第48話
「むみょうづき様……?」
二人は正面を向いたまま、目だけを合わせる。
『
仮にこの男性が『近衛府の四将』であったなら、年齢からして二紀ほど前だろう。
だが『むみょうづき』なる名を見聞きしたことは無い。
男性が高貴な身分であれど、帝の赦しなく名乗ることは許されない筈だ。
「『無垢』の『無』、名前の『名』、と記すんだよ」
不信気な顔付きの二人に、男性は穏やかに微笑む。
「君たちは、あの岩場で修行してたね」
「はい……体を鍛えるためです」
「私は、心の臓が弱くてね……修練したのは、
「……術士の才が、お有りとお見受けいたしますが……」
男性から、術士特有の『波念』を僅かに感じ取ったアラーシュが訊ねる。
男性は頷き、屈んで二人の肩に手を当てた。
「うん、すぐに実家に帰されたよ。父が病で倒れたこともあり、実家に居ろと言われたんだ。『
「そうだったんですか……」
アラーシュは俯いた。
この男性の実家は、自身のカレリ家よりも格上だろう。
代々の
不毛の地であった『
川や湖がある土地を支配できるのは、『王帝御三家』かそれに連なる家系だろう。
非常に高貴な身分なのだろうが、目前の男性には奢り高ぶった感じが無い。
身分を鼻に掛け、庶民を見下す貴族を知る二人には、ひどく新鮮に映る。
「君たちには、あと二人の仲間が居るね。修行を始めた時から一緒なのかな?」
男性の問いに、二人は完全に不信感を消して答える。
「はい。『八十七紀の四将』の方々の叙任式の際は、我らも『
「そうか……」
男性は身を起こし、眩し気に目を細める。
「君たちの変わらぬ友情に祝福を……。ああ、向こうで手を振ってる子が居る」
振り向くと、枝の竿を振るアトルシオが見えた。
横には、膨らんだ布を持つ長身のリーオが立っている。
釣った魚を入れているのだろう。
セオは深々と頭を下げ、アラーシュも続く。
「友が待っています。ご無礼ながら、これにてお
「うん、早く行ってあげなさい」
「はい!」
二人は顔を上げて二歩下がり、踵を返して駆け出す。
セオは肩越しに、男性が右手を上げているのを見た。
応えるように手を振り返すと、前を見て走った――。
春の薄紫色の空は澄んでいた。
◇
◇
◇
「……お父さま、入ります」
方丈日那女は廊下に座り、声を掛けた。
襖を両手で少し開き、中を垣間見る。
感じた気配はすでに無く、布団に伏せる父の姿があるだけだ。
あの御方は帰還したのだろう――
襖を静かに引き開け、立ち上がって中に入る。
傍らに座ると、父は瞼を閉じたまま……口を少し開けた。
「彼らは……帰ったのか?」
「はい。ミゾレも帰しました」
「……そうか……」
「……現世では、私はそなたの『父親』だった。悪くは無かったな……」
「お父さま……」
日那女は、布団の中に手を差し入れる。
触れた父の手は冷たい。
二百年間に、初めてこの『俗界』に転生を果たした時は、徳川の治世だった。
呉服商の娘に生まれ、
その時は、過去世の記憶も無く過ごし――十代半ば頃に、父の知り合いの茶染師の次男坊が死んだと聞かされた。
時同じくして、お得意様の同心の跡取り息子が死に、飴売りの見習いが行方不明になったと聞いた。
時を経ずして、番頭も姿を消した――。
それが、最初の転生の顛末だった。
何も思い出せぬままに終わり、数年後には病に冒されて世を去ったのだった――。
「……あの御方は、何か仰せられておりましたか?」
日那女は訊ね、
「あの日に会った彼らは、私には眩しかった。なのに、報いてやれなかった。苦痛と悲しみしか与えてやれなかった、と……悔いておられた……」
「
日那女の瞳に殺気が浮かぶ。
仲間殺しの罪人として処刑されても、今のような時空を跨ぐ悲劇は避けられた。
