第2話 進軍前夜~大公ご一件
「あの、叔父上」
共に食事をしたことも無いので、ドラジェンは叔父との間に悩んでいた
「ラザルは攻め込んだか」
「まだミハイロ伯の領には攻め込んでおりませぬ。通信によりますと節度使殿の軍勢は伯への賛同を見せた貴族領を悉く焦土に帰していると」
「あい分かった。明日にはドラジェンの第一陣が出立すると伝えよ。活気づくぞ」
その通り、出陣前の晩餐であったが、ドラジェンもボシュコも共に料理を食べてはいない
ドラジェンはどうしても聞きたい事があったし、ボシュコは続々と来る報告に逐一返答していたからである
「それとかのヴェリミル男爵は覚えておりましょうや」
「おぉ、あの先んじて申し出た若武者か」
「勲功特別に群を抜いており、諸貴族との戦いでは常に一番鉄砲争いをしているとか」
「それは見事じゃのぅ…よし、そのヴェリミルではなく他の若い貴族連中に我が言葉を伝えよ。奮戦聞きしに勝り、国王の耳に入っておるとな」
「ヴェリミル男爵には何も言われないのですか?」
「言われた方は国王の言葉だと張り切るじゃろうし、言われてない方はもっと働かねばと戦うじゃろ」
「あぁ、そはご尤も。早速、返信いたします」
「はからえ」
「あの叔父上」
「国王陛下!」
今だと思うも、また使者が割り込んできた
「ドゥシャン殿より、ご内密の映像が届きました。事態が事態でございますので1週間内にご覧いただくようにと」
「『かの事』よな。うむ、節度使としての役目、続けて果たすように」
「ははっ」
叔父上は、まだ何かを企んでおられるのか
ドラジェンの心はとにかく空恐ろしくなっていた。日頃、優しいものが怒ると怖いとよく聞かされたが、怠惰な者がやる気に満ち溢れるとこうなるのだろう
「陛下! 一大事ですぞ」
「何用」
「はは、東より幾人か民が流れ着き、いわれを問いただしたところ、東方の諸貴族も伯の乱に加担し、王領より掠奪をされたとの由」
「…おのれぇ!」
手に持っていた箸を重いっきり、窓に叩きつけた
思わず、ドラジェンは肩をビクっと振るわせる
「加担した諸貴族の名を記し持って参れ。族に当たる者は根絶やしにする」
「はっ……この事、東方節度使にお伝えしましょうや」
「……や、それは良い。ラザルは伯の領に進行中じゃ。今、無用な心配事を増やす必要は無かろう。乱を起こした貴族共も、どうせ伯に合流するなりするはず。むしろ、宰相に伝えよ。流民の対処、憂き目にあった王領の事後処理などを任せると」
使いは、そそくさと出ていった
一つ間が開いて、いよいよ使者は来なくなった
「叔父上!」
「む」
ようやく、話しかけられたドラジェンは、まずそのことにほっと胸中をなでおろした
「叔父上は、この事をいつから練っておられたのですか?」
「この事、とは」
「伯の乱にございます」
「これは異なことを。そちが叛意に気づき、先んじて奴の令嬢との婚姻を破棄した。それが全てであろう」
「いや、いや、私は叛意などは露知らず。むしろ、婚約破棄こそ乱の興、り……」
「ほう」
自らの口舌を言い切る前に、ドラジェンは叔父の目を見てしまった
澄やかで、光も闇もないような視線
蛇に睨まれた蛙が如く、ドラジェンは硬直した
「そちが、叛意に気づいた。異論はあるまい」
「…………は、い」
「ふむ、よいよい」
力なく返事をすると、叔父は何事もないかのように食事を続けた
しかし、ドラジェンはたまったものではない。胃の中にあるものが全て吐き出されるような、そんな目つきだったのだ
「ドラジェン」
「…はっ」
「戦支度は進んでおるか?」
「はい、はい、進んでおります」
「初陣じゃぞ。よう、支度に念を押せな」
「ボリス殿とマルコ殿の助けあって、何とか進めております」
「ん、倅どもをよう使えよ。あやつらもそろそろワシの下を離れねばの」
事実、ボリスとマルコのおかげで戦支度はよく、進んでいるのだろう
しかし、初陣のドラジェンに戦支度のあれこれなどは教科書の事でしかなく、実際に進めるとなると、結局ボリスとマルコに任せっきりなのである
「軍勢はどうじゃったかの」
「まず、魔術師をかき集め、ざっと50人。徴発に応じた貴族、騎士や士大夫、家人どもが1500、これらに付随する足軽が1万ほど。次いで浪人や傭兵どもも雇い、これが2000。して、我が国軍より2万を連れていきまする」
