終章(伍) 想う者

第145話

 和樹たちは靴を手にして、深い霧の中を進む。

 父親たちと舟曳ふなびき先生が残った寝殿の先には短い橋があり、そこを通り抜けると、霧が立ち込めた空間が続いた。

 足元には板張りの直線の床が続いていたので、真っ直ぐ進むより方法は無い。

 

 武器は、月城が持ち込んだ一本の刀だけだ。

 それを持つ一戸が最後尾を歩く。

 先頭は月城だ。

 数珠によって彼の持つ浄化術は発揮できないが、術士としての探索能力は働く。

 転生して能力が低下している上野とは違い、敵意を持つ存在の気配は読み取れる。

 月城が敵を探知し、万一の時は一戸が迎撃するより方法が無い。

 

 和樹は内心の焦りを押さえ、慎重に足を運ぶ。

 左手首に嵌まった数珠は、切れる気配は無い。

 だが、案じる必要は無いのだと言い聞かせる。

 『大いなる慈悲深き御方』は、理由が在ってこれを授けてくれたのだから。



「で……方丈さまは、どこまでお供して下さるんですか?」

 上野が聞くと、方丈翁は太々ふてぶてしく笑った。


「あと少しじゃな……残念だが」

「『さおう』とは本名ですか? ただの『みず守り』じゃないんでしょ?」


「今では、その名には何の意味も為さぬ。我ら一族の『大巫女』と『みず守り』は、子を持たぬ定めだが……お主らみたいな阿呆の面倒を見るのは、悪くなかったぞ」


「大巫女さまとは?」

「我が姉じゃ。我が一族の魂は、今も黄泉の泉を守っておる。闘いを終えたら、そこから帰れ。そして、道は閉ざされる」


「月の国と花の国と……現世うつしよ

 蓬莱さんは、愛おしそうにミゾレに頬ずりして呟いた。


 横を歩く和樹は、ふっと顔を伏せる。

 体の中に住まう『神名月の中将』の記憶が、鈴のように震えた。

 覚悟を決めても、名残りと想いは尽きない。


「それにしても、どーして方丈さまと月窮げっきゅうの君だけ、まともな服が用意されてたんすですか? オレらなんか、ゲッツ!の人みたいなスーツだったんすよ」

「知らんわ。せっかくだから、ありがたく気替えさせてもわったわい」


「服に毒が塗られているとか、針が仕込まれているとか考えなかったんですか?」

「……考えつかんかったわい」


 方丈翁は、後ろを歩く蓬莱さんをチラ見した。

 蓬莱さんは、ちょっと決まり悪そうに上を見る。

「だって……素敵なドレスだったから」


「はいはい。姫さまには敵いません」

 上野は、降参しましたと云うように両手を上げた。

 和樹も思わず笑みを零す。

 

