筆が乗ったので婚約破棄モノを1話だけ書く

南スラヴ連帯党党首

第1話 婚約破棄その後

『婚約破棄を宣言する!』


1カ月前のできごと以来、王子は今のところすこぶる機嫌が良かった


「殿下……」

「イェレナ」


イェレナ嬢は平民の出

地方の修道院より推薦を受けたという才女として、この王立学院へと入学を果たした彼女は成績は優秀、眉目秀麗、品行方正、器量も良く、貴族平民といわず子弟の人気者であった

無論、全員が全員といっても、あくまで容姿を目的とした下卑た視線はあったし、なんといっても貴族の令嬢たちからは好まれているとは言い難かった


それに拍車をかけたのが王子との逢瀬である


乗馬クラブは王侯貴族の1部と平民たちの2部で分かれていた

活動時間はもちろん部室も厩舎も別々。馬の血統にも差が開いていたが、別に仲が悪いわけではない、というより競争意識すらなかった。それだけ格という隔たりがあった

そこでにわかに事件が起きた。1部の牝馬が逃げ出してどこかへ行ったのだという。王子も捜索にでたわけだが、そこで出会ったのがイェレナ嬢であった

聞くにその牝馬は、2部の牡馬となんと種付けをすませ受胎が確認されたとの事である

1部の子弟にこの事を打ち明ければ両馬共にお手打ちは免れない

そう思った二人は夜な夜な寮を出て、その馬を育てたという

めでたく出産まで大事なく、生まれた仔馬は2部で引き取るという話で落ち着いた


しかし、王子とイェレナ嬢が夜分遅くに会う事は続いた。年頃の男女ともなれば無理もない

王子ははじめて立場身分に気兼ねなく接する彼女に心を寄せ、イェレナ嬢も王子というに気さくな青年へ恋心を募らせた

本人たちは秘密と思っていても、王子ともなればそういう風聞から逃げる事自体不可能だが、公にできねば風聞は風聞である

二人はどこか知ったような感じであったが、なにはともあれ関係は続き、夜分と言わず昼間に変装して街を歩くなど、次第に周囲を気にしなくなっていった


これに最も気を悪くしたのは、伯爵家の令嬢であった

すでに学院の子女グループを統括していた彼女はあの手この手で嫌がらせをしたが、恋する乙女イェレナには全て効果がなかった。所詮、子供の考え付く悪知恵に過ぎないというところもあるが

そうであっても伯爵令嬢には一抹の余裕があった

伯爵家と王家が正式に交わした婚約、だからである

これを無碍にでもすれば王国は二分、いや展開良ければ支離滅裂すらあり得るのだ

ここで分かるように伯爵令嬢と王子の間に恋愛感情はなかった

身もふたもない事を言えば、そもそも学院で顔を合わせる事は極めて少なかった。婚約者と言っても親が、勢力が勝手に決めた事。会釈する事はあれど、あくまでそれぞれの学生生活を楽しんでいた。

そこにイェレナ嬢が出てきた事で自体は一変。焦った伯爵令嬢はあれこれと手を打ち始めるが、時すでに遅し


その結果が、卒業記念パーティーでの婚約破棄である

良くも悪くも国内はまず色めき立った

王家に気を使う貴族たちは祝電を送り、反王家の色が強い貴族などは伯爵家へお悔みの一報を入れた

令嬢が危惧していた事態が現実になりつつあったが、この1カ月は何も起こらなかった

王子は新たな婚約者と勤しむところあったのと、出仕を命じられていない事から、しばらくは自らの屋敷でイェレナ嬢と仲睦まじく暮らしていた


「イェレナ……」

「はい、殿下」


こうして互いに名前を呼び合うだけで1日を潰したというほどである


「殿下!王命にございます。今すぐ、王城へ出立あるように、と」

「こんな時間に……? 相分かった。支度をすると叔父上に申し上げなさい」


屋敷のメイドが一礼すると、どたばたと退出した

イェレナ嬢が引き留めるも頬にキスをして制した


「すぐ戻るようにする」


馬車へ乗り込む

王子は気がかりであった。こんな深夜に呼び出されるとは何事なのだと

現国王は王子にとって叔父にあたる人物である

先代の国王、即ち王子にとっての父は、王子が幼少の時に亡くなり、その時の弟が継いだ形となる

摂政ではなく王位に就いた事が波紋を呼んだが、当時の派閥関係や次代には王子が継ぐことなのが決まっていたため、現在でも国王として君臨している

しかし、王子はこの叔父を、国王をさほど高く評価はしていなかった

年末年始にしか、それも儀式的に会いに来るなどもあったが、それ以前に国政は宰相に丸投げ、領地の経営は執事や家令に委ねるなどで、自身は狩りや伝統工芸品の蒐集にばかり勤しんでいたからである。その宰相、執事や家令も保守的と称して惰性に満ちた手腕を奮う有り様である。