「3万もおれば、まぁ第一軍は名乗れるな」
「…は」
叔父の反応があまりに淡い事が気にかかった
「して、そちは何人率いる」
「我が領内から貴族と家人を1500ほど率いて……」
「足りぬ。幕衛師団を1つつける」
「は……幕衛師団にござりまするか」
「ゆくゆくはそなたの師団ぞ。率いて参れ」
「しかし……」
「ワシらの第三軍は老兵を引き連れて、督戦物見遊山ぞ」
第三軍の陣容が薄くなることも心配ごとであったが、どちらかというと気心の知れない者たちが麾下につく事を恐れた
王子ドラジェンはそもそも大規模な戦になることに気負けしているのである
幕衛師団は国王が保有する軍隊であり、国軍の中から才ある者が登用されるという建前である
「叔父上、オシエキッチの一門は……」
「あ奴らには、領地に籠れと命じておいた」
「何ゆえ!」
「言うたじゃろ。これはあくまで王家、すなわちオシエキッチ宗家の私戦である」
『国軍、師団を引き連れた私戦などあるものか』と思ったが、ドラジェンはぐっとこらえた
「しかし、一門を呼ばねば、集うものも……」
「ドラジェン、一門衆というものを理解しておらんの」
「は?」
「お前のための戦に、お前の代わりになるやつが、ヨヴァンの血を引く者が功を立てる。さて、王子の面目や如何に」
ドラジェンはいよいよ我慢していた冷や汗が噴き出した
ヨヴァンとはオシエキッチ家の家祖であり、かつてはこの国の一御家人である。彼を起点にオシエキッチ家は権門への道を開いたというのが、王国の歴史教育で定められており、その権威は王族であれ貴族であれ国民であれ『ヨヴァン』という名前を付けてはならないと畏れられているほどである
「……浅はかでありました」
「うん、うん。それでよい。さ、食べよ食べよ。明日は陣中ぞ」
「は、ははっ」
ドラジェンはこれでもかとかきこんだが、味は全くしなかった。ただ無味乾燥な満腹感に苛まれた
屋敷から出て、ようやくドラジェンは安堵した
叔父に殺される事はないとしても、あの気迫に呑まれるばかりだからだ
……いつぞやに見た自堕落は演技であったのか
「おかえりなさいませ」
「イェレナ」
妻に抱きついた
イェレナは面食らったが、彼女は器量人である。何を理解したのか彼を受け入れた
「どうなされました」
「イェレナ…イェレナ!」
「まぁ」
名前を呼ぶたびにドラジェンは抱きしめる力を強くした
その様は王子というより、子供が母にすがるような光景である
「明日、戦になる。出立だ」
「はい」
「私は、イェレナと離れるのがとにかく心苦しい。このまま一緒に、花を見たり、草原で寝ころび、各地の名水を飲みながら過ごしたいんだ」
「はい」
「イェレナ、イェレナ」
「はい、はい」
なんと情けない姿であろうか
しかし、イェレナは泣いた子供をあやすように寝所へと案内した
ぐずりながら泣き言をいう王子に彼女は優しく声をかけ、頭を撫で、気づけばいつの間にかぐっすりと眠っていた
イェレナにとってドラジェンは夫であり、王子であるが、そこには歳相応の気さくな青年としての彼を知っているのだ
「……行ってくる」
「はい」
「昨日はすまなかった。忘れてくれ」
「いえ、覚えております」
「な」
「殿下の、あなたを忘れたくないのです」
「…かなわないな」
「昨晩、仰られていたように帰ってきたら名水を共に味わいましょう」
「あぁ、あぁ、あぁ!」
ドラジェンは何度も自らに言い聞かせるように声を強めた
イェレナはそれを、優しい笑みで見つめている
「行ってくる」
「おきをつけて……!」
震える妻の声に彼は振り返らなかった
潤う瞳をぐっとこらえて、兵を引き連れる
王城へ至る道、その前方に軍団が見えた。先頭で馬に乗っているのは昨日ボシュコに言われた彼の息子、ボリスとマルコだ
「殿下、お目にあるが第一軍にございます」
「うむぅ」
「出陣の儀は件の如し。王城に入りし後、馬上より降りて陛下にひれ伏し、これにお言葉と武器を賜り、そのまま出陣となりまする」
「うむぅ」
遂に始まってしまう。口の中が乾ききった王子はなんとか言葉を処理したが、なんとか理性を保っている感じだ
「では、王城へ」
「うむぅ」
大きく膨れがあった軍勢を目にくらくらとする。気づけば王城へと入っていた。全くの無意識のうちに