 上野と方丈翁と蓬莱さんの会話は、緊張を程よく解してくれる。

 闘いの厳しさは覚悟しているが、助け合える仲間がいる。

 信頼している仲間がいる。

 それは、敵との大きな違いだ。

 弱い者たちを操る敵に負け女筈がない――。



「霧を抜けるようだが……左側に注意しろ」

 月城が不穏な発言をした。


 その数秒後、霧は後方から引っ張られるように消えた。

 出現したのは、寝殿だった。

 先ほどと同じ平安朝の寝殿で、右には御簾が下ろされた母屋がある。

 そして左側の庭では、ひっきりなしに人影が動いていた。


 庭の真ん中辺りには、小山が出来ているが――


「……ありがたいぜ。オレたちが親父たちとウルってる間に、終わったみたいだな」

 上野は上擦った声で言い、彼のお面も口を歪めた。


 庭と廂を行き来しているのは、薄紫色の水干に切り袴姿の女たちだった。

 動かなくなったわらわを引き摺り、ゴミのように庭に積み上げている。

 神逅椰かぐやが作り上げた人形ひとがたわらわに過ぎないが、これはきつい。

 自分たちが歓談している間に、ひとつの闘いが終わっていた。


「……女どもも、黄泉姫が作った人形ひとがたであろう。お主らが気に病む必要は無い」

 方丈翁は庭を眺めつつも、片手を掲げて祈りを捧げる。

 生命が在ろうと無かろうと――身罷みまかった者への弔意は忘れない。


 蓬莱さんも瞼を閉じて頭を下げ、ミゾレも前足を合わせる。

 一行はその場に立ち尽くし――体感で五分ほどで、それは終わった。


 そして女たち庭先に、そしてひさしにて膝を付いて一行を出迎える。

 一人が、母屋の内側に向かって手を差し伸べた。

 蓬莱さんは頷いて先頭に進み出で、中に入る。

 和樹たちも、それに続く。


 中には、三人の女が三角形を描いて座っていた。

 中央が亜夜月あやづきで、その後ろが夜重月やえづき紗夜月さやづきである。

 正しくは、本人たちの人形ひとがたである。

 人形ひとがたたちは烏帽子に藍色の水干、切り袴姿で、太刀を右に置いている。


「姫さま、勅命通りに餓鬼どもを始末いたしました」

 亜夜月あやづきは抑揚の無い声で言う。

 彼女たちは、黄泉姫と玉花の姫君を同一の存在と認識しているのだろう。


 蓬莱さんは少しの間を置き――返答した。

「……ご苦労でした。白織君しらほりぎみは、こちらにいらっしゃるのですか?」


塗籠ぬりごめにおられます。姫さまの御父上と御母上も御一緒です」

「ああ!」


 沈んでいた蓬莱さんの表情に陽が射す。

 和樹も前に飛び出た。

 この女たちは、神逅椰かぐや人形ひとがたの襲撃から、久住さんたちを守っくれたのだ。

 

「こっちよ!」

 蓬莱さんは、足早に進み出る。

 塗籠ぬりごめは部屋の中央にあり、家宝などを仕舞って置く場所だ。

 体育館の真ん中に、板戸で囲った個室だと思えば良い。


 先には、板戸が見える。

 和樹は蓬莱さんを追い越し、板戸に手を掛けた。

 が、動かない。

 どうやら、中から施錠されているようだ。


「開けて下さい! 神名月かみなづきです! 白織しらほりさん!」

 和樹は叫び、板戸を叩いた。

 

 少しの間を置き――忘れ得ない声が聞こえた。


「……あの……本物なの?」

「そうだよ! 桜南高校一年一組、出席番号六番だ! 茶道部と巨大ロボット研究所に所属! 所長は、ほっちゃれ先輩だ!」


「……ニャシロくん!」

 解錠する音が聞こえ、三秒後に戸板が横に動いた。

 戸板を開けたのは男性で、後ろに女性と――久住さんが居る。



「ニャシロくん!」

 久住さんは、半泣きで駆け出して来た。

 和樹は迷わずに、幼なじみを抱き締める。

 離れていたのは、半月余り。

 しかし、その距離は遠すぎた。

 生と死の隔てる川の畔で、二人はようやく再会した。



「お父さん、お母さん!」

「綾音!」


 久住さんと入れ違いに塗籠ぬりごめに飛び込んだ蓬莱さんは、両親との再会を喜び合う。

 それは、彼女の中の『村崎綾音』の人格だ。

 今は『蓬莱天音』を本名としているから、親が『綾音』と発音することは可能なようだ。

 ミゾレも嬉しそうに、再会を果たした飼い主地の間を走り回る。



「良かったな」

「ああ」


 月城と一戸は頷き合う。

 周囲は亜夜月あやづきたちが守っているので、急襲される心配は無い。


「だが、黄泉姫は何処だ?」

「おそらく、此処には居ない」


 月城は眉を潜めつつ気配を探っていたが――諦めて息を吐いた。

 そして姿勢を正し、方丈翁に会釈した。


「あとは……方丈さま」

「ああ。わしが三人を現世に連れて行く。だが、そこまでじゃな。わしには、戻って来るだけの体力はあるまい」

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