王子自身としては正直な話、叔父であるという点以外に親近感がわかないのだ


「殿下、お待ちしておりました。こちらへ」

「うん」


家令のミロシュが出迎えた

幼少の頃は教育係であったため、懐かしさが心に湧いたが、今は出仕の途上である


「こたびの召し出し、やはり婚約破棄の事か」

「それもありましょうが、殿下のみならず、譜代の家臣、昵懇の諸貴族、探題殿や節度使も来ておられます」

「こんな夜分遅くにか」


なんぞまたパーティーでもやるのだろうか、王子の心中は不安に満ちた


「ご開扉あるべし! ミロシュ、王子殿下を案内仕った!」

―王子殿下の、ご入来!―


王城の一画にある、叔父の屋敷

国政と家は分けるべし、という初代の法度によって王城にはいくつか屋敷があるが、叔父の屋敷は質実剛健、絢爛豪華、一言に頽廃を極めたような構えであった

この点も、王子が叔父を好まない要素である


「殿下、陛下は西の御殿にてお待ちです」

「相分かった。そなたは来ないのか?」

「今一つ、役目を言い渡されております」

「左様か。案内、大義」


何かが違う。雰囲気だ

ここへは何度か来たが、そこにあったのは享楽と無聊、やる事を終えれば足早に出ていきたくて仕方がなかった

今この屋敷には覇気と野心が満ち溢れている

廊下で出会うメイドたちも以前は気だるげに仕事をしていたが、今はあちらこちらへと行ったり来たりだ

西の御殿の前へと来た。中から、人の気配がする。一人二人ではない、大所帯だと推測する


「叔父上! ドラジェン、罷り越しましてございます!」


いつものように入室すると思わぬ圧に気圧された

アフマダ探題を務めるコスタ、東方節度使ラザル、ノヴィグラード公爵モシャ、今までの儀式で何度か会っていたような冴えない中年壮年の面々は今に役目を!と言わんばかりに国王を見ていた


