人を愛した経験がないのに恋愛ものが書けるか!
カイ艦長
人を愛した経験がないのに恋愛ものが書けるか!
人を愛した経験がないのに恋愛ものが書けるか!
私は誰かを愛したり愛されたり恋したりした経験がありません。
さっぱりないのです。
何度となく書いていますが、私は物心がついた3歳の頃にはすでに養護施設に入れられていました。私が2歳の頃から兄弟4人が養護施設で暮らしていたのです。
しかも、養護施設では全員別の場所で暮らしていました。
同じ施設なんだけど、生活圏がいっさいかぶらなかったのです。
だから兄弟愛もまったくありません。
養護施設は「○○をしてはならない」「○○しなさい」の世界です。
賞罰基準が明確にありました。
私は好奇心が旺盛でしたので、昼寝の時間に施設を抜け出して市街地まで歩いていったり、裏庭でひとりアクロバットの練習をしたり。園長室に忍び込むなんてこともしていましたね。
私の「ガキ大将」気質を培ったのは、間違いなく養護施設です。
養護施設というところは、誰かを好きになったり嫌いになったりする場所ではありません。変えようと思っても変わらない人間関係が存在するので、好き嫌いなど言っていられないのです。
養護施設は誰かから愛される場所でもないので「愛する」ということすらわかりません。
おそらくこれらのために、私は「愛する」ことも「愛される」ことも「恋する」ことも知らない。知らないというより「わからない」のです。
私の価値基準は「役に立つか立たないか」「ギブ・アンド・テイク」であり、とてもシステマチックなのです。
小学校に上がるタイミングで兄弟4人が母親に引き取られて東京へ出てきました。
そんな私が小学2年生でマイコン(当時はパソコンをマイコンと呼んでいました)に興味を憶えたのも、私の価値基準がおおいに関わっています。
コンピュータは「プログラム」を正しく組めば役に立つし、間違えたら役に立たない。
まさに私の行動原理そのものです。
コンピュータは愛を知るのか。
これはSF小説でよくネタになります。
明確に回答するなら、「恋愛を入力されていないコンピュータに愛はわからない」と答えるでしょう。
コンピュータが意志を持つというのは、前段階でAIを構築しなければなりません。
そしてAIを構築するときに「愛された」経験を入力しないと、コンピュータは「愛」がわからないのです。
つまり私も人格形成期に「愛された」経験がないので、「愛」がわかりません。
では、人を愛したことも、人に愛されたことも、人へ恋したこともない私に「恋愛小説」は書けるのでしょうか。
書けませんよね。
そもそも「愛」がなんなのかを知らなければ、人がどういう順序で「愛」を感じるのかすらわからないのです。
わからないものは書けません。
これ自明です。
よく「恋愛は妄想で書けばなんとかなる」とおっしゃる方がおりますが、それは最低限「愛された」経験がある人に限られます。
「愛」という情報をまったく持たず、経験もない人に「恋愛」など書けやしません。そもそも「恋愛」がわからないのですから。
私の小説がひじょうにドライで、人情の艶がないのは、ひとえに私の感情に「恋愛」が存在しないからです。
実はまだ「生死」についてもそれほどわかっていません。
自慢ではありませんが、25歳になるまで目の前で死人を見た経験がなかったのです。
25歳で書店の店長をしていた際、店長の引き継ぎをした帰り道に後任の方の運転する軽自動車の助手席に乗っていて、初めてその方が心臓病で即死した場面に出くわします。
しかし人格形成期に「死」を経験してませんから知人の「死」に動揺することなく、運転免許もなしで正月の交差点に突入した自動車を助手席から操って路肩に停めました。そしてすぐさま救急に連絡し、心臓マッサージをしたのです。
書店を運営する本社の方にも「よくそんなことができたな」と一目置かれたほどです。
それも私に「死」の概念がなかったからです。
普通の人だと子ども時分に「ペット」を飼っていて、その「生死」を経験するものです。
またおじいさん、おばあさんの「死」に直面して「死」を知ります。
私は「ペット」を飼った経験もなければ、おじいさんもおばあさんも田舎暮らしなため、母に訃報が届いても「死」を実感していないのです。
さて、ここまでお読みになられて、私という人物がいかに「恋愛感情」も「死生観」もないのがおわかりいただけたでしょうか。
私の中での「死」とはマンガやアニメでのキャラクターの「死」であって、それは作り物の「死」です。
リアリティーなど微塵もありません。
「死者」はただストーリーの進展から脱落していくだけのキャラクターでしかないのです。
「このキャラクター、もう出てこないんだ」
これが私の中での「死」です。
それを加味したうえで『秋暁の霧、地を治む』を読むと、確かに「死」は軽いし「恋愛」が微塵もないのがわかると思います。
私が戦争小説を書くのは、「恋愛」を書かずに済むのと戦争小説の「死」もまた「ストーリーの進展から脱落していくだけ」だからです。
「恋愛」も「ラブコメ」も書けませんが、ひょっとすると「ミステリー」はいけるのかもしれませんね。
今の「ミステリー」は痴情のもつれといった「恋愛感情」での犯行って少ないですからね。密室トリックやアリバイトリックといったシステムのほうに力が入っている作品も多々あります。だから「変死」もただの定番でしかありません。
