第47話

月窟つきのいわ』に豊かな水がもたらされたのは、『星窟ほしのいわ』から移住した人々が水脈を掘り当てたのが切っ掛けである。

 白い岩と砂の下から流れ出でる水は尽きなかった。

 人々が持ち込んだ種は芽を出し、虫の卵は孵化し、地下に潜んでいた甲虫は地上に出た。

 連れてきた動物たちも次第に増え、『花窟はなのいわ』との交流が始まると、文化水準も上がった。


 しかし『月窟つきのいわ』の人々は、『星窟ほしのいわ』時代の暮らしや文化の記録を失っていた。

 唯一、その血と魂の中に受け継がれていたのが『星読ほしよみの術』である。

 星の力を読み、操ることが可能な者たちが『星窟ほしのいわ』の支配者階級となった。

 『月窟つきのいわ』に移住した者たちの長は、その支配者階級に属していた。

 長の子孫たちは『星読ほしよみの術』の才能を受け継ぎ、後世の『近衛府の術士』に抜擢されることとなる――。



 


  ◇

  ◇

  ◇




 湖畔では、子供たちの歓声が響いていた。

 初めて見る湖に興奮し、修練服を水浸しにして駆け回る子も居る。

 貝殻拾いに夢中になる女の子たちもいる。

 貝の内側に絵を描き、『貝合わせ』をして遊ぶためだ。


 この湖畔は、一般の民衆が無許可で立ち入ることは出来ない。

 さる貴族の領地で、当主の厚意で『近衛童子』たちの『修練地』として提供されているのだ。


 長く続く湖畔には波が寄せ、砂地の浜が広がる。

 しかしその後ろには切り立った断崖があり、大人の背丈ほどの岩が積み重なった岩場もある。

 厳しい修練に適した地であり、初春の『鶯時祭おうじさい』の翌月には『近衛童子』たちが訪れ、岩場や断崖を登り、水泳などをして体を鍛える。

 

 しかし快適な宿舎も用意されており、夕食には新鮮な焼き魚や貝が出る。

 厳しい訓練の後の、何よりの御褒美だ――。




「ほら、できた…」

 アトルシオとリーオは落ちていた木枝の先端に糸を付け、その先に穴を開けた貝殻を結ぶ。

 他の童子たちも傍で同じ作業をし、岩場に座って湖に糸を垂らす。

 今日は、訓練が休みの日だ。

 疲れて寝ている子もいれば、外で遊び回る子もいる。

 アトルシオとリーオは、魚釣りをすることに決めた。

 農民出身のリーオは、故郷の川で魚釣りをしていた。

 餌の付け方にも馴れており、魚釣りの経験などない上流階級出身の子たちも、やり方を聞きにくる。



 『第八十八紀 近衛府の四将』叙任式から二十日余りが経っている。

 セオ・アラーシュ・アトルシオ・リーオの組は、叙任式で『傍付き』を任された。

 『四将』が誓いを立てる舞台の、きざはしの下に座る名誉ある役割である。

 この役割を担った童子が、次紀の『四将』候補なのだ。


 当然、子供と云えど『妬み』はある。

 叙任式の前後は、他の童子たちの大半は口も聞いてくれなかった。

 今も、彼らを避ける童子たちもいる。

 けれど殆どの童子たちは、以前のように接してくれるようになった。

 それは素直さだけでなく、打算もあったかも知れない。

 次紀の『四将』候補と仲良くしておくのは、決して損ではない。

 

 それにアラーシュの兄の『神鞍月かぐらづき』殿は、次期の『宰相』と噂されている。

 現在の宰相は高齢で、いつ引退してもおかしくはない。

 月帝つきみかども病弱だと言われている。

 万一の事態には名代みょうだいとして、まつりごとを司るのは『宰相』だ。

 二十代半ばにも達していないの『神鞍月かぐらづき』殿が、国政の長に立つ――。

 その弟の友で居ることは有益なのだ。


 

 

 だが、そんな将来に悲嘆している者もいる。

 はしゃいで魚釣りに興じる一団から離れ、岸辺に座って波立つ湖面を眺めるのは、セオとアラーシュだ。

 春先にも関わらす、日差しは温かい。

 厚手の修練服一枚でも寒くはない。


 アラーシュは白い砂をすくい取り、そして拳を開いて落とす。

 セオは落ちていた小枝で、砂に文字を書いては消す。

 二人は、あてどなく同じ動作を繰り返す。


「……お子様は気楽で良いよな……」

 アラーシュは口を開いた。

 セオは今年で十四歳、アラーシュは十三歳だ。

 十五歳になれば、婚姻が許される年齢となる。

 