姉の『私が彼を説き伏せる』の言葉に逡巡すべきでは無かった……。
「……日那女。闘いが終わり、私が死ねば……街を覆う全ての術は解ける」
「月城
「……私が、術を受け継ぎます」
決意を込めて、父を直視する。
「二人を……『無き者』には出来ません。彼らを救ってあげたいのです。私は、遠い昔の彼らを救えなかった……」
日那女は呟き、膝立ちで移動して縁側の障子を開けた。
光が差し込み、畳を照らす。
伸びた草は風に揺れ、塀の上には雀たちが停まっている。
遊びに来た黒猫と茶トラが、草の上で寝転んでいる。
日那女は、そよぐ風を浴びる。
日射しも風も、気持ちがいい。
彼らのために、この地に魂を『結ぶ』ことに迷いはない――。
和樹は久住さん・蓬莱さんと共に、蓬莱さんの住むマンション前でタクシーから下車した。
みんなで出前の寿司を食べ、談笑し、そして方丈邸を出たのだ。
食べている間は、闘いに関する話題は出さなかった。
部活のこと、中間テストのこと、話題のドラマのこと、に話が弾んだ。
スマホを手にした上野が最新ゲームのキャラメイクの能力値の話題を振ると、意外にも蓬莱さんが乗ってきた。
誰もが、苦難の前途から顔を背けようと努力していたのだろう――。
そして蓬莱さんと別れた二人は、すぐ傍の我が家まで歩いた。
久住さんは、ミゾレを入れたキャリーバッグを大事そうに肩に掛けている。
その横顔を眺めつつ、これで良かったのかと和樹は思い悩む。
結局、状況は変わらない。
強力な『芳香剤風お守り』を貰ったが、久住さんから危険が去ったとは言い難い。
二人は郵便受けを覗き、エレベーターに乗る。
ともに無言で――短いが、軽い緊張感のある時間を過ごす。
六階に着くと久住さんを先に降ろし、一階のボタンを押してから降りた。
「じゃ……これを持って。気を付けてね」
和樹は久住家の前に紙袋を置く。
「少しでも異変を感じたら連絡して。夜中でも、いつでも」
「うん……」
久住さんは頷いた。
「……ごめんね……あたし、ちょっと変」
「え?」
和樹は、家の鍵を探る手を止めた。
久住さんは――キャリーバッグを撫でつつ語る。
「あたし……正直、重荷だった。あたしみたいな何にも出来ない人間が、ゲームの中みたいな闘いに関わってるなんて……」
「……ごめん……」
今度は、和樹が謝る。
それ以外に、何も出来ない。
大切な幼なじみを命懸けの闘いに晒している。
彼女が今まで耐えてくれたのが不思議なのかも知れない。
『友達だから力になる』『悩みを分かち合う』のは大事だと教わってきた。
しかし、『大切な友達だからこそ、身を引いて欲しい』ケースもあるのだ。
「今からでも、ミゾレを先輩に預けない? 芳香剤をもっと用意して貰ってさ……」
改めて提案したが――久住さんは首を振った。
「先輩は、ミゾレが居た方が安全だって言ったし。それに、ミゾレが居ないと寂しいから」
「でも……怖くない?」
すると、久住さんは……ふわりと明るい笑顔を見せた。
「じゃ、守ってよ。ナシロくん」
「え?」
「友達なら、あたしを守って。白いドレスの王子様、なんてね」
久住さんは軽やかに言い、玄関ドアを開けて紙袋を持って家に入った。
今日は、父親が在宅らしい。
彼女が一人でないのは良いことだが……
「あ……」
ふと紙袋の中身が目に入り、例の結婚情報誌が入っていることに気付く。
彼女に渡す紙袋を間違えている。
和樹は焦って玄関チャイムを鳴らした。
すると――すぐに久住さんがドアを開けてくれた。
左手には、紙袋を下げていた。
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