盆とんぼ
北条むつき
盆とんぼ
ばあちゃんが死んだ。夏祭りの今日、葬儀が行われた。
夏のお盆に、突然ばあちゃんは、静かに眠るように逝ってしまった。
久しぶりに妻の早紀江を連れて車で一時間の場所にあるばあちゃん
お盆の週末にばあちゃん家でゆっくり過ごすのは、何年ぶりだろう。
今思い出すのは、小さい頃の俺とばあちゃんとの懐かしい夏の思い出だった。
夏頃になると、よくばあちゃん家に毎年のように遊びに帰っていた。実家はばあちゃん家から三十分ほどの同じ島内で、母親や父親に怒鳴られた際にも、三十分の距離を歩いてばあちゃん家に行き、慰めてもらう。それほど俺はばあちゃん子だった。
ばあちゃんは昔ながらの人間で、じいちゃんと農家を営んでいた。そのばあちゃん家に帰るのは、俺の夏休みの行事ごとになっていた。
ばあちゃん家近くの森で、虫をとったり畑の手伝いをしたり、夏祭りに参加したり、ばあちゃんと料理を作ったりして幼少期を楽しんでいたことを思い出していた。
ふと、いつもお盆に帰省する俺に、ばあちゃんはいつのもように同じ言葉を言ってきた。
『
小さい頃によく言われた言葉が今、何故かふと蘇る。
『あのとんぼは、ご先祖様の精霊じゃけえ、お盆に帰ってくる大切なご先祖様じゃけえの。大丈夫。宗介は優しい子じゃけえ、そげなことせんよね?』
そんなことを思い出す夏の葬式後の夜こと。ばあちゃん家に舞い込んできたのは、赤とんぼだった。ばあちゃんが最後の挨拶に戻ってきたのかと思った。俺はひとり夜空を見上げ、そのとんぼに、ばあちゃんを重ねて小さく祈った。
「どうしたの? おばあさんのこと、思い出してた?」
妻の早紀江がお腹を抱え、切ったスイカを持って俺の座っている縁側にやってくる。
「ああ、ありがとう」
早紀江のお腹には、もうすぐ九ヶ月になろうとしている赤ちゃんがいる。それなりに大きなお腹を抱え、ゆっくりと俺の横に座る早紀江は、唐突に聞いてきた。
「ねえ、おばあさんとの思い出話、聞かせてよ」
「えっ?」
俺は、ばあちゃんとの思い出話を、早紀江に蕩々と語り始めた。お盆になると毎年ばあちゃん家に帰って夏祭りに参加した思い出や、小さい頃によく言われた赤とんぼの話を早紀江に聞かせた。
「ばあちゃんの話によると、精霊とんぼってのが毎年盆時期に現れて、ご先祖様が帰ってくると言う風習があるみたいなんだ」
「へえ」
「その精霊とんぼ、要は赤とんぼを見るとその年いいことが起きて、幸せをもたらしてくれるって、見たらちゃんと手を合わせて、願いを祈ると良いらしいって。それでさっき見たから、お腹の子供のことを無事に産まれるようにって祈ってた」
「じゃあ、わたしも見たいな。いる?」
「ああ、さっきまでいたけどなあ?」
早紀江と俺は、辺りを見渡し赤とんぼを探し始めた。だが、赤とんぼはもう空高く舞い上がったのか、見えなくなっていた。
「チェッ、見たかったなあ。赤とんぼ」
早紀江が小さく指打ちをして残念がる。早紀江は「いいおばあちゃんだったんだね」と笑顔で言ってスイカの食べかすをキッチンへ戻そうと立ち上がった。
その時だった。急に前かがみになったのが悪かったのか、早紀江は唸り声を挙げてその場に崩れた。
「早紀江、大丈夫か?」
何度かの俺の声に、早紀江は小さく頷くが、お腹が痛いのか唸るばかりで、息が上がっていく。俺は慌てて救急車を呼ぶべく、スマートフォンを取りに居間から、キッチン横でみんなが食事をしているリビングへ慌てて戻る。慌てた様子で来た俺に親族たちが聞いてくる。俺は早紀江の容態を言うと、親族たちは心配をし、早紀江の元へ駆け寄った。
俺はスマートフォンを片手に救急車の手配をした。
早く来い。早く来いと、救急車を待っていた。時計を見ると夜の十九時を少し回っていた。気持ち的には、電話をしてから三十分ぐらい経っていたかに思えるほど焦っていた。
早紀江は、居間に布団を敷かれ、そこで息を荒げて今にも産まれそうな勢いで唸っていた。十九時十八分。ようやく近くにサイレンが聞こえ、ばあちゃん家の庭先に救急車が止まった。救急隊が駆け込んで容態を診る。
担架に乗せられ、早紀江は救急車の中に運ばれた。島内には救急病院は一件しかなく、そこへ間も無く運ばれた。
救急隊が早紀江に話しかけるが、早紀江の息は上がっていた。
病院に到着すると、緊急入院するように促される。早産の可能性もあるし、母体にも影響があるとも告げられた。
これはなんなんだ。神様のいたずらか何か。ばあちゃんの葬式に早紀江を連れてきたことを悔やんだ。悔やんでも仕方ないが、どうか母子共々無事でいてくれと、手術室前のベンチに腰掛け、暗がりになっている窓の外を眺めた。月明かりで空は黒に近い青で、天気も曇りに見えた。
さっきまで晴れていた景色は、俺の心情と同様に曇りがかっていくように思えた。
母子ともに無事でいてくれ。ずっと指を絡ませ両手を握っていた。
窓の外に何か通り過ぎるような影が見えた。
「あっ」
この曇り空の中、病院の三階の待合室窓から赤とんぼの群れが見えた。俺はその群れに必死に祈った。ばあちゃん、妻の早紀江とその子供を救ってください。
『大丈夫』
ふと窓も開いていないのに、風が吹くように、何か懐かしい声のトーンのような言葉が頭に響いた。遠くで、夏祭りの花火大会の音が急に聞こえてきた。
そうだ。今日は島内の夏祭りで花火大会だった。そんな日に、ばあちゃんの声のように聞こえた。だが、慌てていたので花火の音と『大丈夫』を聞き間違えたんだと思った。
ドーン。パチパチパチパチ……。
風情あるはずの花火の音が、どこかしら心臓の鼓動とかぶさった。脈打ち早く鼓動するように、花火の音が聞こえていた。
手術室に入って、早一時間ぐらい。時計は二十一時が来ようとしていた。
暫くすると手術室のランプが消えた。マスク姿の執刀医が、扉を開けて出てきた。
「早紀江は大丈夫ですか?」
「手術は成功しました」
中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。俺はホッと肩を撫で下ろした。
翌日。早紀江と赤ん坊を見に親族共々島内の病院にやってきた。赤ん坊はシワシワで目が見えているのか見えていないのか、大きな目で俺を眺める。
早紀江も呼吸器が取れ、笑顔で俺を見て言った。
「あたしも見えたわ」
「えっ?」
「やはり本当だったみたい」
「何が?」
「手術が終わった時、窓からとんぼの大群が見えて、『大丈夫よ』って声がどこからか聞こえてきたのよ。たぶん、あなたのおばあちゃんの声だと思う」
了
盆とんぼ 北条むつき @seiji_mutsuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます