茜色した思い出へ
秋色
茜色した思い出へ
私はその日、茜色という色が気になりだした。それはとあるニュースが発端だった。
「22xx年10月10日の七時のニュースです。本日、色素番号112から520、通称『赤色』を認識できる最後の人類とされるマーガレット・バーンズさんが亡くなりました。九十三才でした。
マーガレットさんは生まれて間もなく、人類が当時すでに三十年間、自然出産では失っているとされていた通称『赤色』の色素認識機能を持っている事が医師により証明された事で、一躍有名人となりました。
マーガレットさんの人生はその能力により、常に注目され続けていました。晩年、周囲から『赤色』を認識できる能力を持つ事について
『私はこの能力を神から授けられました。それを皆は奇跡だと言います。私はこの赤という色に脅かされ、そしてその美しさに感動して人生をおくってきたと言ってもいいでしょう』」
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環境破壊により人類の体質に大きな変化がもたらされ、赤という色が認識されなくなって久しい。他の色も、かつてはその色の持つニュアンスにより、信じられないくらい豊富な種類の色合いが存在していたと言う。
赤は、私にとっては生まれた時から知らない色。だから、赤の話題は、まるで知らない誰かの事を話しているように聞こえる。
でも赤というのは、人類の歴史において、かなりメジャーな色だったらしい。本を読むと、人類がこの色を失う過程では、様々な悲しみの感情があったみたいだ。
また、『赤』は、さまざまな場所に使われ、色々なキーワードだったと言う。赤信号とは、交通における停止指示の事で、それに転じて、注意、警戒すべき危険な状態や兆しに対する形容だったとの事。今では信号は色ではなく、マークや音になっているけど、その方が便利だと思う。
ここは海を臨むリハビリテーション施設、サニーサイドの窓辺。私は病気のため、ここに長く療養している。二十代の初めに発症した病気は、初めは軽く、外来受診も忘れるくらいだったのに、十年が過ぎた今では車椅子生活となり、後遺症はもう治る見込みはない。
でもここ、サニーサイドでは、驚くほど静かで平和に時が過ぎていく。
テレビのニュースが耳に入ると、私専属の付添人は興味深そうにテレビの画面に見入った。
「私の小さい頃にはまだ近所にも赤色を見る事のできる人は少しはいたのよ」と付添人は言う。
「そうなんだ。私は生まれてこのかた、赤色を見た事のある人って会った事ない。あ、一度だけ街角にいたおじいさんが写真を指しながら、自分は子どもの頃、赤色を見る事できたんだって、赤の色の素晴らしさを語って、人だかりができてた事あったっけ。でも母があれは詐欺だって言ってたわ」
「赤はきっと素晴らしい色なんでしょうね」と付添人は言った。「だって『赤』とつくタイトルの小説、映画は多いでしょう?」
「そうよね」
確かに赤という言葉は、昔、様々な小説や映画のタイトルに使われ、今でもそれらは鑑賞され続けている。でも生まれた時すでに赤という色の概念は消えていたので、私は全てに実感がない。
赤い航路、赤い影 赤い衝撃…… これらのタイトルは一体、何を言いたかったのだろう? 特別な色だった気がする。明るい色、華やかな色でもあり、危険な色、不穏な色、革命の色、焼き尽くすような情熱の色でもある。
「古代においては、赤は神聖な色とされていたとか。
そんな付添人の情報は、赤という色のイメージを尚のこと複雑にした。
赤に属する色の名前も多い。朱色、紅色、薔薇色、
赤系でもピンクと言われる色は、かわいい色、フェミニンな色の代名詞にもなったらしい。
夕暮れの色を表すのは茜色。これは赤の中でも牧歌的で自然の美しさを表すみたいだ。
「アカネ草の根で染めた沈んだ赤、廃語」とある。やっぱり自然が染めた色の事らしい。
付添人が部屋を出て行くと、不意に電話が鳴った。携帯電話の表示を見るとかつて愛していた人の名前だった。一瞬の躊躇の後、通話キーを押し、携帯電話を耳にあてる。
――久しぶり。どうしたの?――
――やあ、やっと出てくれたんだ。何となく。夢みたから。気になったんだよ。――
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私と彼は幼なじみだった。十一才の春休みに引っ越してきた郊外の町で、少女時代の私が最初に出会った住人が彼。新しい家へ行く途中、釣り道具を載せた自転車を引っ張る少年とすれ違ったのだった。夕方で肌に触れる空気はヒンヤリしていた。もう日は暮れかかっていたけど暗さは感じなかった。ドキドキするような、何かが始まる予感のする瞬間だった。
二人はともに青春を過ごした。