「殿下! そこでお待ちを。陛下に言上仕る! 賊軍討伐の総大将ドラジェンが罷り越し候!」
マルコに呼び止められた。いつもは触れの高札が立っているところに祭りでつかうような屋形が拵えており、張られた幕にはオシエキッチ家の家紋や「恩顕大明神」の文字が彩られている
―うむ―
叔父の声が聞こえた。どことなく荘厳である
御白綴紫小札緑兜胴具足
王にのみ着用が許されたその鎧を着こんだ叔父ボシュコは今まで以上の圧を放っていた
―これへ―
「………」
ドラジェンは返事をする事すらできなかった
叔父、いや王の前にひれ伏すと、肩を銃床で叩かれる。思わず彼は体をびくん!と跳ね上がらせた
―大将筒である―
震える腕でなんとかライフルを受け取った
いつもなら面をあげるのだが、今ばかりは違う
このまま顔を合わせずにいたいのだ
―武運恒久。疾く駆けよ―
王子はひれ伏すままに陣幕を後にし、馬へと乗り直す
王子は冷や汗をこれでもかと流しながら麾下の軍団に声を張り上げた
「者どもぉ! 陣中であぁる! いざあ!」
裏返りながら張り上げた声に恥じ入る間もなく、将兵から発せられた「応」の大喝に彼は心を震わせた
これが伯領騒乱と言われる戦の第一幕である
「もう城も見えなくなったな……」
「殿下、途上の手筈にてご説明をば」
「うむ、苦しからず」
「されば、こちらを」
端末より写し出された地図に目を凝らす
青い土地が味方、赤い土地が敵
面積で行くなら青が優勢であるが、赤く染まった土地の諸侯はいずれも都市や惣城を有する者ばかりだ
「手ごわいな」
「先遣隊が既に敵方の兵力を削いだおかげで奴らもそう易々と打って出ては来ませぬ」
「また兄上が諸侯に『この第一軍は陛下直々の大兵団である』と流したために、反乱への加担をした貴族も寝返った者がおります」
「なんと」
ボリスとマルコは現国王ボシュコの長男次男であるが、ドラジェンのために廃嫡されておりオシエキッチの家に名を連ねてはいない
しかし、ドラジェンとも良好な関係を築いており、あまりしがらみというものはない
それ故、ドラジェンは驚いていた
ボリスは確かにあれこれと機転の利く男であったが、戦においてもその才を発揮できるとは
「このまま軍をモージュ大公の領地まで進め、そこで補給と休息を3時間ほどで完了し、進軍を再開いたします」
「おぉ、大公殿か」
「殿下は確か大公と親しくありましたな」
「あぁ! 学院時代もよく野駆けをしてな」
朝の動悸も彼らと話す事でようやく落ち着いていた
モージュ大公というのはオシエキッチ家に連なる王族であり、継承順位は低いが先代の王によく仕え、現国王ボシュコとも仲が良い
先遣隊からの報告を聴く中、遂にモージュ大公の城壁が見えた。大公が治めるこの城壁は王城への関所としても機能している
「ボリス! 私は先んじて大公のところへ行ってくる」
「殿下! 危のうございます! ご自重を!」
「大公が裏切る訳あるまい。 供も連れていく故、案ずるな! さぁ!」
「殿下!」
ドラジェンにとって大公は頼れる年上なのだ
王族は領地で籠るよう命じられているが、何なら共についてきて欲しいぐらいに
城壁に近づくと衛兵が守りを固めていた
「開門せよ! 私は王子ドラジェンである! 開門せよ!」
「…………」
「む、何をしておる! 開門!」
「撃てぇ!」
「な!」
城壁より撃ちかけられた
しかも、その声は、王子が頼りにするモージュ大公その人ではないか
「殿下! ご無事で!」
「大公! 何をする!」
「………方々! このモージュ! 故あって、ここを通すわけにはいかぁぬ!」
「何を」
「マルコ! 殿下をお下げせよ!」
「はっ」
マルコが王子の馬を無理やり引っ張った
残るボリスが応酬を務める
「モージュ大公! 何故通せぬ!」
「こたびの件、伯爵に大義あり!」
「賊に加担するのか!」
「さにあらず! しかしながら、殿下のなさったことに伯は心を痛めたまで!」
「開門せねばそなたも賊ぞ!」
「こちらから攻撃はせぬよって、別の道を行かれよ!」
「……相分かった」
ボリスの冷ややかな声は退いたドラジェンにも聞こえていた
彼らは置いてきた軍団の陣中に戻った
「ぼ、ボリス、どうする!?」
「大公を攻めるより他にありませぬ」
「え!?」
「まずは短距離砲でかの城壁に損害を与え、敵兵が出たところを騎兵と戦車師団で一気に……」