つまり「感情」がないのです。
小説を書くうえで「恋愛感情がわからない」のはとてつもないハンデです。
どんなジャンルでも「恋愛」を書けば一定数以上の読み手を確保できます。
逆に「恋愛」がいっさい絡まない小説なんて、ほとんど読み手がつかないのです。
もし私に「恋愛感情」が宿ったら、そういう人物の物語は書けるでしょうね。
人生で一度も「恋愛感情」がなかった人が年老いて「恋愛」に芽生えた話。
「老いらくの恋」ものにも一定の読み手は存在します。
そういう方でも、人生のいずれかで「誰かから愛された」経験があるものです。
私にはそもそもそれすらないので、完全に小説家としては「欠格者」でしょう。
とにかく「人を愛すること」も「人から愛されること」も「人へ恋すること」もなかった人生で、これから先「誰かを愛すること」も「誰かから愛されること」もないでしょう。
「異世界転生」も「異世界転移」も、ヒロイック・ファンタジーは基本的に「恋愛」があって成立しているジャンルです。
そこに「ラブコメ」をかぶせるのが今の流行りですが、「恋愛」感情のない私には「ラブコメ」すら書けません。
ここまでつらつらと書いてきましたが、やはり「恋愛感情」がないと小説家としては大成しないよなぁと考えています。
「想像でなんとかする」方もいらっしゃるでしょうが、それができるのも根本的に「恋愛感情」を有しているからです。
まったく存在しない人が「想像」しても「恋愛感情」なんて知らないのですから理解できませんし、それを文章にして書き表して小説になどできようはずもないのです。
ここまで書いてくると「芥川龍之介か?」「太宰治か?」と思わないでもありませんね。
でもふたりとも「恋愛」はなくても「死生観」はありましたからね。
私にはそれすらもない。
戦う武器がないんですよね。
これは痛い。
とりあえず「恋愛」のない小説を量産してみる所存ですが、皆様のお口に合わないかもしれません。
逆に「恋愛感情を持たない小説家は、どんな小説を書くのか」という命題は示せるかもしれない。
「恋愛感情」がない人へどんなに「恋愛感情」をぶつけられても理解できないのです。
もしかしたら、人生の中で誰かから「恋愛感情」を向けられていたのかもしれませんが、「恋愛感情」がないのでまったく気づけるはずもありません。
だから「誰からも愛されない」という気持ちにしかならないわけです。
私には「自分にないものを自分のものにしよう」というロジックが働いています。
小学生に上がって東京の小学校に通ったとき、誰かから親切にされたら「自分も誰かの役に立てる人間になろう」とは思いますが「親切にしてくれた人を好きになろう」とは思いませんでした。
私の人格形成期で「親切に」された経験がないからです。
「人の役に立つ」のを好ましいことだと感じるから「人の役に立とう」とします。
「親切に」されたから他人に「親切にしよう」とかその人を「好きになろう」というロジックではないのです。
そもそも「親切に」とか「優しく」とかいう感情がありませんから。
……となると、私は文学を目指すべきなのか?
恋愛を哲学として解釈するような文学を……。
でも哲学にできるほど「恋愛」を理解できないから、おそらく文学を選んでも書けないでしょう。
ではなにを目指せばよいのか?
ここで思考が止まるんですよね。
人を愛したこともない人生しか歩んでこなかったので「恋愛」ものは書けません。
「ドタバタコメディー」を書けるほど楽しい人生は歩んでいません。
お金もないので趣味もそれほど深くありません。
今は療養中なので、貯金から参考書をたくさん買ってまとめていっています。
「小説の書き方」コラムも「デイトレーダー」も「タロット占い師」も。
必要があるからまとめているのであって、感情が飲み込めるわけでもないのです。
それこそ「デイトレーダー」も「タロット占い師」も、お金と実践で知識をためられます。
しかし「恋愛」はお金を持っていても実践できるわけではない。
というよりそもそもお金はほとんどありません。
ほぼ生活保護と同じ暮らしです。
「デイトレーダー」も「タロット占い師」も、「恋愛感情」云々はほとんど要りませんからね。
「恋愛」はお金では買えないし、相手もいないのに実践できるはずもない。
こちらだけが勝手に思い込んで、犯罪に走る人が多い世の中です。
私はそうなるくらいなら「恋愛」は要らないなと感じています。
だから私は宣言します。
「私は恋愛小説はもとより、恋愛そのものを書きません」
『秋暁の霧、地を治む』でも「皇帝に王孫の姫との縁談話が来た」程度にしかありませんからね。
こんなの「恋愛」でもなんでもありません。
ただの出来事です。
私の小説は万人ウケしないどころか、誰の需要も満たせない。
そう腹をくくってしまえば、小説も適当に頑張れると思います。
皆様のまわりに、私くらいこじれた方がいらっしゃったら。
生温かい目で見守ってくださればと存じます。
人を愛した経験がないのに恋愛ものが書けるか! カイ艦長 @sstmix
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