

「あたし……正直、重荷だった。あたしみたいな何にも出来ない人間が、ゲームの中みたいな闘いに関わってるなんて……」


「……ごめん……」

 今度は、和樹が謝る。

 それ以外に、何も出来ない。

 大切な幼なじみを命懸けの闘いに晒している。

 彼女が今まで耐えてくれたのが不思議なのかも知れない。

 『友達だから力になる』『悩みを分かち合う』のは大事だと教わってきた。

 しかし、『大切な友達だからこそ、身を引いて欲しい』ケースもあるのだ。


「今からでも、ミゾレを先輩に預けない? 芳香剤をもっと用意して貰ってさ……」

 改めて提案したが――久住さんは首を振った。

「先輩は、ミゾレが居た方が安全だって言ったし。それに、ミゾレが居ないと寂しいから」

「でも……怖くない?」


 すると、久住さんは……ふわりと明るい笑顔を見せた。

「じゃ、守ってよ。ナシロくん」

「え?」

「友達なら、あたしを守って。白いドレスの王子様、なんてね」

 

 久住さんは軽やかに言い、玄関ドアを開けて紙袋を持って家に入った。

 今日は、父親が在宅らしい。

 彼女が一人でないのは良いことだが……



「あ……」

 ふと紙袋の中身が目に入り、例の結婚情報誌が入っていることに気付く。

 彼女に渡す紙袋を間違えている。

 和樹は焦って玄関チャイムを鳴らした。

 

 すると――すぐに久住さんがドアを開けてくれた。

 左手には、紙袋を下げていた。

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