「待て! 大公はこちらを攻撃する意図はない。ならば言う通り迂回の道を探して」
「それはなりませぬ、ここから迂回できる道だと早くて伯領に4日はかかります」
「しかし、軍をここで減らすのは」
「上等でございます。それに」
「それに?」
「後方よりの第二陣、陛下が直々に率いる軍もこの城壁を通過するでしょうな」
「そ、それは……」
「もしそうとなれば、叱責を受けるは明らか。ここは攻め…」
「それでも!それでもだ! 使いをやって話しあむぎゅう」
抗弁する王子の口元に扇子が当てられた
ボリスの顔はいつも見る無表情だが、そこには将としての気に満ちていた
「殿下、このボリスの言葉は陛下の言葉と心得られ」
「なに、を……」
「殿下! 兄上は父よりこの軍の目付を、王の代理人として任されているのであります」
「なんと!?」
「なにとぞ、お聞き入れ下さいませ」
「そ、そんな」
「お言葉は後で聞きまする。では、将軍に参謀らと議しますのでこれにて」
力なく座り込んだ王子を尻目にボリスはその場を後にした
さて、城壁自体はあっけなく陥落した
ボリスの言葉通り、短距離砲による砲撃や魔術師らによる質量魔法で城壁を攻撃し、防衛に出た大公の兵たちを狙い撃つように弓兵とライフル部隊が撃ちこみ、勢いを喪失したところを一気に騎兵と戦車師団が突撃し大公領を攻め落としたのである
王軍の死者おおよそ10人、怪我人は軽傷145人、重傷6人。大公方も反乱には加わりたくない部隊が多数続出し、双方に甚大な被害は出ないでいる
初戦は完勝であった
「殿下、制圧完了いたしましてございます」
「あ、あぁ」
戦闘という戦闘が無いおかげかボリスの鎧は綺麗なままだ
しかし、陣幕の外からは老若男女の悲鳴が聞こえてきた
「あの悲鳴は、何をしているのだ」
「乱に加わりし者、それをそそのかした者、潜んでいた伯の部下などを処刑しているところであります」
「しょ、処刑……」
王子の顔が青ざめた
「さて、殿下。モージュ大公の処刑をお願いしたく」
「…………?」
「…王位継承者の処刑は王族がやると内典法に定められておりまする」
「は? 私が大公の処刑?」
「左様にございます。さぁ」
「何をいうボリス! せめて星室裁判にかけてからでも遅くは、ひっ」
目の前に出された扇子に怖気づいた
「殿下、王族とて謀反人、謀反人とて王族であります。さればこそ、これを即断せねばこの戦の、オシエキッチの私戦たる意味がございませぬ!」
「い、嫌だ!」
「………御免」
「何をするボリス! 放せ!」
抱えられたまま陣幕の外に持ち出されると、燦燦たる有様であった
戦場の、未だに残る火薬の匂いの中に、処刑の血の匂いが嗅覚をつんざく
「殿下、なにとぞお許しを」
「おぉ」
先ほどまで筋骨隆々であったモージュ大公はこの数時間で痩せこけてしまっていた
とても王位継承に名を連ねているとは思えない
「さぁ、これで」
「た、頼む、ボリス。止めてくれ。マルコ! お前からも」
「…………」
マルコはひれ伏したままであった
「処刑は、分かった」
「されば」
「しかし、ボリス! あなたが、あなたがやってくれ。私は彼を撃てぬ……」
「なりませぬ」
「そなたも叔父上の血を引いた立派なオシエキッチの一門ではないか」
「廃嫡されております」
廃嫡という言葉に後ろめたさを感じたのか、王子はそれ以上何も言わなくなった
ボリスはため息を吐いた。王子のワガママへの疲れとも呆れとも
「王の代理人として行使する。マルコ、殿下を押さえよ」
「………ははっ」
「何をするマルコ! ボリス、嫌だ! やめなさい!」
「動かれますな」
ボリスは王子に無理矢理ライフルを持たせ、そのまま体を密着させて彼の体を動かした
王子は抵抗するが、ボリスの瞳に叔父と同じ圧を感じその支配を許してしまう
「頼む、頼む、頼む」
「お慈悲を……」
「…………」
銃声が鳴り響く
倒れ行く大公の体に駆けよるも、すでにその命は決していた
王子はボリスに反抗の目を向けるが、ボリスは全く意に介さず死体を検分へと回した
これが大公ご一件と後世に伝わる事の顛末である
筆が乗ったので婚約破棄モノを1話だけ書く 南スラヴ連帯党党首 @Tanabeum_Japan
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