「これへ!」

「っ!」


今まで聞いた事の無い声量、国王としての声色は新鮮であり、王子の体を貫かんが如く

国王ボシュコはいつもと違った顔をしていた

呼びつけられた王子はいつもの自信はどこへやら、借りてきた猫のように肩をにわかに縮めて玉座の後ろへと控えた


「叔父上! この度の召し出しいかなむぐぅ」

「待ちゃれ、待ちゃれ」


発言間もなく、口元に扇子を押しあてられた

しかたなくこの御殿にいる面々を見渡すと、年始の国王訓示ほどではないが、

錚々たる顔ぶれが揃っていた


「話の続きじゃ。ドゥシャンは来れぬと聞いたが、真か」

「恐れながら。西方節度使として隣国の睨みを怠れぬ、と」

「頑固者じゃのう。だが、その分専念できるというものか」

「再三に使いを出しましょうか」

「無用じゃ! むしろ、ドゥシャンの心意気を買わねばの。次にコスタ! 任せていたことはどうじゃ」

「首尾よく進んでおります。近日にご用立てできますが、途上にてお渡しするよう手はずを整えております」

「はははは、流石は名人コスタじゃ。探題に任じたは我が功績じゃの」

「ありがたきお言葉」

「陛下。侍者長が面会を請うておりますが」

「会わぬ。とどめておけ」

「はっ」


目の前にいるのは本当に叔父なのか。王子は目を疑った

廷臣、貴族とここまで問答できる人間ではなかったはずだ


「ミロシュにございます」

「近く近く! どうであった」

「ミハイロ伯の反意、確と心得ます」

「ふむ」

「この1カ月の間、領内外に触れを発し騎士や士大夫、傭兵などを城と町に引き入れていると複数の言、これあり」

「決まったな」


ミハイロ伯とは、王子と婚約を結んでいた令嬢の本家である

叔父が立ち上がり、天を仰いだ

まるでこの日が来たと言わんばかりの笑みが、王子を畏怖させた


「各々! ミハイロ伯の叛意、これに明らかとなった」


御殿にどよめきが広まる


「古の習わしより、叛徒現れ、これを討つは権門の定めなれば! 此度の戦はあくまで我が王家、オシエキッチ家によるものと心得る」

「陛下……」

「さればこそ! 諸爵に申しつけなん。戦に参ずるはこれに能わず、戦に参ぜずは良く領地を守り、事を見守られよ!」


貴族たちに動揺が走った

これに参加しても、国王は既に王家とミハイロ伯との私闘であると宣言した以上、どれだけ戦っても領地は増えない。しかし、参加すれば、今以上に遇してくれることは間違いない

ミハイロ伯の評判も決して悪い人物ではないことが、貴族たちに決断を欠けさせた


「陛下! 恐れながら、言上仕る!」

「そちは」

「不肖、マルシッチ男爵家が当主ヴェリミルにございます! 領土はご無用と聞き、若輩ながら己が武辺を天下の野間に知らしめたく、何卒ご参陣のほどをお願い申し上げたく!」

「よくぞ、申した! 先陣にて部隊を率いるべし!」

「は、ははっー!」

「陛下! 私めにもお役目を!」

「先駆けを務めたく!」


ヴェリミルの申し出に下級貴族たちや伯爵家や侯爵家の次男坊三男坊が続々と参戦を願い出た

国王はそれぞれに感じ入った表情を見せ、まるで絵画のようである

無論、参戦しない貴族の方が多かったが、彼らは金銭の供出などを願い出た


「さて、まず既に勲功をあげた者がおる」

「……?」


戦が始まってもいないのに、勲功第一とはいかなる事であろう

場の面々が面食らう中、国王は王子を引っ張った


「我が嗣子ドラジェンである!」

「は!?」

「ドラジェンがひと月前にミハイロ伯の令嬢に婚約破棄を申し渡した事は知っておろう。我が王子は既にミハイロ伯の野心に気づき、令嬢との破棄を申し渡したのじゃ!」


場が「おぉ」と感嘆に揺れた。流石は王子殿下、と口々に囃し立てられる

肝心の王子はついていけていなかった

婚約破棄はイェレナ嬢との熱愛の結果でしかなく、ミハイロ伯の野心など一片も感じ取っていないからである


「お、叔父上」

「鼻が高い限りじゃ。謙遜するでない」

「いえ、私が破棄を申し出たのは」

「何はともあれ! 逆臣、討つべし」


またも扇子で抑えられた。胸にポンポンと2度叩かれると押し黙ってしまう


「さて、根回しをせねばの。モロナオ!」

「はっ」


モロナオはオシエキッチ家の執事である


「その方、今すぐ方々へ出立し、各商人より金銭を借り入れて参れ」

「分かりました」

「モシャは城にとどまり、宰相と連携して貴族とよく折衝せよ。ラザルは職権を発し、すぐにミハイロ伯領へ攻め込むべし。後でワシらも続くぞ!」

「心得たり!」


ラザルは部下や先に名を上げた貴族に号令を発すると足早に御殿を出ていった


「コスタは王領を巡り領民を鎮めよ。浮足立つ村がいないとは限らんからの。あー、そうだそうだ、モシャ公爵は先の任に加えて、諸国よりの大使や使者に、我が方の大義を説いていかれよ」

「承り候」

「節度使に先陣を任せたが、ワシらも行かねばの。ミロシュ、領内より騎士を招集、兵を徴発せよ。第1陣の総大将は……ドラジェン、そなたに任せる!」

「は、はい!?」

「何を慌てふためいておる。王子ともなれば一軍を率いてこそではないか。ゆくゆくは王となり国軍に触れを発するのだぞ。」

「は、ははっ、御命謹んで」

「安心せい。倅のマルコとボリスをつける。第2陣はワシが直々に率いて督戦する。初陣、見事に着飾れよ」


国王は出陣の儀式としてワインを喇叭飲みすると、今度はそのまま頭からかぶり始めた

オシエキッチ家に代々伝わる儀礼だが、ここまで様になるものとは

王子は目を泳がせるばかりであった。初の仕事がまさか戦とは夢にも思っていなかったからだ


「陣触れじゃ! 師を発するぞ!」

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