「……それで、ガレシャ様は?」

「……物が飛び交わないのが不思議だった」

 気遣うセオに、アラーシュは苦笑する。

 鶯時祭おうじさい後の二日間は、童子たちにも休暇が与えられた。

 実家が近い童子は帰宅が許され、アラーシュは帰邸した。

 母や祖父母は喜んで迎えてくれたが、その夜は大変な事態になった。

 父と兄が、鬼も逃げ出すような諍いを始めたのである。


 宴に親類が三十人近く集まったのに、半刻後に残っていたのは父と兄とアラーシュだけと云う惨事だ。



「愚か者めが! 私の尽力を無駄にする気が! 宰相になり、『花窟はなのいわ』の姫の婿むこになる。何が不満だ!?」


「父上、私はサリアを妻に迎えます。愛しているんです!」


「下級士族の娘など、地方領主の娘以下だ! 何の財も無いではないか!」


「『花窟はなのいわ』の姫は、アラーシュより年下ですよ!? 私のようなひと回りも年上の者を婿にするなど、おいたわしいことです!」


「なら、代わりにアラーシュを婿に出す。お前は宰相に任官された後に、王帝御三家の姫の誰かをめとれ。サリアを囲いたければ、囲えば良い」


「父上! あなたは、サリアばかりか『花窟はなのいわ』の姫も、王帝家の姫も侮辱なさっている!」


「黙れ! なぜ分からん! 家柄と血筋、出世が貴族の全てだ!」



 

 ――罵倒は延々と続き、号泣する祖母が現れて、ようやく兄は退出した。

 父も捨て台詞を遺して自室に戻り、残ったアラーシュは祖母と共に泣いた。

 高坏に乗った贅を尽くした料理だけが、虚しく残っていた。

 それらは、召し使いたちの口に入るだろう。

 手つかずのさかなもある。

 彼らは喜ぶだろう――。

 

 

 あれから半月以上経ったのに、未だに夜になると頭が痛む。

 訓練中は忘れられるが、静まり返ると父と兄の荒ぶる声がよみがえる。



「……辛いよな……」

「うん……」

 二人は、さざめく湖面を見つめる。

 羽ばたく鳥が湖面に衝突し、魚を掴んで上昇する。

 童子たちの「とられた~~」と云う声が聞こえる。

 この瞬間、ここには世俗の縛りは無い。

 あるがままのかたちのみが存在する。



「……あれ? 誰か来る」

 セオは気付いた。

 魚釣りをする仲間たちの居る岩場の反対方向から、三人の男性が歩いて来る。

 アラーシュも、そちらを見た。

 

 藤色の狩衣姿の男性が見える。

 その後ろには橙色の水干姿の従者が二人。

 一人は傘を掲げて主らしい男性の後ろを歩き、一人は大太刀を腰に刷いている。


 藤色の狩衣の男性が、かなりの身分であることは少し離れていても分かる。

 狩衣の文様は銀糸で織られているらしく、日差しに紋様が反射して鮮やかに輝いて見えるからだ。

 このような上質の狩衣を着て歩くのは、高位の貴族か士族に限られる。

 この地の領主かも知れない、と二人は考え、立ち上がる。

 

 男性が近付くと、二人は儀礼にのっとって片膝を付いて黙礼した。

 だが、こちらから話しかけることは出来ない。

 親の身分に関わらず、修行中の童子は無位なのだ。



「……君たちは、近衛府の童子だね…?」

 領主らしき男性は、気さくに声を掛けてくれた。

 奢った風情は無く、格式ばった言葉使いをするでも無い。

 緊張していた二人の肩の力は抜ける。

 セオは、頭を下げたまま答えた。

「さようでございます、殿。我らは、近衛府に仕える童子でございます。この地を治めるご当主とお見受けいたします。我らをお招きいただき、深く感謝しております」


「……確かに、私はこの土地を治めている。しかし、ひとりで過ごすには広すぎる。君たちは、国を護るために修行に励んでいる。少しでもその助けがしたいから、君たちを招待している。気分転換にもなると思うし」


「はい。都から遠からぬ地に、かくも穏やかな湖があるとは知りませんでした。皆、楽しく過ごさせていただいております」


「……二人とも立って……顔を見せてくれないかな?」


「はい、殿」

 二人はゆっくり立ち上がり、顔を上げた。

 温和に微笑む男性は、三十歳を超えているように見える。

 烏帽子えぼしを被り、よく梳かされた黒髪は艶やかだ。

 だが、血色が良くない。

 それを誤魔化すために、頬に薄く紅を差しているらしい。


「……私は……『無名月むみょうづき』と呼ばれている。短い期間だけど、近衛府で過ごしたことがあるんだよ」

 男性は、二人を見つめた。

 その茶色い瞳は、優しさと――憧憬が浮かんでいた。

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