十五才の夏、二人で海へ出かけた。私はリボンとフリルの付いた短い袖のブラウスにジーンズとサンダル。少年の彼はいつもTシャツとジーンズ。埠頭に向かう時、海にさざ波が立ち、きらめいていた。色が少ないからなおさら光や明るさには敏感になる。波のきらめきがすごく印象的だったっけ。
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――時々電話するけど出ないし、どうしてるのか気になってた――
――知ってた。でもいつも電話に出るタイミングを逃すの――
何年もの間、時折、いつの間にか増えている着信歴があった。
でも別れた恋人に電話するのは気が引けた。ここにいる事は知らせていない。
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彼とは同じ学校に進学したものの、そこは自由を認めない、厳しくてがんじがらめの生活だった。学校の組織は大昔のカースト制を思わせるような縦社会だった。
ある秋の日、その中でも頂点近くに位置する教師の現代社会の授業中だった。
「この世界はコンピュータプログラムにより完全な安全社会を目指しています。反面、生物学的には弱肉強食の社会で成り立っていて……」
彼は不意に立ち上がり、席を立つと、私の席まで来た。
「行こう!」
そして私の手をとり、教室の外へと連れ出した。
堂々のエスケープ。教師も周りの生徒も呆気にとられていた。
校舎の裏門を出た所にある丘に着く頃には、私は何かすごく可笑しくなって声に出してケラケラと笑っていた。あんなに笑ったのは初めてという位だった。草の上に寝転がり、空を見上げた。カラカラの落ち葉が降ってくる。これは赤という色の葉なのかと考えていた。秋の陽射しが眩しかった。色が少ない分なおさら光や明るさの事は印象的に憶えているのだ。
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――別れてもこのナンバーは消せそうにないんだ。友達としてだったら、こうしてたまに電話してもいい?――
――いいけど。でもおかしくない? 元恋人でなく、友達なんだね――
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別れを切り出したのは私の方だった。大人になり、社会に出ると、色々と私達の世界観は変わってきた。以前は私を関心の一番上にあげていた彼の心の移り変わりに傷ついた。私よりもっと心の部分を占める女の人ができたのも分かっていたし。何気ない喧嘩が別れの原因となった。知らせてはなかったけど、自分の病気の後遺症もあった。
別れたのも夕方だった。また明日ねと言いたくなるような。いや、本当は心の中ではそんなに簡単ではなかったけど。
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――今、何処に住んでいるのかヒント位、くれても良くない? 波の音がするけど……――
――名探偵ね。海沿いよ。海の側に住むと、人類の失ったのがブルーでなくて良かったと思うわ。昔はブルーももっと鮮やかで綺麗な色に見えてたって言うけど――
私には今いる小さな部屋だけが生活の範囲。あの頃そよぐ風の中、埠頭へとステップを踏んだ夏へは程遠い。
未だに朝、目を覚ますと、二人で海へ出かけた日の事を思い出す。
出会った事で別れの辛さを味わった。でも出会わなかったらどんなにか味気ない日の連続だっただろう。恋は人生を燃やす炎だ。炎も赤で形容される。
でも激しい色で形容される恋なのだろうか? それとも可愛いとされるピンク色で形容される? 他に候補はあるだろうか? 茜色?
――ねえ、そう言えば茜色ってどんな色だと思う? 沈んだ赤色で夕暮れの色に形容される色だって。空が茜色ってどんな感じなんだろう? 暗いのかな?――
――何だよ、突然――
――何となく急に気になったの。その色の事――
――万葉集の歌の中にもあるよ。暗くはないと思う――
――なんで? 沈んだ色で、暗赤色って呼ばれた色なのに?――
――赤自体、知らないだろ? ただ自然の染料で、歌人が歌ってるから陰鬱なイヤな色じゃないんだろう。 美しい色と思う。
たぶん……――
――たぶん?――
――たぶん茜色だったんだよ――
――え? 何が?――
――初めて会った日とか別れた日とか、夕方が印象的だった日は、空は茜色だったような気がする。きっとそういう色だよ。 茜色って――
――そうかな?――
――ん。きっとそう――
目の前の海の上に広がるのはあの日と同じ夕焼け。私は一瞬、茜色に圧倒された。
茜色した思い出へ 秋色 @autumn-hue
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